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2007年04月 アーカイブ

2007年04月01日

植松黎『毒草を食べてみた』(文春新書)

毒草を食べてみた
毒草を食べてみた
posted with amazlet on 07.04.01
植松 黎
文藝春秋 (2000/04)
売り上げランキング: 25230

小学から中学校時代、「将来何になりたい」と問われたら、決して口にはしないが「魔法使い」になりたかった。今のRPGのように火や氷を使って相手をやっつける魔法使いではなく、あらゆる毒の知識に通じる賢者のような存在に、わたしはなりたかった。蜘蛛を捕殺して小さな壺で熟成させて毒を抽出しようとしたり(別に毒が作れる裏付けがあるわけではない)、昆虫採集キットの殺して保存する注射にわくわくしたものです。生殺与奪を支配する力を持った存在に憧れていたのでしょう。ひねくれた子供っぽい愚かな夢です。大人になってもAとBを組み合わせてCを作るというおもしろさの感性を持ち続けたおかげで、今ではすっかり料理好きになって、これはこれで良かった。できればもうちょっと正確な理系の知識を生かして化学とかに進めばよかったのにとも思いますが。

今でも毒への憧れはうっすら持ち続けており、そんな時に某氏のひっこしで本が大量にふるまわれると聞いていただいたのが本書。著者は『ブラック・ユーモア』のシリーズ本で有名らしいです。また、タイトルのつけ方がふるってる。「食べてみた」と言われたら「それから、それから?」と気になるに決まってる。というわけでわくわくして読んでみました。

まあ、当然なことにほんのちょっとで死に至るトリカブトやマチンのような毒草は食べられるわけがない。麻やペヨーテあたりの幻覚を起こすようなものは挑戦していますが、中島らもやその他アグレッシブな体験主義な人とはちがって、主に毒としての植物の歴史を語る面が強い。カテゴリを「理系」としていますが、どちらかというと文系の人が毒に憧れる気持ちをこまめにノートしたという方が正しい。澁澤龍彦『毒薬の手帖』などに憧れたはいいものの、理系の知識になるとなぜだかアレルギーが出てしまうような人向け。化学式はいっさい出てきません。

それぞれの毒によって引き起こされる症状を説明してくれるラブリーなアイコンたちをいくつかアップしておきました。JST失敗事例のようにすごい惨事をシンプルに表示したアイコンってなぜか好き。

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昨日のお花見ではアブサンがふるまわれ、さっそく本書に出てきた「ニガヨモギ」の知識が生かされました。

賢明な巡礼たちよ、緑の列柱の「アブサン」でも手に入れよう

わたしも酩酊という巡礼の一人として多いに紙コップを煽ったのでした。おとなの味!

2007年04月08日

Bob Dylan「Highway 61 Revisited」

追憶のハイウェイ61
追憶のハイウェイ61
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ボブ・ディラン
Sony Music Direct (2005/08/24)
売り上げランキング: 997

数年ぶりにBob Dylanをひっぱりだしてきた。初めての出会いは大学時代の鬱屈としているとき、バイト代を全部CDにつぎこんでいたとき。アコースティック時代の「Blowin' in the wind」がHM/HRあがりのわたしにはかったるくて、もっとハードな音を欲しがってこのアルバムに手を出したのです。

それ以来ずっと1.Like a Rolling Stoneと2.Tombstone Bluesばかりを繰り返して聴いていた。

かあちゃんは工場に履いていく靴もねえ
父ちゃんは路地で馬鹿騒ぎを探してる
おいらは通りで墓場のブルース

やけっぱちのように響くハーモニカとはやしたてるアンサンブル、熱さと冷静さを兼ね備えたBob Dylanの歌が事を起こそうとする日曜朝にぴったり。冬の間に篭っていた企みをぱっと桜とともに開かせる時期がやってきました。とりあえず掃除だ!

