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2007年03月 アーカイブ

2007年03月03日

おかいもの

・カフカ『審判』

審判―カフカ・コレクション
フランツ カフカ Franz Kafka 池内 紀
白水社 (2006/05)
売り上げランキング: 83678


Kが第一支配人になっててびっくりした。岩波文庫版だと主任クラスなのに。出世したねえ。

・Blackmore's Night「Shadow of the moon」

Shadow of the Moon
Shadow of the Moon
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Blackmore's Night
Steamhammer/SPV (2001/06/12)
売り上げランキング: 82910

いんちきフォークに乗り出した元Deep Purple、Rainbowのブラックモアが若妻と組んだ3作目あたり。まだ聴いてない。

・Henri Salvador「Chambre Avec Vue」

Chambre Avec Vue
Chambre Avec Vue
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Henri Salvador
Virgin (2001/01/16)
売り上げランキング: 181394

今年もアルバムを出すらしいアンリ・サルヴァドールの2000年の作品。渋いヴォーカルのボッサで、年齢が醸し出す優しさが全編から伝わってきます。ストリングがやや重たいけれど、そこも愛して。

2007年03月04日

カフカ『審判』読書会にむけて

来週の土曜日(2007/3/10)は読書部第18回の開催で、課題図書はカフカ『審判』なのです。先月この本を読んだ時のつかみどころのなさは、最近ちょっと経験のないもので、なぜこれが世界的に受け入れられているのか全く理解できなかった。主人公のKは銀行の偉い人(岩波文庫版だと「業務主任」で、白水社版だと「支配人」となっている。Kの年齢が30歳であることを考えると、「支配人」はやや地位が高すぎるように思う)なのだが、なぜか逮捕されて最後は刑を受けることになる。刑の執行の唐突さ、途中に出てくる人物のつかみどころのなさはちょっとしたものだ。

読了後のもどかしさをささっときれいにしてくれたのが、白水社版の訳者でありカフカといえばこの人池内紀の新書『となりのカフカ』。これが実に分かりやすくカフカの生涯と共に作品解説にもなっている。生涯結婚しなかったが、何度も婚約だけはしていたカフカ。きちんとした勤め人である反面、妙なシスコンでもあるカフカ。小説に夢中で毎日睡眠時間を削って書き続けたカフカ。何よりも『審判』にも挿入されている「門番」の話をはじめとして、カフカの小説は他の作品とも密接に関連しているところがある。文学史的な表層のイベントではなく、タイプライターを嫌い、深夜こつこつと書き続け、ノートが少なくなると急に誤字脱字が増えるカフカのとなりにひっそりとたたずむようにして、著者はカフカを観察しているかのように親密感が湧くすばらしい入門書であり研究書です。

となりのカフカ
となりのカフカ
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池内 紀
光文社 (2004/08/18)
売り上げランキング: 54340

これと合わせて読んでいるのが同じ著者による『カフカのかなたへ』。こちらもイラストや写真が豊富ですが、『となりのカフカ』とちがうのは、画家がカフカの作品から描いた絵が使われていること。元は青土社ですが、今は講談社文庫から出ているようす。

カフカのかなたへ
カフカのかなたへ
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池内 紀
講談社 (1998/01)
売り上げランキング: 133381


図書館で他にも研究書を何冊か借りてみたのですが、それぞれカフカの異常性にばかり目を付けたがり、やたらと不条理の三文字を持ち出してカフカ自身と距離をとりたがるものばかりでした。分からないことは分かったから分かるように読ませてほしい。その願いをかなえてくれたのは、まだインターネットに触りたてのころ出会った残雪という中国の小説家がていねいにカフカを読み解いた『魂の城 カフカ解読』です。

魂の城 カフカ解読
魂の城 カフカ解読
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残雪 近藤 直子
平凡社 (2005/12/06)
売り上げランキング: 271997

池内氏はカフカという作家本人に近づいていくことで作品にも同じように歩み寄る姿勢を見せてくれますが、残雪の場合は徹頭徹尾一読者としての解読です。この本でもっとも有名な第一章で監視人が突然Kの家に押し掛ける場面では、監視人の態度についていくつか疑問を投げかけます。

監視人も口でいうほどには原則を堅持しない。彼らはKをにらみつけて放さないのではなく、比較的緩やかな優待方式を採っている。もしかしたら、Kにある種の余地を残すためだろうか? 彼の道をふさいでしまわないために? それともKにおもしろい演し物を見せてやろうというのだろうか? 法がそんなに恐ろしいものだとしたら、なぜ彼らはKを監視するのにこれほどいい加減なのか?

