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海外映画 アーカイブ

2006年01月20日

マノエル・デ・オリヴェイラ 「家路」

家路
家路
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ビデオメーカー (2002/12/20)
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今年初めての映画はこれ。新年の抱負は毎週映画を見ること。早くも3週目ですが。

ポルトガル出身のオリヴェイラ監督の映画は、映画館で見た「家宝」に続き2作目。あのとき誘われなかったら、きっと一生オリヴェイラ監督に興味がないままだったろーなー。ありがとうございますありがとうございます。この作品は、偶然にも家つながりだ。「家宝」の方がはっきりしているのだけど、オリヴェイラ監督の撮る暗いシーンでは何が起こってるかよく分からないくらいに暗い。だが、そのシーンがあることで、暗いところでも人は生きているということが身に染みるのがオリヴェイラ監督の映画なのかもしれない、と思った。

物語は有名な年輩の俳優が家族のほとんどを事故で亡くすも、孫といっしょに暮らし、演劇に出演しながら日々を優雅に暮らす。しかし自分が出演するにふさわしい『ユリシーズ』の映画化で、せりふに詰まってしまう。という、わたしが好きそうな退屈で淡々とした映像が続く。だから、ハリウッド的な豪快さとか、華美な絵を求める人には向きません。でも、人が齢を重ねることの喜びと悲しみ、家と社会との関わりなんかをしみじみ感じたい、考えたい人には必見と申せましょう。

映像的にとても好きなのは、孫への買い物を済ませて荷物を抱えた主人公がタクシーを拾ってパリの風景を眺め、自分のお気に入りのカフェで一息つくところ。タクシーからは笑っちゃうほどの青空と大観覧車が見え、噴水が見え、思い思いに過ごす人々が見え、美しい彫像がタクシーの窓から見切れるまで見続ける。不遜な言い方をするならば、それはタクシーの中から美しいものをすべて見届ける神の視点だ。それは新しいスレンダーな靴を履いた感覚、タブロイド紙を開いて口にする一杯のコーヒーも、すべて日常でありながら至高。わたしが評価する映画監督はそういう日常の中の至高(永遠とか幸せとか言っちゃってもいいけど)を描くのがうまいのかもしれない。

主人公の俳優は娘夫婦や妻を序盤に亡くして、孤独の中に生きるようになる。それをオリヴェイラ監督がおまけのインタビューで否定するのが意外だった。確かに人は1人では生きていけない。だが、孤独の中に生きるのもまたその人が選ぶ生き方だと思うのね。実は家族や友人に囲まれて生きている人も、実はそれを息苦しく思っていたりするのかもしれない。そういう人に人と交わって暮らせ! と強要することは、明確ではないけれど確実にストレスを生み出してしまうかもしれないでしょ。離れることでできる人間関係もあるのだ、というのは人との物理的な距離を保ちたがる日本人固有の発想ではないと思うのだけれど。

ラストの哀しみは、自分の記憶力の衰えを実感するという、ある意味人が死ぬよりも苦痛な状況を「家路」という形で残酷に描く。それをじっと見つめる孫の目は、おじいちゃんの墓に刻まれた文字を見るかのような諦観。枯葉舞い落ちる秋な映画でした。

2006年04月20日

オール・アバウト・マイ・マザー

オール・アバウト・マイ・マザー
アミューズソフトエンタテインメント (2006/06/23)
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もともと涙もろいけど、この映画には声を上げて号泣してしまった。ぼろっとどこかが取れたのかと思うくらい。一人で見てよかった。

あらすじは、17歳の誕生日に息子が出待ちしていた女優を追いかけて交通事故で死亡。母親一人で育てていた息子は、文筆家志望で母親のことを書きたいと言っていたので、事故さえなければその夜に自分の過去を話すはずだった。母親は息子を亡くした悲しみに耐えかねて、昔住んでいたバルセロナに行き、過去の友人、過去の自分、そして新しい友人に出会い、ずっと疎遠だった息子の父親にも出会うことになる。

「母親の強さ」なんて一言では言い切れない葛藤と耐久力、それに観客にだけ伝わる弱さで、自分の息子の死を受け入れる母親の姿は、男のわたしでは共感どころかただただ平伏するばかり。主人公が息子の死の間接的な原因となった女優の付き人になるとき、またなった後でも決して「おまえが殺した」などと責任をなすりつけないなんて、自分にできるだろうか。臓器移植に携わる業務についていて死に近いこともあるだろうけど、誰かを責めるよりも、死んだ者は帰って来ず、自分がしてやれなかったことを悔いている感情の方が大きいのだと感じた。

愛と執着はちがう、とずっと思っていた。「愛」は分かち合うものできれいなもの、「執着」は独占し醜いものと決め付けていた。でもそうじゃない、その2つは表裏一体で愛ゆえに執着することがあってもいいんだ、と思えるようになったのはつい最近。この映画では母の愛情がわたしのイメージする”美しい愛”として描かれている場面が多い。ドアを閉めた途端に泣き崩れるところや、気遣う友人の手を振り払うところにエゴが見えるが、そこに彼女らしさも感じる。

主人公が悲しみゆえに距離を置くことは友人たちにとっては驚きだしあてにしてもらえなかった寂しさもあるだろうけど、自分で自分の答えを出さずにはいられない性格では、本当に必要な自己防御の手段だったのだろう。それは小動物が冬の寒さで凍死&餓死しないように冬眠するような、理屈ではない本能からの行動に見えた。2回とも列車で移動する姿はさらりと描かれるが、彼女の決意や悲しみが移動することによって緩和されるのだろう。

と、いろいろ書いてみたけれど、所詮10年も肉親と会っていない親不孝者の言うことなどあてにはならんわな。それと劇中劇がかなり象徴的に使われているので、知ってから見るとまたちがった印象を受けるだろう。全体ではまっとうな男が不在なのにニヤリとさせられた。

