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2008年03月 アーカイブ

2008年03月09日

カート・ヴォネガット『国のない男』(NHK出版)

国のない男
国のない男
posted with amazlet on 08.03.09
カート・ヴォネガット 金原 瑞人
日本放送出版協会 (2007/07/25)
売り上げランキング: 1104

非常にすぐれた作家であり人の気持ちを奮い立たせるアジテーターのカート・ヴォネガットが亡くなってからもう1年がたとうとしている。「去年の暮れだっけ?」なんて思っていたらもう1年。本書は彼の最後の書籍として、SFファンならずとも2008年3月9日に生きて、これからも生きる人ならば全員読むべき一冊です。

本書ではアメリカの国民に向かってアメリカがいかに悪いことをしているか声を荒げて語りかける。何も悪いことをしていないイラクの人たちを殺し尽くすまで戦争を続けるのか? そもそも今のアメリカは何を犠牲にして成り立ってる? これはまるっきりとまではいかないまでも、日本に住む人にも通じる過去だ。何かを誰かを犠牲にして今の自分がこうしてパソコンに向かっていられるのはまちがいない。もちろん、わたし自身も何かを犠牲にはしているわけだが、犠牲にしたものを平らにしたらきっとわたしの上にはたくさんの犠牲が積み重ねられて、本を読んだりCDを聴いたりなんてことはできないにちがいない。そのへんのことはhttp://www.globalrichlist.com/を見ると実感できる。自分が世界で何番目に金持ちかが分かるサイトで、何度か実験してみるとどうも世界の平均年収は10万円くらいらしい。もちろん、自給自足で金はそれほど必要ない、という人もたくさんいるだろうし、そもそもこのサイト自体が信用できるかどうか分からない。でも日本やアメリカが先進国でお金をたくさん持っている人が多いというのは事実で、それは誰かの給料を安く抑えているからできることなのだ。

最後に孫引きとしてユージン・デブス大統領候補の言葉を。

下層階級がある限り、わたしはそのうちのひとりだ。
犯罪者がいる限り、わたしはそのうちのひとりだ。
刑務所にひとりでもだれかが入っている限り、わたしは自由ではない。

2008年03月16日

N・ホーソーン/E・ベルティ『ウェイクフィールド/ウェイクフィールドの妻』(新潮社)

ウェイクフィールド / ウェイクフィールドの妻
N・ホーソーン 柴田 元幸 青木 健史
新潮社 (2004/10/28)
売り上げランキング: 278757

換骨奪胎。「先人の詩や文章などの着想・形式などを借用し、新味を加えて独自の作品にすること(Yahoo!辞書より)」。

ナサニエル・ホーソーンという作者名を出さずとも、ウェイクフィールドという作品名を知らずとも、「ある日夫がでかけたまま戻らなくなった。夫人は哀しみをたたえたまま暮らすが、20年以上たったある日、出て行ったときと同じように夫が戻ってくる」という話はどこかで聞いたことがあるにちがいない。たぶんわたしは子供の頃、『ムー』のような雑誌でそういう記事を目にしていたはずだ。何よりも、本作でとったウェイクフィールドの無鉄砲さにあこがれる気持ちはどうしても否定できない。

たしかにこの上なく異例な出来事であり、他に類を見ず、おそらくは二度とくり返されぬであろうとはいえ、人間誰しも持つ同情心に訴えるところがあると筆者は信じるものである。

それまでの生活をすべて捨ててまったく違う自分になりたいという願望。それまでの生活が立派でパーソナリティが強ければ強いほど、それを放り投げたときの爽快感もまたひとしおだろう。

しかし『ウェイクフィールド』(この名前も「目覚める」「野原」という言葉が連なっており、なんとなく思わせぶりだ)のあらすじを読んでもあまり新鮮味を感じることはなかった。ジェイコブ「猿の手」のように不思議であり謎は解明されていないが、既存の知識として埃をかぶって貯えられてしまっており、それは本書に収録されている「ウェイクフィールド」を読んでもあまり印象は変わらない。

「ウェイクフィールドの妻」はそんな「ウェイクフィールド」を置き去りにされた妻の視点から描き出した意欲作。ある作品を別視点から他人が描くことは、世界観を壊してしまいそうで、読むわたしがこわい。しかし「ウェイクフィールド」には読者それぞれの世界観を許すだけの懐の深さがある。すでに「ウェイクフィールド」自体が伝聞で知ったという作りでノンフィクションではないというスタンスであり、想像をふくらませた物語をさらに想像で広げようとしたのが「ウェイクフィールドの妻」であります。

訳者あとがきで柴田元幸がたくさん書いているように、フェミニズム的視点をことさらに顕示するものではなく、かつウェイクフィールドが蒸発した謎を解こうとも試みない「ウェイクフィールドの妻」は元の世界観を生かしたうえに、繊細な手触りで偽未亡人の生活を追っていくもので、地味だがおもしろい。長年使った木のまな板を新調して厚さが変わったりすると違和感を感じるものですが、いつの間にかまた手と包丁に馴染んでいくものです。そんなふうに「ウェイクフィールドの妻」は徐々に「ウェイクフィールド」という作品に馴染んでいき、最後にはまるで別人が書いたとは思えないようにしっくり合わさります。この馴染み感こそがウェイクフィールドの妻エリザベスが得ていくものであり、一方勝手に失踪したウェイクフィールドが得られなかったものなのかもしれません。派手な事件はありませんが、名作の換骨奪胎に挑戦しそれを見事に達成しているエドゥアルド・ベルティ、アルゼンチンの作家ということを差し引いても、新潮クレストあたりを好きな読者には見逃せない一人ではないでしょうか。

