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2008年05月 アーカイブ

2008年05月04日

ドリス・レッシング『生存者の回想』(サンリオ文庫)

生存者の回想 (フィクションの楽しみ)
ドリス・レッシング
水声社
売り上げランキング: 354811

昨年ノーベル文学賞を受賞したドリス・レッシング1974年の作品。わたしはサンリオ文庫で読みましたが、現在は水声社から「フィクションの楽しみ」というシリーズで復刊されています。同じ訳者ですが、水声社版は訳が直されているのかどうか分かりません。

内容はわたしが好きな世紀末もの。世界はどんどん悪くなりいずれ住居を捨ててもっと住みやすいところに移住しなければならないと思っている女性が語り手。そこにある日11歳の少女エミリと、おそらくチャウチャウと思われる犬だか猫だか分からない生物ヒューゴゥが預けられる。エミリは良い子の猫かぶりをしつつも、徐々に外の若者たちに溶け込んでいく。しかし、人々は荷物をまとめて徐々に街を離れていく。ヒューゴゥを残してはいけないエミリ。やがて、人々をまとめるリーダージェラルドと深い関係になっていく。

世紀末の退廃を抑えた筆致で淡々と描いている。しかも語り手はほとんど外部との接触がなく、非常に主観的でありながら、子供たちを中心とした混乱をあたかも自分には関係がないように捉えている。この冷静さとは裏腹に、語り手は壁を通り抜けて異なる世界に入り込むことができる。そこでは散らかった部屋を片付けたり、幼い頃のエミリを目撃したりする。いわゆる「信用できない語り手」というわけではないのだが、実世界で冷静さを保つ語り手が、異世界に入り込んだ自分を冷静に描写しているのはかえって正気であることに疑いを感じさせる。いつカタストロフが訪れるか分からない世界といい、エミリに関わったゆえに語り手の世界はいつ何時罅が入るかもしれない危うさを感じさせる。茫洋とした崩壊への足音を感じることこそが本書のおもしろさ。

特に気に入ったのが、人間の叡智なんて頼りにならないと嘆くシーン。

犬や猫や猿は、月まで飛んでいくロケットを作ることはできないし、石油の副産物から人工的な服地を紡ぎ出すことはできないと。しかし、この多種多様な知性の廃墟にすわる羽目になってみると、知性に大きな価値を与えるのはむずかしように思われてくる。(中略)知性は、その正しい場所を見出さなければならない。だが、それでもやはり、かなり低い場所になると私は思う。

後半に入って暴徒化した子供達の「脈絡のなさ」が取り上げられ、語り手とエミリはそれに怯えショックを受ける。突然暴力的になったり、にやにやと媚を売ったりしかめつらをしたりする子供の「脈絡のなさ」は、普段は静かに凪いでいる海が台風とともに荒れ狂い人や物を破壊するのと同じ不条理。その不条理を恐れながらもコントロールしようとすることは畏れ多いことだ、と諦めてしまっているところに読んでいるわたしは少し共感しました。自分たちの楽しみや富を求めて、一度絶滅したら二度と戻らない種の生き残る自然を平気でばっさり切り崩してしまう人間の愚かさの果てを描いたような作品です。同じ世紀末の崩壊感を描いた『鉄の夢』とは全く趣が異なりますが、自らの習慣さえも客観視できる冷徹な観察し描写するおもしろさは地味だけどわたし好み。やや冗長なところもありますがおすすめです。

『3月のライオン』『聖☆おにいさん』『きのう何食べた?』

『3月のライオン』

羽海野チカ最新作は将棋指しで影のある高校生が主人公。作者のことさらに不幸を見つめ続ける姿勢がちょっと苦手だが、本作はまだ辛い過去がほのめかされるだけなので、主人公と拾ってくれたお姉さんたちの生活がさわやかでまぶしい。将棋やチェスはまたやりはじめたらきっと楽しいんだろうけど、なんだか先の時間ばかり気になってまだ手をつけられずにいる。そうして結局何も手つかずのままよりは、どんなに主人公達は幸せだろうとも思う。でもわたしはわたしで別に不幸ではないので、そんなに不幸ばかり見つめるなよ、と言いたい。もうちょっと楽しいこと多めでいいんじゃないのかな。

