ダニロ・キシュ他『「夢のかけら」 世界文学のフロンティア3』(岩波書店)
200円でシリーズの他の本といっしょに投げ売りされてたのを保護したもの。これは1編200円くらいの価値はありますよ。こういうのは河出の文庫あたりで出すと、世界の文学はこんなに変なのか! と驚くために境界文学が好きな人は必読。
・ダニロ・キシュ「死者の百科事典(生涯のすべて)」
プチ・ボルヘス。夜、特別に入れてもらった図書館の百科事典には、亡くなった父親の生涯がつづられており、どうやら図書館全体が人類すべての生涯を記した百科事典を所蔵しているらしい、というもの。ボルヘスだったら半分の長さでスタイリッシュに書くところを、やや冗長さを出すことにより、有名でもない一人の人物の生きた記録を丁寧に描き、大切な人の記録を読むという特別な体験を描き出している。
・ガブリエル・ガルシア=マルケス「海岸のテクスト」
新聞記者時代のコラムだそうで、『青い犬の目』と同じ頃なのかな? 「俺の悪夢はすごいよ」「いや俺の方が」とか、のび太の自慢のような小編。つまらないわけではないけど、特にガルシア=マルケスだから、というおもしろさではない。こてこてのコントも、藤子不二雄のような分かりやすい幻想譚。
・ステーファノ・ベンニ「最後の涙」
バラードぽい歴史改編SF。学校ではテレビの歴史を学び、焚書がまかりとおる世界を描く。テーマは好きなんだけど、前半と後半でテーマが乖離しているように見えるのがやや不満。
・スタニスワフ・レム「一分間」
出ました噂の架空書評。書評にしては長すぎ、と思うのは日本人センスでしょうか。1分間の間に人類全体が活動している内容が統計で示された本の書評、という形をとっています。1分間の間にどんな死に方をするか、1分間にどれだけ精子を放出し、どれだけの血液が心臓から出入りするか、そういうトリビアについて熱く語るレム、を自ら作り出しているレムに萌える小説です。
・イスマイル・カダレ「災厄を運ぶ男」
イスラム教の国で女性がかぶっているチャドル。国が拡大してそれまでチャドルの習慣がなかったところにチャドルを運ぶ男の物語。ところが男はイラスム圏外に出ることで、生まれて初めて女性の自由な視線にさらされる。この驚き! これはSFを読むときに全く異なる文化、知性体に感動する時と同じ驚きです。読みやすいし超おすすめ。
・ヴィスワヴァ・シンボルスカ「ユートピア/奇蹟の市」
詩。しかし文系センスが試される普通の詩とはちがい、すごく理系ぽい詩と言ったらいいのか、明快でいて考えさせられる。こういう作品がノーベル文学賞(1996)ってのはすごい。
ここに生えるのは正しい推論の樹
その枝ははるかに大昔からもつれることがない
なるほど、そういうことと呼ばれる泉のほとりにたつのは
目がくらむほど真っ直ぐな理解の樹
・ヴォルフガング・ヒルビッヒ「ゆるぎない土地」
カフカのように不安定な日常描写からはじまり、ラストはカタストロフィを予感させる落ち着いた喫茶店の会話で終わる。作者が旧東ドイツ出身ということもあり、時期的にも東西ドイツ統合を思わせる内容だけれども、それはまた生きてきたことに疲れた生死のはざまの一瞬の空想とも読みとれました。
小説としては一番おもしろくなりそうなところを回避して、予感させるにとどまったところがいまひとつ好みではありませんでした。
・ボフミル・フラバル「魔法のフルート」
「意識の流れ」というやつでしょうか、作者自身の行動やチェコの町の喧噪、自殺、警官たちが発射する催涙ガスと逮捕される民衆などが、つらつらと流れる文章の中に息づいています。しかし、失敗したシュールレアリスムのように、一歩まちがうとただのだらだらした文章にうんざり、という危険性もはらんでいるように思われます。それぞれの文章の描く対象が、明確にまざりあっていないので、「物語」ではないところにわたしの違和感があるのかもしれません。
でも登場人物のフラバルさんは、にゃんこに鶏ももを4つも買ってあげるので、人間としては最高だと思います。同志よ!
ところで「グラム三百円の豚肉ゼリー寄せ」というのはいかがなものか。当時のドイツだからマルク? でもいいんじゃないでしょうかね。
・残雪「かつて描かれたことのない境地」
残雪はSFだ。それもジャック・ウォマックに似ている。泥と腐った有機物にまみれた残雪と、限りなく無駄が排除されたウォマックでは、一見水と油ほどにちがうように見えるけれども、凝縮された言葉で描かれる、意味と無意味の境界を進む姿が似ているのであります。
しかし、ここでの残雪は舞台が寒いせいか、何も腐ってないし、人物も小屋の中にいて地面よりも高いところにいる。普段のはいつくばって土を食う残雪じゃないところがちょっと意外です。
道ばたの掘っ建て小屋で、道行く人々の夢を聞き、描写しつづける記述者。彼が夢を記述し続けたノートを捨てる顛末が描かれる。残雪にしては非常に読みやすく、それゆえにやや物足りない。しかし、「それでも人は生きる」としか言いようのない、虚無を淡々と描き続ける残雪はやっぱりすごいのであります。
・アナトーリイ・キム「コサック・ダヴレート」
コルタサルやレイナルド・アレナス『めくるめく世界』を彷彿させる一人称がころころ変わる幻想小説に、作者自身の体験を織り込んだ散文としての面も持ち合わせたまったく予想外の小説。コルタサルほど一人称の視点が今ひとつ洗練されていないように感じるところもありますが、転がり続けるパワーと、シンプルな描写で、言葉の違いによるコミュニケーション・ブレイクダウンをセンチメンタルにさえ描ききる力はすごい。いや、これはとんでもない作家の予感ですよ。群像社から翻訳が出ているらしいので、読まねば。
沼野先生によるエッセイも発見。
・エステルハージ・ペーテル「ハーン=ハーン伯爵夫人のまなざし」
カルヴィーノ「見えない都市」のペテルブルク版。二番煎じ。
・アブラム・テルツ「金色のひも」
教科書ちっく。
「私の素晴らしい靴は、あなたのところですか?」「はい、私のところです。」
こういうのが全体の9割続く。皮肉な短編として驚きはあるけど、象徴するものが少なすぎて物語のおもしろさはないな。










































