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2008年04月 アーカイブ

2008年04月06日

マティス+ルオー展

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マティス+ルオー展というよりは「ルオー展にマティス、モローたんもある展覧会」に行ってきました!

ルオーのごってりと塗りたくられた絵の具の上に別の絵の具を合わせて、水彩絵の具が滲んだときのような効果が大好き(師匠のモローも水彩画で同じような効果をよく使っています)。初めて近場で見たときにごってりと盛り上るほど塗りたくられた絵の具を見て「世界初の3D絵画!」と驚いたのは大学生の頃だったか。この前の「ポンピドゥー・センター展」にも「キリストの顔」が来ておりましたな。でも、いつも企画展のツマでしかなくて、まとまった数が見られる展覧会はわたしには初めてなので、前々からとても期待しておりました。

会場に入るといきなりモローたんハァハァ。ケンタウロスいいよ、ケンタウロス。ルオーも初期は暗い画面に水浴する人物が見分けられるような陰鬱な印象画を描いていたのが、徐々にげじげじ輪郭線が主張するようになってきて、キリスト教関係やピエロあたりで爆発する(フォービズム)。でもね、ルオーのしっかりとしたデッサンや色の選び方を見ていると決して思いつきで描いているわけじゃないと思うのです。太い輪郭線は対象の動きであり、生命・存在の輪郭であり、その中に置かれる色にはいちいち込められた気持ちがあるように見えました。特に赤は、黒が支配する画面の中で心臓や血を表したり幸福への入り口を表したりと、シンボル的な扱い方をされています。

キリスト教やサーカス、農夫を描いたのはやはりルオーも貧しい者たちへの同情・愛情があったからだとか。展示の説明に、「貧しさとは、優しさの一表現である」とあってちょっと泣く。貧しさがさみしくつらいものだけではなく、貧しさに生きる者たちには優しさがある、ということをいつも忘れずにいたいものですし、自分もその一人であることに胸を張りたい気持ちになりました。マティスは全体の1/4くらいでファンにはおすすめできませんが、ルオーの作品をごってりした黒の固まりくらいに認識していた人(わたしだ)には超おすすめ。這ってでも新橋まで行くべき。

2008年04月08日

ヘアスプレー

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1960年代のボルティモア。クリーニング屋を営むふとっちょの母(ジョン・トラボルタ!)と、誰が買うのか分からないおもしろグッズ屋を営むやせっぽちの父(クリストファー・ウォーケン)の間に生まれたふとっちょのトレーシーはダンス番組が大好き。親友のベニーと共にテレビの前で踊り狂うだけでは飽きたらず、公開オーディションに応募。最初はちびで太っているトレーシーを鼻にもかけないテレビ局だったが、折しも隆盛してきた黒人音楽のリズム感を持ったトレーシーは、既成のアイドルの枠を越えて人気者になっていく。

ふつう、この手の話はちびで太っていた女の子が、ダイエットしてダンスをがんばったらすらりとスタイル激変、シンデレラ的なストーリーになりそうなものです。しかし、そこをきれいに裏切り体型そのままで最後まで突き通した設定にとても驚いた。自分の概念が凝り固まっていたことに気づかされます。映画全体では体型も肌の色も関係ないというメッセージがこめられているのでしょうが、あまりに脳天気な人物達の明るさにちっともイヤミに感じられません。

1960年代のアメリカはマーティン・ルーサー・キングJr.に代表されるように、黒人公民権運動が盛んになり、白人対黒人の図式がもっとも色濃かったとき。この映画でも主に黒人が力を手に入れる課程を描いているわけですが、同時に白人の価値観が塗り替えられた時期であることにも注目しているように見えました。クレイジーにさえ見える教育ママ、権力・色仕掛けを使ってでも自分たち家族を注目させたい元ミス・ボルティモアは一見類型的に描かれているようで、実はわたしたちの既成概念を象徴していて、わたしにも彼女たちのように醜く固執してしまうところがあるよな、と。

ブロンドでやせていて美人が最高であるという当時も今も変わらない美の基準を、小さくて太っていても最高であるとすることで、今の私たちの概念をも揺さぶってしまうところが、この映画で一番すごいところ。今だってエビさんやらモエさんやらが細くて色白のモデルとして奉られてしまうほど、わたしたちの美的概念は変わっていない。そもそも、今の日本のマスコミから発せられる美的基準って、この映画で敵役をつとめるテレビ局部長(ミッシェル・ファイファー)とその娘のところから変わっていないんじゃないでしょうか。単に踊り狂うだけの映画の中に、実は美的概念の革命を起こそうとする不穏さすら感じてしまいました。

2008年04月20日

アドルフォ・ビオイ=カサーレス『モレルの発明』(水声社)

