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2008年02月 アーカイブ

2008年02月02日

マリオ・バルガス・リョサ『楽園への道』(河出書房新社)

楽園への道 (世界文学全集 1-2)
マリオ・バルガス=リョサ 田村さと子
河出書房新社 (2008/01/10)
売り上げランキング: 6352

ラテンアメリカ文学の雄にして1990年にアルベルト・フジモリと大統領選を争ったことでも有名なペルーの文豪マリオ・バルガス・リョサの、2003年の新刊がとうとう出ました。リョサの代表作『緑の家』を読んでからというもの、どうも混沌として読みにくい小説を書く人、というイメージが固定していたのですが、2004年に翻訳された『フリアとシナリオライター』を読んでからその印象は一変しました。かちりと音がしそうなほどエピソード同士がきっちりと構築されており、何よりもストーリーテリングが爽快で子供の頃の読書のように我を忘れてのめりこめる。比較対象がややおかしいかもしれないが、ただでさえろくに出なかった授業をさぼりにさぼって『十二国記』を片っ端から読みまくったときのような、魂を小説にもっていかれる経験をしてしまいました。

『楽園への道』はタヒチに楽園を探しに行ったポール・ゴーギャンと、その祖母にして世界に楽園をもたらそうとしたフローラ・トリスタンの人生を物語る。フローラは破天荒な人生に加えて早くに亡くなったこともあり、孫の顔を見ないままだった。しかし、一世代挟んだ二人の人生がかくも異なり、すべての労働者の楽園を夢みたフローラと己の楽園のみを追いかけ続けたゴーギャンの対比がすごい。フローラの物語を読んでいる時は「労働者よ、覚醒せよ!」と共産主義的になってフローラと争っている無知蒙昧な愚民どものところに行って加勢したくなる。しかし次の章ではロリコン・アル中のダメ人間ゴーギャンがタヒチでのんべんだらりと暮らしている人生をうらやましく思っている始末。庭でにゃんことにわとりがニャゴコケニャゴコケいってるところで、ぐったり寝そべってアブサンのロックすするのは最高ですよねー。章が変わるごとに自分のスイッチが全体主義→個人主義→全体主義ところころ変わるので、読みやすさは抜群なのに変なところで疲れるのもおもしろい。

いっしょに暮らさなかったのに、祖母と孫の間にはとても似ているところもあって、それは自分の理想のためなら他人の犠牲を厭わないところ。フローラは自分の正しさを証明するために自分の書いた本だけを頼りにあちこちに出向いて他人を調伏しまくる。金持ちは「うるさいのがやってきた」と鼻であしらい、労働者は「なんだ女かよ」と蔑んだ目で見下す。それでも俯仰不屈の精神で自分の理想を説き続ける姿には涙を禁じ得ない。ゴーギャンの方は一時期証券マンで家庭を持つ理想のヤング・エグゼクティブ(はじめてタイプする言葉なので指がつった)を体現したにもかかわらず、一切合切放り投げて絵の道に進み、それからは誰がなんと言おうと絵ばっかり描いてあまつさえ楽園を追い求めてタヒチに行ったり、はた迷惑なおっさんである。

ラテンアメリカ文学のブームの時代によくあったのが一人称と二人称と三人称を書き分けることで読者の視点を変える効果。レイナルド・アレナス(アリステア・レナルズに似ているのでよく間違える)『めくるめく世界』では章ごとに人称を変えて小説と年代記が混ざったような書き方で人物とともにその場にいる臨場感と神の視点を同時に持てる効果がなされています。リョサも人称によって書き分ける効果には意識的で『緑の家』から取り組んでいたはず。本作ではその書き分けを文中に仕込んで読者に意識させないような工夫がしてあります。メインの文章を三人称にして伝記的なスタイルを作っておいて、ところどころに主人公の一人称の視点と自分への呼びかけを忍ばせています。あの言葉が出てくると主人公の内面にパンするかのように視点がしゅるりとミクロになっていく感じがすごくおもしろい。

できればフローラ・トリスタンもポール・ゴーギャンについても下調べせずに先入観なく読んでいただきたい一冊。「損をしない読書」という言葉はきらいなのですが、この本だけは確かに損をしない。ラテンアメリカ文学の最前線が読めた上に、史上初のフェミニストと世界最高の画家の伝記が読めてしまうのです。しかも文章はめっぽう読みやすく田村さと子氏の訳はまさしくこの本にぴったり。ラテンアメリカ文学を読んだことがない方は混沌としたガルシア=マルケスではなくバルガス・リョサを入口におすすめしているのですが、『フリアとシナリオライター』に続いてまたも入門にして最高の本が訳されたことが本当にうれしい。本棚に揃えて誇らしく思える一冊です。

