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SF アーカイブ

2006年01月28日

池上永一『シャングリ・ラ』(角川書店)

シャングリ・ラ
シャングリ・ラ
posted with amazlet on 06.10.26
池上 永一
角川書店
売り上げランキング: 28,676

ずばりと言おう、この本は『人類皆殺し』+『スノウ・クラッシュ』であると。
ディッシュ『人類皆殺し』は地球に伐採不可能なすごい木がにょきにょき生えまくって、人間があたふたする話。この『シャングリ・ラ』は未来の東京にすごい木を植えまくって排出する二酸化炭素を抑えようとし、えらい人間は山手線の内側を埋め尽くすようなでっかい塔に移住する豪快な話で、舞台設定は似ているけど話の複雑さや活力の点で遙かに『人類皆殺し』を凌駕している。
『スノウ・クラッシュ』(某所では『ダイヤモンド・エイジ』と書いてしまったが、ニール・スティーブンソンは『スノウ・クラッシュ』しか読んでない)のサイバーでかっとんだ舞台設定、特に経済をきちんと背景として描くことで荒唐無稽な物語にリアリティを出すところが似ている。

しかし上記2作を大きく突き放しているのが、池上ワールドとも言われているキャラクターの元気ばりばりなところ。主人公國子は女子高生にして重力のない世界に住む破壊神、その育ての母にして父であるところのモモコ姉さん(「銀」最高!)はじめ、出てくる人物はみなそれぞれの生き方において無敵で、無敵ぶりを生かしつつ世界が転がっていくのでページを繰る手を止めさせない。それでいて下品でおバカなところは池上永一ならでは。

ただ、読んでいるときはすごく楽しいんだけど、自分が好きな物語かという問いには悩んでしまう。下品でおバカなところは『風車祭』と変わりないんだけど、それが物語を生かすよりもキャラクターを生かす方に使われているように思うのだ。なので、読んでいるときは手に汗握るけれども、読み終えて「豪快な話だったなー」で終わってしまう。それは後半のジャンプ系バトル(無敵な人たちがどかどか戦いまくる)が長すぎることに起因しているかもしれない。カタストロフィは物語の大切な要素だけれど、「結局腕っぷしの強い奴が一番」という印象しか残らない。キャラが立つというけれども、立ったキャラクターでも動機が切迫してない(東京以外は森になってないんだから、好きなところに住めばいい)ところが不満かな。

ところで、作中の鍵となる炭素経済と地球温暖化ですが、この本を読了後には森山さんによる丸山茂徳さんへのインタビューを読んでおくべきだと思います。『シャングリ・ラ』前に読むとおもしろさが減るかもしれないので注意。「メデューサ」の機能も一刀両断ですが、ま、こちらはフィクションですから目くじらをたてることもないでしょう。

一つ心配なのが、池上永一はこれからライトノベルに行ってしまうのか、ということ。池上永一ならではのデフォルメでもっとシリアスなテーマ(キャラは今のとおりバカでいいけど)を取り上げてほしいところですが、次はモンゴル方面らしいので、土着の雰囲気が今回よりも色濃く出るかもと期待しております。

2006年02月15日

フィリップ・K・ディック『マイノリティ・リポート ディック作品集』(ハヤカワ文庫SF)

マイノリティ・リポート―ディック作品集
フィリップ・K. ディック Philip K. Dick 浅倉 久志
早川書房
売り上げランキング: 152,033

ディックは長編もいいけど短編もね、と言ったのはu-kiさんだったか。前に読んだ短編集(どれだか忘れたけど、たぶん『ゴールテン・マン』)は今ひとつキレがなくて退屈だった印象。しかしこれは映画を見た直後に100円で拾えたので、映画の印象を保ったまま読んでみることにしました。

●「マイノリティ・リポート」

トム・クルーズははげてないよ! 映画ではあまり大きな役割をはたしてなかったマイノリティ・リポートが、短編では物語の鍵になっていて、タイトルにようやく得心する。映画版は確かにおもしろかったけど、物語の解決が潔癖すぎて「こんなのディックじゃないやい」とテレビの前でわめいて猫に白い目(瞬膜)で見られました(寝てた)。小説版はある取引によって解決に導かれるわけだが、倫理的には今のアメリカで人を殺すよりもずっと抵抗感のある時代という設定なので、その決意の重みがずっしり伝わる佳作。

●「ジェイムズ・P・クロウ」

ロボットが支配する世界というディストピアもので、人間は召使いや芸人として暮らしている。物語には強く描かれてはいないけれど、「ロボットが芸術や笑いを解するか」というところはすっ飛ばしているのでやや不満が残る。

●「世界をわが手に」

シムアースってこわいね、なメタ小説。地球外に知性体は存在せず、ゆえに人々はシムアースコンテストに夢中になっていた。そこに絶望視されていた地球外知性体の情報が入り、人々は歓喜する。いつでもずぶりと突き刺さるオチをもってくるディックの短編の中でも、これはかなり素敵。

ゲームならなんだってそうなんだけど、ゲーム内の事象しか目に入らなくなるときってあるよね。これを読んで、学生時代の一時期はまっていたダビスタを思い出した。いろんな馬を交配させて強い馬を作って、後輩の人たちと競い合うのだけど、単に強い馬の子だから強いってわけじゃなくて、長距離に強かったり練習次第だったり調子の浮き沈みがあったりで、なかなか思うように強い馬を作れなかった。こういう非現実なことばかりだけで生きていけるようになると、真の平和が訪れるのかもしれないと思うこともある。

●「水蜘蛛計画」

SF大会でポール・アンダーソン未来人に誘拐されるの巻。ポール・アンダーソンの作品は好きだけど、国内外問わずに作者自身にはそれほど興味はないのであまりおもしろみはなかった。ディックがこういうコミカルなものを書くという意外性が一番の収穫か。

●「安定社会」

タイトル通り安定した社会で、「意外性」なんてありえないはずだが、主人公はふと別の世界に入り込みこぶし大のガラス玉を拾ってしまう。
新しさはないけれども、最初の派手な見せ方からラストのオチへ構成がまとまっているという印象。こういうの読むと短編うまいな、って思う。

●「火星潜入」

ミステリ仕立て。火星のとある都市をテロリストに破壊されて、犯人がいるとおぼしき地球への船を創作するが嘘発見器にかけても見つからない。実は犯人はその中にいたのだ。しかしなぜ見つからなかったのか……。
相変わらずうまい。ラストの引きもみごと。実はSFの映像はあまり好きこのんで見ないのだけど、21世紀の今だからこそこういう連続ドラマがあってもいいかもと思うくらいに映像的。

●「追憶売ります」

名作というと文章が重厚だったりするものだけど、これだけ読みやすくアピールする物語はそうそう産まれないんじゃないか。火星にどうしても行きたい男が、「火星に行った記憶」を買いに行く話。ありがちと笑わば笑え。ヴィトンの限定品を持ってようが、運転手付きのロールスロイスに乗ってようが、物語を楽しんだひとときにくらべれば物の数ではない、のだけどその二つを満たしつつこの小説を楽しめればそれ以上の至福はないであろう。おいしいワインを除いては。

読みどき云々はあまり好きではないけれど、ディックの短編集に限っては若いうちに読むべき。アルジャーノンやブラッドベリなんかもそうだけど、若いときの人生経験値が足りないときに脳みそをひっくり返されるような読書の経験があるというのは大きな幸せだと思う。エキセントリックはスタンダードあってこそなのだ。

2006年03月26日

ジーン・ウルフ『デス博士の島その他の物語』(国書刊行会)

デス博士の島その他の物語
ジーン ウルフ Gene Wolfe 浅倉 久志 柳下 毅一郎 伊藤 典夫 伊藤 典夫 柳下 毅一郎
国書刊行会

ジーン・ウルフは難しい、そう思っていた時期がわたしにもありました。単語や文章の中に組み込まれた象徴性、一読しただけでは明らかにならない全貌、信用ならない語り手への警戒。でもね、かいま見るインタビューや前書きなどからは、ウルフはそんな難しくしようとして書いているわけじゃないと思う。syzygy noteでは柳下・山形対談の模様がレポートされていて、ウルフがかなり献身的なカソリックだと知って、ウルフの小説は読者を煙に巻くことが目的ではないってことがわたしの中では確信に変わった。確かに全貌を読み解くことは難しいかもしれない。でもまじめに読んだ読者にはしあわせが広がるつくりになっている。世界と自分が同一になるような、ささやかな欲が立ち入る余地のない、澄んだ幸福感で満ち足りることができる。だから、この本を読むときに必要なのは、余計な猜疑心を取り払って、自分と本と1対1で真摯に対峙すること。通勤途中の電車などではおすすめしない。前に立っている人やこれからやってくる義務感で、読後にあふれる光が届かないかもしれないから。本来読書ってのはそうあるべきだろうけど、なかなか難しい。それでも『デス博士の島その他の物語』にはそれだけの時間を割く価値がある。

