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社会科学 アーカイブ

2006年07月12日

ハリー・G・フランクファート 『ウンコな議論』(筑摩書房)

山形浩生訳とあまりの薄さで図書館で手に取る。半分は訳者解説で長いけれども、本文と同等に読む価値ありです。

実際は何も実のあることを言ってない議論・意見のことを「ウンコな議論」と称し、確かにくだらないものだけれど、時としてそれが緩衝材にもなりうる、ということ。そういうものをうまく使えるのが大人だそうで、こいずみじゅんいちろうさんや米国の国務長官さんなどがこの手の物言いのプロフェッショナルだそうです。こういう話法をうまく使えるとえらくなれるらしいので、大人の階段をがんばってのぼろうと思いました。

こういう話法をスポーツ選手でよく使っていたのがマイケル・ジョーダンさんで、あまりのスーパープレイにあまりのそつのなさがなんともイヤミだったことを思い出しました。イチローさんも以前はあきらかにジョーダンのスマートさを受け継いだ発言が目立ったのですが、最近は審判に抗議したり、インタビューではっちゃけたことも言うようになって、そういうのが大人の楽しさだよな。

このあたりの議論の進め方、クレバーな立ち回りについてはヨーロッパのサッカー選手も見習うべきだと思う。特にイギリスに帰れなくなっちゃったC・ロナウドさんは必読です。

2006年08月19日

内田義彦『読書と社会科学』(岩波新書)

読書と社会科学
読書と社会科学
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内田 義彦
岩波書店
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社会科学を学ぶ際に読書会を開催するにあたって、気をつけることをやさしく説明してくれる。
たとえば、積極的に発言が行われる読書会に参加した後での印象として、

一人で印象深く読んできたこと、心に感じたままを率直に発言したことが受けとめられ深められる形で議論が進まずに、それていく。何か奇妙なずれを感じさせられることが多いんです。(P.5)

ここはもう、そのまま今の読書部にも通用する指摘です。あくまで立ち位置は自分が読んだ本と自分の感想なのに、活発な会話が交わされていくうちに、自分がおもしろいと感じたところが取り上げられず、本の内容から外れていってしまう。さいわいにして、読書部ではそれほど逸脱したことはないと思いますが、常に参加者がみな自分の思ったことを口にできる場を提供したいと思いをあらたにさせられました。

また、感想文については実に刺激的なまとめをされています。「みだりに感想文を書くな」と提言したうえで、

感想を狙いに本を読んじゃいけない。感想は読んだ後から——結果として——出てくるもので、それを待たなければならない。さいしょから感想を、それも「まとめやすい形での」感想を求めて、いわば「掬い読み」をするかたちで本に接するから、せっかくの古典を読んでも、そのもっともいいところ、古典の古典たるゆえんが存するところを取り逃がしてしまう。(P.54)

これは実に耳が痛い。もちろん感想文を書くことが読書において最優先されるわけではありませんが、わたしにとっての読書は読んでそれを解釈し、さらに何かしらの形で出力するところまでを範囲としています。最近は確かにその「解釈」の部分を早急に判断するのはいけないと思っていて、第一段階の感想文から少しずつ変えて、たいていは読了3日後くらいにアップしています。ただ、感想を言葉として出力できない場合に無理をしない、という心がけは大切だと改めて認識しました。もっと自分の言葉として責任の持てる文章に整えること、言葉を探すことを怠けてはいけないのですね、内田先生。

さて、読者として受け取ったものの解釈はいかになされるべきか。単に自分の基準だけで読み解くのももちろん一つの形ですが、内田先生は次のようにおっしゃっています。


作者が作品とは別個に、自作について表明した「作者の意図」を安易に、頭で理解してしまって、その、頭で理解した作者の意図なるものを作品の外から持ち込んで、その眼で作品に接することになりやすい。すると、肝心の作品の字句一つ一つに対する取りくみが上すべりになる。(P.81)

この部分で述べられている「作者」は「批評家」「他者」などと置き換えられるかもしれません。つまり、他の人の解釈を読んだり聞いたりすることがかえって自分の解釈に影響し、場合によっては自分なりの解釈を阻害することがあるということですね。だからこそ、読書部にはしっかりとした自分の読みを立てて参加する必要があると感じました(他の人に強制はしませんが)。

一方で後半の「創造現場の社会科学」では自分が解釈するための概念装置を確立させるために必要なことが語られるのですが、正直この年になるとそのへんは固定化してきて、またある程度は固定化されるべきだと思います。もちろん、新しい概念を受け入れるための余地は常にあけておかなければいけませんが、それと自分の軸となる思想を両立させることについては、この文章から読み取ることができませんでした。

