ドリス・レッシング『生存者の回想』(サンリオ文庫)
水声社
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昨年ノーベル文学賞を受賞したドリス・レッシング1974年の作品。わたしはサンリオ文庫で読みましたが、現在は水声社から「フィクションの楽しみ」というシリーズで復刊されています。同じ訳者ですが、水声社版は訳が直されているのかどうか分かりません。
内容はわたしが好きな世紀末もの。世界はどんどん悪くなりいずれ住居を捨ててもっと住みやすいところに移住しなければならないと思っている女性が語り手。そこにある日11歳の少女エミリと、おそらくチャウチャウと思われる犬だか猫だか分からない生物ヒューゴゥが預けられる。エミリは良い子の猫かぶりをしつつも、徐々に外の若者たちに溶け込んでいく。しかし、人々は荷物をまとめて徐々に街を離れていく。ヒューゴゥを残してはいけないエミリ。やがて、人々をまとめるリーダージェラルドと深い関係になっていく。
世紀末の退廃を抑えた筆致で淡々と描いている。しかも語り手はほとんど外部との接触がなく、非常に主観的でありながら、子供たちを中心とした混乱をあたかも自分には関係がないように捉えている。この冷静さとは裏腹に、語り手は壁を通り抜けて異なる世界に入り込むことができる。そこでは散らかった部屋を片付けたり、幼い頃のエミリを目撃したりする。いわゆる「信用できない語り手」というわけではないのだが、実世界で冷静さを保つ語り手が、異世界に入り込んだ自分を冷静に描写しているのはかえって正気であることに疑いを感じさせる。いつカタストロフが訪れるか分からない世界といい、エミリに関わったゆえに語り手の世界はいつ何時罅が入るかもしれない危うさを感じさせる。茫洋とした崩壊への足音を感じることこそが本書のおもしろさ。
特に気に入ったのが、人間の叡智なんて頼りにならないと嘆くシーン。
犬や猫や猿は、月まで飛んでいくロケットを作ることはできないし、石油の副産物から人工的な服地を紡ぎ出すことはできないと。しかし、この多種多様な知性の廃墟にすわる羽目になってみると、知性に大きな価値を与えるのはむずかしように思われてくる。(中略)知性は、その正しい場所を見出さなければならない。だが、それでもやはり、かなり低い場所になると私は思う。
後半に入って暴徒化した子供達の「脈絡のなさ」が取り上げられ、語り手とエミリはそれに怯えショックを受ける。突然暴力的になったり、にやにやと媚を売ったりしかめつらをしたりする子供の「脈絡のなさ」は、普段は静かに凪いでいる海が台風とともに荒れ狂い人や物を破壊するのと同じ不条理。その不条理を恐れながらもコントロールしようとすることは畏れ多いことだ、と諦めてしまっているところに読んでいるわたしは少し共感しました。自分たちの楽しみや富を求めて、一度絶滅したら二度と戻らない種の生き残る自然を平気でばっさり切り崩してしまう人間の愚かさの果てを描いたような作品です。同じ世紀末の崩壊感を描いた『鉄の夢』とは全く趣が異なりますが、自らの習慣さえも客観視できる冷徹な観察し描写するおもしろさは地味だけどわたし好み。やや冗長なところもありますがおすすめです。