まえがき

前書きにはデス博士一連のアナグラムの序章となる「島の博士の死」がおさめられている。「島々」に関する博士の授業を履修したのはたった2人。講義の一環として、ある島に不可思議なことを探しに行くよう言われるが結局島では何も見つからない、というもの。
これだけ短いにも関わらず早くもわたしは物語に隠された要素を探そうととらわれてしまう。単に老教授が2人の生徒に最後の課題を出しただけなのか? アーサー王にまつわる島の知識がラストにどうつながっているのか? それらの謎を抱きながらも老教授の最期にしんみりし、2人の生徒を祝福したい素直な気持ちがあふれてくる。ミステリ的に謎を追究する読み方もあるのだろうけど、それよりも小説は世界をすべて描き出すことはできないというジーン・ウルフの姿勢に素直に従うべきだと思う。所詮主観でしか人は生きられないのだから。

デス博士の島その他の物語

内容は少年が買ってもらった本の登場人物が物語の現実にも登場してくるというもの。河出の『20世紀SF』で一度読んだけれども、そのときはさっぱり理解できなかった。現実に物語が混じり込んでいるというのは分かるのだけど、それが生み出す少年の孤独や少年がデス博士に共感する気持ちがくみとれなかったのだ。「おもちゃのチャチャチャ」のように軽快だけど、暗く根ざした少年の心も描き出す傑作。
読後には若島先生のノートもぜひ。

アイランド博士の死

「アイランド博士」という精神治療惑星に送られた少年ニコラスが、暴力的な男イグナシオとカタトニアの女性ダイアンに出会う。惑星と言うよりもアイランド博士の島と言うべき舞台は、猿や木々、森羅万象がアイランド博士であり、ニコラスにそこここでアドバイスを与える。こういう島、わたしはすごく憧れる。もしかしたらこの舞台を孤独で過酷な環境(食事などは自分で野生の生物を得なければならない)ととらえるかもしれないけど、社会的な義務が少ないことが何よりも魅力。

ニコラスがアイランド博士として話しかけてくる猿を殺し、アイランド博士の仕組みを教わるシーンがある。アイランド博士は森羅万象を通して話しかけるのではなく、患者(ニコラス)の考えていることを読みとって最も良いアドバイスをするし、記憶からシーンを再現して患者に追体験させることもできる。こんなことができるようになったら、なんだかもう人が生きている意味なんてないような気がしちゃうな。パソコンで言ったら業務用のキーボードとディスプレイだけあって、サーバのアプリケーションを共用するような、記憶装置を使わない人間になりそうだ。物事から受ける印象は人によってさまざまだけど、アイランド博士によって受容するときの個別な感性のちがいがなくなって画一化されてしまうかもしれない。

さて、上とは関係ないけれど、この短編集では驚くほどセックスが描かれない。一番自然に近いこの「アイランド博士の死」でも、もっとも金を持っていて社会的に自由な「アメリカの七夜」ですら、そういう雰囲気になることはあっても実際の行為を描写することはない。単純に考えるならカソリックとしてのウルフの傾向なのかもしれないが、具体的な描写はないとはいえ「拷問者」シリーズではホモセクシャルもあるし、故意に描かないという傾向はなかったように思う(未確認)。この短編集は本を、物語への愛がテーマになっているような気がするので、つまりこれは、本を読みながらセックスはできないということか。

死の島の博士

裏『夏への扉』。人類史上最高の発明をしたアラン・アルヴァードは、殺人事件で逮捕されガンの治療のために冷凍睡眠処置された。病院で目覚めた彼が過ごした時間は40年。目覚めた彼は自分の発明がすっかり世界になじんでいるのを知る。やがて彼の犯した殺人の真相が語られることになる。

これは群を抜いて物語の展開が分からなかった。病院で働いている人々は名前はちがってもどこか同じ人物のような気がするし、ラストでは「構えているのはカメラだ。拳銃ではない」という不吉な感じを残す。アルヴァードの殺人は銃を使っていないのになぜここで銃が出てくるのか。謎ばかりが残ったけど、それでも物語の鍵となっているらしいディケンズを読んでみたくなったのがせめてもの収穫か。もちろん物語自体はおもしろいんだけど、腑に落ちない度ではこれが最高。

アメリカの七夜

SFマガジンで既読。裕福なイスラム人が核関係で荒廃したアメリカに来る、というところが読者の価値観をいきなり揺るがしてくれる。今ならアルカイダの事件でイメージできないわけでもないけれど、書かれた1970年代にはファンタジーにしたくともありえない世界観だったのでは。

解説にも書かれていますが、日記の形態をとりながら「ドラッグの入った卵菓子のロシアンルーレット」によって記述のどこかは信用できないことになる。真実を探るよりもまずそういう手法で書くことができるウルフの手腕に脱帽。解説にはおおよそどこで卵菓子を食べたか書かれていますが、読書会などではそれぞれの日に卵菓子を食べたとしたら、という前提では話し合ってもおもしろそうですね。

眼閃の奇蹟

これはすごい傑作ですよ。この驚きは18年前に『アルジャーノンに花束を』を読んだときレベル。よく、小説を書くきっかけで「自分でもこんな話が書きたい」「自分がこの物語を書いていたら」という言葉がありますが、まさにそれ。

小説自体はロードムービー風。盲目の少年リトル・ティブが"教育長"と召使いのニッティに出会う。リトル・ティブはネバーランドならぬシュガーランドを目指し、教育長とニッティはマーティンズバーグへ向かうので同行することに。貨物列車にただ乗りし、ヒッチハイクでプリティヴィー(地天)博士のバスを拾う。途中、リトル・ティブは笛の音に合わせて踊り出し、踊りながら断崖の上に出てしまうが落ちない。このあたりでリトル・ティブがただものではないことがおぼろげに見えてくるのだけど、ちょうど「デス博士の島その他の物語」のように現実とリトル・ティブの空想が混じった描写が続いて、わたしはどこからが物語の中の現実なのか把握できないところもあった。

ウルフの真骨頂「書いてないところにも事実があり、それが後半に絡んでくる」がふんだんに楽しめる。福男ならぬ服男が出てくるあたりから、「あれ、もしかして」と徐々に物語の新しい一面が見えてきて、ラストには光り輝くシュガーランドへの道が現れるところでは泣く。それはかなり宗教的な悦びかもしれない。単に盲目の少年が光を取り戻した、とかいう次元じゃない。どこかでは「損のない読書」なんて特集があってそのせせこましさにげんなりしたものですが、これはまことの傑作であり損得の勘定では計れない小説を読むことの豊かさが満ちあふれています。ハレルヤ!

2006年03月27日

シオドア・スタージョン『輝く断片』(河出書房新社)

輝く断片
輝く断片
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シオドア・スタージョン 大森 望
河出書房新社
売り上げランキング: 7,176

某Hさんからのいただきもの。感謝。

『人間以上』がとにかく苦手で、矢野徹訳のはじけた感じに冗長な印象だったので、しばらくスタージョンからは遠ざかっていた。でも、短編はおもしろい。冗長どころかむしろ書いてないところが多すぎて、それがかえって想像力をかきたてているように思う。晶文社ミステリ(R.I.P.)から出た『海を失った男』がとにかく傑作だった。河出から出た2つめの短編集となる本作も前半と後半のバランスがずれてるけど、傑作揃いという感想は変わらない。

この短編集、前半3作は小手調べ。本腰は「君微笑めば」から入ってくる。タイトルはシナトラなどの名唱などで有名な「When You're Smiling 」からとられているんだと思う。おそらく普通はミステリの視点から読まれるのだと思うけれど、サイコな登場人物の切実さが印象深い。

その切実さが狂気に結実し、また正気に戻ってくる(?)「ニュースの時間です」。ラストでは「いかなる人の死もわれを傷つける。われもまた人類の一員なれば」の引用で本当に狂っているのは誰かを問いかける。スタージョンの短編で特に共感できるのは、孤独を守りたい気持ちと孤独ではいられない人生の苦痛の天秤が動くさまを描くところ。偏執的にニュースを求める男が突き詰めすぎて変態する場面の悲痛さがたまらない。危険なチャーリー ・ゴードンって感じ。

「マエストロを殺せ」って1949年の作品だから、まだマイルス・デイビスがひよっこの頃。ビッグバンドからモダンジャズへの転換期に書かれたというところが興味深い。クラリネットがメインというとベニー・グッドマンしか思いつかないけど、クールな物腰でたぐいまれなスウィングを生み出す才能はモデルとしてあながちまちがってないんじゃないか。うちのベニー・グッドマン「ライブ・アット・カーネギーホール」はレコードなので聴き直せないけど、これから読む人はBGMに用意しておくといいかも。物語自体もなまなかではなくて、バンドならではの一体感がどこからやってくるのかが大きなテーマとなり、それゆえに殺人が起こる。クラシックの用語「マエストロ」を敢えてジャズで使うのは、もちろん単に名演奏家を指して言うのもあるだろうけど、ちょっと気取った言い方のような気がする。日本語でも「のたまう」という言葉で尊敬していない相手の言葉を揶揄するような。それが「Die, Maestro Die!」なわけで、タイトルからも必死さを感じる名作。