『聖☆おにいさん』

某書店員さんにおすすめされたもの。聖ってほんとうに東と西の聖だった。しかも東側はケチで笑った。「モテ期」が「モテ紀」だったりするあたりすごく細かいのだけど、聖ゆえにおおらかな愛と笑いがあってすごく好き。聖だけに下ネタに頼らないのも好感。今年の12月に続刊が出るそうなので、早くもカレンダーに登録しました。

『きのう何食べた?』

前々からいろんな人に勧められていた料理まんがでおもしろかったけどいろいろ複雑な気持ちになりました。料理が得意なハンサム弁護士による段取り一人言が普段のわたしと被っているとこがちょっとイヤ。それにしてもこれだけの料理を作るには18時には上がらないと無理だよね。で、買い物30分、料理1時間くらい時間いるもの。それにしても安いなこの街。わたしんとこは安くても倍くらいするのでそこがちょっと悔しい、なんてまんが相手にぶつぶつ本気で愚痴っているのに気づくのもイヤ。

2008年05月05日

マリオ・ジャコメッリ展

MGI07_02.jpg

朝から東京都写真美術館で明日まで開催されているマリオ・ジャコメッリ展に。結構な人出。マリオ・ジャコメッリは新日曜美術館で見かけたのだったか、テレビで数分の時間目撃しただけで白と黒のコントラストに引き込まれた。神学校の生徒たちが雪の降る中を無邪気にはしゃぐ写真は、楽しそうなのにもう失われた時間を見ているようで強い寂しさに捕らわれた。しかし日常に紛れてしまい展覧会の存在を思い出したのは昨日。ダメだ。

印刷会社で働いていたジャコメッリは28歳のクリスマスイブにカメラを手に入れてから、アマチュア写真家として亡くなる2002年まで撮り続けたそう。展示されていたのはすべてモノトーン。神学校の生徒以外で印象に残ったのは、海岸の人たちをかなり上空から撮影したもの。黄昏近くになると波が上からではなく斜めや横から太陽に照らされて、「もう帰らなくては」と反射的に思ってしまう時間帯の海。サーファーたちが沖に上がり、ビニールシートに腰を下ろしている人たちが立ち上がって砂を払う頃。もし時間を止められるならこの光景をずっと眺めていたいと思う。それを意外な視点から止めてしまったジャコメッリに脱帽です。

当たり前なのだけど、どの写真からも音がしません。でも、雑誌などに載っているカラー写真からは賑やかな色彩に混じって被撮影者の声がなんとなく聞こえるような感じがするのです。風景の写真集なら情景の視覚的な視覚にともなって、風や雨の音などが反射的に脳内で再生されたりする。それがジャコメッリの写真からは全く感じられなかった。全てが無音。死期の近い老人が横たわっている写真でも、海鳥が乱舞している写真でも、実際の情景を彷彿するよりも切り取られた写真の一瞬のイメージが強い。休み時間の終わった神学生は、さんざん遊んだ後で服についた雪を払い落とし、また次の授業を受けるのかもしれない。草むらで抱き合っているカップルはその後も仲むつまじく暖かい日光を浴びて抱き合い続けるのかもしれない。でも、写真を見ているときはそんなことは全く考えられず、白と黒だけで切り抜かれた瞬間、そこだけに自分の意識が存在するような、奥行きを否定するような印象を受けました。

2008年05月17日

Brian Eno & Jah Wobble他「Unlimited Ambient」等

この年になってテクノブームが自分に訪れるとはついぞ思わなかったが、新緑の季節に機械的な音に身を任せるのはすてきだということに気づいたのは、ちょっとした進歩であり人間に近づけたかと思う。でも買うのは別にテクノに限らないところが財布には厳しい。