それにしても読書会について推奨し、しっかりとその心構えを説く本は日本ではそうそう見ることがありませんが、この本は良い入門であり常に心にとめておくべきことを記しています。読書会に参加される方はもちろん、単なる読書でも自分の軸を定めてそれぞれの本をないがしろにせずに読むことの大切さを感じました。社会科学、経済史に興味のない人にもおすすめです。

2007年02月04日

宮本信生『カストロ』(中公新書)

カストロ―民族主義と社会主義の狭間で
宮本 信生
中央公論社
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著者はキューバ大使を勤めたことがあり、執筆当時はチェコ大使。よって、社会主義体制国家の把握は現場レベルでの知識があり、信頼できるものだろう。キューバの輸出といえば砂糖に依存するような小国が、1960年代に世界全体の安全を左右する存在であり、今日まで大きな政変もなくカストロが首長として政権を握っているのはどんな理由からなのか知りたくて本書を手に取った。

しかし、一般的には確かな内容として評価の高い本書は、わたしにとっては不満が残るものだった。現在危篤状態が続いているカストロ議長の人物的側面を知りたいと思って手に取ったのだが、全体にアメリカとソ連、中国とどのように渡り合ったかという外交から見た歴史的な内容になっている。カストロの人物的な物語はほとんど語られないため、本書のタイトルは「キューバ」であるべきではないか。もちろん、20世紀後半のキューバ=カストロであることも事実だろうが。

また、ゲイや文学の弾圧など国内の状況はあまり描かれない。60年代後半、レイナルド・アレナス同様に大量の文化人がアメリカに亡命したことは取り上げられて生産性の減少につながったことは書かれているが、なぜ亡命という手段を選ばなくてはならなかったのかが読みたかったのだ。

しかしそれらはないものねだり。本書はあくまで外交的見地から社会主義国家としてのキューバについて取り上げているのである。それはカストロ兄弟(弟は軍事担当)の生涯でもある。カストロ政権は人の寿命によってもうすぐ終わるが、21世紀にどのような変化を見せるのか、本書の2010年版を読んでみたい。

2007年06月02日

鎌田慧『ドキュメント屠場』(岩波新書)

ドキュメント 屠場
ドキュメント 屠場
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鎌田 慧
岩波書店 (1998/06)
売り上げランキング: 2534
ケモノの皮剥ぐ報酬として、生々しき人間の皮を剥ぎ取られ、ケモノの心臓を裂く代価として暖い人間の心臓を引裂かれ、そこへ下らない嘲笑の唾まで吐きかけられた呪はれの夜の悪夢のうちにも、なほ誇り得る人間の血は、涸れずにあった(水平社宣言)(p.108)

先日某丸ビルでフレンチなのにおいしいレバ刺しをいただいて、(ちょっと塩からかったけど)大変おいしかったことを思い出しながら読みました。モツ煮込みやレバニラ炒めなど、苦手な人を除けば今ではすっかり食卓の定番になった家畜の内臓ですが、日本では肉食の習慣がなく、また肉を解体する人々は差別の対象にすらなってきた。本書は20世紀に刊行されたものですが、肉を食べる人ならば誰しも知っておかねばならない事実が現場の声を元に記されています。

品川、横浜、大阪、四国と各地の食肉工場に取材し、人々の声を座談会形式で紹介することによってとても共感しやすく書かれているのがポイント。これは本で勉強しただけでは書くことができない事実です。家康が入城した当時に品川、目黒(なんと今はセレブ住宅地の白金まで!)、馬込などの郊外に家畜を解体する人々は移住して従事したわけです。また、三河島や浅草のあたりは19世紀ごろから皮革工業が発達してそのあたりにも解体する場があったようです。なんといっても驚いたのが差別という現実はもちろん、食肉解体工場ではお給料が出なかったということ! 午前中くらいで解体を仕上げて午後は肉屋さんなどで働くというのが1970年代まで続いていたというのです。そこで組合を立ち上げて賃金が出るようにし、都の公務員として雇用されるに至るのです。

食肉解体というのは機械でさくさく切り刻むようなものではなく、腕一本、ナイフ一本で皮をはぎ肉を断ち切る作業なのです。そのため、写真の労働者たちはみな一様にたくましい腕を持ち、紹介されている言葉も肉を加工することの技術にプライドが感じられます。

何気なく食べている肉やモツがいかにしてできあがるか、料理好きと自称するわたしでも知らなかったことばかりで、己の不勉強に恥じ入るばかり。これからは少々値上がりしたからといって不満をたれずにおいしくモツを料理しようと思います。また、食肉解体に携わる人たちはいわゆるアホで能天気な体育会系とはちがい、いわれなき差別と闘った影はあるものの、同じ仕事に携わるもの同士のライバル意識とそれゆえの友情がさっぱりくっきりと描かれていて素敵でした。

2007年07月28日

森達也『放送禁止歌』(光文社 知恵の森文庫)