2006年05月21日

ロスト・イン・ラ・マンチャ

『ドン・キホーテ』といえばメタ構造を持ち、幻想性や冒険もののおもしろさがあり、何よりも物語を愛する人の滑稽さを客観視しているという点で、人類最初の小説にしていきなり最高の地位を獲得してしまった、後世の小説書きにはお手本であり困った存在です。それを映画化しようと試みたのが、奇想・諧謔・凝り性のテリー・ギリアム。岩波文庫で6巻もある物語をどうやって映画にするのか、とても楽しみにしていたわけですが……。

ドン・キホーテ役のジャン・ロシュフォールはどこからどう見てもドン・キホーテで、これだけでも映画を見た価値あり。劇中でちらっと使われていたオーソン・ウェルズによる映画もかなりリアルに映像化されていて、そっちも見たくなりました。奴隷の役でブラッド・ピットが出てきたので、おそらく小説版で言うところの前編1〜3の素直な冒険譚の映像化をもくろみたのでしょう。

全体通して言えるのは「映画を作るのって大変!」。有名な俳優はスケジュールやわがままが厳しい。スタッフはギリアムの出す無理難題満載の条件をクリアするのが厳しい。自然環境は厳しくて、乾いた砂漠のシーンを撮っているさなかに豪雨となり、地面が乾くまで撮影できず。そして何よりも厳しいのはお金。

見終わってただただこれだけの傑作を撮影できなかった事実が悲しい。理不尽だけども『指輪物語』の映画化ができるなら、なぜこちらもできなかったのか。この未完の傑作を思うたびに、もしかすると世界は日の目を見ることができなかった傑作の墓場だったのかもしれないと悲観的になってしまいます。

2006年07月13日

リベリオン

リベリオン -反逆者-
リベリオン -反逆者-
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アミューズソフトエンタテインメント (2003/10/24)
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SFの本は読んでも、映像にはあまり興味がありません。SFといっても自分から読むのは1960年代以降のいわゆるニューウェーブと言われる分野が中心なので、スターウォーズに代表されるようなビームがびゅんびゅん出て、敵をばったばったなぎはらうような映像には野蛮なものばかり感じて積極的に見ようと思わなかった。その意識が変わったのは、やはり世界は楽しんだもの勝ち、おもしろいものはたくさんあった方がいいし、つまらないと思うものも体験しなければつまらないと言えないという覚悟のようなものが出てきたせいだろう。つまらないものもなるべく楽しみ、その中でも二度と見たくないと思うものは存外多くないものだ。

この映画はいわゆるガン=カタ、拳銃を使ったアクションが売りらしい。序盤は感情を排除した世界観の説明をいやらしくなく生活の中にまぎらせて解説し、中盤からばんばん撃つアクションシーンが増えて、飽きないつくりになっている。ま、感情を排した世界というには結婚制度なんかも残っていて、どこまできれいに処理されているかは見る側のつっこみ度合いに委ねられるところも多い。

印象に残ったのはふとした拍子にガラス窓のフィルタが外れて、光り輝く世界が映し出される場面。娑婆に出るってのはこういう光、色を感じることかもしれません。わんこもよかった、いい鳴きしてた。

全般にアクションシーンはプロレス(四天王の頃の全日)を見る時のように、どれだけおもしろい技を出してくれるかの一点にしぼって見ているので、あまり物語自体の起伏や意外性に目新しいところはありません。

主人公が無感情のところから始まるので、この手の映画にありそうなべたべたの恋愛を絡ませた安っぽいSFという恐れていた先入観が外れたために点数が高いのかも。難しいことを考えたくはないけれど、能天気な映画では損した気分になる、そんな複雑なよくばりさんにおすすめです。

2006年09月06日

ミリオンダラー・ベイビー

ミリオンダラー・ベイビー
ポニーキャニオン (2005/10/28)
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ボクシングが好きなのです。実兄がかなり筋のいいアマチュアボクサーだったこともあり、幼い頃から機会があれば固唾をのんで見てしまうので、この映画も気になっていたけど、見たのは公開から1年後というていたらく。

ストーリーは決して目新しいところはない。女性版『あしたのジョー』。だけど、ボクシングの試合は拳だけで打ち合うだけでも息を止めて見守ってしまうように、この映画も歓びと悲しみをセコンドのフランキーといっしょに分かち合うことができる。チャーリー・パーカーの伝記映画『バード』でも同じように、クリント・イーストウッド監督作品は必ず死の影をまとっており、今回もしんみりしました。

頑固だけれども、だからこそ心の弱く優しいフランキーが印象的です。特にそれまでどちらかというと人でなしで心が狭い傾向が、素人女性ボクサーのマギーを育て、それを見守るエディ(モーガン・フリーマン)。ボクシングジムには嫌なやつもいるし、へんてこなやつもいる。そんな日々トレーニングに明け暮れる者同士の連帯感が描かれているあたりは、テレビドラマにもなりそうな雰囲気。

以下ネタばれ入ります。

決して自分が手を下したわけではないが、自分が関わらなければ起こらなかった悲劇に直面したフランキーの貧乏くじぶりに涙しました。この映画では解決策として安楽死を選んでいますが、フランキーがその後行方不明になるくだりなどを見ると、決して安楽死を肯定はしていません。自殺、自殺幇助は絶対に悪いとするキリスト教の教えよりも、愛弟子の要求を選んだ熱心なキリスト教徒にとっては、まさに究極で最後の選択となったのでしょう。ただ、映画自体は宗教の教えを超えて個人が選択するところに重点が置かれていました。

負け犬ボクサーのサクセスストーリーとして見られるところがありますが、むしろ安楽死の是非、そして成功と転落に直面した者の悲しみがぐっと胸に迫る作品でした。

2006年10月16日

クラッシュ

クラッシュ
クラッシュ
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東宝 (2006/07/28)

よく渋谷などに行くと「なんでこんなに人が多いんだよ」という不平を通りすがりに聞くことがある。おまえだってその一人なんだよ今すぐここから消してやろうか、と恫喝したくなるが、でも気持ちはよくわかる。「まったくだ、渋谷は人が多いよなあ。こいつは電車の扉口からどかないし、邪魔だよこのやろう」なんて喧嘩にならないなんて、日本人は我慢強いものです。