次の「ルウェリンの犯罪」は短編集のマイベスト。ややおつむは足りないが勤勉なルウェリンは常識的なアイヴィと同棲しているが、ある1枚の紙をルウェリンが見つけることでそれまでの平凡だけど幸せな生活が破綻する。自分の思いこみと異なる事実を知ったときのルウェリンの苦しみが痛々しいが、献身的なアイヴィにも泣ける。そして衝撃のラスト。悪い人は誰もいないはずなのに、こんなに悲しい結末を迎えるのはいたたまれなく、それでいて小説としては最高だ。

「輝く断片」もまた愚鈍だが善意から生きている男が死にかけた女を拾う。男は不器用ながらも女の面倒をみ、やがて回復してくる。はじめて自分の善意が感謝されたというのが最大のポイント。「スタージョンの意地悪」と小説の技巧的な面から判断してしまうには、あまりにも純粋な愛情のあり方に泣く。あふれる愛は時に人を溺れさせてしまうのかもしれません。

2006年05月20日

第14回読書会 シオドア・スタージョン『輝く断片』(河出書房新社)

輝く断片
輝く断片
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シオドア・スタージョン 大森 望
河出書房新社
売り上げランキング: 7,176

注意! ネタばれ全開です。

今回はSFが課題図書というせいか、男性11名、女性3名という参加比率。小雨がけぶり、5月だというのに15℃以下という寒空のもとで開催されました。

まずは自己紹介と全体の感想、また短編集なので各々好きな短編をあげてもらう(複数回答可)。結果は、「マエストロを殺せ」がやや多く、続いて「ルウェリンの犯罪」、「旅する巌」、「ミドリザルの情事」、「ニュースの時間です」あたりが続く。普段SFやジャンルにカテゴライズできない本を読んでいる人が後半の重苦しさを好み、逆に後半の重い話だけでは嫌になったりつらかったりする人と半々というところか。また、ほとんどの人は国書や河出、早川で出た短編集や『君の血を』『夢見る宝石』『人間以上』などの既刊をどれかしら読んでいました。特に河出からこの前に出ている『』

「取り替え子」はまあいい話、ということで落ち着く。ラストの「貯める」が自分の子供のために愛情を貯めておく→妊娠していると読める。

「ミドリザルとの情事」はつまはじき者がミドリザルという比喩にされているところにおもしろさを感じたという意見がありました。

「旅する巌」はダメSF。最後のやっつけ感がなんともという意見と、だがそれがいいという意見が。あとネイオーミ=ナオミだと思うけど、どうしてこんなまどろっこしい名前になったんだろ。

「君微笑めば」あたりからいよいよスタージョン節が本腰に。この男の饒舌さと押しつけがましいところをスタージョンはいかにも楽しげに書いているところが賛否分かれる。「ミドリザル」でもそうだけど、押しつけがましい人物はたいてい悪役に配置されている。当時のアメリカはJAZZがビ・バップ(ビー・バップって書くと知らない人からもつっこまれるのだ)全盛で、ミュージカルや映画もハッピーなものが多く、それこそ「ゲイ」が楽しいという意味でしか使われなかった頃に、これだけマイノリティを意識した視点なのは読者がついてこないんじゃないかと、個人的には思ってました。ただそれもSF界をはじめ確かに読みとれる読者もいたのではないかと。
見返りなしに助ける人物の存在についてもこの短編では取り上げられました。これに限らずスタージョンの短編には存在し、それがスタージョン自身にとって謎だったのではないか。だからこそ自分の作中でそういう人物の動機を解明しようとした。
また、ヘンリー自身はテレパスという言葉を使っていますが、むしろ強い共感能力があることが原因で、浦沢直樹『MONSTER』に近いところがあるとか。わたしは未読なのでちょっと興味があるけど、浦沢直樹って読後感が苦いんですよね。また、ヘンリーは一人でもないという意見もありました。こういう人がたくさんいるのだと。

「ニュースの時間です」は星雲賞受賞についてひとしきり。確かに「アメリカの七夜」を抑えるほどではないかも。
これに似た話で鉄道模型を捨てられるというのがありましたね。
これまで饒舌な内面の語り手が物語をひっぱることが多かったのですが、ここでは全くマクライルの心情は語られず、最後に動機らしいことを表明しますが、それも曖昧なところがあるところが特徴的です。マクライルは「All or Nothing」の人。
ラストはジェノサイドではなく、あくまで人を殺すことにより悪い人が存在することを知らしめ、それまで世界に存在する悪意によって自分が傷つけられていたことに復讐します。

「マエストロを殺せ」は、まずタイトルについて前の「死ね、名演奏家、死ね」のインパクトが強いという話。
主人公で犯人のフルークは自分から追いつめられるタイプで、自分が作り出した悪い妄想に凝り固まってしまう。一方でバンドの中心ラッチはフルークへの共感能力があるが、他のメンバーはそれほどでもない。
ジャンルとしては犯罪心理小説で、「Why done it」が主眼。
また、トークショウの参加者によると、ラッチのモデルはアーティー・ショウだそうですが、不勉強にもジャズ好きを公言しているわたしは聞いたことがないのでした。恥ずかしい。それにしてもクラリネットがメインになるようなビッグ・バンドで、ギターにバンドの命が息づいていたという仕掛けはちょっと違和感がある、と発言したのはわたしです。また、MCのフルークがバンドのツアーについていたというのも、当時普通のことだったんでしょうか? 普通、MCはホール専属だと思うのです。

「ルウェリンの犯罪」「輝く断片」についてはメモなし。さすがに終盤に入り、この二つの短編については語るところなく、ただ感じる、という印象でした。でも「ルウェリンの犯罪」の場合、実際のところはどうなっていたのか、つまりアイヴィはどの場面で死んでいたのか、結婚証明書と死亡証明書は単に文盲からとりちがえただけなのか、などの小説内の事実をもう少し明確にしてもよかったかもと反省しています。

やっぱりレジュメとはいわないまでもそれなりに語るべき場所を絞り込むことは大切です。また、解釈はそれぞれだけれども誤読したままで終わらないような物語の構造を互いに確認する作業も必要かと思いました。

2006年09月01日

ダグラス・アダムス『銀河ヒッチハイク・ガイド』(河出文庫)

銀河ヒッチハイク・ガイド
ダグラス・アダムス 安原 和見
河出書房新社
売り上げランキング: 170

久しぶりに正統な(?)SFを読んだのだけど、実におもしろかった! 新潮文庫版3冊を1000円で売り飛ばした昔の自分を叱ってやりたい。こら。

2005年に映画化もされているし、googleで「answer to life the universe and everything」検索すると「42」と表示されるネタ元としてあまりにも有名な作品。物語はバイパス道路を建築するために家を取り壊されるアーサー氏から始まる。黄色いブルドーザーの周囲で揉める人々の話から、とある理由で地球を離れ「銀河ヒッチハイク・ガイド」片手に放浪するはめになる、そのスケールの変わりようはGoogle Earthで自分の住所からぐーんと地球全体を俯瞰するときのようなめまいさえ感じます。SFの魅力は客観的な視点で宇宙を、自分を眺めるツールになることもできることです。

全編モンティ・パイソン風の皮肉がきいたギャグでうめつくされ、くだらないことこの上なし。ナンセンスとかつて呼ばれた不条理なかけあいによる笑いは、漫才のようにスピーディーなつっこみとボケ(あるいはボケ倒し)を小説で実現している希有な例。

タイトルにもなっている銀河ヒッチハイク・ガイドのいいかげんな編集ぶりを見ると、ぎすぎすした世の中に吹く一服のアホを感じます。その場のおもむきにより集められた銀河のアホ情報集大成は、いわばWEB−2.0。「集合痴」と名付けたい。帰る場所がなくなっているのは問題ですが、この根無し草生活も自由のひとこま。ぜひ、スクエアな地球の日常から抜け出すためにも、このガイドブックを手に、宇宙へ飛び立ってみませんか。

2006年09月20日

山田正紀『弥勒戦争』(ハヤカワ文庫JA)

弥勒戦争
弥勒戦争
posted with amazlet on 06.10.07
山田 正紀
角川春樹事務所
売り上げランキング: 85,306

『神狩り』はSF初心者のわたしにもくっきりと爪あとを残す傑作でした。言語学と神の実在をSFに絡めた上で、文章は読みやすくスリルあふれる展開にはらはらしたものです。あれから5年、『神々の埋葬』と含めて3部作とも位置づけられている本作に挑戦です。

「独覚」と呼ばれ自滅を運命づけられた超能力者たちが、弥勒と呼ばれる謎の存在を感じ取る。弥勒は終戦直後の日本を占領したマッカーサーをはじめ、まだまだ戦いと流血を求めるように要人たちを操っているようだ。謎の朝鮮美人に惹かれながらも、自らに課せられた運命を果たすために困難を乗り越えて最後の独覚となる結城弦が未知の弥勒に戦いを挑む。