Nick Drake「Time Of No Reply」

Time of No Reply
Time of No Reply
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Nick Drake
Hannibal (1991-07-01)
売り上げランキング: 308578

26歳の若さで亡くなったブリティッシュフォーク界の尾崎豊と言ったら両方のファンに殴られそう(しかも逆だ)ですが、すごい逸材だったことはこの未発表音源集を聴けば鈍感なわたしにも分かる。基本的にギター一本だけで朗々と歌うスタイルで、高々と歌い上げるでもなく切々と訴えかけるわけでもないが、この人にしか紡ぐことのできなかった音楽であることはまちがいない。リチャード・トンプソンがエレキを弾く「The thoughts of Mary Jane」とか後半のオリジナル4曲はこの時代にしては録音状態が良いのもあるが、空気中にニック・ドレイクの歌が雲のようにふわりと広がってしばらく漂ってから消えていくような余韻が残る。昨今の音を詰め込んだポップスからは密度が30%くらいかもしれないが、この空白が心地よくひんやりしている。

「Unlimited Ambient」

Unlimited Ambient
Unlimited Ambient
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Various Artists
Materiali Sonori (1997-07-01)

1.Brian Eno & Jah Wobble「Like Organza」
2.Harold Budd/Daniel Lentz/Jessica Karraker「Interlude I」
3.Brian Eno & John Cale「Cordoba」
4.Hans Joachim Roedelius「Gut So」
5.Alesini, Andreoni, Harold Budd「The Valley Of Pamir」
6.Arturo Stalteri「Roman Twilight」
7.Harmonia Ensemble「Accordeon Music」
8.Harold Budd/Daniel Lentz/Jessica Karraker「Beyond This Veil Of Crystal Rails」
9.Pier Luigi Andreoni, Roger Eno「Il Libro Dell'incessante Accordo Con Il Cielo」
10.Harold Budd/Daniel Lentz/Jessica Karraker「Interlude 6」
11.Harmonia Ensemble「The Perfumed Garden」
12.Nicola Alesini, Roger Eno, David Torn「M. Polo」
13.Hans Joachim Roedelius「Leicht Gemacht」
14.Jon Hassell「Passaggio A Nord-Ovest」
15.Harold Budd/Daniel Lentz/Jessica Karraker「Begin Then Not Now (Reprise) 1.16」
16.Brian Eno「Neroli (Extract)」

Amazonではfrom UKとなっているけれども、どうやらレーベルはイタリアのMateriali Sonori。Webで調べても経緯はよく分からないが、ブライアン・イーノやハロルド・バッドなど元祖アンビエント系のアーティストによるコンピレーションで、まさにわたしの今の興味ど真ん中。10分を超える曲も少なくないアンビエント系を16曲も集めたのはすごいと思うし、今はどんなアンビエント系を聴いても良いと思える耳になっているので、これはお買い得。アルバム一枚を延々リピートしてもいい。映画音楽にも似ているけど、オーケストラが盛り上がらず素朴さを湛えているところがわたしにとって重要なポイントかも。ただ、このアルバム収録曲はアンビエントというよりも現代音楽や静かなジャズといった印象のものもあり。

Barclay James Harvest「Victims of circumstance」

Victims of Circumstance
Victims of Circumstance
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Barclay James Harvest
Umvd Import (2003-04-22)

しくじったドット絵のようなひどいジャケットを見かけた時は「誰だこんなひどいジャケットを使うバンドは」と驚き、バンド名を見て2度驚く。叙情的で牧歌的だけどプログレになりきれないBarclay James Harvestの1984年のアルバムでありました。流麗なジャケットの「Octoberon」を持っていて愛聴しておりますが、まさか同じバンドがこうもひどいジャケットを使うなんてとあまりのショックに買わずにいたら、ワンコイン価格に落ちたので即購入。

