ジェフリー スタインガーテン Jeffrey Steingarten 野中 邦子
文藝春秋 (2005/03)
売り上げランキング: 74254
周囲を海に囲まれて豊かな四季が繰り広げられる日本では、山海の美味が太古の昔から豊富に採れました。中でも多くの素材を生で食する習慣は、衛生観念が発達し、国土が小さいからこそ輸送にもそれほど時間をかけずに鮮度を生かすことができたから生まれたものでしょう。そんな美味しいものに恵まれた日本と対極的なのが、揚げたジャガイモと魚しかないイギリスや、なんでも大味にしてしまうアメリカ。「アメリカ人は味蕾が発達していないからまずいものでも平気なのだ」という恐ろしい言い伝えさえあります。本書はそんなアメリカ人の一人でありながら弁護士をやめて『ヴォーグ』のフードライターになった著者による、全国(この場合は世界中を指す)うまいものオリンピックみたいなエッセイ集です。
よく料理のおいしさを表すのに、見て、触って、においをかいで、味わうなど五感を使って楽しむように言われていますが、ここには最大の楽しみが抜けています。それは料理を作るということ。たまに自炊した人が自分の料理をうまいと思うように、おいしい料理に必要なのは空腹とともに、自分で手をかけたという特別な感じが大切です。本書の場合、フランスに飛んで豚から血を抜いて血入りソーセージを作り、テキサスの南から船に乗って船酔いにくたばりながらウニを手に入れたり、築地でマグロを食してからアメリカに戻ってマグロ釣り漁船に乗り込んだり、も一度フランスに戻ってバゲットの品評会で100種類ものパンを食べ尽くしたりと、世界のあらゆるところでおいしいものを探し当てます。それは日本人のまじめなストイックさよりも、「楽しくおいしいものを食べたい」というあっけらかんとした欲望。どうしても日本人がおいしいものを突き詰めると額にしわを寄せて厨房の若造をどなりつけながらうまいのかどうか分からない顔をしながら食べるか、話題のレストランのおいしさを金にあかせてとうとうと見せびらかすような記事ばかりです。しかし、これらの文章では料理をする喜びをあまり見いだすことができません。メシは他人に出してもらうもの、というお客意識をなくして、おいしいものは作って食べようとする本書の姿勢はアメリカ人とあなどることなく見習うべきなのです。
とはいっても、家に14台のエスプレッソマシンを揃えたり、常においしい塩の小箱を持ち歩いて料理にそっとかけたりする姿は業の深さを感じさせます。
なかでも最高にわたしの料理欲を刺激したのが、「国境の南——タコスの誘惑」という章。日本では辛くて味気ない料理に思われている(わたしだけ?)メキシコ料理のイメージががらりと変わることうけあい。
耳に残るはあの波の音——メキシコのバハカリフォルニア州、ロサリトのビーチに打ち寄せる太平洋の波の音だ。私はマンハッタンのキッチンに立って、あの完璧なタコスを再現しようとしている。すきとおったトルティージャに包まれたジューシーなカルネ・アサーダ——こんがりと焼いたビーフの塊。バハカリフォルニアでは珍しくもないごちそうだが、ロサリトビーチにあるタコス・スタンド、タコス・エル・ヤキのカルネ・アサーダはそんじょそこらの焼肉とはちょっとちがう。肉だけではない。添えてあるサルサ・ランチュラ(新鮮なタマネギ、トマト、コリアンダーをこまかく刻んであえたソース)、サルサ・ロハ(手作りの辛い赤トウガラシ・ソース)、それにガカモーレの液体バージョンともいうべき、なめらかな食感の色鮮やかなアボカドピュレもこの店ならではの味だ。ピントビーンズは好みで入れられ、もう少し金を出せば、溶けたチーズも加えられる。サイドオーダーには、じっくり焼いたハラペーニョペッパーもある。やがて、注文したタコス・コン・カルネ・アサーダができあがり、本物の陶器の皿に乗せて手渡される。トルティージャの包みをちょっと開けて、半分に切ったライムを絞り、すぐに包みなおし、大口をあけてかぶりつく。そのとたん、なんともいえない美味の世界に陶然となる。
いちばん厄介なのはトルティージャを焼くことだ。ここニューヨークでは、朝が来るたびに思いもよらないしくじりがいったい何度くりかえされたことか。だが、ロサリト近郊の小さなキッチンでは、一人の女性が最高のトルティージャ——私がこれまで食べたなかでいちばん旨い——を毎朝、三百枚から五百枚も焼いていたのだ。その女性は最初のうち、頑として私に会おうとしなかった。
引用した文章は、料理に興味がない人にとってはわけのわからないスペイン語の羅列にしか見えないかもしれません。わたしにもどんな料理かほとんど分からない。それでもなんだか分からないがとにかくうまそうなパワーがあり、誰も知らないところでひっそりと最高の料理を作るおばさんが毎日うまいものを作ってるという掘り当てた喜びがあるではありませんか。この後、著者は劉備並みの三顧の礼を持って嘘つきトルティージャおばさんに合い、最高のレシピを全人類に向かって公開することになるのです。
単にうまいものを作るだけではなく、食品に含まれる成分にも気を配っています。「ソルト・シック——塩がおしゃれ」では世界の各地からおいしいと言われる塩を取り寄せ(その中には東京は大島の「ブルーレーベル」という会員にならないと買えないという塩も含まれる)、それぞれを料理関係者に味見してもらったり、ミネラルの含有量を調べたりと、子供の頃に夢みた科学の実験のおもしろさを地でいくところが楽しい。そしてアメリカにもいわゆる「あるある」的番組があり、そこで紹介された商品が売れるというのは日米ともに踊らされる人々の経済効果によってもうけている人がいるのだなあ、と無意味な詠嘆にかられます。
『60ミニッツ』でフランス人は赤ワインを呑むから心臓病が少ないのだと報じられた翌日、アメリカでは赤ワインの売り上げが倍増した。めだちたがりの学者が、ブロッコリにはがん予防の効果があるとテレビでしゃべったために突然、ブロッコリが万病に効く薬になった。一か月もすると、オートミールがブロッコリにとってかわった。そのうち、神の手で作られた食材のすべてにスポットライトが当たるにちがいない。そうなって初めて、いろいろなものを少しずつ偏りなく食べるという本来のまっとうな食生活に戻れるのだろう。
ともあれ、未知の食べ物に抱くおいしさの希望、身近な食べ物の新しい一面を感じられる、優れた本であると共に、著者の地獄に堕ちるに違いない食への欲求に感嘆できる素敵な一冊です。雑学でありながら、その過程を述べていくことで食べることの楽しさを追求する本書、日本人という恵まれた食環境にいるからこそ、それを見直すためにも多くの人に読んでいただきたい。