黒くて大きなサングラスにロングコートのハードボイルド+超能力+地味な架空戦記。どのへんがハードボイルドかというと、

――次はおれの番か……。

と覚悟しても死なないところ。

――おれが殺したようなものだ。

としめっぽく後悔するところ。ハードボイルドって沸騰して水分が蒸発しているイメージがあるんだけど、主人公はいつもぐじぐじと湿っぽく後悔してるんだよな。

この小説を楽しむのは、悲運を定められた独覚たちにどこまで感情移入できるかにかかっています。それとこの壮大な設定にのめり込めること。わたしはハードボイルド要素にはわくわくできたのだけど、いかんせんこの壮大な設定を生かすには枚数が少なすぎて、特に後半はぱたぱたと作者の指で駒を倒していくような性急さを感じてしまいます。

それでもハードボイルドな友情、宿命論にあがく主人公たちの勇敢さをあっさり楽しめるところは、『アルテミオ・クルスの死』に疲れた頭にはちょうどいい息抜きでした。

2006年09月30日

『ベータ2のバラッド』(国書刊行会)

ベータ2のバラッド
ベータ2のバラッド
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サミュエル・R. ディレイニー 若島 正 Samuel R. Delany
国書刊行会

あー、SFキライじゃなくてよかった。特にNW(ニューウェイブ)-SFはわけわかんないからキライなんて毛嫌いしなくてよかった。これもみんな学生時代にがんばって読んだブルトン『シュルレアリズム宣言』(特に「溶ける魚」の詩的な無意味さ)のおかげだな、ブルトン先生ありがとう。あの本からわたしは「よくわかんないものを楽しむ」姿勢を学んだと思う。実は自分の理解できないものに喜びを感じることは訓練が必要だ。未知への不安について「わかんねえんだよ、このやろう」と怒り出す人もいるかもしれない。わたしだって時々そういうことはあるけれども、分からないことを分からないままに受け入れる心構えはしてきたつもり。未知は不安と共に新しい世界の始まりであることも忘れてはいけないと思う。

もっとも不評のベイリー「四色問題」。セックスを暗示したへんてこな物語と、四色問題を解こうとあがく老人と少年、数学的な説明が入り乱れ、「この小説が何を言いたいか」ということは全く理解できなかった。だが、この四色問題、性的な関心から何か連想することはないだろうか。日本人なら誰しも一度は耳にした血液型占いである(海外では星座占いがメジャーです)。合コンなんかで四色問題をさかしげに持ち出して、「人間もね、四色より少ない色で分けることはできないわけよ。君、何型?」と居酒屋トークの皮切りとなり、数時間後にはロケットでマグマへ突入するのであります。でも、いつまでも四色問題をひっぱっていると、非モテとなり少年を連れていつまでも解決できない四色問題をぐずぐず考え続けることになるという、分かりにくい教訓として読みました。また、佐藤哲也ぽく

つぎの瞬間、地球のマントルが流れ込み、会議室もその中身も高密度の熱い岩石の堅固な連続体へと融合していった。
と繰り返されてそれまでの話ががっしゃーんと卓袱台返しされるのも小気味よい。

もちろん、ディレイニ(あえてサンリオ表記)もいい。最初は読者がまごつくように背景の説明を極力抑えて、主人公と共に徐々に世界が明らかになっていく手法は、SFの常套手段でありSFだからこそできる技法です。その明らかになる瞬間は脳内で何かが発火したような名状しがたい喜びがありますね。この作品も、よく分からない歌を学校の先生に叱られていやいや解読していくだけなのですが、ラストはエンターテイナーの手法を見せずに魂だけで持っていくディレイニならではの盛り上がり。すばらしい。

キース・ロバーツ「降誕祭前夜」は原題がドイツ語なのがポイント。ドイツ語の理由は読んですぐに分かるようになっていて、『パヴァーヌ』を読んでいるので納得の構成。日本でやるとどうしても戦闘シーンばかりがクローズアップされてしまうけど、本作は「その後」が舞台となっています。日本だとどうしても嘘ぽくなるのに、ヨーロッパが舞台だとファンタジーでもなく、SFの一つとして「ありえる」物語として読めるのは、単に距離の問題なのか、はたまた文化そのものに由来するのか。民族が多いがゆえに異なる歴史を選択した可能性がより身近に感じられるのかもしれません。キース・ロバーツらしい性格悪いセンチメンタルさが存分に発揮されていて、一気に読んでしまいました。喪失感を書かせたらSF界ナンバーワンかもしれません。

ちょっとネタばれ。

部屋に置かれた禁書を読むまでは、同伴の女性がダイアンであることは地の文では明かされていません。マナリングの会話でダイアンと知れるだけです。つまり、この時点で女性はいるけれども読者はダイアンであると信じ込まされている、ともとれるようになっています。ここはうまい。また、禁書を読んでから現れる女性はダイアンと自ら名乗っている。ここからは主人公マナリングの幻想とも解釈できます。そのあたりの虚実の分かれ目をたゆたうのもこの小説の楽しみ方。

ハーラン・エリスン「プリティ・マギー・マネーアイズ」は再読。だが、改めてかっこよさを感じる。すかんぴんのところから、謎の力を借りて陳腐な成功をおさめるが、それには裏があったという話。このどうしようもなく陳腐で、それでも生命力にあふれた気合いがエリスンの魅力であり、短編集を通すと冗長に感じられてしまうところ。

あとの2つは無難なSF。あまりNWぽさは感じませんでした。でも、この短編集は入門編としても、NWというすでに古ぼけてしまった前衛の勢いを感じる意味でもいいセレクションだと思います。

2007年01月03日

ハント・コリンズ『果てしなき明日』(ハヤカワ・SF・シリーズ)

IMG_5503.jpg

あけましておめでとうございます。本年も読書部ならびに本サイトをよろしくお願いいたします。

新春は明るい未来を夢みて本作から開始。とっても趣味の良い方から勧められて読んだジャプリゾ『新車の中の女』(感想書いてなかった)の「それはねーよ」感に負けずとも劣らない珍未来SFです。

時は2174年頃。世界はヴァイク派による文化に彩られていた。No Sex,Only Drugな彼らはヴァーチャルな創造物を最高とし、「センソー映画」と呼ばれる五感すべてを刺激する映画を作ることにすべてが捧げられていた。一方でリー派と呼ばれるリアルズム主義者は酒とSexを取り返すため水面下で工作を始めたのだった。麻薬に溺れ、エロ文学に逃避し、服はみなほとんど全裸であるにもかかわらず、Sexはおろかチューもダメ、手すら握れないヴァイク文学派の面々が最高におかしいです。

「わたくし、ヴァイク派文学をやりたいと思うのですが、どうしたらいいのですか?」
「まずスカートを腰までに短くして、そんなブラウスは脱いじまう。乳房に敵当(ママ)な塗料をぬって、麻薬の注射を常用するんだ!」

ミニスカートを超えたワカメスカートに透明の下着で挑発しながらも、結局は麻薬で気持ちよくなることに価値を見いだしているところが、まだ麻薬の知識が浸透していない1950年代の小説であることを感じさせます。今だったら麻薬もSexもいっしょに楽しんでしまうでしょう。ラストも人民の力強さと為政者の個人としての弱さを浮き彫りにするところまで展開していて、物語のフラグ化を避けながらもメリハリがきちんとしているところが素晴らしい。

古さを感じるといえば、初版は1959年(本国の出版は1956年)ですから訳の古さもありますが、それも楽しみの範囲。ヴァイク派のヴァイクとは「vice」から、リーは「realsim」の「リー」でしょう。他にもジャック・ウォマックばりの造語が多用される世界をこの文章で読むのは正月のようなゆったりした時間だからこそ楽しめるのかもしれません。

とはいえ、作者が未来を描くために使ったガジェットのおもしろさには注目すべきで、ヴァーチャルであることを第一とするヴァイク派の創作物というのは、今でいうと映画はもちろんゲームの進歩と人々がそれに熱中する様にも通じるものがある。また、ドラッグによって低級な肉体の喜びを超克しようとする様は、そのすぐ後にやってくるヒッピーの文化を予見していたとも言えるでしょう。ちなみにケルアックの『路上』は1957年で、本書よりも刊行時期は遅かったのが興味深い。本書が本名のエヴァン・ハンター、または有名なエド・マクベインの名前を使って書かれていたならば、もっと影響力を持ち世評が高くなったのではないかと想像することは後世のセンチメンタリズムかもしれません。いずれにしても、訳し直すなりして再刊する価値のある隠れた名作と言えるでしょう。

★★★★☆

2007年01月27日

グレッグ・イーガン『ひとりっ子』(ハヤカワ文庫SF)

ひとりっ子
ひとりっ子
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グレッグ イーガン Greg Egan 山岸 真
早川書房
売り上げランキング: 1643

水……、水を……。数学砂漠で干涸びてしまった脳みそに水をやらねば……。

ぼくたちはいま、ふたつの両立しない、つまりどちらもそれぞれの版図において物理的に真であるような数学の系の、境界線の一部分をつきとめた。演繹の過程が<不備>のどちらか一方の側にのみふみとどまるかぎり——従来の数論が適用される”此方側(ニアサイド)”でも、オルタナティヴ推論が支配する”彼方側(ファーサイド)”でも——矛盾は生じない。だが、演繹が過程のどこかで境界を超えたなら、不合理を引きおこし……Sから非Sが生じる。

ハードSFと呼ばれるものを読むたびにぐったりしてしまうのは、たとえばピタゴラ装置を作るために下っ端の学生さんたちがそれぞれのギミックをミリ単位で計算して試行錯誤するさまを見ているようなもので、ピタゴラ装置の意外な動き「だけ」を期待していると退屈に映るようなものでしょうか。それよりもなによりも、わたしに数学の素養がなく、「言説S」などと書かれているだけで、「Sって何?」と頭を抱えて、以降の話が理解不能に陥ってしまうことが最大の理由でしょう。こういう本こそ読書会ならぬ解説会を開いていただき、「大人になっちまった小学生にも分かる『ひとりっ子』」という企画を行っていただきたい。あ、もしかしてもうSFファン交流会でやっちゃったのかな? 

