マノエル・デ・オリヴェイラ 「家路」
今年初めての映画はこれ。新年の抱負は毎週映画を見ること。早くも3週目ですが。
ポルトガル出身のオリヴェイラ監督の映画は、映画館で見た「家宝」に続き2作目。あのとき誘われなかったら、きっと一生オリヴェイラ監督に興味がないままだったろーなー。ありがとうございますありがとうございます。この作品は、偶然にも家つながりだ。「家宝」の方がはっきりしているのだけど、オリヴェイラ監督の撮る暗いシーンでは何が起こってるかよく分からないくらいに暗い。だが、そのシーンがあることで、暗いところでも人は生きているということが身に染みるのがオリヴェイラ監督の映画なのかもしれない、と思った。
物語は有名な年輩の俳優が家族のほとんどを事故で亡くすも、孫といっしょに暮らし、演劇に出演しながら日々を優雅に暮らす。しかし自分が出演するにふさわしい『ユリシーズ』の映画化で、せりふに詰まってしまう。という、わたしが好きそうな退屈で淡々とした映像が続く。だから、ハリウッド的な豪快さとか、華美な絵を求める人には向きません。でも、人が齢を重ねることの喜びと悲しみ、家と社会との関わりなんかをしみじみ感じたい、考えたい人には必見と申せましょう。
映像的にとても好きなのは、孫への買い物を済ませて荷物を抱えた主人公がタクシーを拾ってパリの風景を眺め、自分のお気に入りのカフェで一息つくところ。タクシーからは笑っちゃうほどの青空と大観覧車が見え、噴水が見え、思い思いに過ごす人々が見え、美しい彫像がタクシーの窓から見切れるまで見続ける。不遜な言い方をするならば、それはタクシーの中から美しいものをすべて見届ける神の視点だ。それは新しいスレンダーな靴を履いた感覚、タブロイド紙を開いて口にする一杯のコーヒーも、すべて日常でありながら至高。わたしが評価する映画監督はそういう日常の中の至高(永遠とか幸せとか言っちゃってもいいけど)を描くのがうまいのかもしれない。
主人公の俳優は娘夫婦や妻を序盤に亡くして、孤独の中に生きるようになる。それをオリヴェイラ監督がおまけのインタビューで否定するのが意外だった。確かに人は1人では生きていけない。だが、孤独の中に生きるのもまたその人が選ぶ生き方だと思うのね。実は家族や友人に囲まれて生きている人も、実はそれを息苦しく思っていたりするのかもしれない。そういう人に人と交わって暮らせ! と強要することは、明確ではないけれど確実にストレスを生み出してしまうかもしれないでしょ。離れることでできる人間関係もあるのだ、というのは人との物理的な距離を保ちたがる日本人固有の発想ではないと思うのだけれど。
ラストの哀しみは、自分の記憶力の衰えを実感するという、ある意味人が死ぬよりも苦痛な状況を「家路」という形で残酷に描く。それをじっと見つめる孫の目は、おじいちゃんの墓に刻まれた文字を見るかのような諦観。枯葉舞い落ちる秋な映画でした。