ルーシャス・シェパード『緑の瞳』(ハヤカワ文庫SF)

緑の瞳
緑の瞳
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ルーシャス シェパード 友枝 康子
早川書房 (1988/02)
売り上げランキング: 1138475

シェパードといえばアンソロジーによく収録されている「竜のグリオールに絵を描いた男」の傑作ぶりが思い出に残っており、わたしにとってはあれ一作でランクAに位置する作家です。本書のあとがきによるとラテンアメリカやヨーロッパ各国を放浪していたというヒッピーSFな彼の長編を久しぶりに読んでみました。

短編でもいかんなく発揮されていたシェパードの暗さが、長編になって重厚さを増し、さらにゾンビを題材にすることで全体にものすごくどんよりしています。ラストも本来ならすかっと爽快な解決法にも関わらず、「それでも重荷を背負っていくのよね家康」的悪いことはまだまだ続く余韻を残します。そもそもの設定が、バクテリアで死体のゾンビ化に成功したマッドサイエンティストの館から被験者とその介護人が逃げ出すけれども、実はFBIやらCIAやらが彼らを見張っているというもので、もう何も信じられネーション。

にもかかわらず、ゾンビ化された主人公ドネルの成長がひっそり描かれているのはポイントが高い。マッドサイエンティスト(エザワ氏はおそらく日本人なのだろう)の館にいるうちは、

「ああ、ちくしょう。一度死んだってことにも、何かいいことがあるんじゃないかな……」

なんて愚痴ってばかりですが、ある自分の能力に気づくと人々を導くようなちがう自分の能力を発見します。それが意外な世界に続いているとは思いもよらない、ぎゃふんな面もある小説です。

さて、この小説でもっともひっかかったのが、ゾンビ化されたドネルと介護人ジョカンドラの男女関係についてで、例えば自然に亡くなって棺桶に入れていざ埋葬というときに息を吹き返した人間ならばその後に性的関係を結ぶのはちっとも変だと思わないのですが、ドネルのように死んだ後に人工に蘇らせた男(女)と関係を結ぶのはとても違和感があるのです。某mixiでは白雪姫にも例えられましたが、死んだ人を蘇らせるというのは火葬中心の日本ではあまり考えられないことで、西欧の土葬文化ではそこにロマンチックな感情が起こりうるということなのでしょうか。暗いところですることだから一度死んでいても外見が大して変わってなければ平気、とはわたしは言い切れないひっかかりを覚えました。

ボルヘスやコルタサルを読んでから、きりっと締まった短編を書く作家を気に入って他の本を読んでみると長編はどうもヘンテコさが気になって手放しでほめられないことが多い。ルーシャス・シェパードも残念ながらそこに仲間入りしそうです。決して悪いわけじゃなく、濃密な情景描写はミルハウザー並だし、バカっぽいラストはSFファンなら気に入りそうだけど、どうも全体として見た時に妙なうっとうしさを感じてしまう。熱帯の薮に分け入るのは探検隊ならば熱も入るが、畳の上で寝転がっている分にはややうっとうしいかも。

2007年04月14日

ジェフリー・スタインガーデン『やっぱり美味しいものが好き』(文春文庫)

やっぱり美味しいものが好き
ジェフリー スタインガーテン Jeffrey Steingarten 野中 邦子
文藝春秋 (2005/03)
売り上げランキング: 74254

周囲を海に囲まれて豊かな四季が繰り広げられる日本では、山海の美味が太古の昔から豊富に採れました。中でも多くの素材を生で食する習慣は、衛生観念が発達し、国土が小さいからこそ輸送にもそれほど時間をかけずに鮮度を生かすことができたから生まれたものでしょう。そんな美味しいものに恵まれた日本と対極的なのが、揚げたジャガイモと魚しかないイギリスや、なんでも大味にしてしまうアメリカ。「アメリカ人は味蕾が発達していないからまずいものでも平気なのだ」という恐ろしい言い伝えさえあります。本書はそんなアメリカ人の一人でありながら弁護士をやめて『ヴォーグ』のフードライターになった著者による、全国(この場合は世界中を指す)うまいものオリンピックみたいなエッセイ集です。