そのいい加減さが「法」と説きます。厳しいようでどこか抜けているような曖昧さ。残雪はそれを不条理の言葉で片付けることはしません。Kによる語りによって書かれた物語を裏返してみせ、「法」の迷路に巻き込まれた社会的には認められながらも法には認められなかった青年の悲劇であるとつぶさに検証していきます。文化大革命という世界的にも稀な悲劇に巻き込まれて育った著者の読みは、ちょっとやそっとでは諦めない凝視によってカフカの世界を解剖していきます。

池内紀、残雪ともに着目しているのが本編以外の未完成部分。友人のマックス・ブロートによって編集されたものの、この物語はまだ完全ではなく、それを解き明かすためには未完成部分をないがしろにしてはいけないとしています。読めば読むほどに不条理という霧が晴れていく、これこそが小説をしっかり読み解く楽しさなのだと実感しています。

2007年03月16日

スコット・フィッツジェラルド『グレート・ギャツビー』(白水社)

グレート・ギャツビー
スコット フィッツジェラルド Francis Scott Fitzgerald 村上 春樹 村上春樹
中央公論新社 (2006/11)
売り上げランキング: 214

知識とセンスの欠如を公表するようで恥ずかしいのだが、それでもわたしは『グレート・ギャツビー』が苦手だ。むしろ、嫌いと言った方がいい。登場人物全員、特に語り手のニックが引きずるそこはかとなくただよう自意識が、ぬるぬるとした粘液となって頭に残る。植民地を持ち、WASP以外は人にあらず的な誇大妄想が見られるのは、P.12というそうとうな序盤において語り手自身のキャラウェイ家をさりげなく自慢するところだ。まるでギャツビーと親友になった自分はまったく汚れておらず、世界がみな自分たち、特にギャツビーの敵だとして排除しようとするうぶさは、小説の終わりで30歳を迎えようとする人物には思えない。

当初は恋愛小説特有の陳腐さ、なよなよしたところにへきえきしていたのだが、これはどうも表層的に語られるギャツビーとデイジーの長年に秘めた恋愛を見守るニックという構図だけが原因ではないようだ。ギャツビーに必要以上にいれこむニックとギャツビーの間に友情以上の関係性を読み取るのは、何もやおい脳を持っていないわたしですら簡単なことだ。

僕がじっと見ていると、ギャツビーは外見にはいくらか自分を取り戻した。

ギャツビーに対する好奇心が最高潮に達したまさにそのころ

これほどに親密な男性同士の視点を、わたしは素直にシンプルな友情とは受け止められない。まちがいなくそこにはニックの抑圧された恋心がある。友情ととらえずにあえて恋心としたのは、デイジーのことを語るギャツビーに対してニックが辟易したり、デイジーから片時も目を離さないギャツビーからニックもまた目を離すことができないことが理由。第五章の最後ではギャツビーとデイジーがいい感じになると、ニックはひとり雨の中に出て行きますが、これは彼の涙雨なのであります。

本作に登場する女性がみなけばけばしく信用できない風情として語られるのは、ニックの視点、ありていに言えばデイジーへの嫉妬に因するものだと言える。取り澄ました顔ですべてを見通す役割をあてられているニックは、その実、女性たちにとても冷たい目を向けていることも見逃してはいけない。P.194では、

デイジーとギャツビーは踊った。彼が優雅に昔風のフォックストロットを踊るのを目にしてちょっとびっくりしたことを覚えている。彼が踊るのをそれまで見たことがなかったのだ。

と、デイジーのことはまったく見ていない。ここに限らずニックは女性たちをあまり見ていない。ニックに恋愛感情を抱いていたと思しきジョーダンも電話ひとつで袖にしている。それにくらべてギャツビーについては名前を小耳に挟んだだけで過敏に反応し、好奇心は旺盛、デイジーの思い出を語るギャツビーを目にしたニックは次のように記している。

