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絵画 アーカイブ

2006年05月21日

雪舟からポロックまで

ブリヂストン美術館のお宝一気開陳の展覧会は、盆と正月がいっしょに来たような圧倒されまくりの豪華さでした。

800円と良心的なお値段でチケットを買ったら、右手のロッカーに荷物を放り込む。結構な人いきれで数の少ないロッカーはほとんどうまっていた。でも、できれば展覧会は手ぶらで見ましょうよ。荷物をぶらさげている分、他の人が見られるスペースが狭くなるのですから。

2Fにあがるとまずは彫像がおでむかえ。大理石で作られたロダンの「立てるフォーネス」が印象的。像の丸みやたたずむ印象がしっくりなじむ。その後は順路なんて気にせず人と逆行しつつ、空いているところにさらりとすべりこみながら見物。「和」ゾーンではこの展覧会の目玉になっている雪舟の「四季山水図」に人だかりが。個人的には荻茶碗や六角の青磁にうっとりしてました。青磁はよく見かける薄めで青みがかった程度の色ではなく、濃い青と緑は沼に沈んだ竹を見るようで、特に首がすらっと長いところは竹が日々静かにのびていくような息吹すら感じられるほどです。

古代コレクションの部屋にはシュメールやエジプトのレリーフや像が並んでいますが、ここで驚いたのはギリシアのアッティカ時代コレクション。「アッティカってこんなにおもしろい絵を描いてたのか」という驚きと無骨な壺の形状によって、不思議な世界が広がります。あまりいい画像が見つからなかったのですが、こういう感じ。精巧に描かれた人物は黒一色で描かれて、茶色の壺が背景となるさまは影絵のよう。

新しい絵ではモローの「化粧」、ルドン「供物」「神秘の語らい」、ルオー「郊外のキリスト」「ピエロ」、クールベ「雪の中を駆ける鹿」(躍動する鹿の肉体はマッチョの域!)、そしてセザンヌ「サント=ヴィクトワール山とシャトー・ノワール」がすばらしい。モローとルドンは展示されていると思わなかったのでうれしい驚きで、小さめの絵にたゆたう幻想性を堪能。ルオーは力強いのにどこかもの悲しさを帯びていました。セザンヌの中でもこの絵だけは格別で、緑の山と同じような色の空を見上げる構図で、目の悪いわたしなどは、山をほてほてと登ってきて目的地のシャトーノワールまでもう一息というところでメガネを外して汗をぬぐったときの視界はきっとこんなぼんやりとした風景かもしれない、と思うのです。

会期は6/4までだそうで、目的なくふらっと入って意外な発見ができる展覧会です。展覧会自体にコンセプトなどを求める向きにはあまりいい顔をされないかもしれませんが、力を抜いて宝の山を見物するつもりでどうぞ。

2008年04月06日

マティス+ルオー展

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マティス+ルオー展というよりは「ルオー展にマティス、モローたんもある展覧会」に行ってきました!

ルオーのごってりと塗りたくられた絵の具の上に別の絵の具を合わせて、水彩絵の具が滲んだときのような効果が大好き(師匠のモローも水彩画で同じような効果をよく使っています)。初めて近場で見たときにごってりと盛り上るほど塗りたくられた絵の具を見て「世界初の3D絵画!」と驚いたのは大学生の頃だったか。この前の「ポンピドゥー・センター展」にも「キリストの顔」が来ておりましたな。でも、いつも企画展のツマでしかなくて、まとまった数が見られる展覧会はわたしには初めてなので、前々からとても期待しておりました。

会場に入るといきなりモローたんハァハァ。ケンタウロスいいよ、ケンタウロス。ルオーも初期は暗い画面に水浴する人物が見分けられるような陰鬱な印象画を描いていたのが、徐々にげじげじ輪郭線が主張するようになってきて、キリスト教関係やピエロあたりで爆発する(フォービズム)。でもね、ルオーのしっかりとしたデッサンや色の選び方を見ていると決して思いつきで描いているわけじゃないと思うのです。太い輪郭線は対象の動きであり、生命・存在の輪郭であり、その中に置かれる色にはいちいち込められた気持ちがあるように見えました。特に赤は、黒が支配する画面の中で心臓や血を表したり幸福への入り口を表したりと、シンボル的な扱い方をされています。