よく料理のおいしさを表すのに、見て、触って、においをかいで、味わうなど五感を使って楽しむように言われていますが、ここには最大の楽しみが抜けています。それは料理を作るということ。たまに自炊した人が自分の料理をうまいと思うように、おいしい料理に必要なのは空腹とともに、自分で手をかけたという特別な感じが大切です。本書の場合、フランスに飛んで豚から血を抜いて血入りソーセージを作り、テキサスの南から船に乗って船酔いにくたばりながらウニを手に入れたり、築地でマグロを食してからアメリカに戻ってマグロ釣り漁船に乗り込んだり、も一度フランスに戻ってバゲットの品評会で100種類ものパンを食べ尽くしたりと、世界のあらゆるところでおいしいものを探し当てます。それは日本人のまじめなストイックさよりも、「楽しくおいしいものを食べたい」というあっけらかんとした欲望。どうしても日本人がおいしいものを突き詰めると額にしわを寄せて厨房の若造をどなりつけながらうまいのかどうか分からない顔をしながら食べるか、話題のレストランのおいしさを金にあかせてとうとうと見せびらかすような記事ばかりです。しかし、これらの文章では料理をする喜びをあまり見いだすことができません。メシは他人に出してもらうもの、というお客意識をなくして、おいしいものは作って食べようとする本書の姿勢はアメリカ人とあなどることなく見習うべきなのです。

とはいっても、家に14台のエスプレッソマシンを揃えたり、常においしい塩の小箱を持ち歩いて料理にそっとかけたりする姿は業の深さを感じさせます。

なかでも最高にわたしの料理欲を刺激したのが、「国境の南——タコスの誘惑」という章。日本では辛くて味気ない料理に思われている(わたしだけ?)メキシコ料理のイメージががらりと変わることうけあい。

耳に残るはあの波の音——メキシコのバハカリフォルニア州、ロサリトのビーチに打ち寄せる太平洋の波の音だ。私はマンハッタンのキッチンに立って、あの完璧なタコスを再現しようとしている。すきとおったトルティージャに包まれたジューシーなカルネ・アサーダ——こんがりと焼いたビーフの塊。バハカリフォルニアでは珍しくもないごちそうだが、ロサリトビーチにあるタコス・スタンド、タコス・エル・ヤキのカルネ・アサーダはそんじょそこらの焼肉とはちょっとちがう。肉だけではない。添えてあるサルサ・ランチュラ(新鮮なタマネギ、トマト、コリアンダーをこまかく刻んであえたソース)、サルサ・ロハ(手作りの辛い赤トウガラシ・ソース)、それにガカモーレの液体バージョンともいうべき、なめらかな食感の色鮮やかなアボカドピュレもこの店ならではの味だ。ピントビーンズは好みで入れられ、もう少し金を出せば、溶けたチーズも加えられる。サイドオーダーには、じっくり焼いたハラペーニョペッパーもある。やがて、注文したタコス・コン・カルネ・アサーダができあがり、本物の陶器の皿に乗せて手渡される。トルティージャの包みをちょっと開けて、半分に切ったライムを絞り、すぐに包みなおし、大口をあけてかぶりつく。そのとたん、なんともいえない美味の世界に陶然となる。
いちばん厄介なのはトルティージャを焼くことだ。ここニューヨークでは、朝が来るたびに思いもよらないしくじりがいったい何度くりかえされたことか。だが、ロサリト近郊の小さなキッチンでは、一人の女性が最高のトルティージャ——私がこれまで食べたなかでいちばん旨い——を毎朝、三百枚から五百枚も焼いていたのだ。その女性は最初のうち、頑として私に会おうとしなかった。