しかし、「田園のビートルズ」と形容されたこともある分かりやすいメロディアスさは、「都会に出てきた田舎のChicago」に成り代わっていました。80年代の安いキーボードの音にこもったスネア、重ねたコーラスはそのままで、明るいけれども影のある普通のロック。REO スピードワゴンなんかにもろ影響を受けたような音で、これはこれで好き。21世紀ではありえない音がかえって新鮮です。

2008年05月18日

ウィリアム・トレヴァー『聖母の贈り物』(国書刊行会)

聖母の贈り物 (短篇小説の快楽)
ウィリアム・トレヴァー
国書刊行会
売り上げランキング: 89790

唐突にランク付けをするなら、コルタサル、ナボコフ、ガルシア=マルケスと同じレベルの衝撃を受けた短編集と言い切ってしまいたい。登場人物はそれぞれ夢のお告げや過去への憧憬を執念深く抱いており、やや一般の人々になじまない面を持つ。彼らの思い入れを肯定しつつも、現実には受け入れられていない事実もきっちり描き出すところがトレヴァーの残酷であり恐ろしいところ。思い入れが社会にそぐわないときに社会からつまはじきにされてしまう拒絶の状態が静かに、しかし確実に進行しており、常に恐怖感がつきまとう読書でした。ホラーよりもこういう話の方がこわい。

冒頭の「トリッジ」から不穏さは漂っていたが、「こわれた家庭」を読んでトレヴァーがただものではないことを確信した。あらすじは老婆の家にボランティアの学生が送り込まれて意にそぐわない家の改修をされてしまうというもの。一見ただの不条理ものだが、ラスト間際で主人公の老婆が信じてきた現実ががらがらと壊れていく、壊してしまう手法が怖い。別に年寄りでなくても、今の自分が正しいのかまちがっているのかは誰にも答えが出せず、もしかしたらとてつもないまちがいを毎日繰り返しているのかもしれないわけで、それが現実に突きつけられたらどれほど落胆することか。人生をわたしの倍以上過ごして自分の生き方に確信を持ってきた老婆(とはいえ考え方も身体もまだまだしっかりしている)が、自分の考え方から大切な思い出のつまった住処まで強制的に変えられてしまったらどれほどつらいだろう、と同情してしまう。思っていても言葉にされなかったこと、事実とされているものごとの裏にたくさんの人の感情が動いていて、普段は常に確執を起こさないようにねじ曲げられていることを突きつけられます。さしづめ、満員電車で互いの視線が合わないように身体の向きを変えたり顔をそらしたりするような行動が、日常生活の見えないところで繰り広げられている。それをわずか30ページ足らずでつまびらかにしてしまうトレヴァーの力に脱帽。

思慮深さ、敏感さを湛えているこころに波風を起こす他人は、憎むべき敵であり、敵に対しては身内であっても時に冷酷であらねばならない、とするのはこの短編集でもっとも長い「マティルダのイングランド」。3編に分かれた中編で、9歳の時にテニスコートの思い出があり、2年後には父親が戦争で家を不在にし、戦争が終わってしばらくした21歳で結婚するマティルダの物語。シビアな「Papa told me」とおおざっぱなくくりをしたくなるように、家庭の崩壊をテーマにし、古き良き思い出を温め続ける者はそれを大切にする一方、思い出を共有できない者への異常な敵対心が物語の動機になっていることが分かってくる。ここで腐敗した感情は、次の「聖母の贈り物」では発酵の域に達しています。

自分にとっては大傑作でも、他人に勧めるには思い入れが強すぎたり、自分の思い入れが吐露されていて恥ずかしかったり、他人に共感されないことが自己否定につながりそうな恐れ・ためらいを抱く作品があります。わたしが好きな少女漫画は少女漫画を読んでいる事実を他人に知られたくないという表面的な取り繕いよりも、その漫画で描かれている感情の揺れに共感している自分を見られたくないし、作品とわたしだけの関係でありたいという独占欲が多分にあります。この本もそう。誰にも読まれたくない一冊です。

