サンリオ
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前に読んだのは2001年12月3日だから、6.5年ぶりに再読。読むきっかけになったのは東大で行われた「現代文芸論研究室主催 世界の文学とラテンアメリカ」でゲストの桜庭一樹氏が朗読していたところがぐっときたので。桜庭氏の声はほっそりしているけども芯がある感じで、エレンディラはこんな声かもしれないと思うような説得力がありました。
それぞれの短編集が実におもしろく、奇怪で奇天烈な題材でありながら、田舎でしかありえない集団的な妄想にかられるところがすばらしい。都会に限らず現代だとちょっとインターネットで調べれば海から薔薇の匂いがするはずは科学的にありえないし、立派ながたいをした水死体が流れ着くこともありえません。腐っちゃうからね。でも狭い田舎の村社会で育った人ならば多かれ少なかれ都会の常識では考えられないようなふるまいや信仰がはびこっていることを体験したことがあるのではないでしょうか。ただでさえ塩味の付いている漬け物に醤油をかけて食べるとか、未だに土葬だとか、墓石に水をかけるのはご先祖様に失礼だとか、いろいろ勝手な風習がついてまわる。15年前わたしが実家にいた頃には非常識だと思っていたことがいつの間にか常識になっていたりする。そんな外部との差異が風習レベルを超えて「事件」に仕立て上げてしまうのがガルシア=マルケスの真骨頂だと思うのです。直球過ぎるタイトル「大きな翼のある、ひどく年老いた男」のあらすじはこう。羽の生えたおっさんが突然庭に飛んできたのはいいけど、天使にしては元気がなく、神様にしては霊験のかけらも感じられない。そんなおっさんを田舎の共同体はうまいこと住まわせてしまう。人権的にはひどいかもしれないが、受け入れる共同体の葛藤がしっかり出ていてぐいぐい読まされてしまう。「現代文芸論研究室主催 世界の文学とラテンアメリカ」でも触れられていましたが、田舎に生まれ育った人が一度都会に出ることで、不思議な風習が息づいている地元を地元民でありながら外部の人間として見直す視点を獲得して書かれているのです。
ちなみに、「奇跡の行商人、善人のブラカマン」は筑波のがまの油売りが元ネタ、というのは茨城県出身のわたしの妄想です。
ガルシア=マルケスには『百年の孤独』やこの短編集など何もない田舎を舞台にしたものと、『コレラ時代の愛』や『わが悲しき娼婦たちの思い出』のように比較的都会を舞台に恋愛を題材にしたものとに分かれるような気がしました(ルポルタージュから発展した『予告された殺人の記録』も後者に入るかもしれない)。その間にある『族長の秋』は大統領府という国の中心地でありながら荒廃して田舎の人気のなさも持ち合わせているという、二つの世界観を融合させているんではないかと思った次第。そして訳者あとがきにあるように『エレンディラ』のエピソードが『族長の秋』という長編に連関していくと思うと、春先に種を埋めて水をやったときのような、これからやってくる大きな物語が発芽するのを待つような期待感がわき出てくる。次は『族長の秋』を再読せねばという機運が高まってきました。