引用した文章は、料理に興味がない人にとってはわけのわからないスペイン語の羅列にしか見えないかもしれません。わたしにもどんな料理かほとんど分からない。それでもなんだか分からないがとにかくうまそうなパワーがあり、誰も知らないところでひっそりと最高の料理を作るおばさんが毎日うまいものを作ってるという掘り当てた喜びがあるではありませんか。この後、著者は劉備並みの三顧の礼を持って嘘つきトルティージャおばさんに合い、最高のレシピを全人類に向かって公開することになるのです。

単にうまいものを作るだけではなく、食品に含まれる成分にも気を配っています。「ソルト・シック——塩がおしゃれ」では世界の各地からおいしいと言われる塩を取り寄せ(その中には東京は大島の「ブルーレーベル」という会員にならないと買えないという塩も含まれる)、それぞれを料理関係者に味見してもらったり、ミネラルの含有量を調べたりと、子供の頃に夢みた科学の実験のおもしろさを地でいくところが楽しい。そしてアメリカにもいわゆる「あるある」的番組があり、そこで紹介された商品が売れるというのは日米ともに踊らされる人々の経済効果によってもうけている人がいるのだなあ、と無意味な詠嘆にかられます。

『60ミニッツ』でフランス人は赤ワインを呑むから心臓病が少ないのだと報じられた翌日、アメリカでは赤ワインの売り上げが倍増した。めだちたがりの学者が、ブロッコリにはがん予防の効果があるとテレビでしゃべったために突然、ブロッコリが万病に効く薬になった。一か月もすると、オートミールがブロッコリにとってかわった。そのうち、神の手で作られた食材のすべてにスポットライトが当たるにちがいない。そうなって初めて、いろいろなものを少しずつ偏りなく食べるという本来のまっとうな食生活に戻れるのだろう。

ともあれ、未知の食べ物に抱くおいしさの希望、身近な食べ物の新しい一面を感じられる、優れた本であると共に、著者の地獄に堕ちるに違いない食への欲求に感嘆できる素敵な一冊です。雑学でありながら、その過程を述べていくことで食べることの楽しさを追求する本書、日本人という恵まれた食環境にいるからこそ、それを見直すためにも多くの人に読んでいただきたい。

2007年04月15日

イシュメール・リード『マンボ・ジャンボ』(国書刊行会)

マンボ・ジャンボ
マンボ・ジャンボ
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イシュメール・リード 上岡 伸雄 Ishmael Reed
国書刊行会 (1997/10)
売り上げランキング: 361480

先日読んだルーシャス・シェパード『緑の瞳』はブードゥー教のゾンビにプロットが大きな影響を受けていて、死んだ肉体にバクテリアを植え付けて蘇生させるという基本構造は、テトロドトキシンを使って仮死状態にするブードゥー教のゾンビ制作になぞらえたものらしい。また読んだばかりの『砂糖の世界史』は、黒人が南北アメリカ大陸に連れてこられたことが世界経済の発展の大きな部分を担っていることを学びました。

本書では20世紀初頭にジャズなどの黒人文化がアメリカ合衆国でも注目され始めた頃を舞台としており、ブードゥー教の思想がアメリカを覆い、「ジェス・グルー」という楽天的になり辺り構わず踊り出すという伝染病がニューヨークに迫るという話で、黒人の芸術を元の場所に戻そうとする奴隷制度からの解放もテーマの一つになっています。簡単に言ってしまうと、黒人秘密結社によって作られた「ジェス・グルー」を広めようとする動きと、それに対抗しようとする探偵パパ・ラパスによるミステリ、になるのかも。

ポストモダンなんて用語は関係なく享楽的で熱狂的なグルーヴを感じられる希有な小説なのですが、それをもう一つ飛び越した黒人の歴史やブードゥーの教えを頭に入れておくとより笑いと興奮に近づけるはず。初読でも十分楽しめますが、さらに再読したくなるおもしろさです。

