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2008年06月 アーカイブ

2008年06月07日

榊原悟『江戸絵画万華鏡 戯画の系譜』(青幻舎)

今ではすっかり漫画が隆盛していますが、実は平安の昔から「をこ絵」という戯画があって、江戸の町人文化で華開いたということがよく分かり、それよりも何よりも江戸の発想力は本当に奇想天外と言うしかない、優れた遊び心満載で楽しくなるムック。図書館で借りましたが、これは手元に置いておきたい。

江戸の文化はさっぱり知らないのですが、江戸のおもしろさは文学でも絵画でも21世紀の今にも充分通用するものばかり。昨年は伊藤若冲が江戸にこれほど細密な描写が、と注目を浴びましたが、他にも本書に掲載されている河鍋暁斎、長沢芦雪のおもしろさは見逃せません。河鍋暁斎の「怪猫図」は恐ろしくも愛らしく、”描き表装”という技法を使った「幽霊図」を初めて見た人は3Dの赤青メガネをかけて「キャプテンEO」を見たときのような衝撃を受けたのではないでしょうか。幽霊が描かれるべき場所を超えて掛け軸の棒に近いところまではみ出しているのだから。

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長沢芦雪のヘタウマだけど迫力だけは何ものにも負けない「虎図襖」もすばらしい。こうして見ると江戸で題材になるのは昆虫や魚のリアルな描写(この辺は後に海を渡ってジャポニズムになったのだろう)というそれまでにはない身近なものの他に、犬よりも猫の方が圧倒的に多いことに気づく。「お犬さま」があったくらいだから、江戸の人は犬にはあまり良い印象が無かったのだろうか。にゃんこ最高だから素直にうれしい。

ともあれ、本書で取り上げられている絵画の目の付け所はおもしろい。志ん生が「骨がなかったらいっしょになりたいよぉ」「俺ぁ骨があっていけねえな。あぁ、なまこがうらやましい」なんて言うのと同じで、発想の飛躍が尋常でない。飛行機がない時代に、海側の上空から厳島神社の全景を描く(長沢芦雪)視点の新しさがあるかと思えば、かの色男在原業平の死を釈迦の涅槃に見立てた「見立業平涅槃図」(英一蝶)や七福神の混浴図(河鍋暁斎)なんてエロいものもある。この発想の自由さは一見自由にあふれた現代でも見逃しがちな、脳みその中の自由をふんだんに使った成果。笑えるだけでなく、この自由さを常に見習いたい。脳みそをリフレッシュするに最高の一冊です。

2008年06月15日

R・P・ファインマン『困ります、ファインマンさん』(岩波書店)

困ります、ファインマンさん (岩波現代文庫)
R.P. ファインマン
岩波書店
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言わずとしれた科学エッセイの名著。図書館時間切れによりアーリーンの話だけ読み、泣く。

驚いたことに彼女の髪のにおいは、生きているときとそっくりそのままだった。あとで考えてみれば、そんなに短時間の間に、髪のにおいが変わろうはずはなかったが、なぜかそれはショックだった。僕の気持からいえば、たった今死という大事件が起こったのだ。それなのに、実際には何も変わっていないではないか。

30代になった身近な人間を亡くしたから共感できる、想像していたよりも小さな喪失の哀しみと、それからふとしたきっかけで故人を思い出す瞬間のよりどころのなさが詰まっている。

ファインマンのエッセイは科学的な読み物というよりも、あることに集中して取り組むこと、だけどそこに必ず笑いを添えることの大切さを感じる。手元に置いて落ち着いて取り組み、泣いて笑いたい一冊です。

2008年06月17日

松本清張『砂の器』(新潮文庫)

砂の器〈上〉 (新潮文庫)
松本 清張
新潮社
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砂の器〈下〉 (新潮文庫)
松本 清張
新潮社
売り上げランキング: 51796