ギャツビーのそんな話に耳を傾けているあいだ、そのあまりの感傷性に辟易しながらも、僕はずっと何かを思い出しかけていた。捉えがたい旋律、失われた言葉の断片。遥か昔、僕はどこかでそれを耳にしたことがあった。ひとつの台詞が口の中でかたちをとろうとして、僕の唇は聾唖者の唇のようにしばし半開きになっていた。驚きの空気を外に吐き出すという以上の何かをそれは希求し、あえいでいた。

驚きの空気を吐き出す以外のこと、それがギャツビーへの恋でなくして何であるか。まだ、アイデンティティとしての同性愛がなかった時代、それを口にする機会は永遠に失われた。本来ならニックはもっと叫ぶべきだった。それを抑え込んだ時代の空気と抑え込むことを選んだニックの常識が、読了後のもやもや感の正体であったのです。

2007年03月21日

おかいもの

・TOTO「Fahrenheit」

Fahrenheit
Fahrenheit
posted with amazlet on 07.03.21
Toto
Columbia (1990/10/25)
売り上げランキング: 62693

TOTOが活動中だった頃、わたしはまっさらなメタル小僧だったので、「こんな軟弱な音楽!」と唾棄しておりましたが、歳をとって聴かない音楽は流行の邦楽だけという今はすっかり聴きやすくすてきなフュージョンという趣。まだジェフ・ポーカロもいます。

・Colosseum2「Strange new flesh」

Strange New Flesh
Strange New Flesh
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Colosseum II
Castle (2005/09/26)
売り上げランキング: 113621

あのゲイリー・ムーアが在籍したというコロッセウム。先日来日したばかりでラジオで数曲聴いてしびれたところに、250円で僥倖が訪れた。骨太なプログレで実にすばらしい。耳を澄ますと中学の頃にまったく理解できなかったゲイリー・ムーアの哀愁溢れる音が。

・Fresca Samba!
エリス・レジーナ、マルコス・ヴァーリ、ジョイス、ジョアン・ドナートなどBPMの大御所が揃いに揃ってなんと28曲! 1曲目の「ムーン・リヴァー」ブラジル版からノックアウトされまくりの素晴らしいお買い物! 祝日にふさわしい一枚。

・Iannis Xenakis「Pleiades」

Pleiades
Pleiades
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Xenakis Les Percussions De Strasbourg
Harmonia Mundi (1992/12/14)


ついに念願のクセナキスを手に入れたぞ。インドネシアのジェゴグを彷彿させる打楽器の綺麗なアンサンブル。ゲンゴンガンゴンいってるだけですが、なぜか気持ちよく、穏やかになれる素晴らしい現代音楽。のだめの真澄ちゃんも今頃はこの曲を演奏しているにちがいありません。

セルバンテス『ドン・キホーテ 後編(2)』(岩波文庫)

ドン・キホーテ〈後篇2〉
セルバンテス Miguel De Cervantes 牛島 信明
岩波書店 (2001/03)
売り上げランキング: 96231

ちまちまと読み進めてとうとうサンチョが島を統治するところにたどりついた。とはいえ、島とは周囲の者が言うばかりで、後に故郷の友人に会うと(後編3)「こんな陸地に島があるもんか」と論駁されるも、サンチョは島というのが町や国の一種と考えているようでとんちんかんな返事をする。ここも笑いどころ。

前編ではドン・キホーテとサンチョの冒険譚が中心だったが、後編に入り彼らの噂を聞きつけた物好きな公爵が仕掛けるいたずらに二人がどうおもしろく対処するかという展開になる。訳者によるドン・キホーテの解説書『反=ドン・キホーテ論』では、

『後編』の冒険のかなりの部分が、ドン・キホーテの文学的名声を基盤にして、すなわち、ドン・キホーテ主従が小説に描かれることによって獲得した知名度を土台にして創り出されているからである。

と、前編でひとつ完結した物語をさらに批評的に見ることで後編のメタ的なおもしろさがつくり出されているとしています。いわば『トゥルーマン・ショウ』的な、主人公が常に観察されており、人為的に作られた物語を生きる設定になっています。これを1600年代にやっているとは相当なもの。いつしか公爵に作者のいたずら心が透けて見えるようになり、いたずらしている子に向かって「もうやめときな」とたしなめたくなるような、公爵の仕掛けがうっとうしく感じるほどに作り込まれています。

中でも白眉は空中木馬に乗って悪い魔法使いをやっつけに行くシーン。木馬に乗ったドン・キホーテとサンチョが繰り広げる会話はドリフ並のおもしろさ。バカ兄弟のネタを思い出しました。