ラノベ(=ラテンアメリカ文学)読みとしては、フェンテスという男が

どっちにせよ、おまえには話さんよ、白人(グリンゴ

というところで、『老いぼれグリンゴ』を思い出してキュンとなりました。

2007年04月22日

川北稔『砂糖の世界史』(岩波ジュニア新書)

砂糖の世界史
砂糖の世界史
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川北 稔
岩波書店 (1996/07)
売り上げランキング: 41341

偶然100円で出会った本が実はとんでもない名著だったりすることがある。そういうときに古本を狙っていてよかったと思うし、おもしろい本というのは決して新刊だけにあるわけではないとも実感する。

本書が出た岩波ジュニア新書は意外な名著の宝庫でもある。先日亡くなられた名書評家の狐こと山村修氏の『"狐”が選んだ入門書』でも歴史系の入門書として2冊の岩波ジュニア新書が取り上げられているように、ことさら歴史マニアでもなければこの出版社は狙い所だ。下手に歴史に詳しい著者だとバランス感覚を欠いて、読者の望んでいる情報を書き漏らして自分の書きたいことだけが(興味のない読者にとっては)だらだらと続いているだけかもしれない。しかし、このシリーズは中高生向けということもあり、何よりもバランス感覚が重視され、それは人が歴史というものが現在につながっていることをきちんと意識させるように書かれているということだから、誰が読んでも「得した読書」になるように書かれている。

本書は砂糖が世界史にどう関わってきたかという観点から書かれており、それには黒人奴隷とプランテーションが大きな役割を果たしていることが中心になっている。アフリカから奴隷という労働力をアメリカに運び、アメリカからは綿や砂糖など原料系がヨーロッパに輸入され、ヨーロッパから銃や綿織物など加工されたものがアフリカに輸出される、いわゆる三角貿易を詳しく解説しています。

また、砂糖がヨーロッパで果たした役割についても知っているようで改めて気づいたこともたくさんありました。熱帯でないとできない砂糖は大変高価で、当時の貴族たちに重宝され、やがてお茶やコーヒー、カカオと組み合わされてチョコレートにされるなど、新しい味覚をヨーロッパにもたらすことになります。お茶やコーヒーは人々がこぞって求めるあまり、コーヒーハウスやイギリスの紅茶文化など、人と人が飲食物を介して意見を交換する場の形成にまで至ることになるのがおもしろい。やっぱりおいしいものはコミュニケーションに欠かせません。そののち、植物の改良などができるようになると、植民地のないロシアやドイツ(プロイセン)ではビート大根から砂糖を作るようになり、やがてそれが奴隷によるさとうきびからの生産を追い抜いてしまったのもおもしろい。寒いところの人を暖めるにはウォッカだけではダメで、糖分によって活力を得ていたのだろうと思うとおもしろい。日本でも東北や北関東は醤油と砂糖でほとんどのものが味つけられるように、寒いところでは砂糖がごちそうというのは万国共通なのです。

背表紙には「世界史Aを学ぶ人は必読」なんてありますが、砂糖の恩恵にあやかっている現代人必読の書であります。我々がいかに食文化を発達させてきて、それが意外にも歴史の表舞台にも大きく影響を与えてきたことが分かります。そして、現代では砂糖があまり重宝されておらず、砂糖に変わって甘みをもっていてもカロリーにならない人工甘味料が重視されていくだろうとしめくくっています。ここはわたしには反対で、正しいシャンパンを作るには補糖といって砂糖を追加することは欠かせませんし、料理にだって砂糖でなければ出せない独特のうまみがあります。従来のように歴史を変えるほどの大きな力は持ち得ないかもしれませんが、これまでの歴史にないほど食文化が重視されている現代だからこそ欠かせない。砂糖はいつまでも「さしすせそ」の頂点であり続けることでしょう。

