赤と黒の芸術 楽茶碗
三井記念美術館で開催されている「赤と黒の芸術 楽茶碗」に行ってきました。東京駅から歩いたのですが、意外に距離があって、ついつい途中のバー「Celts」に寄り道、KIRINのペールエールをいただいてしまいました。ちょっと軽めだけど昼下がりにいただくにはさっぱりして良い気分転換になりました。大きめのスクリーンに映画がかかっているし、音楽は80'sポップスでなかなかのなごみ空間。
実際の会場は日本橋三越の隣にある三井本館ビル7F。日本橋の街は普段着から着物を着ているような女性や、歩きながらでは呼吸が苦しいのかでっぷりと道の端に座って「ねぎはあるの? 鴨ねぎにするんだからねぎがいるでしょ」と携帯電話で話す男性などがそこここに見られ、銀座よりも年齢層が高くて興味深いです。西川の布団屋さんがあれほど繁盛するのは土地柄なのかもしれません。三越などはすでに日本橋の象徴とすらいえるたたずまいで、道の対角線から眺めると丸みを帯びた入り口側の角が芸術品のようです。百貨店の品格を改めて感じました。
初めての日本橋にいろいろ感慨を覚えながらいざ三井本館へ。大きく改装されて中には千疋屋などレストランやショップが入っていますが、会場の三井記念美術館は窓枠や内装は木造で入ったとたんに歴史の暖かみを感じられます。美術館は白壁で寒い感じの建物が多いですが、やはり木の建造物というのは本能で安心感がわき起こるものだと新しい発見です。
まずは長次郎という楽茶碗の伝統を作り上げた初代の作品が一つずつケースに入って並びます。「無一物」「一文字」のように切れ味鋭そうな名前があると思えば、「ムキ栗」「つつみ柿」「まきわら」のようなかわいらしいものまで名前がついているのが楽しい。とにかく視覚的な柔らかさ。焼かれる前の土の柔らかさや釉のとろとろした感触が印象に残ります。視覚よりも触覚が刺激され、西洋の絵画や工芸品の展覧会では感じられないものでおもしろい。
その後は二代常慶から十五代吉左衛門までの名品が並びます。徐々に技巧が見えてきて模様が入ったり釉をかけないところを残して富士山の形を作ったり。また、初代ではメシ茶碗のように底が狭いものが多いのですが、代を経るごとに中が広がっていき、このあたりは茶に使われることを意識した改良と勝手に解釈しました。平茶碗なんて水盆みたいで今のお茶のたてかたではこぼれてしまいそう。昭和に入ると球に近い形を切り取って茶碗にしたような形が目立ちます。特におもしろかったのが1960年代に製作されたという「綵衣」で、釉が直線的に分かれており、黄緑色の部分がとってもアバンギャルド。
絵画は普通に立てば視界に全てが収まりますが、茶碗というのは背が低いため、普通に立って上から眺めるだけではダメだと早いうちに気づいたのは今回の収穫でした。茶碗の台の部分や横から見た茶碗の表情は膝をかがめないと見えてきません。鑑賞している人たちは年配の女性が多く、わたしより10〜20cm下から見ていることを考えると会場としてはちょうどいい高さの配置なのだと思いますが、成人男性にはやはり低い。しかし、高い視点もいいところはあります。茶碗の中は背の低い人だと底の方は見られないのです。
あとは昨今ユニバーサルデザインなどともてはやされている持つためのくぼみなんてすでに実現されていましたよ。茶碗を両手で持ったときに、薬指と小指は底を支えますが、中指・人差し指、そして手前に親指の三本がかかるためのささやかなくぼみがぼんやりと感じられる茶碗が多かったです。また、下の方に釉がかかっておらず土肌が露出しているのも、滑り止めの役割がありそうです。人間が発明した便利なことは実は半分くらい忘れられていて、今は再び発明し直していることがあるのかもしれないと考えると、功利主義者の人に叱られてしまうでしょうか。