この映画は「人は本当はぶつかり合いたいんだ」という印象的な台詞からタイトル通りに車がクラッシュするシーンで始まる。「そんなにぶつかりたいんなら渋谷に行けよ、車なんて使えないからちょくちょく肩がぶつかるよ」とへらず口を叩きつつも「あれ、バラードの映画化ってこれじゃないよね」という不安がよぎる。あれはもっとエロいはずだったよなあ、でもこれも「クラッシュ」だし車ぶつかってるしディック的世界観なら同じ映画でもおかしくない。そうこうしているうちに、日本人どうしではあまり見たことのない自己主張のぶつかりあいが次々に繰り広げられる。

自己主張以外に日本ではあまりないものとして、人種による偏見がかなりオープンになっている。それは人種だけでなく、見かけによって人は他人を判断することがクローズアップされていく。係わり合いになることで偏見が徐々にはがれたり、助長されたりする。知り合って、話を交わし、行動する。それの繰り返しによって観客はドラマを感じ、生きている彼らを見届けたいという気持ちが生まれる、それが映画を見る喜びなのです。それぞれのエピソードは決して斬新なものばかりではないが、有機的につながる(また、このつなげ方が手練のDJのようなうまさ)ことで観客が世界を把握する全能感を刺激するのがドラマなのだと思いました。「人が在る」ことを実感でき、そこいらの「感動」とはわけがちがう。

監督・脚本はポール・ハギス。偶然にも彼が脚本を担当した「ミリオンダラー・ベイビー」を見たばかりで、展開の激しさと自然さ、偶然がもたらす喜びと悲しみをつなぐ見せ方に共通点があるように思えます。映画ならではのカットイン/アウトが見どころですが、これを演劇でできたら爽快でしょうね。人それぞれの価値(おもしろさ)を認められる人は必見なり。

2006年10月29日

太陽

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どうしても当初はイッセー尾形が主人公ということで笑いの発生を期待してしまったのですが、序盤の緊張感は役者という存在を忘れさせるほど。天皇という存在を守るために皇居に作られた防空壕で、侍従たちとの噛み合ない会話に前衛劇を見るようなテンションの高まりを感じました。現人神の天皇という存在を守るために存在する侍従たちのプレッシャーがじんじんと伝わってきます。

イッセー尾形は見れば見るほど昭和天皇に見えてくる。それはまるでだまし絵を見ながら「だまされまいぞ」という意気込みが、いつの間にかだまし絵の空間に入り込んでしまっている自分を見つけるような絡めとり方です。とてもリアルだけどちょっとおどけが入った芝居を期待していると裏切られ、絡めとられたことに気づいた時点でもう一度裏切られるおいしい作り。口のあわただしさ、手の落ち着きなさ、ひょこりと立つことで絶対的な存在でありながら空虚。まるで悟りの境地のようなことになっています。彼が軍服で立っている姿だけでこの映画を見た価値はありました。

日本に住み昭和に生まれたわたしですが、昭和天皇がここまで勉学に励み才能のある方とは存じ上げませんでした。数カ国語を操り生物学にも詳しい。現なまずは父親譲りというのも新しい発見。古代日本から天皇は神とされてきましたが、和歌を詠んだり仏教を布教するなどして文化の中心でもあったという歴史があります。数少ない例外としてヨーロッパでは王による啓蒙が行われたりしましたが、世界でも最高の地位にある人物がこれほど勉学に通じ文化に通じている人物は少ないのではないでしょうか。政治にかかりきりになるところを、天皇という特別な存在と祭り上げ、政治は政治家(あるいは軍人)に託すことで一種浮世離れした人格として存在することができたのかもしれません。また、地位にあかせて豪奢の限りを尽くすようなことがあれば、天皇制はここまで存続することもなかったでしょう。そういう点でも天皇というのは日本人の謙虚さと平和さを象徴していると感じられました。

それにしても、それにしても桃井かおり。おお神よ、なぜ彼女がこの映画に出ているのでしょうか。画龍点青を欠くを実践する彼女の存在を許した監督の笑いのセンスにはついていけません。彼女のせいでぶちこわしとみるか、「これは笑う映画なのよ」という証明書であるのかは見る人の判断に委ねられそうですが、少なくともわたしは「あちゃー」と頭を抱える存在でした。笑えるんだけど、やりすぎでしょうよ、あれは。

2006年11月01日

バス男

バス男
バス男
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20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン (2006/08/18)

もし自分にコンプレックスがあったり、何かうまくいかないことがあったり、彼氏や彼女や旦那や奥さんとけんかしちゃったときは、迷わずこれを見るべし。なんてったって、税抜きなら1000円以下! 人たるもの迷わず買うべし。

舞台はおそらくアメリカ中部あたり。まるでだめ夫(ナポレオン・ダイナマイト(本名))がいろいろしでかしているうちにメキシコ人の転校生と仲良くなり、なぜかそいつが生徒会に立候補したのでその応援をする。

ナポレオン・ダイナマイト。名前からしてネタ臭がただよいます。ライオンとタイガーのあいのこ「ライガー」を描いたり、自転車でずっこけたり、バスからものを投げたりする、とにかくダメな子。彼が暮らすアメリカの田舎は車がないと生活できず、免許がない人はバスや自転車で移動しなければならない。そういう環境は自分の実家と共通するので、ちょっとしんみりしちゃいました。あんまり裕福な家はなく、地場産業だけで細々と暮らす地域というのはNYやLAのような派手な物語は生まれないかもれない。でも、その分、わたしを含め田舎で育った人ほど共感できるのだと思います。

ナポレオンのお兄ちゃんは30過ぎて引きこもり。毎日のチャットで遠く離れた女子とトークするだけの毎日。たまに色気を出して護身術教室に通ったりするも無惨な結果に。そこに学生時代フットボールをやっていた体育会系マッチョ叔父さんがやってきて営業の仕事をさせる。ボウルを売ったり、メイクデカパイハーブを売りつけたり、いんちきくさい仕事です。このお兄ちゃんもよかった。額が広くて神経質そうなのにぼんやりしているところは、自分で鏡を見ているようでしたよ。