2008年02月23日

ミスター・ロンリー

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ローンリー、ミスターロンリー、で始まるマイケル・ジャクソンものまね映画。タイトルになった曲はボビー・ヴィントン、名前は知らないけど哀愁のあるファルセットで誰もが一度は聴いたことがあるはず。

ところでわたしは「マイケル・ジャクソンは無実」派でありまして、ネバーランドが解体されてしまったことは、小山遊園地が解体された次くらいに悲しい出来事でありました。キャプテンEOがなくなったことはもっと悲しい。もしわたしが彼の伝記を書くならば『人の整形を笑うな』とタイトルをつけることでしょう。

当然、映画でもマイケル役にはチェックが厳しい。ある程度下手に見せることが求められるので、本当はもっと上手なのかもしれませんが、やっぱりものまねさんのターンは軸がぶれていてイマイチだった。本物はまだイン・シンクよりも高速回転できます(2004年調べ)。だけど、誰もがある程度は感じている現実の生きにくさを、マイケル・ジャクソンという究極の現実非対応者のさらにものまねというフェイクを重ねることで、意味だけを掘り下げるとミルフィーユの最下層のようにいろんな味がじんわり染みこんでしまったような彼の存在の不器用さがうまく描かれています。

そんな彼がマリリン・モンローのそっくりさんに導かれてハイランド(スコットランド)の城に赴く。そこでものまね芸人たちが共同生活を送り、コミューンというよりは小さな楽園のような場所。そのゆったりした空間が非常にわたし好みで、湖を望む古城でひっそりと暮らしたいという新しい願望が生まれた、わたしにとっては新たな発想を得られた良い映画でした。 内向的だけど笑いを含んでいるところがすてきだと思いました。あと、すごい尼僧がたくさん出てきます。これは必見。

2008年02月24日

フェリペ・アルファウ『ロコス亭の奇妙な人々』(東京創元社)

ロコス亭の奇妙な人々
フェリペ アルファウ Felipe Alfau 青木 純子
東京創元社 (1995/11)
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1902年、スペイン人の著者については全く知らないまま本書を購入。一番の理由は安かったからだけれども、これが望外のおもしろさ。英語版のタイトルに「Comedy」とあるように喜劇的でありながら、荒涼とした人のさびしさも描き出している。ボルヘス、カルヴィーノ、ナボコフに比較されている著者ですが、ボルヘスよりも腕白だし、カルヴィーノより素直。ゲルニカ生まれということで、マドリッドから来た人物との対立などにバスクとの対立が読み取れます。スペイン内戦が激化した年に出版された本書は、物語も決して一筋縄ではいきませんが、成立した背景にも複雑さを感じ読み取れていないところがたくさんありそうだという読後感です。

連作短編集の形をとっており、タイトルにもなっているロコス亭で登場人物たちを紹介する場面から物語ははじまる。太っているが威厳のない警官、伊達男、べっぴんな尼僧、礼儀正しく世俗に馴染んだ神父、がらくた売りなどがにぎやかす酒場。この後の短編で彼らは入れ替わり立ち替わり現れ、時には性格や役割さえ変えて登場する。それぞれが独立した物語になっているように見えて、その実同じ名前の人々について語られる巧みさは実に小粋。特におもしろいのがマドリッド全体が長期にわたって停電になってしまい、泥棒のメッカとなってしまうところで警視総監が頭を悩ます話。手探りで歩いているところを誰かにぶつかって掏った財布が、また別の誰かに脅し取られたりするところなどは、金は天下の回りものという格言を皮肉めいた形で思い出してしまう。

コミカルな一方で、「春」にとらわれて錯乱してしまった友人を看取る話などは、からりと晴れ渡った青空の下の絶望を共感してしまいます。最近のCGアニメーションで輪郭線が描かれる端から色彩が施されて美しい風景画になったりするものがありますが、美しくもあり、まるで何かに絡め取られるような無力感も同時にわき起こることがありますが、それを突き詰めると春の美しさと恐ろしさに変化するのかもしれません。

今回の読書では同じ名前で登場する人物たちが、別の短編でどのように役割を変えるのかしっかり把握しないままだったので、ぜひ再読して関係性をつかみたい。1冊で2回は楽しめるステキな本です。すでに品切れのようなので見つけたらぜひ。

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