『「超」整理法』『知的生産の技術』
中央公論社 (1993/11)
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今週はあの『「超」整理法』と『知的生産の技術』を読んでみた。 いずれも生活をちょっと便利にしようという試みです。
『超整理法』は立ち読みしたときにはさっぱりありがたみが感じられなかったけど、きちんと読んでみると「時間順に」「一カ所に」「封筒(わたしはフォルダ)に入れて」並べるだけというシンプルさが実用的。会社では週に5つくらいの仕事を平行して進めているので、マニュアルなどが膨大になってしまう。それを時間順に並べることで場所が分かりやすくなり、今すぐには使わないけれど1年後などに使いそうなものは同じ場所にあってもまちがって手に取らないようになっている。わたしは本棚など持てる立場ではないので、引き出しの一番下を棚に見立てており、座ったままで仕事に支障を来すこともない。今までもおおむね同様にしまっていたけれど、ものによってはクリアファイルを使ったりもしていた。それを統一したというのは自分としてはかなりの進歩。
『知的生産の技術』からは日頃のアイデアを形にするためにメモを持ち歩くことが大切、と教わった。思いつきを形にするには今なら携帯やPDAが進化したためメモを持ち歩く必要はないかもしれないが、フリーハンドの有効性という観点があることを心にとめておきたい。文字でメモをとるよりも、イラストの形の方があとあと自分の脳を刺激しやすい。文字だと再度形にするため脳みその再発火が必要になるところを、イラストの形だとそれに肉付けするだけでよりしっかりした形にできる、はずなんだな。そう考えると、現在会社のアイデアやメモはBeckyのリマインダにほとんどを保管しているけど、当然どれも文字で書かれており、脳みその再発火が必要な形なわけだ。むしろ梅棹先生のように紙のカードに落書きしたものを保存できる体制を作っておくべきかもしれない。
あと、日本語タイプライターの試行錯誤ぶりはおもしろかった。パソコンができて梅棹先生はどれほどお喜びであろうかと思ったら、1986年に失明されているそうです。それでもきっと点字などで進歩の革新をお喜びになっているでありましょう。
こういう本を読むことで、自分の脳みそを焚き付けることも大切だな、と思ったことです。





個人の整理用途としては有効です
「スペース」の暴虐