劇中で、シンディ・ローパーやジャミロクワイがかかるところが、実にダサい。21世紀の高校生ってもうちょっと新しい音楽聞いてるんじゃないの? だが、それがいい。特にわたしのような80'sポップに思い入れがあると、ふとしたはずみで「Time after time」がかかるだけで特別な時間になってしまう。iTunesに入っていても全く聞きませんが、偶然耳にすると「何かこれからキラキラしたことが起きるぞ」という期待感が育まれる。ダサいことこそすばらしいというDasaconイズムを思い出しました。

ふざけたタイトルとしまりのないジャケット、あまりにも安すぎる値段からは全編ぐだぐだの映画に思えますが、90分という短めの時間できちんと終わらせ、全編ダサさで押し切ったスタイルはなかなか新しいしおもしろい。必見でございます。

2006年12月31日

グラマー・エンジェル危機一髪

グラマー・エンジェル危機一髪
ワーナー・ホーム・ビデオ (2006/12/08)
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史上最強のアホ映画が地上波、しかも午後9時から放送だなんて。実況スレにかぶりつきながら、笑いが止まらない。

最初っからボインなおねえちゃんたちが全開で、途中仲間がつかまったりしますが、困ったときにはロケットランチャー。ボスから空気嫁まですべてを吹き飛ばすロケットランチャーで万事解決。

とにかくこれを見ないことには2007年はやってきません! 1000円なのでamazonでぜひ。あらゆる悩みが解消することまちがいありません。また、決して一人で見ないこと。年末には間に合わないけど、年始のお客様をこのDVDでお迎えなんてしゃれこんではいかがでしょうか。

★★★★★

2007年01月07日

8人の女たち

8人の女たち デラックス版
ジェネオン エンタテインメント (2003/07/21)
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クリスマスイブの夜、大学に通っている長女が帰ってきた。家は夫妻をはじめとして、祖母、妹、居候の叔母、家政婦たちなど女ばかり。そこで夫が殺害される。雪で閉ざされた屋敷で女性による犯人探しが始まる。

と、ミステリ仕立てで始まる物語ですが、途中すっとんきょうなミュージカルが入るなど、ミステリ的な整合性を求める向きには顔をしかめられそうです。むしろ、それぞれのステロな役割をあてがわれた女性たちのふるまいを見るべき映画。一見清純な女性がいかに変わるかも見所。

その変化は演技を通しても伝わってきますが、それ以上に雄弁なのがディオールの型から作られた衣装。メイド服はいかにも正統に頭のレースまできちんと着けられていますが、それがはだけた時には旧来の慣習までも打ち破る勢いがあり、衣装が変わることによって気分まで変わる女性の本性をしっかりとらえていると言えるでしょう。オードリー的なカラフルさの長女などDVDの付録には衣装へのこだわりが語られており、こちらもおもしろかった。

女性の美しさとこわさの両方を体験できるので、女性からは共感を、男性からは複雑なもやもや感を引き出し、性別で評価が分かれそうです。しかし男性女性かかわらず見ておくべき映画です。ありがちな人物像も8人で比較するとちがった観点が引き出されたりする、そして女性同士はあながち仲良くないことが分かったような気がします。

2007年01月26日

SIDEWAYS

サイドウェイ 特別編
サイドウェイ 特別編
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20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン (2005/07/07)
売り上げランキング: 21810

ワインブームにあてられてワイン関連の映画が出来ているようです。「モンドヴィーノ」というドキュメンタリーもありますが、これはワインを人間関係の中心に据えて、恋愛のきっかけになる甘酸っぱい話。とはいっても、年齢はみんな40代前後ですが、年は関係なく甘酸っぱさは大事だってことです。だってゴールデングローブ賞の作品賞と脚本賞を受賞したらしいですよ。……よっぽど他にいい作品がなかったんですね……。

結婚前の2流俳優がワインおたくのバツイチと二人でワイン旅行。しかし俳優としては婚前にヤりまくる予定だった。ワインおたくのつてでワインに造形の深い女性二人と知り合ってカリフォルニアのワイン三昧、ラブ三昧が一週間限定で始まる。

ワイン好きとしては「メルローなんて呑めるかあjえfうjいこ」と発狂するワインおたくや、「61年、最高じゃない」と発情するバツイチソムリエ女子に共感するのでしょうが、本当に受け入れられたところは40前後になっても男女関係は甘酸っぱく、「好き」の一言が言い出せない照れくささを抱えたまま大きくなっちゃった、そういう人たちばかりなのだと思います。

カリフォルニアは気候も土壌もワイン育成に最適なのですが、ワインを作り始めたのは1960年代になってからで、特に1980年代にブラインドテストをしてアメリカワインとフランスワインの対決でアメリカが勝ったり、Opus Oneという最高級のワインが出たりとアメリカの近代的なワイン作りが評価されてきた歴史があります。最近でもフランスのワイン消費量は落ち込んでいるけれども、イギリスとアメリカのワイン消費量はどんどん上がっていて、特にシャンパンはフランスシャンパーニュ地方でしか作れない(他でも同じ作り方はできますが、シャンパーニュと名乗っていいのはシャンパーニュ地方で作られた発砲ワインだけなのです)こともあり、ドンペリことドン・ペリニョンを初めとしたシャンパンはここ数年で大変高騰してしまいました。そのくらい世間的にはワインのブームが来ておるのです。

主人公のワインおたくはメルロー嫌いでピノ(ピノ・ノワールというブルゴーニュ地方の代表的なワインで味は繊細、香りは獣)、シラー(作りやすいために安く売られていますが、グラマラスさでは他の品種を圧倒)しか呑まないと豪語する英語教師。小説を売り込むも、妙にポストモダンちっくで分かりやすくないところは、高価なワインが作ってすぐには「開いていない」ためにいごいごして渋酸っぱいと敬遠されるかのようです。でも、頑固でシャイなワインおたくは決して嫌われているわけではなく、友人知人にはその子供っぽさが愛らしさとして受け入れられており、他人を思いやりながらも自分のこだわりが出てしまう姿は見ている方も応援してしまいます。