作中で誰が死のうと解決されようとどうでもいい、そんな風に冷めた眼でミステリを見ていた時期がわたしにもありました。人が死んで、誰かが解決して、終了。そういうパターンが見えている小説をわざわざ時間をかけて読む必要が感じられなかった。しかし、本書はちがいます。確かに人が死んで刑事が事件を解決するのだが、ひとりひとりにきちんとした背景があり、キャラクターが接触していくことで物語が進んでいく。ちょっと時代小説的な泣かせや古さもあるけれど、本書がていねいに描いていく人物の魅力は文学と言ってもいいのではないか。

あらすじはドラマや映画でさんざん放送されているらしいので省きますが、主人公の今西と若手の吉村が良い感じのコンビ。年齢は離れていてもお互いを適度な距離感で尊敬しており、解決する側に強く共感できる。いっぽうで、芸術家たちは鼻持ちならない性格だけれども、彼らなりに這い上がってきた過去に戻るまいとするプライドがあり、こちらも世間の波に呑まれずにがんばってほしいと応援したくなる。

それにしても最後のエレクトリックなオチにはかなり驚いた。当時としては斬新さを狙ったのだろうが、これはギャフンと言うべきではなかろうか。それまでがかなり正統派な流れだったので、こんな仕掛けがあるとは思いつきませんでした。それにしてもタイトルの『砂の器』の意味がよく分かりません。誰かTELL ME。

とはいえ、まだまだミステリのおもしろさに鈍感なのも事実なので、ちょっとミステリも強化してみたいと思います。と、そんなところにちょうど良い本が現れた! 『クラシック・ミステリのススメ』を某牧人さんから購入しました。B4の大きなサイズで翻訳ミステリの名作・迷作がたくさん紹介されており、読む気にさせるレビューが盛りだくさん。

2008年06月21日

There will be blood

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公式サイト

「マグノリア」を見て感じたのは、世間的にずれた人(常識にとらわれない人)が名声を得た裏には大きな悪意・他人に対する攻撃性が隠されているということだった。そういうことを撮りたいんだと思っていた。それをきっちり中心に据えたのがこの映画だと思う。

1900年代初頭、アメリカの石油掘りとして経験を積んだ主人公は、次々に石油を探して掘り当てようとする。目に留まったのはへんぴな田舎で、人々は貧しい暮らしの中でも信心深くつつましい生活をしていた。主人公は共同経営者の幼い息子と共に乗り込み、油田を掘り当てようとする。

主人公のひたすらに石油を求める目。ダニエル・デイ・ルイスの出演作は「ラスト・オブ・モヒカン」しか見ていないしどこにいたかも全然覚えていないが、本作での圧倒的な迫力はすごい。軽い気持ちで「オーラのある人」なんて言い方があるが、とてつもなく大きく悪意のあるオーラをひしひしと感じた。ひたすらに他人に勝ちたい人。そしてただひたすらに自分の理想を現実にしていく力のある人。だから、周囲の人間が自分の理想からはみ出すと決して許せず、赤の他人よりもかえって強く反発心を抱く。彼の愛情と言うには利己心の比率が多すぎる感情がもたらす、他人への距離感がとても丁寧に描かれている。利害が一致すれば協定を結んで友情となし、不要と判断したら一顧だにしない。それがつもり重なった終盤に描き出される主人公は、人間と言うよりも感情が凝り固まった台風か地震のような自然現象とでもいうしかない。

音楽がすごくこわくて、アルヴォ・ペルトやクセナキスかのようなロックではない現代音楽が大音量で流れ、不安になる。で、家に帰ってみたらRadioheadの人が全曲手がけているそうな。これはサントラ買う価値あり。真っ暗な部屋にろうそくを灯して一人で縮こまって聴きたい。

2008年06月22日

ジョン・ランチェスター『最後の晩餐の作り方』(新潮文庫)