2008年05月24日

丸谷才一『文章読本』(中公文庫)

文章読本 (中公文庫)
文章読本 (中公文庫)
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丸谷 才一
中央公論社
売り上げランキング: 33141

「良い文章」とは何か。文学部を経て年に50冊くらい本を読んでいるわたしだが、恥ずかしながら良い文章がどんなものかと問われて答えられたことがないし、「良い文章」がどんな文章か漠然としか想像することができない。漢文や古文のリズムを持っていて、格調高い文章。格調高いとはいったい何ぞや、具体的には何が良い文章なのか。分からなかったので本書を読んでみました。

本書は具体的に良い文章を取り上げてそのどこが良いのか、真摯に解説してある。はじめの方では日本国憲法の文章がダメなことを取り上げているけれども、普段憲法の条文など見慣れないわたしにとっては使えない魔法の呪文を解説されているような気分になった。しかし、中盤以降、特に第九章「文体とレトリック」で取り上げられている大岡昇平の『野火』は、中学か高校の教科書以来となるが、実に切迫感がありつつも人間としての品格と苦悩を描き出しているすばらしい文章と思えた。これは一度通して読まねば。

かつて、物語の良さと文章の良さは別物ではないか、と思っていた。どんなにつまらない現象も名文家にかかれば書かれている内容はつまらなくとも名文になりえると思っていたのだ。逆におもしろいことが書けるからこそ名文家なのだと。しかし、初期のスティーブン・キングの短編はすごくおもしろいけれども、翻訳とはいえあまり名文とはされていないようだ。逆に森鴎外の「安寿と厨子王」などはあらすじを記憶しているため、一つの物語としてのみ認識されていて名文かどうかはあまり意識したことがない。しかし、第八章のタイトルにもなっている「イメージと論理」に書かれているとおり、名文だからこそ物語のおもしろさをより深く強く伝えられることができると本書では説かれている。その難しさとおもしろさを説明した文章を抜き書きしてみる。

イメージとはもともと、論理的でもなければ非論理的でもない、論理とはまつたく別範疇に属するものだといふことに由来する。だから、それを駆使して文章を仕立てるとき、われわれは話の進め方によほど気を配らなければならないし、そこのところをうつかりすると、文章はたちまち妙な方向へ行つて、いや、方角を失つて、話が濁り、筋が通らなくなる。

つまるところ、名文とはあるべきところにあるべき言葉が配置され連関して認識され、読者の理解を妨げずにイメージを作り出す文章、ということらしい。しかし、小学校1年生の語彙と大学生の語彙、新聞しか読まない人の語彙と新聞は読まないけれども1年に200冊以上の小説を読む人との語彙では明らかに異なり言葉選びが変わってくることは明らか。ビールとは認められていない発泡酒しか呑んだことのない人に、いきなり名酒と呼ばれるロマネ・コンティや純米大吟醸を呑ませても「うまい」しか出てこないはずで、名酒の持つ複雑さや美味に感動する身体や心の変化までは言い表すことはできますまい。むかしは名文を理解するには天声人語を読めなどと言われたものですが、あれは世間一般の常識的な文章構成力を得るための方法だったのかもしれません。大学受験にはそれでもいいかもしれませんが、それは和食だけが最高と決めつけて、フランス料理や、お酒、駄菓子などそれぞれにおいしさがあることを知らずに終わってしまうのと同じようなことではないか。本書で扱われている名文はそういう偏ったものではない。イメージを作り出すための言葉選びに妥協してはいけない、そのためには語彙を増やし的確に言葉をつなぎ合わせて大きな絵を描くように文章を書くことを心がけようと思いました。あとは推敲も大切です。ちゃんと書いた文章は読み直してみなければいけません。難しいけれども良い文章を味わうための手がかりを得られて大変ためになる本でありました。