とはいえ、ワインに興味がない人に見せられるほどしまりのある出来とも思えず、微妙なところでした。

2007年01月28日

BARに灯ともる頃

BARに灯ともる頃
BARに灯ともる頃
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キングレコード (1999/09/22)
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有能な弁護士である父親が兵役に就いて将来も定かでない息子の非番に会いにいく。息子が幼い頃からどことなく気の合わない二人が、一日を共に過ごす。

父親役のマストロヤンニが見せる無邪気な親バカぶり、言うなりにならない息子へのいらだち、息子の世界に触れたときの寂しさ、どれをとってもいい表情です。単にハンサムなだけではない、青空をあおいだときのような歓喜の表情、喜びと寂しさのないまぜになった表情、どのカットも額縁に入れて飾りたいくらい。日本だとこれほど無邪気で奔放ながらも祭りの後の寂しさを出せるのは勝新太郎でしょうか。人生を楽しむことが基調になっているからこそ出せる寂しさというのがあります。

特にラストのBarに灯がともったとき、決して高級ではない階層の人々が昼間の憂さを晴らし互いを思いやるぬくもりを感じられるBarは実に魅力的で、ここでコーヒーを飲みたくならないはずがない。狭いカウンターとテーブルでカードに興じる人々、一台だけあるビリヤード台で子供っぽい遊びに真剣になる大人たち。この連帯感を見るだけでもこの映画を見る価値があります。ぜひともこんなBarを作りたいと、30を越えたというのにまた一つなりたい職業が増えてしまいました。

2007年01月30日

モンドヴィーノ

モンドヴィーノ
モンドヴィーノ
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東北新社 (2006/04/21)
売り上げランキング: 911

先日見た「SIDEWAY」はワインをテーマにした大人の恋愛だが、本作はワインのドキュメンタリーで、アメリカの資本家、フランスの田舎の頑固な親父、ブランドメーカーによる買占め、ロバート・パーカーJr.による点数制の弊害など、現状のワイン産業の陰日向についてかなり深く突っ込んでいる。また、カメラがかなりぶれるので乗り物酔いしやすい人はご用心。

安いワインも2年呑めば分かってくることもある。安いワインはその 日のうちに呑まないと、次の日はたいていまずい。作中で、「昔ながらのワインがなくなった」と嘆く頑固親父と対比して、「酸素を入れるんだ」とゲラゲラ笑いながら携帯電話であちこちに指示しているコンサルタントが映される。酸素を入れる(マイクロオキシゲンって言ってたそうな)と最初だけはうまいけれども長持ちしないワインになるんだそうな。なるほどー、酸素かー。酸素で活性化させて新樽で強烈に木の香りをつける。酸素といえばベッカムや野球選手の酸素療法。酸化させることで一時的に回復力をあげられるのかもしれない。だが、スポーツ選手のような体力のないワインは、それで回復するのは一瞬だけで、たいてい数時間もたたずに凹んでしまうのかもしれない。

正確に統計を見たわけではないけれど、シャンパンに限らずワインの値段は21世紀に入ってどんどん上がっている。1000円以下でそれなりにおいしいワインを求めるのは難しくなった。シャンパンを3000円以下で見つけるのは不可能に等しい。消費する立場として評論家やらコンサルタントが値段を吊り上げてるからなんだな、というのが実感できる。とはいえ、田舎の頑固親父が作るワインがうまいかどうかは別の話だし、日本に輸入するにはそれなりにお金の力が必要なわけで、あちらを立てればこちらが立たないという閉塞感を味わった。 資本主義って苦しいものだね。

本編は「ワイン業界って金が絡んで無粋よね」で終わるが、特典映像では監督が日本ではあまり注目されていないドイツワインについて語っており、普通12%はある白ワインが7.5%でしかもうまい、と力説していた。うまいもの食べて、酔っ払いながら「うまいんだよー飲めよー」と叫んでいるのがおいしいもの好きとしては正しい姿勢なんだと思いました。編集技術も結論を急ぎすぎず、考えさせられる作りになっていました。ワイン呑む人なら絶対見なきゃだめだ。

2007年02月12日

Vフォー・ヴェンデッタ

Vフォー・ヴェンデッタ
ワーナー・ホーム・ビデオ (2006/09/08)
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近未来のSFで情報統制されたイギリスに現れるV。彼は過去を消去して抑圧された社会を倒そうとしていた。革命大好きっ子にとってスタンダードでありながらこんなに魅力ある物語はほっとけないはずですが、手を出すにためらいを覚えたのがタイトル。「V」をアピールするために「ヴェンデッタ」を残したのでしょうが、カタカナにしてしまっては台無し。イタリア語で「復讐」を意味する「ヴェンデッタ」ですが知らなければ固有名詞くらいにしか見えないので、いっそのこと「VはVictoryのV」くらいくだけちゃったタイトルにすればいいのに。

とにかく驚いたのがナタリー・ポートマンのやつれぶり。メイクのせいか撮影のせいか、とにかく彼女の輝きがまったくきれいに撮れていない。これは彼女自身の肌の状態なのか(前に見たのはスターウォーズ エピソード1だった。そりゃ変わるはずだけど)、元々が大人びた役が多かったせいか、年齢相応のあわてぶりがわたしにとってはミスキャストのように見える。裏返せば非常にリアルなのだけど、なんとなくナタリー・ポートマンには眠り姫のイメージがあって、目を覚まさずにいつまでも同じ歳でいるような幻想があった。「レオン」のせいかな?

