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レーモン・クノー『イカロスの飛行』(ちくま文庫)

イカロスの飛行 (ちくま文庫)
滝田 文彦 レーモン・クノー Raymond Queneau
筑摩書房
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ちくま文庫の海外文学品切れぶりにはうんざりしている。その筆頭が本書ともう一つ、ナボコフの『青白い炎』だ(『ナボコフの一ダース』はそれに比べればまし)。マンスフィールドなんかも品切れという名の絶版になって久しいようです。在庫の回転が早く、品切れになるまで時間がかからない現在に出版されてから5年という月日は永久のようでさえあります。この前の『ロリータ』ブームで復刊しておけばよかったのに。

愚痴はこのくらいにしてレーモン・クノーであります。ちくま文庫の高騰もさることながら、『はまむぎ』『青い花』のレアぶりに「とんでもなく難しいブンガクだからこんなに評判が高いにちがいない」と勝手におそれをなしておったのですが、ある時『文体練習』の破天荒ぶり(主に訳が)に出会って、クノーの文章にわたしは笑いを感じられると気づきました。『文体練習』は文字通りあるシチュエーションを文体を変えて書き分けるものですが、清少納言バージョン(20世紀フランス文学なのに!)など小難しそうな文体というものを楽しく理解するに最適な入門書かつ究極の一冊です。

さて、本書は小説といいながら戯曲の形をとっています。とある小説家の文章から逃げ出したイカロスはパリの街に迷い込み、カフェではすっぱな女性LNに出会う。小説家は探偵を差し向けてイカロスをなんとしてでも捕まえたい。この追いかけっこを中心に他の小説家たちも巻き込み大騒動が持ち上がるというミステリ愛好者にもおすすめできる一冊。

なんといっても本書で大切なのはアブサンです。アブサンがどれほどおいしいか、どれほど幸せをもたらすかについて1000ページを費やすよりも、イカロスがカフェでアブサン(作中での表記はアプサント)の飲み方をレクチャーされるところを読むがいい。大胆にもアブサンに直接水を注いだイカロスは酒場の酔客から叱られる。

ボーイがもう一杯アプサントを持って来る。イカロスはグラスの方に手をのばす。

第一の客  やめな、この野郎!(イカロスはあわてて手を引っこおめる)そんなふうに飲むもんじゃない。やって見せてやる。まずさじを、もうアプサントが静かに治まったグラスの上に持って行く、つぎにもう気がついてるだろ、変な形をしたそのさじの上に氷砂糖のかけらを乗せる。それからごくゆっくり水を氷砂糖のかけらの上に注ぐ、とかけらは溶けはじめて一滴一滴豊かな糖化の雨が霊液の中に落ち、それを雲のように曇らせる。それからまた水を注ぐ、とまたポタポタ玉になる、そうやって砂糖が溶けるまで、でも霊液があまり水っぽくならないよう続けるんだ。見てごらん、ほらきみ、どんな具合に調合されてゆくか……途方もない錬金術だ……
イカロス  なんてきれいなんでしょう!

ああうまそう。液体に液体を混ぜて神秘的な霊薬になる瞬間がわたしは大好き。カレーだって元はスパイスという名のなめてもうまくない粉をトマトや水と混ぜるととんでもなくうまいご飯になるでしょう。そういう物質の変化の瞬間をとらえた小説に駄作はありません。ちょっと見つけづらい本ですが、パリの狂騒的で快楽的な空間を楽しめます。そしてちくまはとっとと復刊してください。

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