鎌田慧『ドキュメント屠場』(岩波新書)
ケモノの皮剥ぐ報酬として、生々しき人間の皮を剥ぎ取られ、ケモノの心臓を裂く代価として暖い人間の心臓を引裂かれ、そこへ下らない嘲笑の唾まで吐きかけられた呪はれの夜の悪夢のうちにも、なほ誇り得る人間の血は、涸れずにあった(水平社宣言)(p.108)
先日某丸ビルでフレンチなのにおいしいレバ刺しをいただいて、(ちょっと塩からかったけど)大変おいしかったことを思い出しながら読みました。モツ煮込みやレバニラ炒めなど、苦手な人を除けば今ではすっかり食卓の定番になった家畜の内臓ですが、日本では肉食の習慣がなく、また肉を解体する人々は差別の対象にすらなってきた。本書は20世紀に刊行されたものですが、肉を食べる人ならば誰しも知っておかねばならない事実が現場の声を元に記されています。
品川、横浜、大阪、四国と各地の食肉工場に取材し、人々の声を座談会形式で紹介することによってとても共感しやすく書かれているのがポイント。これは本で勉強しただけでは書くことができない事実です。家康が入城した当時に品川、目黒(なんと今はセレブ住宅地の白金まで!)、馬込などの郊外に家畜を解体する人々は移住して従事したわけです。また、三河島や浅草のあたりは19世紀ごろから皮革工業が発達してそのあたりにも解体する場があったようです。なんといっても驚いたのが差別という現実はもちろん、食肉解体工場ではお給料が出なかったということ! 午前中くらいで解体を仕上げて午後は肉屋さんなどで働くというのが1970年代まで続いていたというのです。そこで組合を立ち上げて賃金が出るようにし、都の公務員として雇用されるに至るのです。
食肉解体というのは機械でさくさく切り刻むようなものではなく、腕一本、ナイフ一本で皮をはぎ肉を断ち切る作業なのです。そのため、写真の労働者たちはみな一様にたくましい腕を持ち、紹介されている言葉も肉を加工することの技術にプライドが感じられます。
何気なく食べている肉やモツがいかにしてできあがるか、料理好きと自称するわたしでも知らなかったことばかりで、己の不勉強に恥じ入るばかり。これからは少々値上がりしたからといって不満をたれずにおいしくモツを料理しようと思います。また、食肉解体に携わる人たちはいわゆるアホで能天気な体育会系とはちがい、いわれなき差別と闘った影はあるものの、同じ仕事に携わるもの同士のライバル意識とそれゆえの友情がさっぱりくっきりと描かれていて素敵でした。















