森 達也
知恵の森 (2003/06/06)
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音楽の入り口はいろいろある。クラシックを学んで楽器をやる人もいれば、歌謡曲から歌手のファンになって音楽を聴くのが好きになる人もいるだろう。わたしの場合は森川由加里のShow Meカバーから歌謡曲に目覚め、BOOWYや久保田利伸あたりの邦楽を聴いていたのが小学校高学年くらいか。そのときにはちっとも好きになれなかったけど、反体制的でおもしろいと思ったのがタイマーズ。
http://www.youtube.com/watch?v=SPlzud3EuL8
http://www.youtube.com/watch?v=_UzDgbCWbfk
この歳になってはじめて夜のヒットスタジオの映像を見たが、今でもかなりの驚き、いやむしろ今の方が衝撃度が強いのではないか。むかしは放送禁止用語なんぞがあってもちょっと蚊に刺された程度にしか見ている方は感じなかった。鈍感ではなくおおらかだった。目くじら立てて怒る人なんて大人でもいなかった。今だと放送禁止用語=日常会話でもアウト、なのだ。もちろんわたしの住んでいた場所が田舎で差別などがほとんどない(はず)ような「東」の田舎だからかもしれない。だが、盲とか唖という言葉は現代になって禁止したといって歴史から失われるような言葉ではない、状態の一つを単純に表す言葉の一つだと考えていたら、最近の某掲示板の内容を見るとどうも日本語から追放されたかのような扱いなのだ。身体障害者の状態を指すはずの言葉に侮蔑の意味がセットで付いているというのはわたしの言語感覚からは意味を付随し過ぎ、深読みし過ぎにしか思えないのだが、どうも日本語はそういうものになってしまったらしい。時代によって言葉は変わるのは当然ながらやや誰かが意図した力を感じる。
脱線が過ぎたがとにかくタイマーズだ。彼らは放送禁止になったことに怒り、FM東京を名指しで罵倒する曲を生放送でやってのけた。大人の解釈なんてどうでもいい、今更ながらよくやった!と応援したくなる。これに引くような奴らは体制側の犬だ! タイマーズは放送禁止になったわけだが、何も彼らが初めて放送禁止になったアーティストではない。その前のフォーク全盛期に放送禁止になったシンガーソングライターはたくさんいた。それらがなぜ放送禁止になったのか、放送禁止の基準とはなんなのかを追ったテレビドキュメンタリーを撮影した森達也氏がその経験をふまえてものしたのが本書。
とにかく、言葉に携わる人はおしなべて本書を読むべし。ある言葉が放送禁止にされるということは、権力を持った奴が勝手に決めたりPTAの力に屈したりするんだろう、なんて単純な構図ではないことに驚くだろう。それはまるでディックの世界のように本当の黒幕なんていないのだ。「なんとなく」「空気を読んで」放送禁止となる音楽の数々。もちろん中にはどうでもいい春歌もあるが、三上寛の「夢は夜開く」なぞはとても幻想的でありながら現状を打破したい気持ちが脈打っていて歌詞を読むだけでもどきどきしてしまう。それらが放送禁止になった経緯を禁止された側のミュージシャンと、禁止した側のテレビ関係者に話を聞いていく。
そして著者が最終章で行き着いたのは竹田の子守唄の舞台である京都の竹田。実は竹田の子守唄が被差別部落で歌われていたというのは初めて知った。George Winstonなどのインストで有名な民謡だとは思っていたが、今になってそんな歴史があったことを知り、自分がまだまだ学ばねばならないことがたくさんあると嘆息したと共に、いつまでも音楽にそんな歴史を背負わせないでほしいとも思った。いい音楽はいい音楽として思惑抜きで楽しめる世界になることこそが平和な世界なんじゃないか。
本書を読むきっかけになったのは先日TBSラジオで放送された「封印歌謡」という放送禁止とされている音楽を特集してかける番組だった。中学・高校のわたしは誰かによって言葉を封印される問題にとにかく憤っていたものだ。寺山修司の影響を受けて都市を劇場化したいという情熱に燃えていたわたしに、自由を奪う言葉狩りの問題は何よりもまず倒さねばならない敵の思想だった。今でもその心はわたしに息づいている。差別の意味を言葉にくっつけるなんていくらでもできる。他人を傷つけない言葉なんてない。だからこそわたしたちは禁制なんて単純な逃げをうつのではなく、ひとつひとつ絡まってしまった糸をほぐしていかねばならないのではないか。昔のタブーが徐々に形骸化している今だからこそ、もう一度きちんと洗い直すべき問題がたくさんあるのだと認識を新たにした次第。フィクションをメインに読む人にだって裂けては通れない問題でありまして、おすすめを通り越して必読の一冊であります。考え続けることが大切なのです。