いよいよ次は最終巻。サンチョの諺マシンガンに立腹し、ネコに顔をばりばりにされた騎士殿がいかなる最期を迎えるのか、頁をめくる手が止まりません。

2007年03月25日

"TOKYO"マグナムが撮った東京

"TOKYO"マグナムが撮った東京を見てきました。雨風の強い日曜朝一番ということもあって、客足はほどほど、落ち着いて見られました。何よりそれほど広くないので疲れないのがいい。

「マグナム」というのはロバート・キャパをはじめとした写真家たちが、自分たちの写真を勝手にトリミングや複製されないために作り上げた集団だそうで、シャンパンの大きいサイズ「マグナム」サイズから採られているそうです。道理でロバート・キャパ『ちょっとピンぼけ』でもかぱかぱとシャンパンの瓶を開けているはずです。彼らに比べればわたしなんて酒を呑むのではなくついばむ程度だと妙な安心をしました。

展覧会では1950年代から2000年代までの日本を、主に外国人のフィルターを通して紹介されています。労働問題や風俗(タケノコ族など)など時代性を感じるものもあれば、日本そのものを切り取ったような姿勢のものもあります。特に印象に残ったのは、3Fのロビーにも展示されている、靖国神社に降りしきる雪の中を二人の男が唐傘を持っていくところ。実に意思のある横顔です。また、同じ靖国神社にたてかけられた唐傘の中に、一つだけ青のビニール傘が混じっているのもユーモアがある。

日常の風景と思っているような写真が実はもう20年も前のものだったりして、異邦人による客観的な視点から改めて日本を眺めると、まるで自分も別世界からやってきたような不思議な心地悪さを感じます。過去の自分を間近に見ているむずむず感。それでいて妙にいとおしい。変わってきた東京と変わらない東京の両方を客観的に見ておくことは、美術的な問題云々よりも自らの存在を見つめ直す哲学的なおもしろさがありました。もちろん、きりっと情景を切り取る手際を見習うためにも、ぜひ。

2007年03月26日

蒲松齢『聊斎志異』(国書刊行会・バベルの図書館)

聊斎志異~バベルの図書館 10

国書刊行会 (1994/03)
売り上げランキング: 786436

本棚に入らないことで有名なボルヘス監修による「バベルの図書館」シリーズ10の『聊斎志異』は、意外にも手軽にささっと幻想譚が味わえる良い本です。

『聊斎志異』自体は古典の図鑑さんでも当時の挿絵付きで読めますが、ラテンアメリカ文学好きのわたしにとっては「バベルの図書館」シリーズで読むことが大切なのです。ボルヘスが聊斎志異について語るのはほんの4頁足らずですが、本作の特異な位置を明確にしています。

最初のうち、テクストは単純素朴に見える嫌いなしとはしないが、そのうちやがて明白な諧謔と、諷刺と、したたかな想像力が感じられてくる。

したたかな想像力。あっさり首ちょんぱされても首をつなげば生き返ったり、幽霊になっても元の家で酒を呑んだり、生活の中に現れた幻想譚がいきいきと描かれる本作にふさわしい賛辞です。本編も150頁ほどで、サイズは大きいもののリーダビリティに富んだ内容になっています。同じアジアとして情景が想像しやすいのもよい。

短編集(と言っていいのかな?)全体は善行を積み重ねることで救いが訪れるという昔ながらの倫理観が支配しています。特におもしろいと思ったのは、仇を返せずにじっと辛抱していると天が変わって裁きを下すというものが多いこと。キリスト教のように明確な天の裁きというのは儒教も仏教もないと思うのですが、たとえ悪人でも他人を傷つけないことによって別の力が働くという構造は万国共通(イスラム圏は知らない)だったのかもしれません。天による裁きという概念は、我慢することによって殺し合いを防いできた人間の知恵なのかも。

『聊斎志異』自体はWEBでも読めるし、岩波文庫他多数出ています。しかし、ボルヘスが解説を書き、訳者が月報でボルヘスと本書の関わりについて説いた文章が読めるのは国書刊行会版だけ。そのためだけに本棚の雑誌コーナーを使うだけの価値がある。夢とうつつの境を漂う人はこの「バベルの図書館」シリーズは必読、ボルヘスも必読であります。

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