キリスト教やサーカス、農夫を描いたのはやはりルオーも貧しい者たちへの同情・愛情があったからだとか。展示の説明に、「貧しさとは、優しさの一表現である」とあってちょっと泣く。貧しさがさみしくつらいものだけではなく、貧しさに生きる者たちには優しさがある、ということをいつも忘れずにいたいものですし、自分もその一人であることに胸を張りたい気持ちになりました。マティスは全体の1/4くらいでファンにはおすすめできませんが、ルオーの作品をごってりした黒の固まりくらいに認識していた人(わたしだ)には超おすすめ。這ってでも新橋まで行くべき。

2008年05月31日

若桑みどり『イメージを読む』(ちくま学芸文庫)

イメージを読む (ちくま学芸文庫)
若桑 みどり
筑摩書房
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普段手にとらないちくま学芸文庫のなかでも、美術史というわたしにはあまり縁のない本を手に取る機会になったのは故狐の書評から。図像学という描かれた対象物から意味を読み解くおもしろさについて真摯に語られていたのを思い出す。

実際に読んでみると、よく知っていると思いこんでいたダ・ヴィンチの「モナ・リザ」やミケランジェロの「システィーナ礼拝堂壁画」などについて、細部まで丁寧に、しかも子供から大人にまで分かりやすく説明されていて大変ためになった。と同時に、知っていると思っているものでも細部までしっかり見ていくと自分の視野からこぼれ落ちているものがいかに多いかを思い知る。特に、ヨーロッパ中世では常識でも、現代に至るまでに宗教的事情や時勢の変化によって現在では知られていないことが結構あるのだということが、当たり前なんだけど自分の視点に抜け落ちているな、と思ったことでした。通り一遍の日本史と世界史を学んだだけでは見えてこないものがある。たかだか100年くらい前の日本語の文章は漢文からの影響が強く、意味の分からない単語がたくさんあるだろう。現代でさえ、たかだか20年前にはパソコンも携帯もほとんどなく、生活のスタイルは今とかなり違う。まして外つ国の500年前のことなんて何も知らないんではないか。

もちろん、まずは対象物と今のまっさらな自分との対峙から始まるべきではある。しかし、まっさらな自分のまま対峙していても何も進歩がなく、「すてきね」の感嘆詞だけで関係が終わってしまうのはちょっとさみしい。21世紀の人間ではなく、16世紀の人間として「モナリザ」を見る目を養うこともおもしろいはず。入門編としてちくま学芸文庫というちょっと敷居の高いレーベルから出ていることでマイナーになっているにはもったいなさすぎる。中高生の教科書にさえなるような優れた一冊。万人必読であります。

2008年07月11日

青春のロシア・アバンギャルド展@bunkamura

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18世紀後半から19世紀はじめにかけて、フランスを中心としたヨーロッパでは印象派からアール・ヌーボーなど様々な芸術の動きがあったわけだが、さてロシアはどうだったのか。

この頃のロシアは対外的にがんがん攻めまくってトルコと戦争したり、農奴解放令を出したアレクサンドル2世が暗殺されるも、シベリア鉄道などが建設されて工業が発達した。1900年代に入るとロシア革命(1917)が始まるいわば激動の時期。1930年代後半からはスターリンが台頭し粛清が行われ、音楽家のショスタコーヴィチは何度も反体制的な音楽を書いたと叱られたりした頃。当然その頃には抽象絵画も「社会主義リアリズム」に反しているという理由で下火になります。その直前に華開いたロシア・アバンギャルド。