2008年05月30日

森見登美彦『四畳半神話大系』(角川文庫)

四畳半神話大系 (角川文庫 も 19-1)
森見 登美彦
角川書店
売り上げランキング: 1274

正直に言って、『太陽の塔』はみんな褒めすぎだと思ってた。もてない鬱屈した男子の妄想がぴちぴちの鮮度を保ちつつ、あまのじゃくだけど不器用で憎めない人物として描かれていたのは、好感を持ちこそしたが、決して手放しで評価できるものではなかったと今でも思う。佐藤友哉などの「もてない自分が嫌いなように見せかけてでも大好き」なパターンかと思ったものです。しかし、本書の四畳半を中心に繰り広げられるミリマリズムは、単に非モテの生ぬるい心地よさだけから大きく進化している。2004年に出た単行本の文庫化に合わせて購入。佐藤哲也氏のあとがきもすばらしい。

本書のなんといってもすばらしいところは、4つの中編が組み合わさってまさしく神話のような奥行きを見せるところ。詳しくは書かないが、本書の仕掛けに気づいてじわじわと感じるおもしろさはSFチックであり、学生ならではの閉塞感をうまく利用している。最後の章ではボルヘスの円環構造すら彷彿させる。すごいと素直に感心した。

もっとも、本書の舞台となる京都大学に通う、もしくは通ったことのある人を知っているかどうか、京都の学生の雰囲気を知っているかどうかは、本書の楽しみ方に多少の影響を与えることはまちがいない。わたしが社会人になって知り合った京都で学生時代を過ごした人(東京で生まれた人も含め)は、東京で学生時代を過ごした人とは印象が異なる。東京の人よりもやわらかいというか、まろやかな感じがする。なんとなくですが。そういうのがうまく出ている小説です。単に学生時代のあまずっぱさを追想するだけではない、人の抱える閉塞感と周囲の人々によってそれが緩和されていく様がうまく描かれています。

2008年05月31日

若桑みどり『イメージを読む』(ちくま学芸文庫)

イメージを読む (ちくま学芸文庫)
若桑 みどり
筑摩書房
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普段手にとらないちくま学芸文庫のなかでも、美術史というわたしにはあまり縁のない本を手に取る機会になったのは故狐の書評から。図像学という描かれた対象物から意味を読み解くおもしろさについて真摯に語られていたのを思い出す。

実際に読んでみると、よく知っていると思いこんでいたダ・ヴィンチの「モナ・リザ」やミケランジェロの「システィーナ礼拝堂壁画」などについて、細部まで丁寧に、しかも子供から大人にまで分かりやすく説明されていて大変ためになった。と同時に、知っていると思っているものでも細部までしっかり見ていくと自分の視野からこぼれ落ちているものがいかに多いかを思い知る。特に、ヨーロッパ中世では常識でも、現代に至るまでに宗教的事情や時勢の変化によって現在では知られていないことが結構あるのだということが、当たり前なんだけど自分の視点に抜け落ちているな、と思ったことでした。通り一遍の日本史と世界史を学んだだけでは見えてこないものがある。たかだか100年くらい前の日本語の文章は漢文からの影響が強く、意味の分からない単語がたくさんあるだろう。現代でさえ、たかだか20年前にはパソコンも携帯もほとんどなく、生活のスタイルは今とかなり違う。まして外つ国の500年前のことなんて何も知らないんではないか。

もちろん、まずは対象物と今のまっさらな自分との対峙から始まるべきではある。しかし、まっさらな自分のまま対峙していても何も進歩がなく、「すてきね」の感嘆詞だけで関係が終わってしまうのはちょっとさみしい。21世紀の人間ではなく、16世紀の人間として「モナリザ」を見る目を養うこともおもしろいはず。入門編としてちくま学芸文庫というちょっと敷居の高いレーベルから出ていることでマイナーになっているにはもったいなさすぎる。中高生の教科書にさえなるような優れた一冊。万人必読であります。

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