2007年04月28日

『20世紀SF〈3〉1960年代・砂の檻』から「太陽踊り」

20世紀SF〈3〉1960年代・砂の檻
アーサー・C. クラーク ロジャー ゼラズニイ ハーラン エリスン サミュエル・R. ディレイニー J.G. バラード 中村 融 山岸 真 Arthur C. Clarke Roger Zelazny Harlan Ellison
河出書房新社 (2001/02)
売り上げランキング: 26509

ロバート・シルヴァーバーグといえばSFを読み始めた頃に手にした『夜の翼』が幻想的で、その頃はまっていたロードムービーの寂しさみたいなものも持ち合わせていて感動したものです。多作ぶりを「小説工場」なんて揶揄する向きもあるようですが、作品世界の思索と弱者へのあたたかいまなざしはSFの幅広さと小説としてのおもしろさは決して作品数に反比例するわけではありません。

前回読んだときは短編集に紛れてしまった本作の真摯さや、自己を保つことの難しさが今回はずっと身にしみました。短編集は一度通して読んだ後も、ちょっとした時間に1作だけ読むつもりで手に取れるような場所に置いておくといいのかもしれません。やかんでお湯を沸かしている間や、アイロンがあったまるまでに1編だけ読むようにすると、通して読んだ時とはまた違った印象があります。

先祖にアメリカン・インディアンの家系を持つ主人公は某惑星を整えるために、酸素を供給する植物を食べてしまう生物を絶滅させるために毒物を撒く係として仲間と滞在している。その生物は毒物を摂取すると遺体も残らず消失してしまうのだが、ただの害獣だと思っていた生物が、植物を食べる前に儀式として太陽に感謝の踊りを捧げているのを発見した主人公は自分たちの惑星清掃活動に疑念を抱き始める。

今回の読書では「きみは」「彼は」「おれは」と人称を変えて書かれていること(たまにラテンアメリカ文学でも同じような試みを行っているが、短編である本作の方が分かりやすく工夫されている印象)の効果をより感じました。最初に「きみは」で始まるとおやっと思う、二人称で始まることの意外性が物語の中に入っていくとやわらいでいき、最後の二人称では暗いけれども物語としてあるべき姿に収まった余韻が残ります。技巧的にも物語としても大傑作。若いうちに読むと有吉佐和子の『複合汚染』のように自らの罪と罰を受け止めなければいけないという謙虚な気持ちが生まれるかもしれません。

おかいもの

タイタンの妖女
タイタンの妖女
posted with amazlet on 07.04.28
カート・ヴォネガット・ジュニア 浅倉 久志
早川書房 (2000/00)
売り上げランキング: 867


Unplugged
Unplugged
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Arrested Development
EMI-Capitol Special Markets (2003/06/24)
売り上げランキング: 116999


Greatest Hits 1976-1986
Greatest Hits 1976-1986
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Elton John
MCA (2001/05/15)
売り上げランキング: 163224

KKSF Sampler for AIDS Relief, Vol. 2
Various Artists
KKSF (1997/04/28)
売り上げランキング: 166451
カボ・ヴェルデ~海は思い出の住
セザリア・エボラ
BMG JAPAN (1997/08/21)
売り上げランキング: 217593
The Best of Bobby McFerrin
The Best of Bobby McFerrin
posted with amazlet on 07.04.28
Bobby McFerrin
Blue Note (1996/11/12)
売り上げランキング: 52268

ヴォネガットは追悼として。『スローターハウス5』と何作かは読んだのですが、熱心な読者とは言えない。

Arrested Developmentは中心人物のSpeechのソロが好きだったので、ずっとちゃんと聴きたいと思っていた。想像よりもちょっと地味かな。聞き込まねば。

Elton Johnもちゃんと聴きたいと思っていたシンガー。今じゃぬりかべみたいなデブでホモでハゲだけど、センチメンタルさは万人共通で泣けるはず。ちなみにホモもハゲも嫌いじゃないです。単にアイデンティティの一つなので、かっこいいもわるいもない。意外にほわほわしたオルガンの音が多いです。