マレーヴィチという作者の名前に心当たりはなかったのだけど、「黒の正方形」を見て学生時代に漠然とひもといていた『現代美術入門』に出てきて驚いた作者だと気づいた。黒べた塗りにしただけで芸術とはすげー、と驚いたものです。しかし、それよりもうちょっと前の時期に描かれている、ロシア・アバンギャルドの特徴だとわたしが勝手に解釈している原色から光の当たる部分が白へと変わるグラデーションがくっきり際だった絵画の方が印象的でした。そこにロシアの独特な文字が加わるといかにも共産主義。しかし、今回メッセージ性の強いポスターはほとんどなかった。

また、「百万本のバラ」の題材になったニコ・ピロスマニも記憶に残った。彼の場合、精緻な技法というのではなく、対象そのものだけを素朴であたたかみのある視点で描いているが、当時は幼稚だと退けられてしまったらしい。案外サイズの大きい絵が多く、解説では絵を描くことが楽しみだったということで、なんだか泣けた。映画もあるそうなのでぜひ見てみたい。

行く前は工業化と共産主義が推し進められるロシアの都会を煽るような絵が多いのかと思っていましたが、蓋を開けると当然のことながら、別に画一化された絵ばかりではなく、ロシアの広い大地を感じさせるおおらかな絵が多かったように思います。ちまちまと読み続けているトルストイの作品と同じ時期ということもあり、ロシアの芸術がおぼろげながらつながって見えてきたように思いました。

2008年07月13日

対決 巨匠たちの日本美術

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これはすばらしかった! 大切なものを質に入れても見に行くべき展覧会。しかも8/17までと会期は短い。急げ!

日本美術にはとんと疎いが、先日図書館で借りた『江戸絵画万華鏡 戯画の系譜』で見た曽我蕭白が間近で見られるとあっては行かねばなるまい。平日の午前中でも人はいっぱい。でも茶碗や浮世絵のような小さいもの以外は屏風など大きな作品が多いので、あまり窮屈な感じはありません。しかし、休日となったらどれほどの人出になるのやら。

まず入っていきなり運慶と快慶の地蔵であります。雄大で力強い運慶に対して、繊細で端正な快慶。正に動と静の対比。運慶の迫力にも圧倒されるが、快慶の彫ったとは思えない袈裟の波打ち加減には驚いた。風がそよいだら形が変わりそうなほど、何度見ても絹にしか見えない。世の中にはフェルメールを全部見るためにオランダに行ったりする人がいると聞いて酔狂なお方や、と溜息をついたこともありますが、運慶と快慶を見るために奈良に詣でたくなったので人を笑えない。

楽茶碗の長次郎と本阿弥光悦の対決もみもの。楽焼正統の長次郎の茶碗は釉薬がそれほどこってりしておらず、素朴でさわったら手にしっくりなじみそうな印象。「無一物」「時雨」のしっとりとして景色にすっぽり収まるようで、非の打ち所がない。以前三井記念美術館で見た茶碗も多かった。一方の光悦は光が反射するほど釉薬がこってりかかっており、切り出したような形が美しい。「大ふく」はオレンジ色の卵をすっぱりと半分に切り落としたかのよう。

そして個人的見所その一は伊藤若冲と曽我蕭白。若冲のにわとりは去年一昨年とさんざん見ましたが、相変わらずデコラティブなにわとりでした。お目当ての蕭白は寒山拾得を題材にした屏風など、やり過ぎこり過ぎ。寒山が破天荒な人物というのをふまえた表現なのかもしれないが、ここまでユーモラスな顔にする必要性がまったく分からないけど、おもしろいものはおもしろい。それでいて背景は力強く冬の訪れを告げる風を感じました。

対決と題されている通り、日本美術の巨匠たちによる大傑作の競演で、どれ一つとして見逃せない。一度作品をまっさらな状態で見てから、レンタルのボイスガイドを聞くのがおすすめ。今回は特に有名な声優さんたちばかりで、各作品ごとに声優の個性をも楽しめる。特に羽佐間道夫さんの気合いの入った笑える解説は必聴。展示替えもあるそうなので、1カ月ちょっとの短い期間に何度も通ってしまいそうです。

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