最後の晩餐の作り方 (新潮文庫)
ジョン ランチェスター
新潮社
売り上げランキング: 82532

古本ともだちの某Xさん他に勧められて、料理の蘊蓄が並べられているとあっては読まねばなるまいといったん紐解くも、あまりのうっとうしい文体にうんざりして書を置くこと三度。それでもきっとおもしろいはず、と思って最後まで読み通しました。慣れるとこのスタイルの意味が分かるのだけど、そこまでがちょっとつらかった。別に訳文が悪いなんてことはなく、むしろ料理の用語などほぼ完璧なのですが、元々がうっとうしい。とはいえ鈍いわたしには本作の語りのうっとうしさにごまかされて、語られた裏で行われた事象にはあまり気づかず、おいしそうだが鼻持ちならない態度で語られる料理の数々に心奪われていたのでした。

まず冬。冬のメニューはブイヤベース。元は漁師が売り物にならない魚を船上でトマトスープで煮込んだものと言われていますが、作者にかかるとまず「地中海から離れたところでブイヤベースは作れるか」という問題から始まり、材料とレシピがとうとうと述べられる。

カナガシラ、モンクフィッシュ[アンコウ]、アングラーフィッシュ[アンコウ]、ロット[アンコウ]、ボードロワ[アンコウ]——要は同じことだが、ボードロワはフランス語でロットはプロヴァンス語、これもまた子供には恐ろしい容貌の魚で——さらに一、二尾加えたいベラはレインボウベラ(ジレル)でも粋な婆さん(ヴィエイユ・コケット)なる洒落た名のついたコケットベラでもかまいませんが、これを生まれて初めて食べたときにもやはり母親がいっしょだった。魚はうろこやヒレ、内臓をとりのぞき、大きいものはぶつ切りにする。プロヴァンス産オリーブ油をグラス二杯、トマトの水煮一缶用意。自分で生トマトの皮をむき、種をとりのぞいて、ざく切りにしてもよい。個人的にはトマト缶は現代生活において無条件にありがたい数少ないもののひとつだと思っています(歯科医やコンパクト・ディスクと並んで)。大きくて立派なソースパンを火にかけ、オリーブ油グラス一杯を熱してニンニクのみじん切りをいためる。トマトとサフランをひとつまみ加え、イギリスでは塩素消毒した元廃棄物にほかならない液体(水ともいう)を六パイント注いで煮立てる。最初にとげとげの魚類を入れ、二杯目のオリーブ油を足して十五分間沸騰させ、すべすべした残りの魚も入れて、さらに五分煮る。ぶつ切りや姿煮となった魚をスープ用深皿タイプの大きな皿に盛り、スープは別に供してクルトンとルイユを添える。ルイユについてここでくわしく述べている暇はないようですね。長風呂で手の指がしわしわになってきた。

たかだか1ページですが、小説で語られるレベルのレシピを大きく超越しています。よしながふみの『きのう何食べた?』もだいぶ料理の話ばかりで、料理なんてのは出てきたのをそのまま口に流し込めばよく、どう作られようが知ったことではないというスタイルの人には無用の長物、一方で毎日の料理をいかに楽しく充実させるかに心を砕く人にとっては最良の漫画にも近い。が、こちらの贅沢ぶりかつ博覧強記は優雅とかスノッブという言葉では足りない。引用した文章の後にもヒラメは使っていいかどうか、イカ墨を入れるのはありかなしかなどの論議でページはどんどん費やされていきます。シャンパンもモエやドンペリではなくクリュッグというところも憎たらしく、食事の後はソーテルヌ派などと宣言する。ソーテルヌ派以外にいったいどんな派閥があるというのか。コーヒー派とか、紅茶派くらいなら許せるが、ポルト派、トカイ派なんてもんがあるのか。フランスだからコニャック派か。とブルジョワのしつこさにうんざりすることまちがいなし。

ところで、偶然にもこの後に読んだ『ずっとお城で暮らしてる』でも同じキノコAmanita Phalloidesが登場したところがおもしろい。それだけヨーロッパでは身近にある猛毒という扱いで、かつキノコに詳しい人には思うままに使えるものという位置づけなのだろう。