Cesaria Evoraは全然知らずに購入。裏ジャケからするとアフリカ人らしい。ディスクに傷が多いのは中古の定めよ。アコースティックな音に男性といっても通るような優しいけれど太いなめらかな声。全体の音も太いし、これは当たりだ。

KKSFはサンフランシスコのラジオ局で、いわゆるジャズオリエンテッドな選曲で、日本のInter FMでも音源がかかったりします。Smooth Jazz系が多いかな。そのラジオ局でエイズ募金を兼ねたサンプラーCDを出しているようで、これは2枚目。去年の暮れに16枚目が出たようでしっかり続いているみたいです。なんといってもケルト系のMary Blackが参加しているのがポイント。あとは「Don't ask me why〜」ではじまるジュリア・フォーラムもなつかしい。ぼんばへー せーあさかふぃかー

トリはなんとBlue Noteのアルバムが250円だったので矢も盾もなく拾ったボビー・マクファーリンのベスト。口笛ではじまるあの「Don't Worry Be Happy」はこの人だったのかーと、一聴しただけでもとぅーとっととるーと口ずさむこと請け合い。これ、ベースも口だよね? タムタムのような打楽器に聴こえるところも口でタッ、タッとやってるみたいです。すごい。

2007年04月30日

列車に乗った男

列車に乗った男
列車に乗った男
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ポニーキャニオン (2004/10/20)
売り上げランキング: 4667

あまり監督で映画を選んだりはしないのですが、パトリス・ルコント監督の映画は意識的に見るようにしています。とはいっても、劇場に足を運ぶほどの熱意はないのですが、『タンゴ』は初めてBSで見て複葉機で間男を追いかけるシーンを見て以来、何度か見返すほどではあり、一言で片付けてしまうと男の悲しいペーソスみたいなところに共感し、それを見せるのがうまいなと思うのです。

本作はあからさまに過去に悪いことをしていたであろう男が、頭痛が起きたために乗っていた列車から降りて田舎町で元教師に出会うところから始まります。無口な無頼漢と、饒舌な元教師。水と油のような関係に見えますが、元教師のおしゃべりで人のいいふるまいに無頼漢が徐々にこころを開いていくのがわざとらしくなく描かれていてうまい。単に仲良くなるのではなくて、あくまで立ち位置はちがうのだけど、それでも二人が共感し少しだけ相手の世界を受け入れていくのがみそ。

元教師役のジャン・ロシュフォールが無頼漢の革ジャンを着てジョン・ウェインごっこを一人でこっそりやるところは、地の能天気さとハードボイルドさをすごみのある演技で使い分けてしまって、ひとりあそびにそこまで気合い入れなくても、と肩をたたきたくなるような役者魂を感じます。

無頼漢役のジョニー・アリディは一見アメリカ西部のマッチョ系にすら見えるし、そういう写真を忍ばせているのですが、実はフランス人らしい。この人の無骨さが元教師によってなじんでいく過程にはぐっときました。わたし自身が大人になってから文化的で洗練された生活を目の当たりにして衝撃を受けたこともあり、彼が部屋履きを生まれて初めて履いて歩いてみせるところなどは実に良かった。使われていなかった脳の一部が活動し始めたようなおっさんの初々しさを感じられました。

ラストはやや蛇足な面もあり、語られなかったりあからさまにおかしい流れもありますが、全体の暗さに一点の柔らかい光明を差し込む演出にしたてたルコント節が感じられる佳作でした。誰もが感動し納得する大傑作よりも、わたしはこういうひっそりした映画の方が好き。GWを一人で過ごす時に見ると人の暖かさとそれでもお互いは断絶している孤独感を感じられるのでおすすめです。さみしいGWはどうせならよりさみしく!

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