ひどくグロい場面もないし、Vのナイフ投げはかっこいいし、「独裁政権なんて打ち倒せ!」と握りこぶしを作ってわくわくしながら見られました。ちょこちょこきざったらしいところも復讐もの(作中では復讐の是非を問うていますが)ならば絶妙なスパイス。良い意味でのフィクションの安心感があります。

ミュンヘン

ミュンヘン スペシャル・エディション
角川エンタテインメント (2006/08/18)
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それほどスピルバーグ監督に思い入れはないけれど、これは見ておかねばと思っていた作品で、予想以上にすばらしかった。新しい目を開かれたかのようです。

1972年、ミュンヘンオリンピック開催時、パレスチナゲリラにイスラエル選手団が11人殺害された事件をきっかけに、イスラエル諜報部が密かに放った暗殺者を描く。

殺される方は悠然と『千夜一夜』をイタリア語に訳したり、パーティを開いたりして案外優雅に暮らしているのですが、逆に言うとあまりにも死が隣にいるために楽しめることはすべて楽しみ学んでおきたいことはすべて学んでおくのでしょう。死を常に意識した原動力というのは日本ではなかなかぴんときませんが、この映画は戦争映画よりも死を意識させるつくりになっています。ヨーロッパ各地で、人々が普通に生活している中を、ターゲットだけ殺害する。そのコントラストがあるため、周囲が死で満ちあふれている戦争映画よりもくっきりと色を濃くみせるのでしょう。

主人公は妊娠した妻がいるけれども暗殺の依頼を受けて単身ヨーロッパに渡り仲間と合流します。そこで主人公自身が料理を作るところで、すごくはっとしました。作中では他にもストレスがたまったときにざくざくと千切りにするシーンがあり、テロリストでも料理をすることが共感のきっかけになったのです。自分で料理するのは、もしかすると他の人が作ったものを食べないことで逆に殺される可能性が低くなることを計算しているのかもしれませんが、料理を作ることが「自分でやれることはやる」ことの証明のように見え、相手を殺して自分は生きるエゴの証に見えました。少なくとも料理を作っているときや、ラスト間近の小さな畑を耕しているときは死の気配がありません。すごくいい対比です。

もう一つ、にゃんこ先生が出てくるところは、自分が死んだらこの猫どうしようという被害者の悲しみが伝わってきて身につまされました。わたしだったら「わたしを殺してもいいから、この子にメシを……ぱたり」と死ぬにちがいありません。猫は殺されなかったので傑作です!

2007年02月17日

カイロの紫のバラ

カイロの紫のバラ
カイロの紫のバラ
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ポニーキャニオン (1999/08/18)
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世の中には小説を読まない人がいるらしい。仕事に役立つ本や実用書などは読むけれども、小説というファンタジーは無駄と切り捨てる人がいる。そういう人はこの傑作をどのように見るのだろう? ただのおとぎ話? ダメな女の世迷い言?

わたしはダメ男なのでわんわん泣きました。これは小説が好きでゲームが好きでまんがが好きで、現実がちょっとうまくいってないかもしれない人のための映画です。

舞台は不況期のニュージャージー、大恐慌の時代。旦那は酒飲みで博打打ちで暴力を奮う「のむうつぶつ」の最低最悪な男。女(シシリア)は姉の紹介でレストランで薄給を稼ぐが、男がほとんどをもっていってくだらないギャンブルに使われてしまう。そんなシシリアの唯一の楽しみは映画。特に気に入った映画を何度も見ているうちに、銀幕の向こうからハンサムで正義感あふれる探検家役が飛び出してきて、二人で愛の逃避行へ。

この映画のえらいところは探検家役がとびだしていった後の映画の展開をきちんと描いていること。単に銀幕のスターが飛び出して貧しい女と結ばれるだけなら安いハーレクインどまりだが、銀幕の顛末をコミカルに描き、現実ときちんと対比させているところが映画と現実をひっくるめて一つの世界を作り出している。

見る側はすっかりシシリアに同情し、現実の世界で映画のキャラクターとデートするシシリアにのめりこみます。すれっからしになった21世紀のわたしたちには夢物語にもならない陳腐な展開が、陰鬱としたニュージャージーの空と景気を背景に、映画と同じ時間だけ輝くのです。オフシーズンで誰もいないさびれた遊園地のシーンはぎゅっときました。本来なら人気のあるところがぱったりと人影途絶え、恋人同士で占拠してしまうシーンにわたしは弱い。それはどんな大金を積んでリゾート地でのんびりするよりもスリリングで心温まる場所なのです。

そして何よりも見るべきは銀幕を見つめるシシリアの瞳。決して絶世の美女とは言えないかもしれませんが、あの輝き、光を受け入れるおおらかさこそは人が人を好きになるきっかけになる瞳です。BGMのハリウッド全盛期のフレッド・アステアらの映像、ほがらかなJazzもよかった。アメリカ人の喜劇なんて能天気でくだらないなんて偏見を軽くブロウしてくれる傑作です。黙って見るべし、泣くべし。

2007年04月30日

列車に乗った男

列車に乗った男
列車に乗った男
posted with amazlet on 07.04.30
ポニーキャニオン (2004/10/20)
売り上げランキング: 4667

あまり監督で映画を選んだりはしないのですが、パトリス・ルコント監督の映画は意識的に見るようにしています。とはいっても、劇場に足を運ぶほどの熱意はないのですが、『タンゴ』は初めてBSで見て複葉機で間男を追いかけるシーンを見て以来、何度か見返すほどではあり、一言で片付けてしまうと男の悲しいペーソスみたいなところに共感し、それを見せるのがうまいなと思うのです。

本作はあからさまに過去に悪いことをしていたであろう男が、頭痛が起きたために乗っていた列車から降りて田舎町で元教師に出会うところから始まります。無口な無頼漢と、饒舌な元教師。水と油のような関係に見えますが、元教師のおしゃべりで人のいいふるまいに無頼漢が徐々にこころを開いていくのがわざとらしくなく描かれていてうまい。単に仲良くなるのではなくて、あくまで立ち位置はちがうのだけど、それでも二人が共感し少しだけ相手の世界を受け入れていくのがみそ。

元教師役のジャン・ロシュフォールが無頼漢の革ジャンを着てジョン・ウェインごっこを一人でこっそりやるところは、地の能天気さとハードボイルドさをすごみのある演技で使い分けてしまって、ひとりあそびにそこまで気合い入れなくても、と肩をたたきたくなるような役者魂を感じます。

