新藤 兼人
岩波書店
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冒頭から老人の孤独をろうろうと語り始めたので、どれほど痛ましい内容なのかびくびくしながら読み進めましたが、さすがに脚本家、映画監督だけあって、本の内容を的確につかまえて、印象に残る場面をつらつらと引用してきます。本を読むというよりも、本に正体するような、本の神髄をとって食うくらいの勢いが垣間見えるほどです。
取り上げられている本は、ドストエフスキー、漱石、チェーホフ、西田幾多郎などのいわゆる古典ですが、読んでいく著者の視線は若々しい。
わたしが八十を越え、半ばを過ぎてみると、老人というものはそんなおだやかなものではない、妄執、欲望、恐怖、で苛立つばかりだ。
過去に裏切られた数々の無念、また裏切ったことへの痛恨、確実に死に向かって一歩一歩近づいている恐怖、そして家族に疎んじられている口惜しさ。平和を愛するどころか、修羅の巷といっていい。
と、達観からはほど遠い感情が沸き立っているのです。若い頃に抱えていた漠然とした不安をくぐりぬけて数々の名作(わたしは見てませんすいません)を撮ってきた著者ですら、孤独と不安に立ち向かっている。ネガティブな感情を克服するというと見映えはいいですが、実は創作の根っこを断ち切ることであり、むしろたくさんの感情を抱えたままで走りきる力を付けることが大切なのかもしれません。そのような感情を抱えた著者は、それゆえに傑作をものにすることができたのだと思います。
30を過ぎてのんびりすることばかり成長させてきた自分にとって、この本は感情の枯渇は一つの死であり、むしろ晩年を迎えてなお若かりし頃の感情を原動力としている著者に敬意を感じるのでありました。
また、書評の書き方という点からも勉強になります。「テネシー・ウィリアムズの「私」」という章では、きちんと字数を数えていませんが、おそらくは著者の言葉よりも作品からの引用の方が多そうに見えます。
ウィリアムズに「あなたは何ものですか」と問えば「さあ、ぼくは何ものでしょう」と答えるだろう。その「何もの」かをわたしたちは知りたい。
自らの言葉よりも作品の言葉を新たに書き写すことで、著者は対象に少しでも近づきたかったのかもしれない。書かれている言葉をまっすぐに受け取り、自分に照らし合わせて、さらに新しく生まれる言葉を記すこと。ほっとくと腐ってしまう脳みそを、ぬか漬けを混ぜるように、本を使って丁寧にかき混ぜるような著者の優しい手が見えるようです。
著者は映画監督でありながら、溝口肇の脚本を長く手がけていたという。その時に培われた構成力は、数々の本を読んで身につけたものだというが、特に仕事がないときにこたつにくるまって妻とともに本を読んで過ごしていたというエピソードは、漫然と読み散らかしているわたしの胸にささった。妻とともに金がないながらも本を読み続け、やがて戦争に駆り出される、その間の書評とは関係のない体験には愛があり、孤独がある。とりあえずは読む本に不自由せず、食べるものに不自由しない自分をもっともっと奮い立たせて、老人になってもこの1/10くらいでも感動できるような読書を続けたいと思いました。暑くてだるくてなんとなく本を読む気にならないときにおすすめ。