2008年03月22日

スティーヴン・ミルハウザー『ナイフ投げ師』(白水社)

ナイフ投げ師
ナイフ投げ師
posted with amazlet on 08.03.20
スティーヴン・ミルハウザー 柴田 元幸
白水社 (2008/01)
売り上げランキング: 2776

ミルハウザーを読むのはこれで3冊目かな。『バーナム博物館』を途中で投げ出し、『マーティン・ドレスラーの夢』は読み通したけれどもあまり心を動かされなかった。そして、今回、少しその理由が分かったような気がする。

一言で言うと、あまりにフィクションすぎるのだ。あとがきを待たずとも作中に歴史上の実在した事象が織り込まれるけれども、それがかえって嘘くささを助長しているとすら言える。そのフィクション性が売りなんだろうと思うけれども、わたし自身はどうしてもリアルさにこだわってしまう性向があるため、手放しでほめられないのがつらい。リアルさとは何か、わたしにとってそれは混沌だと思う。決して誰か一人が勝利者ではなく、何かを手に入れれば何かを失う。一見すべてを成し遂げる万能者であっても、必ずどこかで帳尻を合わせなければいけない。だからいわゆるデウス・エクス・マキナというやつは好きになれない。因果応報がなければ物語ではない、とすら思っている。

たとえば表題作は語り手がほのめかしてはいるものの、ナイフ投げ師の所業について社会的な罰は科されていない。そんなナイフ投げ師がいた、というところで終わってしまっている。わたしはその先が読みたいのだ。そのナイフ投げ師はいつまで興業を続けられるのか、いっしょにステージに上がっているアシスタントとはどういう関係なのか。語られている表面だけでは満足できない。

というわけでミルハウザーが自分に合わないことが少し理解できたことで、本書は非常に意義がありました。でも、ミルハウザーを好きな人と本の趣味が合うことも多く、そういう時に語られるどこまでを自分の興味ある情報として受け入れればいいのか、まだ謎は続きます。

2008年03月23日

イサベル・アジェンデ『精霊たちの家』(国書刊行会)

精霊たちの家
精霊たちの家
posted with amazlet on 08.03.23
イサベル アジェンデ Isabel Allende 木村 栄一
国書刊行会 (1994/05)
売り上げランキング: 146081

ラテンアメリカ文学のブームはコロンビアのガルシア=マルケスで頂点に達しますが、それ以外にもメキシコのフェンテス、パス、アルゼンチンのボルヘス、コルタサル、プイグ、ペルーのリョサなどが一斉に華開いた時期です。おおよそ1910〜30年代に生まれた人が多い。それに影響を受けた第一世代が1942年生まれのイサベル・アジェンデに当たるでしょう。ペルー生まれチリ育ち。本作は彼女の第一長編にして各国でベストセラーとなり映画化もされた傑作。

という前書きはともかく、とにかく読み手を飽きさせないという点では評判通り。エステーバン・トゥルエバという精力的な事業家(のちに政治家)の一生を借りて、恋人、妻、娘、孫娘たちの女系について描かれた波乱に満ちた物語。最近のアジェンデは子供向けの冒険小説やハーレクイン系にも進出しているようですが、それを予感させる人間関係の甘さと苦さ、それに作者が育ったチリで否応なく直面せねばならなかった政治についても作中に反映されています。

トゥルエバが物語の枠を作ってはいますが、中心になるのは女たち。中でもミズ・マジックリアリズムの「透視者クラーラ」は美人な上に超能力者。自分の座っている椅子を手も使わずに持ち上げて家の中をすいすい移動したり、蓋を閉めたままのグランドピアノでショパンを弾いたりします。何不自由なく育った少女期からそういう力を持っていましたが、大人になり苦労を重ねてからも力は衰えず、編み物しながらすいすい動いている様は「あ、このうちのお母さんはこういう人なんだ」と納得してしまいそうな自然さで描かれていて受け入れやすい。イギリスの小説だと家に霊能力者が出入りしはじめると、インチキ霊媒師にぼったくられてお家没落となる前触れだったりしますが、本書では霊媒師たちも近所のおばちゃんみたいに普通に出入りしているのがおもしろい。ちょっとしたユートピアのようです。

しかし、世間はユートピアをそのままにしたりはせず、家にもやがて没落する時がやってきます。時を同じくしてラテンアメリカでは独裁者たちが力をふるい、街には戒厳令が敷かれ、不当に逮捕される人々が出てくる。ほんのちょっと反政府的な行いをしたり、目立つ人間が容赦なくしょっぴかれていく。このシーンには本当に怒りを感じ、歯止めがきかない政治権力の恐ろしさを痛感しました。今も地球上では勝手に人の土地に乗り込んでいって爆撃したり、自分の国でもない土地を勝手に収奪して無辜の民を殺している国家が存在します。本書はラテンアメリカという遠い国の話ではなく、ファンタジー(マジック・リアリズム)としてのおもしろさを持ちつつ、国家が持つ愚かしさについては21世紀に入っても何も変わっていないという現実に気づくためにも有効な一冊です。

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