食べ物や風俗が細々と語られて肝心の小説の中身がどうでも良くなるというのが欠点であり美点の小説という位置づけで、おもしろいつまらないという判断を超越して、もう一度本作を読み直してレシピの数々を自分のレパートリーに加えたいです。ただし、カレーとかオムレツあたりの日本のスーパーマーケットの材料でできる範囲のもので。血の滴るような仔羊のヒレや兎の調理法は欧米人に生まれ変わった来世にとっておくことにしたい。

2008年06月28日

『アンリ・カルティエ=ブレッソン写真集 ポートレイト内なる静寂』(岩波書店)

ポートレイト 内なる静寂―アンリ・カルティエ=ブレッソン写真集
アンリ カルティエ=ブレッソン ジャン=リュック ナンシー アニェス シール
岩波書店
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写真を芸術扱いすることがずっと理解できなかった。絵画だったら静物画一枚でも絵筆のタッチや色彩の置き方など、画家の技術が駆使されて唯一無二のものだと分かる。しかし、写真なんてタイミング次第で誰でも同じものを撮影できてしまうもので、それのどこがおもしろいのか良く分からなかった。それでもこのところ写真のおもしろさがうっすら分かってきたように思う。同じ写真なんて実は撮れない。特に本書のようなポートレートは、まずその人に会うことから始まり、その人が見せる一瞬の表情を切り取る技術が必要であり、それよりもなによりも人が油断したり笑ったりする感情を引き起こさせるだけのものがなければならない。それはもしかしたら徳と呼ばれるものが必要なのかも。

アンリ・カルティエ=ブレッソンはフランスに生まれて第二次世界大戦を経験し、ロバート・キャパらと共に「マグナム」を組織した20世紀を代表する写真家。モノクロの中に躍動する人物の写真が有名だが、本書は著名人たちのポートレートばかりを集めたもの。なんといってもここで見られるマリリン・モンローは美しい。これだけで本書を所有する価値があると言っても過言ではない。マリリン・モンローというとにっこり笑ってひらひらの服を着ている金髪でちょっと脳の足りないかわい子ちゃんというイメージが作られているが、この写真には神々しいと形容したいほどの圧倒的な美しさが湛えられている。

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他にも撮影されているのは有名人ばかり。ジョルジュ・ルオー、クリスティアン・ディオール、アルベルト・ジャコメッティ、アルテュール・オネゲル、レオノール・フィニー、エズラ・パウンド、アンドレ・ブルトン、マルセル・デュシャン、ウィリアム・フォークナー、アーサー・ミラー、パブロ・ネルーダ、ロラン・バルト、ジャン・ジュネ、ジャン=マリ・オ・クレジオとその妻(超美人!)、サルトル、カミュ、メシアン、ロブ=グリエ、マンディアルグ、カポーティ、シャガール、マティス、ココ・シャネル、エディット・ピアフ、ベケット、ベーコン、ジョルジュ・ブラックなど芸術畑でもこれだけ。政治家も多数あり、豪華すぎてこれだけで20世紀の歴史を語れてしまうんではないかというほどの名士揃い。

私は内なる静寂をとらえたい。私が訳したいのはその人格であって、表情ではない。

撮影された人たちがどんな偉業を残したかは知っていても、彼らの人格までは伝えられる言葉からしか計り知れない。しかし、本書でのくつろいだり苦悩したりする表情を見ると、彼らも一人の人間だったというところからイメージの組み立てが始められる気がする。大傑作を残したり偉業をなしとげた人も、机の前でペンを片手に草稿を直しながら悩んでいたり、年齢相応に背中が曲がっていたりすることを知った。そして写真機に対峙する瞳。逸らされて遠くを見る瞳。ぼんやりとした瞳。芸術とか写真とか以前に一人の人からにじみ出る印象がくっきりと残る。ページを繰るごとにまるで被写体と会話をしたかのような気分になりました。

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