もちろん数学の脳みそをあまり使わずに楽しめる話もあります。「真心」「ひとりっ子」のように技術の革新によって従来の問題を解決する一方で、人間に残った倫理的な面の解消・新しい技術を精神的に受け入れることが題材になっているものは、考えさせられるところが多い。「ふたりの距離」の精神同一化が受け入れられない理由には大笑いしました。愛が深まるに連れ、いっしょになりたいと望む二人が脳までいっしょにしたら、というアイディアはSFだからなせる業。イーガンだからこそドライで、正しく、笑える。

それにしても、今まではイーガンを読んだら数学の知識はともかく、そのアイディアに感嘆することが多かったのですが、今回はそれがかなり薄かった。鼻からドラッグを打ち込んで脳みそのありようを変えてしまったり、平行世界の存在をあるとして日々の選択を行うようなことは、物語の基礎としてはありだが、いかにしてそのガジェットが成り立つかという方に物語が進んでいるために驚きが少ない。山岸さんは「SFを読み慣れてないと面食らう部分があるかもしれない」とおっしゃっていますが、それでも多少は数学の知識(記号が出てきても驚かないレベル)が求められると思います。

2007年04月08日

ルーシャス・シェパード『緑の瞳』(ハヤカワ文庫SF)

緑の瞳
緑の瞳
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ルーシャス シェパード 友枝 康子
早川書房 (1988/02)
売り上げランキング: 1138475

シェパードといえばアンソロジーによく収録されている「竜のグリオールに絵を描いた男」の傑作ぶりが思い出に残っており、わたしにとってはあれ一作でランクAに位置する作家です。本書のあとがきによるとラテンアメリカやヨーロッパ各国を放浪していたというヒッピーSFな彼の長編を久しぶりに読んでみました。

短編でもいかんなく発揮されていたシェパードの暗さが、長編になって重厚さを増し、さらにゾンビを題材にすることで全体にものすごくどんよりしています。ラストも本来ならすかっと爽快な解決法にも関わらず、「それでも重荷を背負っていくのよね家康」的悪いことはまだまだ続く余韻を残します。そもそもの設定が、バクテリアで死体のゾンビ化に成功したマッドサイエンティストの館から被験者とその介護人が逃げ出すけれども、実はFBIやらCIAやらが彼らを見張っているというもので、もう何も信じられネーション。

にもかかわらず、ゾンビ化された主人公ドネルの成長がひっそり描かれているのはポイントが高い。マッドサイエンティスト(エザワ氏はおそらく日本人なのだろう)の館にいるうちは、

「ああ、ちくしょう。一度死んだってことにも、何かいいことがあるんじゃないかな……」

なんて愚痴ってばかりですが、ある自分の能力に気づくと人々を導くようなちがう自分の能力を発見します。それが意外な世界に続いているとは思いもよらない、ぎゃふんな面もある小説です。

さて、この小説でもっともひっかかったのが、ゾンビ化されたドネルと介護人ジョカンドラの男女関係についてで、例えば自然に亡くなって棺桶に入れていざ埋葬というときに息を吹き返した人間ならばその後に性的関係を結ぶのはちっとも変だと思わないのですが、ドネルのように死んだ後に人工に蘇らせた男(女)と関係を結ぶのはとても違和感があるのです。某mixiでは白雪姫にも例えられましたが、死んだ人を蘇らせるというのは火葬中心の日本ではあまり考えられないことで、西欧の土葬文化ではそこにロマンチックな感情が起こりうるということなのでしょうか。暗いところですることだから一度死んでいても外見が大して変わってなければ平気、とはわたしは言い切れないひっかかりを覚えました。

ボルヘスやコルタサルを読んでから、きりっと締まった短編を書く作家を気に入って他の本を読んでみると長編はどうもヘンテコさが気になって手放しでほめられないことが多い。ルーシャス・シェパードも残念ながらそこに仲間入りしそうです。決して悪いわけじゃなく、濃密な情景描写はミルハウザー並だし、バカっぽいラストはSFファンなら気に入りそうだけど、どうも全体として見た時に妙なうっとうしさを感じてしまう。熱帯の薮に分け入るのは探検隊ならば熱も入るが、畳の上で寝転がっている分にはややうっとうしいかも。

2007年04月28日

『20世紀SF〈3〉1960年代・砂の檻』から「太陽踊り」

20世紀SF〈3〉1960年代・砂の檻
アーサー・C. クラーク ロジャー ゼラズニイ ハーラン エリスン サミュエル・R. ディレイニー J.G. バラード 中村 融 山岸 真 Arthur C. Clarke Roger Zelazny Harlan Ellison
河出書房新社 (2001/02)
売り上げランキング: 26509

ロバート・シルヴァーバーグといえばSFを読み始めた頃に手にした『夜の翼』が幻想的で、その頃はまっていたロードムービーの寂しさみたいなものも持ち合わせていて感動したものです。多作ぶりを「小説工場」なんて揶揄する向きもあるようですが、作品世界の思索と弱者へのあたたかいまなざしはSFの幅広さと小説としてのおもしろさは決して作品数に反比例するわけではありません。

前回読んだときは短編集に紛れてしまった本作の真摯さや、自己を保つことの難しさが今回はずっと身にしみました。短編集は一度通して読んだ後も、ちょっとした時間に1作だけ読むつもりで手に取れるような場所に置いておくといいのかもしれません。やかんでお湯を沸かしている間や、アイロンがあったまるまでに1編だけ読むようにすると、通して読んだ時とはまた違った印象があります。

先祖にアメリカン・インディアンの家系を持つ主人公は某惑星を整えるために、酸素を供給する植物を食べてしまう生物を絶滅させるために毒物を撒く係として仲間と滞在している。その生物は毒物を摂取すると遺体も残らず消失してしまうのだが、ただの害獣だと思っていた生物が、植物を食べる前に儀式として太陽に感謝の踊りを捧げているのを発見した主人公は自分たちの惑星清掃活動に疑念を抱き始める。

今回の読書では「きみは」「彼は」「おれは」と人称を変えて書かれていること(たまにラテンアメリカ文学でも同じような試みを行っているが、短編である本作の方が分かりやすく工夫されている印象)の効果をより感じました。最初に「きみは」で始まるとおやっと思う、二人称で始まることの意外性が物語の中に入っていくとやわらいでいき、最後の二人称では暗いけれども物語としてあるべき姿に収まった余韻が残ります。技巧的にも物語としても大傑作。若いうちに読むと有吉佐和子の『複合汚染』のように自らの罪と罰を受け止めなければいけないという謙虚な気持ちが生まれるかもしれません。

2007年05月26日

イアン・マクドナルド『黎明の王 白昼の女王』(ハヤカワ文庫FT)

黎明の王 白昼の女王
黎明の王 白昼の女王
posted with amazlet on 07.05.26
イアン マクドナルド Ian McDonald 古沢 嘉通
早川書房 (1995/03)
売り上げランキング: 494715

久しぶりに正統派ファンタジーを、と思って手に取ったらまんまと裏切られた。この意外性があるからハヤカワFTはおもしろい。

600頁もあるのは、3部作になっているから。1900年代初頭にお嬢様エミリーが妖精と出会う第一部「クレイグダラホ」、第二部「神話録」ではジェシカ・コールドウェルが自分の出自に気づきIRAの兄ちゃんとかけおちし、第三部「コーダ 晩夏」の短いシーンを挟んで第四部「神の臨在(シェーキーナー)」はそれまでの現実感を超えて居合い抜きが得意な少女イナイがサイバーパンクのような舞台で活躍する。

どの章も少女から受胎を経て女性となる過程を元にしつつ、平行世界で繰り広げられる妖精の世界が垣間見える主人公が翻弄される様を描く。しかし電車の中で細切れに読むには世界が濃密すぎて、入り込めないところや世界観を一歩引いて見てしまって冷めてしまったことも事実。また、わたしの読解力ではそれぞれの章の関連性がサブキャラクターの存在が共通しているだけで、あまり強い世界の結びつきが感じられなかった。特にラストの命名シーンで連環の輪が閉じるかと思ったが、『エンジン・サマー』のようなきれいさではなく、とってつけたようなピリオドにしか見えない。一度では読み取れない情報がたくさんあるので、また挑戦します。

あと、原題のシンプルさ(『King of morning, Queen of day)に比べて、邦題ではあえて仰々しさを強調してあるのはなぜだろう?