無頼漢役のジョニー・アリディは一見アメリカ西部のマッチョ系にすら見えるし、そういう写真を忍ばせているのですが、実はフランス人らしい。この人の無骨さが元教師によってなじんでいく過程にはぐっときました。わたし自身が大人になってから文化的で洗練された生活を目の当たりにして衝撃を受けたこともあり、彼が部屋履きを生まれて初めて履いて歩いてみせるところなどは実に良かった。使われていなかった脳の一部が活動し始めたようなおっさんの初々しさを感じられました。

ラストはやや蛇足な面もあり、語られなかったりあからさまにおかしい流れもありますが、全体の暗さに一点の柔らかい光明を差し込む演出にしたてたルコント節が感じられる佳作でした。誰もが感動し納得する大傑作よりも、わたしはこういうひっそりした映画の方が好き。GWを一人で過ごす時に見ると人の暖かさとそれでもお互いは断絶している孤独感を感じられるのでおすすめです。さみしいGWはどうせならよりさみしく!

2007年08月01日

ボルベール

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吹き付ける東風の中、女たちが墓掃除をしている。枯れた松葉などが降り掛かる中、とりあえず掃除を終えた女たちは、やはり墓掃除に来た坊主頭の女とすれちがい、風車を背にして帰っていく。水はどこでも生命の象徴として描かれますが、風は地域によって受け取られ方がちがう。海の上なら推進させるための力だし、風力によって災厄にもなれば癒し手にもなりうる。このスペインの映画では地元でなじみの突風が女たちの髪をなびかせるように、運命の風が女性たちを翻弄するのです。

ペネロペ・クルス扮するライムンダと娘のロナウジーニャ(ロナウジーニョそっくりなので勝手に命名、画像の一番左)、ライムンダの姉ソーレはみな実家から離れて暮らしていたが、一番の身寄りの叔母を亡くす。時を合わせて旦那が失業し、さらに大きな事件が起こる。それは一家の女たちが背負った運命ともいえるのかもしれない。

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とにかくペネロペ・クルスを見るための映画でありました。くわっと開いた胸元から見える驚異的な胸囲。さらに「つけ尻」で峰不二子の1.2倍くらいのボリュームのナイスバディからなんでロナウジーニャが産まれるのかさっぱり理解できないが、魅力を通り越した魔力の前にはささやかな疑問など東風にびゅびゅーっと流されてしまいます。掃き溜めに鶴なんて失礼な言葉が浮かんでしまいそうなほど。

かつて「オール・アバウト・マイマザー」で大泣きしたわたしですが、今回は話も地味なら色彩も地味で、派手なのはスタッフロールとホームページだけという印象です。スペインから彷彿する元気な原色がさっぱりなくて、徐々にやつれをもたらす日々の重みばかりがクローズアップされてしまい、正直この映画から元気をもらうことはできなかった。

とはいえ、派手なアクションやSFは映画感で見ないと迫力が出ないように、ペネロペ・クルスも映画館で見るべき素材であります。結構後ろの席で見たのですが、全体なんか見えなくていいから前の席でかぶりつきたいところ。

2007年08月05日

ペドロ・アルモドバル『パティ・ディプーサ』(水声社)

パティ・ディプーサ
パティ・ディプーサ
posted with amazlet on 07.08.05
Pedro Almodovar ペドロ アルモドバル 杉山 晃
水声社 (1992/12)
売り上げランキング: 31940

本棚に並ぶラテンアメリカ文学の中でもどぎつい黄色の表紙が目立っている。発音しづらい名前。いつもアドモルバルと読んでしまう。スペイン語がわからないせいかもしれない。どこかで聞いたことがある名前だが……、あ、「ボルベール」の監督じゃないか、と気づいたのはこの週末なのでした。「オール・アバウト・マイ・マザー』であれだけ泣いたというのに、このぼんくらめ。

本書では奔放でグラマラスなポルノアイドルのパティ・ディプーサが雑誌に連載した身辺記という形く。文中の「わたし」「娼婦」「まっぴらごめん」「いちばんくどきやすい女」などの単語がゴシックになっており、パティの欲望を際立たせている。アルモドバルの特徴は豊かな色彩と女性のおおらかな強さ。なんて2作しか見ていないけれど、おおむねまちがいないだろう。

自分たちがどれほど魅力的なのかを見せたくてうずうずしてる連中がいるけど、そばで見るだけでうんざりね。

パティは自らの欲望を全開に突き進んでいく。無口なタクシードライバーから思いがけないものをプレゼントされて一瞬で恋に落ちたり、鼻持ちならない坊ちゃんを平手打ちしたりする。躁病並に猪突猛進勇猛果敢。でも一方ではふとしたことでメランコリックになったり、ポリシーに反したことは決してしない。個性という言葉で片付けられない。粋という言葉には選択することへの大きな背景を感じることができる。粋でちょっとおバカなすてきな雑誌連載。確かに雑誌もバカ売れするだろう。

ところで、男性でありながら女性を中心に据えた世界を描くという点でまっさきに思い出すのは、アルモドバルと対照的に映画監督になれなかったマヌエル・プイグだ。両者ともゲイであることはゴシップ的な要素抜きにしても、作品に大きく影響しているだろう。推定でしかないが、二人とも単純に男が好きというよりも、女になりたいという願望が強くなった結果として男が好きなのではないか。女性の美しさに憧れるあまり自らを投影してしまう。特にアルモドバルの映画「ボルベール」「オール・アバウト・マイ・マザー」では魅力的な男をほとんど見たことがない(以前は若いアントニオ・バンデラスも出演していたようだが)。単にそれだけなら生まれてきた自分という枠に反抗したがるわがままさにしか映りませんが、客観視して飽きさせないストーリーに仕立てあげる技術は両者とも見事。

大きい書店ならきっとまだ在庫がある水声社の本。1200円とお買い求めやすい値段なので、映画「ボルベール」とともにお楽しみいただけるんではないでしょうか。

2008年02月23日

ミスター・ロンリー

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ローンリー、ミスターロンリー、で始まるマイケル・ジャクソンものまね映画。タイトルになった曲はボビー・ヴィントン、名前は知らないけど哀愁のあるファルセットで誰もが一度は聴いたことがあるはず。

