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アンナ・カヴァン『氷』(バジリコ)

氷
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アンナ・カヴァン
バジリコ
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アンナ・カヴァン。サンリオSF文庫の影のアイドルといっていいだろう(表のアイドルはティプトリーとマッキンタイアあたり)。コカイン中毒というイメージよりももっと悲しく、冷静で破滅的な短編集『ジュリアとバズーカ』を読んだことがありますが、実に内向的で注射や自動車事故の話ばかりで今よりだいぶ若かったわたしはうんざりして他人に安く売り払ってしまいました。

本作を読んでいて、読んでいてしばらくは女性の児童カウンセラーが語り手かと思っていた。どこにも男女の区別は書いてない上に、最初に訪れた少女の夫がさほど警戒しているそぶりを見せていなかったから。もちろん著者が女性だということも念頭にあった。だから、前半と後半との齟齬の大きさにちょっと驚いた。決定的に前半と後半の色を分けているのは7章。それまで語り手の幻視が文中にカットインされてとまどいつつも慣れてきたところで、突然もう一人の花売りの少女が紛れてくる。そこまで至高の少女とあがめたてまつられるような扱いをされていたところに、突然別の少女が入ってきて語り手にカーネーションを渡すあたりで、語り手の性別が確立した印象を受ける。花売りの少女を、元の少女のメタモルフォーゼとみなすかそうでないかで、だいぶ印象が変わるが、わたしとしては判断を保留にしておきたい。

前半の語り手と少女の距離は、家に訪れたりして物理的には近いけれども、決してふれあうことのない見えない隔たりが広い。後半で強迫観念にかられるように少女を追い求める姿はこの時点ではまだない。前半で特徴的なのは幻覚とおぼしきもののカットイン。車を運転していて唐突に少女が氷に閉じこめられるビジョンが浮かび上がるが、しばらくすると何事もなかったかのように少女の家に車を止めて、旧懐にふけったりする。このカットインは後半にしばしば登場する長官のシーンの設定を語るものかもしれないが、確証は得られなかった。

また、P.36で語り手が一人船に取り残されるシーンはまんまカフカの「アメリカ」。眠っている時に見る夢でコントロールできないものにありがちな、本来なら無難にこなしていることをなぜかどうやってもできないパターンだ。ここは「アメリカ」冒頭で船にスーツケースを忘れるシーンや、「審判」の彷徨う感覚などにも通じるところがある。

カヴァンとカフカの決定的にちがうところは、カヴァンの場合強迫観念ともなっている少女との邂逅が毀誉褒貶あるものの結局はうまくいき、またそれを手放して一からやり直すパターンを何度も繰り返すことだ。カフカの場合はできて当然のことができなかったり、無罪でしかないものが有罪になるなど、不条理な出来事がネガティブな方向に発展していく。それに対してカヴァンは万能性を証明するかのように不条理なエピソードを用いるため、わたしたちが夢の中で悪漢をひとひねりしたり軽々と空を飛んだりするような、願望を充足させるための不条理に見えてしまい。結果として子供っぽさを感じてしまう。また、せっかく手が届いた少女をなんでもない諍いで簡単に手放してしまうなど、語り手の行動に首尾一貫性が見えないところをどう解釈していいか分からなかった。単なるお天気屋だけで片付けられる問題とも思えないが、少女を渇望しながらあっさり分かれてしまうのは「好きな人といっしょになると突然恋愛感情がなくなる」というよくある飽きっぽさの発現だけなのか? おもしろい不条理とは片付けられない引っかかりを残した読後感でありました。

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