放送禁止歌
放送禁止歌
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森 達也
知恵の森 (2003/06/06)
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音楽の入り口はいろいろある。クラシックを学んで楽器をやる人もいれば、歌謡曲から歌手のファンになって音楽を聴くのが好きになる人もいるだろう。わたしの場合は森川由加里のShow Meカバーから歌謡曲に目覚め、BOOWYや久保田利伸あたりの邦楽を聴いていたのが小学校高学年くらいか。そのときにはちっとも好きになれなかったけど、反体制的でおもしろいと思ったのがタイマーズ

http://www.youtube.com/watch?v=SPlzud3EuL8
http://www.youtube.com/watch?v=_UzDgbCWbfk

この歳になってはじめて夜のヒットスタジオの映像を見たが、今でもかなりの驚き、いやむしろ今の方が衝撃度が強いのではないか。むかしは放送禁止用語なんぞがあってもちょっと蚊に刺された程度にしか見ている方は感じなかった。鈍感ではなくおおらかだった。目くじら立てて怒る人なんて大人でもいなかった。今だと放送禁止用語=日常会話でもアウト、なのだ。もちろんわたしの住んでいた場所が田舎で差別などがほとんどない(はず)ような「東」の田舎だからかもしれない。だが、盲とか唖という言葉は現代になって禁止したといって歴史から失われるような言葉ではない、状態の一つを単純に表す言葉の一つだと考えていたら、最近の某掲示板の内容を見るとどうも日本語から追放されたかのような扱いなのだ。身体障害者の状態を指すはずの言葉に侮蔑の意味がセットで付いているというのはわたしの言語感覚からは意味を付随し過ぎ、深読みし過ぎにしか思えないのだが、どうも日本語はそういうものになってしまったらしい。時代によって言葉は変わるのは当然ながらやや誰かが意図した力を感じる。

脱線が過ぎたがとにかくタイマーズだ。彼らは放送禁止になったことに怒り、FM東京を名指しで罵倒する曲を生放送でやってのけた。大人の解釈なんてどうでもいい、今更ながらよくやった!と応援したくなる。これに引くような奴らは体制側の犬だ! タイマーズは放送禁止になったわけだが、何も彼らが初めて放送禁止になったアーティストではない。その前のフォーク全盛期に放送禁止になったシンガーソングライターはたくさんいた。それらがなぜ放送禁止になったのか、放送禁止の基準とはなんなのかを追ったテレビドキュメンタリーを撮影した森達也氏がその経験をふまえてものしたのが本書。

とにかく、言葉に携わる人はおしなべて本書を読むべし。ある言葉が放送禁止にされるということは、権力を持った奴が勝手に決めたりPTAの力に屈したりするんだろう、なんて単純な構図ではないことに驚くだろう。それはまるでディックの世界のように本当の黒幕なんていないのだ。「なんとなく」「空気を読んで」放送禁止となる音楽の数々。もちろん中にはどうでもいい春歌もあるが、三上寛の「夢は夜開く」なぞはとても幻想的でありながら現状を打破したい気持ちが脈打っていて歌詞を読むだけでもどきどきしてしまう。それらが放送禁止になった経緯を禁止された側のミュージシャンと、禁止した側のテレビ関係者に話を聞いていく。

そして著者が最終章で行き着いたのは竹田の子守唄の舞台である京都の竹田。実は竹田の子守唄が被差別部落で歌われていたというのは初めて知った。George Winstonなどのインストで有名な民謡だとは思っていたが、今になってそんな歴史があったことを知り、自分がまだまだ学ばねばならないことがたくさんあると嘆息したと共に、いつまでも音楽にそんな歴史を背負わせないでほしいとも思った。いい音楽はいい音楽として思惑抜きで楽しめる世界になることこそが平和な世界なんじゃないか。

本書を読むきっかけになったのは先日TBSラジオで放送された「封印歌謡」という放送禁止とされている音楽を特集してかける番組だった。中学・高校のわたしは誰かによって言葉を封印される問題にとにかく憤っていたものだ。寺山修司の影響を受けて都市を劇場化したいという情熱に燃えていたわたしに、自由を奪う言葉狩りの問題は何よりもまず倒さねばならない敵の思想だった。今でもその心はわたしに息づいている。差別の意味を言葉にくっつけるなんていくらでもできる。他人を傷つけない言葉なんてない。だからこそわたしたちは禁制なんて単純な逃げをうつのではなく、ひとつひとつ絡まってしまった糸をほぐしていかねばならないのではないか。昔のタブーが徐々に形骸化している今だからこそ、もう一度きちんと洗い直すべき問題がたくさんあるのだと認識を新たにした次第。フィクションをメインに読む人にだって裂けては通れない問題でありまして、おすすめを通り越して必読の一冊であります。考え続けることが大切なのです。

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