ところでわたしは「マイケル・ジャクソンは無実」派でありまして、ネバーランドが解体されてしまったことは、小山遊園地が解体された次くらいに悲しい出来事でありました。キャプテンEOがなくなったことはもっと悲しい。もしわたしが彼の伝記を書くならば『人の整形を笑うな』とタイトルをつけることでしょう。

当然、映画でもマイケル役にはチェックが厳しい。ある程度下手に見せることが求められるので、本当はもっと上手なのかもしれませんが、やっぱりものまねさんのターンは軸がぶれていてイマイチだった。本物はまだイン・シンクよりも高速回転できます(2004年調べ)。だけど、誰もがある程度は感じている現実の生きにくさを、マイケル・ジャクソンという究極の現実非対応者のさらにものまねというフェイクを重ねることで、意味だけを掘り下げるとミルフィーユの最下層のようにいろんな味がじんわり染みこんでしまったような彼の存在の不器用さがうまく描かれています。

そんな彼がマリリン・モンローのそっくりさんに導かれてハイランド(スコットランド)の城に赴く。そこでものまね芸人たちが共同生活を送り、コミューンというよりは小さな楽園のような場所。そのゆったりした空間が非常にわたし好みで、湖を望む古城でひっそりと暮らしたいという新しい願望が生まれた、わたしにとっては新たな発想を得られた良い映画でした。 内向的だけど笑いを含んでいるところがすてきだと思いました。あと、すごい尼僧がたくさん出てきます。これは必見。

2008年04月08日

ヘアスプレー

ヘアスプレー DTSスペシャル★エディション (初回限定生産2枚組)
角川エンタテインメント (2008-04-04)
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1960年代のボルティモア。クリーニング屋を営むふとっちょの母(ジョン・トラボルタ!)と、誰が買うのか分からないおもしろグッズ屋を営むやせっぽちの父(クリストファー・ウォーケン)の間に生まれたふとっちょのトレーシーはダンス番組が大好き。親友のベニーと共にテレビの前で踊り狂うだけでは飽きたらず、公開オーディションに応募。最初はちびで太っているトレーシーを鼻にもかけないテレビ局だったが、折しも隆盛してきた黒人音楽のリズム感を持ったトレーシーは、既成のアイドルの枠を越えて人気者になっていく。

ふつう、この手の話はちびで太っていた女の子が、ダイエットしてダンスをがんばったらすらりとスタイル激変、シンデレラ的なストーリーになりそうなものです。しかし、そこをきれいに裏切り体型そのままで最後まで突き通した設定にとても驚いた。自分の概念が凝り固まっていたことに気づかされます。映画全体では体型も肌の色も関係ないというメッセージがこめられているのでしょうが、あまりに脳天気な人物達の明るさにちっともイヤミに感じられません。

1960年代のアメリカはマーティン・ルーサー・キングJr.に代表されるように、黒人公民権運動が盛んになり、白人対黒人の図式がもっとも色濃かったとき。この映画でも主に黒人が力を手に入れる課程を描いているわけですが、同時に白人の価値観が塗り替えられた時期であることにも注目しているように見えました。クレイジーにさえ見える教育ママ、権力・色仕掛けを使ってでも自分たち家族を注目させたい元ミス・ボルティモアは一見類型的に描かれているようで、実はわたしたちの既成概念を象徴していて、わたしにも彼女たちのように醜く固執してしまうところがあるよな、と。

ブロンドでやせていて美人が最高であるという当時も今も変わらない美の基準を、小さくて太っていても最高であるとすることで、今の私たちの概念をも揺さぶってしまうところが、この映画で一番すごいところ。今だってエビさんやらモエさんやらが細くて色白のモデルとして奉られてしまうほど、わたしたちの美的概念は変わっていない。そもそも、今の日本のマスコミから発せられる美的基準って、この映画で敵役をつとめるテレビ局部長(ミッシェル・ファイファー)とその娘のところから変わっていないんじゃないでしょうか。単に踊り狂うだけの映画の中に、実は美的概念の革命を起こそうとする不穏さすら感じてしまいました。

2008年06月21日

There will be blood

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公式サイト

「マグノリア」を見て感じたのは、世間的にずれた人(常識にとらわれない人)が名声を得た裏には大きな悪意・他人に対する攻撃性が隠されているということだった。そういうことを撮りたいんだと思っていた。それをきっちり中心に据えたのがこの映画だと思う。

1900年代初頭、アメリカの石油掘りとして経験を積んだ主人公は、次々に石油を探して掘り当てようとする。目に留まったのはへんぴな田舎で、人々は貧しい暮らしの中でも信心深くつつましい生活をしていた。主人公は共同経営者の幼い息子と共に乗り込み、油田を掘り当てようとする。

主人公のひたすらに石油を求める目。ダニエル・デイ・ルイスの出演作は「ラスト・オブ・モヒカン」しか見ていないしどこにいたかも全然覚えていないが、本作での圧倒的な迫力はすごい。軽い気持ちで「オーラのある人」なんて言い方があるが、とてつもなく大きく悪意のあるオーラをひしひしと感じた。ひたすらに他人に勝ちたい人。そしてただひたすらに自分の理想を現実にしていく力のある人。だから、周囲の人間が自分の理想からはみ出すと決して許せず、赤の他人よりもかえって強く反発心を抱く。彼の愛情と言うには利己心の比率が多すぎる感情がもたらす、他人への距離感がとても丁寧に描かれている。利害が一致すれば協定を結んで友情となし、不要と判断したら一顧だにしない。それがつもり重なった終盤に描き出される主人公は、人間と言うよりも感情が凝り固まった台風か地震のような自然現象とでもいうしかない。

音楽がすごくこわくて、アルヴォ・ペルトやクセナキスかのようなロックではない現代音楽が大音量で流れ、不安になる。で、家に帰ってみたらRadioheadの人が全曲手がけているそうな。これはサントラ買う価値あり。真っ暗な部屋にろうそくを灯して一人で縮こまって聴きたい。

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