「トプカプ宮殿の至宝展」

むかしは確かにトプカピだったはずのトルコの宮殿はいつの間にかトプカプになっていて、綴りを見たら日本人的にはトプカピだけど、トルコ語ではトプカプなのでしょうな、と勝手に己をなだめながら猛暑の上野へ。
トルコというと、トマス・M・ディッシュが『アジアの岸辺』で言及していたように、ヨーロッパとアジアの中間地点であり、それぞれの影響によって独自の文化が築かれているようです。今回の展覧会でとりあげられているトプカピ宮殿はトルコ最盛期のオスマン・トルコ時代に歴代のスルタンたちが軍事力を背景に美術の力で権威を示そうとしたともいわれるほど、華麗で精緻な装飾が見所。蠅を払うほうきひとつにも七宝で綿密な細工を施し、宝石を入れてアクセントにしています。広告にもなっているスルタンのターバン止めには世界最大の四角くカットされたエメラルドがはめこまれており、金銀すなごは当たり前、トルコ石やらダイアモンドやらルビーやら輝くお宝の山でありました。
きらきらした宝石なんかに興味がない男子でも、武器コーナーでは目を輝かせることまちがいなし。「聖職者は刃を持てない」のキャッチフレーズでおなじみのメイスは黄金色に輝いているし、孫の手よりも短いアックスは黄金色に細かい模様が施され、馬のメンコも黄金色。もちろんそれらは儀礼用ですが、とにかく権力を誇示するには黄金しかないという信念があったのでしょう、何もかも金ぴかです。
しかしわたしは残念ながら日本人。金閣寺を壮麗とは思っても決して美の中心にはおけないように、トルコ人のきらめき☆センスはついていけません。外に出てさびれた寺の門を見て安心してしまいます。当時のトルコは無限の富を費やしてまで表現しなくてはならなかった、という必要性に原因があったようです。裏切りによって子孫が争いを起こさないように皇子たちを監禁し、絶対的な年功序列によって歴代のスルタンを維持しつづけたオスマン帝国にとって、金銀財宝をごっそり身につけ中国の青磁でメシを食うことは無駄遣いとは言い切れない権力の確立に必要だったのだなと、派手さの中に潜む人間の悲しさに思いを馳せてしまうのでした。