2007年05月27日

カート・ヴォネガット・ジュニア『タイタンの妖女』(ハヤカワSF文庫)

タイタンの妖女
タイタンの妖女
posted with amazlet on 07.05.21
カート・ヴォネガット・ジュニア 浅倉 久志
早川書房 (2000/00)
売り上げランキング: 4251

カート・ヴォネガット・ジュニアの小説はハヤカワSF文庫というレーベルの中のはぐれものだ。もちろん、本国アメリカではヒッピー文化の後期に大きな影響力を持ち、決してSFの一言で語り尽くせる小説は書いていないし、本人すらSFではないと公言していた。けれども、本書はまぎれもなくSFであり、SFというジャンルから簡単に導けるほど生はんかな作品ではない。

父親の遺産を継ぎさらに繁栄を続ける相場師マラカイ・コンスタント、誇り高いが狭量なビアトリス、その夫にして年に一度実体化するラムファードと犬のカザック。地球でそれなりに不満を抱きながらも裕福な生活をしていたマラカイとビアトリスが火星に行くことになるとラムファードが予言するところから話が始まる。

「ティミッドとティンブクツーのあいだ」という第一章で衝撃を受けなければこの本を読む必要はないと断言できるほど、とにかく最初からデフォルメされながらも人間の本質をずばりと突いた事件で一気にずるずると蟻地獄の巣のようにひきこまれていく。

 いまではどんな人間も、人生の意味を自分の中に見つけ出す方法を知っている。
 しかし、人類がいつもそう運が良かったわけではない。ほんの一世紀たらずの昔まで、男も女も自分の中にあるパズル箱にやすやすとは近づけなかったのだ。
 魂の五十三の入り口のうち、たった一つの名も言えなかったぐらいである。
 たくさんのインチキ宗教が幅をきかせていた。
 あらゆる人間の中にひそむ真実に気づかずに、人類は外をさぐった——ひたすら外へ外へと突き進んだ。この外への突進によって人類が知ろうとしたのは、いったいだれが森羅万象を司っているのか、そして森羅万象はなんのためにあるのか、ということだった。
 人類はその先発隊を外へ外へとくりだした。そして、ついに先発隊を宇宙空間へ、無限の外界の、色もなく、味もなく、重さもない海へと投げ込んだ。

「魂の五十三の入り口」というものいいは、なんとなく生命と宇宙と万物についての究極の答えが「42」というのに似ている。が、それはともかくとして、この小説で語られる地球人のものみだかさといやしさ、火星人のおろかさは、なんともうんざりしてしまうほど21世紀の地球に近い。

ヴォネガットほど分かりやすい文章で複雑なSFを織り上げた作家はそうそういない。20世紀の古典となるべき作者による人間関係の悲しさ、幸せになれない人間の愚かさを描いた傑作です。これと『スローターハウス5』は必読。

2007年06月24日

イアン・ワトソン&マイクル・ビショップ『デクストロII接触』(創元推理文庫)

デクストロ2接触
デクストロ2接触
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イアン・ワトスン Ian Watson マイクル・ビショップ Michael Bishop 増田 まもる
東京創元社 (1988/10)
売り上げランキング: 315544

これはひどいバカSFですね。

京都で生まれ育ち東京は怖いっと震える言語学者高橋恵子さん(なぜか日本人だと登場人物でも「さん」をつけたくなる)が惑星開拓事業に携わってエイリアンに言語を教えたらなつかれる話。太陽が二つあって降り立った惑星がもうすぐノヴァに入るところで、原住民が意外な生殖能力を見せる。

エイリアン(カイバー)たちは一見普通の人間なんですが、真っ当に動いているのは一人だけで、他は植物のように身動きしないが、地球の探検隊たちが触れようとすると、ソニックブームを出して抵抗する。

それにしても探検隊の人間くささよ。隊長はゲイで稚児の運転手を連れて歩き、主人公の高橋恵子さんは西洋人にがつがつ中出しされて、なんだか生々しすぎますよ。

全裸のままで起き上がり、今度は彼の精液——彼の存在のあかし——が流れ出るのも気にせずに、備品のはぎ取られた室内を歩き回った

気にしてくださいよ! 生なましすぎますよ!

SFという前に人間関係の生々しさを見せつけられる、意外なほどにうっとうしい話でした。SFプロット自体はそれほど意外性もなく、素直に受け取れるけど、性の探検隊とも呼ばれるべき探検隊内輪の性問題にはついていけません。ある意味人間らしいSFと言えましょう。「恋愛小説は好きだけど……」というSF苦手な人に、ある意味おすすめです。

2007年06月30日

キャロル・エムシュウィラー『すべての終わりの始まり』(国書刊行会)

すべての終わりの始まり
キャロル・エムシュウィラー 畔柳 和代
国書刊行会 (2007/05)
売り上げランキング: 68573

この本こそ今年一番の名著である。

大傑作「私はあなたと暮らしているけど、あなたはそれを知らない」は一読コルタサルの「続いている公園」を思い出した。同じ国書刊行会の『遊戯の終わり』、岩波文庫の『悪魔の涎』などで読めるので、短編好きならぜひ一度は目を通していただきたい。小説内での読者の視点がするりと変わる感覚は、ちょっとすごい。たとえばテレビカメラを2台使えば、別の視点を作り出すことは簡単にできるが、その変換がスムーズに行われることは編集技術が必要になり、本作のように作中ずっとスムーズな視点の変化を起こしていくことは決して容易ではない。ネタバレを恐れずに書いてしまうと、テーマは女性の二面性と言えそうだが、自分でも戸惑う性質を具体的な人物造形を用いて描き出しているところが凡百の心理ものとは格段に異なる。

「悪を見るなかれ、喜ぶなかれ」は『侍女の物語』を彷彿させるディストピア中の恋愛もの。恋愛は障害が多ければ多いほど燃えるもの。そこに「見る」ことが感情に与える影響の大きさを重ね合わせて、これもまた傑作。

宮脇孝雄氏も取り上げている「見下ろせば」の鳥人の身体感覚が表現された文章は本を読み進めるたびにため息が出てしまう。

我々は急降下し、激しい気流だけで突き倒す。触れもせずに。我々に憧れ、我々の空へ上がる方法を発明しようと努めている横をカーカー笑いながら飛ぶ。落下したときに助けてやることもできるが、助けない。模造の羽根、グライダーなどをつけたまま落ちるにまかせる。奴らは必ず落ちていく。

これは作中の脇役に配された人間だけでなく、読者であるわたしも同じ落ちていく人間である認識を突きつけるとともに、鳥人の主観として弱々しく羽ばたこうとする人間を(タイトル通り)見下す視点をも獲得させる。この二重性こそがエムシュウィラーの旨さたる由縁。彼女自身、書くことはあまりうまくなく自分の思想をうまく言葉に換えることができないことで若い頃は悩んでいたらしい(本人のbiographyより)。それでも彼女は主婦をしながらこれほどの傑作を書くようになっているわけで、そこには本人の努力とSFコミュニティからの刺激が良い方向にはたらいたのでしょう。

ケリー・リンクと最近読んだばかりのジュディ・バドニッツがエムシュウィラ—に近い雰囲気を持っているけど、強いて言うとケリー・リンクはよりシュールリアリスティックで、バドニッツはややコント、一発ネタ系に分類されてしまう。エムシュウィラーには他二人にはない経験の重みが文章はもとより、物語作りにもずっしりと湛えられています。文学的にはもちろん60年代のいわゆるニューウェーブSFの影響が多大であることは本人も認めていることですし、なんというか背景的にも実際の文章でもこれほどわたしの好みストレートな人はいないのではないか。

とにかくまあ、普段ウワッペラばかりの小説やドギツさだけが売りの小説が氾濫していてうんざりだよ、もっと地に足がつきつつ、実は足なんてないのかもしれない、という不安さが味わいたい、というなんだか複雑な欲求をお持ちの方におすすめです。

2007年07月01日

円城塔『Self-Reference ENGINE』(早川書房)

Self-Reference ENGINE
Self-Reference ENGINE円城 塔

早川書房 2007-05
売り上げランキング : 34997


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バカなので分かりませんでした! 物語が有機的につながっている感覚が薄くて、「巨大知性体」がどうなろうが知ったこっちゃねー。

読書会で勉強してきます。

2007年07月22日

第20回読書会『Self-Reference Engine』

Self-Reference ENGINE (ハヤカワSFシリーズ Jコレクション)
円城 塔
早川書房 (2007/05)
売り上げランキング: 76236

読書会もとうとう20回目に突入。隔月開催なので3年以上続いているわけで、なかなかがんばっているではないかと自画自賛しつつ、過去に例のないほど難しいSF『Self-Reference Engine(以降SRE)』が課題図書となりました。推薦者は数学の人、折り紙の人などと形容されることの多い某hs9587さんです。