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カサーレスは10代でボルヘスに認められて、決して大きくはないアルゼンチン文壇で大きな影響力を与えるようになる人物。しかし、二人の合作『ドン・イシドロ・パロディ 六つの難事件』はわたしがミステリに興味がないせいもあるが、人物設定に魅力がない上にひねりにひねりすぎて失敗したような印象しか残っていません。それでカサーレスにはしばらく興味をなくしていたのですが、確か2年くらい前におもしろいと評判を聞いた本書を手に取り、興奮で本を置くこともできずに一気読みしたはずなのに、今年の春にあらすじを聞かれてさっぱり覚えていないという恥辱を味わい、今回改めて再読した次第。負け惜しみではなく、本は再読することに意義があると思いますが、不幸にして読書速度が遅いわたしには再読できる本は限られている。しかし、本書についてはまちがいなく再読が必要であり、読めば読むほどにモレル(実は某SFに関係した名前らしいのですが、わたしはそっちを読んでいない)の発明がいかなるものであり、手記形式で書かれる本文の裏に隠された物語内の事実が明かされていくのです。

主人公はとある罪を逃れるために島に流れ着いた。無人島のはずのその島では、潮が満ちるとどこからともなく人々が現れて島でのバケーションを楽しむ。観察者となった主人公はその中の一人、フォスティーヌに懸想するが、どれだけ彼女にアプローチしてもなぜか反応がないのだった。

本書はおそらくまず最初にラテンアメリカ文学としてくくられると思うが、その前にSF以外の何ものでもなく、SFファンは必読。それもジーン・ウルフのSFマガジン収録作「アメリカの七夜」を気にいるような人はこれを見逃す手はない。そのほかにも信頼できない語り手の裏を読み解くのが好きな人にはおすすめできます。あとがきでも触れられている話ですが、冒頭の一文から既に謎をはらんでいる。

今日、この島に信じられぬことが起きたのである。早くも夏になっていた。

そもそも突如として夏になるのも不思議なのだが、この事件のすぐ後で「昨夜は、このひとけのない島で眠った百度目の夜だった」という書き記している時間の関係性が分からない。ちょっとタネを明かすと潮の満ち引きを原因としてこの島に不思議なことが起こるのだが、百度目の夜までに潮の満ち引きは幾度となくあったはずなのに、なぜそこまで主人公はこの現象を体験していない(少なくとも文章上では)のかは読み終えた今でも謎。そして夏になった島で主人公は不思議な人々に出会い、まるでドラえもんの石ころぼうしを被っているかのように、他の人々には反応されずに彼らの間をとまどいつつ観察し続ける。やがて不思議な現状の原因を突き止めてからは新たな野望に乗り出す。それはロマンチックでありながら、空虚で少し滑稽でもある。それでも孤独よりも幻想の中で生きることを選んだ彼のことは忘れられない。いや、この前まで忘れていたんですが。

そうそう、あとがきでアラン・ロブ=グリエが本作に影響されて『去年マリエンバートで』を書いたというのを知り、意図的に手を出さないようにしていたフランスものにも興味が出てきてしまって困る。

2008年04月26日

ニール・ウィリアムズ『フォー・レターズ・オブ・ラブ』(アーティストハウス)

フォー・レターズ・オブ・ラブ
ニール ウィリアムズ
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まったく知らない作家ながら、帯のパブリッシャー・ウィークリーのコメント「叙情的で感動的なアイルランドのマジック・リアリズム」ときたら読まずにはいられまい。

神の啓示を受けて公務員から画家になった無口な父を持つニコラス。一方、小さな島で仲むつまじく暮らしていた校長をつとめるゴア一家で、突然長男ショーンが植物人間となり、さらに長女イザベラは学校もろくに行かずに男に熱を上げてしまい、街でぶらぶらしている。幸福とは縁遠くなってしまった二つの家族が結びついたのは、偶然のように見える運命だったのかもしれない。

マジック・リアリズムといわれればなるほどマジック・リアリズムにカテゴライズされるべきでしょう。でも、ガルシア=マルケスに代表される中南米のマジック・リアリズムは日常的に不思議なことが起こりそれが当事者たちには当たり前なのに比べて、本作ではパズルでいったら最後の1ピースがきっちり収まった時の愉悦、スポーツだったらハンカチ王子の投手戦のような、あるべきものがあるべき場所におさまりすぎた完璧さの訪れた結果であります。それゆえ現実が物理のルールに耐えきれずたわんだゆえに漏れ出してくる異世界の光といった趣。その発現がアイルランドらしく音楽だったりするところも好印象。BGMは普段あまり聴かないIONAでしたが、後半の盛り上がりにはぴったりでした。

わたしはほとんど読んだことありませんが、バリー・ユアグローなど柴田元幸系とカテゴライズしてしまいたい、ちょっと不思議な感覚が受け入れられる人にはおすすめ。しかし、ちょっぴり物語優先となってしまって作者の都合の良さが出てしまったのがややマイナス。ショーンの看護やイザベルのすさみ具合などのディティールがかっとばされているところも多く、ロマンチックなところがちょっと強すぎてきれいにまとまりすぎたきらいはあります。しかし、最後まで展開は分からないし、個人の立場ゆえの葛藤が響いてきてよどみなく読み通すことができました。盛り上がったキャッチボールができたときのような、爽快な読後感でした。

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