全体で目立った意見が「感想がいいづらい、あらすじを説明しにくい」ということ。見た目では連作短編集という形をとり、最初の「Bullet」と最後の「Return」がつながっているように見えて、その実途中にはさまれている短編は必ずしも特定の挿話と結びついていないこともある(ex.「Yedo」)ため、全体としてのとらえどころのなさというのは共通していたように思います。ただ、2回読んだ人や理数系の人からは「書いてあることそのまんま」という意見もあり、理数系でないわたしなぞはそのそのまんまにたどりつくまでが問題なのだ、ともうなってしまうのであります。論理の飛躍がピカソのようだという意見もあれば、おもしろいながらも世間で言われているような「傑作」に値するかは疑問、という方もいらっしゃいました。某yama-gatさんは著者の先生にあたる金子邦彦氏の『カオスの紡ぐ夢の中で』を持参されており、この中で小説を書くプログラムだったか小説家の名前が「円城塔○○氏」であり、著者の筆名はここからとられたそうです。また芥川賞候補にもなった「オフ・ザ・ベースボール」の掲載されている文學界を持ってきた人もちらほら。また、GWに行われたSFセミナーにも著者自身が参加していたそうで、その時の話題「長編は苦手」だともうかがうことができました。

全体は「Bullet」と「Return」でボーイミーツガールという分かりやすいネタを枠にして、間では巨大知性体に絡めて比較的難解なSF、それも次元などある程度訓練していないと想像できないようなネタがふんだんに使われているという印象。全体が長編か連作短編集か、という議論もありましたが、個々がしっかり結びついているわけではなく、「時間順序など些細なことにすぎない(P.91)」ということで落ち着きました。

未来で日本語を発掘する「Japanese」の「漢漢漢字」や「平片仮名」などのメタ日本語の創造性に着目したところや、「Yedo」のばかばかしい巨大知性体という矛盾しているような物語を見事にまとめているものに人気がありました。逆に「Traveling」などは状況が想像しづらいなどであまり手を挙げる人がいませんでした。もっとも時間の都合で全部の票をとったわけではなく、ぜひみなさまの嗜好をアンケートで投票していただけるとさいわいです。

短編中「Event」によって巨大知性体が複数おり、人間によって作られた巨大知性体と何らかの方法で増殖した巨大値生体がいることが明かされます。読書会が終わった今もわたしにはよく分かっていないのですが、イベントが発生する前と後では世界のありようは異なる、という話がありました。コンピュータが発展していくとやがて人間の知性を追い越してしまう(シンギュラリティ(ちなみにシンギュラリティについて最初に論文を書いたのはSF作家としても知られるヴァーナー・ヴィンジだそうです))についての物語だそうです。本作に近いのはグレッグ・イーガンの「ルミナス」や『順列都市』とも。

本書には作者の知識から導き出された教養がぎゅうぎゅうに詰まっていて、そのあたりは巨大知性体のネーミングにかけことば的に使われていたりするようです。ナガスネヒコやペンテコステIIなんて名前は単に歴史上から無作為に選ばれたわけではないこと、またイベントの発生は物語の中で大きな比重が置かれていることなどを含めて再読する価値ありの深い物語でした。でもって、SF初心者にはおすすめできないのも確か。

次回課題作は現時点では未定です。決まり次第topにてお知らせしますが、次回はこんなにハードなSF、数学の知識を求められる作品はない模様。

2007年08月19日

ジェイムズ・ティプトリーJr.『輝くもの天より墜ち』(ハヤカワ文庫SF)

輝くもの天より墜ち (ハヤカワ文庫 SF テ 3-6)
ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア 浅倉 久志
早川書房 (2007/07)
売り上げランキング: 1157

最近はいっときほどのSFへの興味はなくしており、SF関連のイベントなどにも行かなくなりましたが、ティプトリーの新作が出るというのは別腹。しかも長編が訳されるのは初ということで、きりりと締まりすぎて説明が足りないくらいの短編とはちがったおもしろさがありそう、ということでこれまた久しぶりに新刊書店に飛び込んで購入。ひとことで言い切ってしまうと短編のティプトリーとはかなり印象がちがうおもしろさでした。

翼を持ち一般人を避けて暮らすダミエム人は、銀河の連邦行政官たちから厚く保護を受けていた。彼らの美しさはもちろんのこと、遠くない昔に起こった悲劇を二度と繰り返さないために。そんな星を守るのは行政官のコーリー、夫の副行政官キップ、医師バラム。ただ、ダミエムにはオーロラよりも美しい星空のイベント<ザ・スター>が起こり、見物人が少数だけやってくることになっていた。武器の非携帯を義務づけられ、念入りに調べられた人だけが着陸できるはずだったが……。

本書の構図は希少な野生動物の美しさを守ろうとする人間と、捕獲して高値で売買したいという企みを持つ人間の攻防が軸になっている。当然前者が善で後者が悪。それをうまく隠した展開がまずうまい。サスペンス小説の緊張感をはらんでいる。また、ダミエム人の美しさは限られた描写しかできないテキストだからこそ、読者のひとりひとりに理想的な美しさの妖精を浮かび上がらせる。

大きな青白い翼が頭上で重ねられ、不安な決意にふるえているため、虹色の反射が空にさしている。(中略)髪の毛は頭の上で、ヒューマンをまねているのか——それともからかっているのか——なかば渦巻き形にまとめられ、なかば翼の上に垂れ下がっているが、眉やまつげとおなじく、目もさめるようなブルー・ブロンズ。

手は三本指で、爪らしいものがなく、親指は狼爪のように高い位置についている。靴に隠れた両足もやはり三本指で、際立ってエイリアンらしい特徴をとどめている(中略)仮面に似た笑みはとても”ヒューマン的”といえる。もっとも、”歯”はひとつづきの白い軟骨だ。鼻孔はヒューマンとよく似ているし、両眼はキップの目と同形で、それをひとまわり大きくしたように見える。

モデル体型の妖精を見、オーロラに時間揺動がミックスされたイベントがあるとなれば大枚はたいても参加したくなるのは人として当然だろう。そんな世界に降り立つ観光客たちも実にバラエティ豊かで、誰一人ないがしろにされない。600ページと分厚いだけあって、それぞれのドラマが主人公たちと同等、それ以上にクローズアップされるところが、作者の物語世界への愛を感じる。

勝手にティプトリーの持ち味と思いこんでいたフェミニズム色、ハードボイルドともまがうような極限での判断のおもしろさ、というのはあまり強くない。「接続された女」のように解決しようのない問題をえぐり出したり、「たったひとつの冴えたやりかた」のように感動はすれどもちょっとえぐかったりということも、ほとんどない。スピルバーグが映画化するようなSFなのだ。「あれ
、ティプトリーにしては残酷さが足りないんじゃない」という感想が最初によぎった。だが、自戒をこめていうのだが、作家に自分の理想を押し付けてはならない。作家の特徴といわれるものは読者が作り出した幻想であり、作者は常に前よりもおもしろい作品を書こうとしているだけ(または別のネタを単純に書籍化しただけ)なのだ。そこに統一性がある必要はない。もっとも読みすすめるうちに「ティプトリーらしさとは何か」なんて忘れて物語にのめりこめるので、いちいち言葉を尽くして心配することはないのかも。

他のティプトリー作品を読んだのはもう何年も前なので、裏表紙で触れられている『たったひとつの冴えたやりかた』との関連性を探るために読み返してみます。ティプトリーは分かりづらいから苦手とか、死んだ作家に興味はないという方でも、いかにもアメリカ人が好みそうな勧善懲悪の中にうまく作者の主張を織り込んだ書き方のうまさを堪能しつつ、最後の方まで(最後の最後は若干蛇足気味)きちんとテンションを保った良質な長編であることはSF以外のジャンル読者にもアピールするのではないでしょうか。

2007年09月02日

川又千秋『幻詩狩り』(中公文庫)

幻詩狩り (創元SF文庫 か 1-1)
川又 千秋
東京創元社 (2007/05)
売り上げランキング: 112822

これだけ分かりやすいシュルレアリズム関連本はないだろう。

舞台は日本で警察が尾行する場面から始まる。ご禁制の品を殲滅するのが警察の目的だ。その品は、20世紀中盤のフランス、ニューヨークに遡る。アンドレ・ブルトンが謎の青年フー・メイから詩集を託される。どうせそのへんの馬の骨の駄作とあなどってかかるが、そこにはタイトル通りの「異界」が現前した。フー・メイが遺した作品は3作、どれもこれもただの文学ではおさまりきれない超常現象を読者に経験させるが、なかでも最後の「時の黄金」は読んだ者の時間を歪めてしまい、人々は次々と正気をなくしていく。

キャラクターの設定が明確で、ブルトンは神経質だが頑固、デュシャンは高慢と分かりやすい。それが時としてジュブナイルの方向に傾き、幼稚ぽさを醸し出すこともあるのが、個人的には日本SFを手に取らない一番の理由。先に待ち受けているイベントがどういうものかうっすらと読み取れてしまい、そうなったらもう本に時間をかける必要性を感じなくなってしまう。時々そういう本に出会うとそのジャンル自体から離れてしまうのだが、本書のような大当たりがあるからSFを読むのはやめられない。

作品内では現実側の人間からの視線で書かれているため、「時の黄金」を読んで超越した人々の内面には触れられていない。読んだ人々の内面にも触れられたら一層の迫力が出ただろう。しかし、そこで敢えて触れていないことで、「時の黄金」を経験していない読者への説得力が出ていると感じた。すぱっと切り捨てたところに潔さを感じるし、それがリーダビリティをキープできた要因だろう。

ホラーにまごうような書物の存在が怖いし、ドラッグに憧れるように手に取りたい願望が自分のうちにあることも否定できない。人間の欲望の根源をかいま見たように思います。わたしにとっての「異界」はダンセイニ卿の傑作短編集で、一度手にとったら1週間くらいはぼんやりしてしまうので、最近は敢えて読んでいない。言葉が人間にはたらきかける想像力の強さをしみじみ噛み締めた一冊でした。

2007年09月30日

ジョー・ホールドマン『ヘミングウェイごっこ』(福武書店)

ヘミングウェイごっこ
ジョー ホールドマン 大森 望
福武書店 (1991/09)
売り上げランキング: 405518

Moleskineを買ってからというもの、より記憶に残る使い方を求めて過去にMoleskineを使っていた偉人たちがどのように使っていたのかを知りたく思い、彼らの著作をふつうの小説を読むのとはちがった視点で読んでいます。今回は真打ちヘミングウェイ、の失われた初期の贋作を作って大もうけしようと企む詐欺師と、彼につきまとわれるヘミングウェイ研究家の話。これが意外にもすごいSFに化けるところがすごい。

単に贋作を作るだけなら同じタイプライター(年代物は同じものが見つけにくい)に同じ紙で古めかしくするだけで外見は整う。問題の本文はこのヘミングウェイ研究家が絶対の記憶力をもって同様の文章を生み出すという仕掛け。ようやく見つけたタイプライターを買おうとした時、現れたのは果たして……。

ジョー・ホールドマンというとまずやってくるのは『終わりなき戦い』のマッチョな戦争SFですが、実は相当のヘミングウェイ愛好家でもあるという。ヘミングウェイの描写一点張りで人物の内面はそこからにじみ出てくるだけを読み取ればいい、という潔い姿勢をSFで受け継ごうとすると戦争物になってしまうのは仕方ないのかもしれません。そんな作家がヘミングウェイとSFを結びつけたいと考えて編み出したのはこんな直接的なテーマだというのがおもしろい。

本書のラストについてはぜひ読書会で語りたい。SF的な発想の飛躍があって理解が難しかったです。しかし、それを差し引いても天才的な贋作が世界の根本を変えるかもしれないと想像することの楽しさを感じられる佳作です。これは是非復刊してほしい。

2008年07月16日

アンナ・カヴァン『氷』(バジリコ)

氷
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アンナ・カヴァン
バジリコ
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アンナ・カヴァン。サンリオSF文庫の影のアイドルといっていいだろう(表のアイドルはティプトリーとマッキンタイアあたり)。コカイン中毒というイメージよりももっと悲しく、冷静で破滅的な短編集『ジュリアとバズーカ』を読んだことがありますが、実に内向的で注射や自動車事故の話ばかりで今よりだいぶ若かったわたしはうんざりして他人に安く売り払ってしまいました。

本作を読んでいて、読んでいてしばらくは女性の児童カウンセラーが語り手かと思っていた。どこにも男女の区別は書いてない上に、最初に訪れた少女の夫がさほど警戒しているそぶりを見せていなかったから。もちろん著者が女性だということも念頭にあった。だから、前半と後半との齟齬の大きさにちょっと驚いた。決定的に前半と後半の色を分けているのは7章。それまで語り手の幻視が文中にカットインされてとまどいつつも慣れてきたところで、突然もう一人の花売りの少女が紛れてくる。そこまで至高の少女とあがめたてまつられるような扱いをされていたところに、突然別の少女が入ってきて語り手にカーネーションを渡すあたりで、語り手の性別が確立した印象を受ける。花売りの少女を、元の少女のメタモルフォーゼとみなすかそうでないかで、だいぶ印象が変わるが、わたしとしては判断を保留にしておきたい。

前半の語り手と少女の距離は、家に訪れたりして物理的には近いけれども、決してふれあうことのない見えない隔たりが広い。後半で強迫観念にかられるように少女を追い求める姿はこの時点ではまだない。前半で特徴的なのは幻覚とおぼしきもののカットイン。車を運転していて唐突に少女が氷に閉じこめられるビジョンが浮かび上がるが、しばらくすると何事もなかったかのように少女の家に車を止めて、旧懐にふけったりする。このカットインは後半にしばしば登場する長官のシーンの設定を語るものかもしれないが、確証は得られなかった。

また、P.36で語り手が一人船に取り残されるシーンはまんまカフカの「アメリカ」。眠っている時に見る夢でコントロールできないものにありがちな、本来なら無難にこなしていることをなぜかどうやってもできないパターンだ。ここは「アメリカ」冒頭で船にスーツケースを忘れるシーンや、「審判」の彷徨う感覚などにも通じるところがある。

カヴァンとカフカの決定的にちがうところは、カヴァンの場合強迫観念ともなっている少女との邂逅が毀誉褒貶あるものの結局はうまくいき、またそれを手放して一からやり直すパターンを何度も繰り返すことだ。カフカの場合はできて当然のことができなかったり、無罪でしかないものが有罪になるなど、不条理な出来事がネガティブな方向に発展していく。それに対してカヴァンは万能性を証明するかのように不条理なエピソードを用いるため、わたしたちが夢の中で悪漢をひとひねりしたり軽々と空を飛んだりするような、願望を充足させるための不条理に見えてしまい。結果として子供っぽさを感じてしまう。また、せっかく手が届いた少女をなんでもない諍いで簡単に手放してしまうなど、語り手の行動に首尾一貫性が見えないところをどう解釈していいか分からなかった。単なるお天気屋だけで片付けられる問題とも思えないが、少女を渇望しながらあっさり分かれてしまうのは「好きな人といっしょになると突然恋愛感情がなくなる」というよくある飽きっぽさの発現だけなのか? おもしろい不条理とは片付けられない引っかかりを残した読後感でありました。

2008年12月30日

グレッグ・イーガン『TAP』(河出書房新社)

TAP (奇想コレクション) (奇想コレクション)
グレッグ イーガン
河出書房新社
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久しくSFから離れていたわたしにも読みやすい短編集で、いろいろな知識を総動員してもさっぱり分からない長編の勢いを期待するとやや方向性がちがうところがあるかも。しかし、イーガンのおもしろさの決定的なポイントである「予想もしていなかった視点」は健在。

「視覚」は脳に銃弾を受けた男が意識を取り戻すと自分の肉体を病室の天井あたりから見ていた、というもの。遙か昔に読んだ吉本隆明の『共同幻想論』でも瀕死の状態で手術を受けた患者がなぜか天井あたりから自分が手術されている様子を眺めていたという症例が報告されており、決まって天井付近に留まるという話があって印象に残っている。本作でも、主人公の視点は屋外に出ても決して天井辺りの高さから離れることはないところが同じでおもしろい。自分を本来の意味で客観視する奇妙さがいい。

どれもおもしろかったけど、とりわけ印象に残るのは他の短編よりも長めの「銀炎」と「TAP」。「銀炎」はウイルスに感染すると爆発的に増えるコラーゲンによって皮膚がどんどん剥がれ落ちるというもの。不謹慎だが患者が隔離されているゲル状のベッドは素敵だと思った。

ガラス張りの密閉された部屋で横になっていた。チューブが酸素や水、電解質、栄養素を男性に送っている。——同時に、抗生物質、解熱剤、免疫抑制剤、鎮痛剤も。ベッドはなく、マットレスもない。患者は透明な高分子ゲルに埋まっていた。ゲルは浮力のある半固体の一種で、床ずれを抑え、かつてこの男性の皮膚だったものから漏れだしてくる血やリンパ液を除去している。

わたしが望んでいた睡眠施設はこれだと思った。抗生物質や解熱剤なんかはいらないから、これに入って息が出来るようになっていたらきっとよく眠れる。もしかすると無重量下でもものすごくよく眠れるのかしら。

「TAP」は脳にインプラントする言語で、現在使われている発語する言語よりもずっと明確に考えていることを伝えられるというもの。TAPをインプラントした詩人が何者かに殺害された謎を追うというミステリ仕掛けの作品。オチはちょっとずっこけたけど、わたしたちが普段使っている言葉の限界性を突破する言語ができるという発想はおもしろい。よく言った言わないで問題になることがありますが、そういう日常のささやかなディスコミュニケーションがいろいろ解消されたら世界の生産性がぐっと上がりそう。わたしたちが普段体験している小説や音楽などを使わない芸術やゲームなどができると作中では言われており、長編だったらその辺りの説明が多くてそれはそれで別のおもしろさがありそう、と思ったことです。他にもホラーというよりはサスペンス寄りの作品もあったりしてバラエティ豊かな短編集。イーガンのちょっと違った面が見られてお得です。

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