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2007年01月 アーカイブ

2007年01月02日

志村志保子『女の子の食卓 2』(集英社リボンマスコットコミックス)

女の子の食卓 2 (2)
女の子の食卓 2 (2)
posted with amazlet on 07.01.02
志村 志保子
集英社
売り上げランキング: 47208

1巻から続く「女の子の食卓」シリーズの他に、読み切りの「犬」を収録。本編とは関係ないけれど、入手にすごく時間がかかった。発売から1ヵ月後には都内の大きな書店から姿を消していて、半年後にようやくamazonで発見。人気がないわけじゃないと思うんだけどなー。

男性よりも女性の方が、食べ物については小さいころから興味を持っている。男なんて家で出てくる食べ物を何の疑いもなく口にするのがほとんどなのに、女の子は手伝いなどから食べ物というのが自分にとって必要不可欠であることをきちんと理解している。だからタイトルも『男の子の食卓』というと、本書に収録されている「料理教室のじゃがいものニョッキ」の藤間宅のようにコロッケどーん、たくあんどーん、餃子どーん、と出てきて、

お兄ちゃん達がいるから 見栄えより量命なんだよねえ

ということになる。そんな現実から抜け出したくて、藤間さんちのマチちゃんは料理教室に通おうとするお話。

今回気づいたのは、志村志保子の人物像がすべてお人形ぽい理由としてままごとを意識しているのかもしれないということ。一過性の遊びであるままごとは、泥団子やプラスチックの道具を使い、たいていテーマは料理であることが多い。このまんがでも料理という日常を扱いながらどこか非日常的な距離感を感じるのは、ままごとの世界観が採用されているせいだ。

でも、どの作品に出てくる料理もおいしそうなんだけど、情念がたっぷり染み込んだ味で、食べることによって何かを背負ってしまいそうなんだな。絵柄も描いてることもまったくちがうけれども、内田春菊と同じ情念を感じます。しかし、レストランでお金を払って食べる料理にはない、作る者と食べる者のたくさんのやりとりがあることを教えてくれるので、むしろ男子諸君こそ読むべきまんがだと思います。

読み切りの「犬」の方は、ペット飼いには肩身の狭い話。猫毛だらけで電車に乗ってすいませんすいません。他の短編より長いせいか、人物がちょっと執念深いせいで犬を媒介として奇妙な関係ができる話。わたしも猫がどこかに行って戻ってこない可能性を常に抱えながらいっしょに暮らしているので、少し身につまされた。まだ死があまり身近に感じられない子供のころに2回の死に立ち会い、生き物があんがいしぶとく、あんがいあっさりいなくなることも分かっている。それを立ち直れないほど最悪の事態と受け止めるのも、食いものにするのも人なのだなあ、と無常観に浸れる作品でした。

★★★★

2007年01月03日

ハント・コリンズ『果てしなき明日』(ハヤカワ・SF・シリーズ)

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あけましておめでとうございます。本年も読書部ならびに本サイトをよろしくお願いいたします。

新春は明るい未来を夢みて本作から開始。とっても趣味の良い方から勧められて読んだジャプリゾ『新車の中の女』(感想書いてなかった)の「それはねーよ」感に負けずとも劣らない珍未来SFです。

時は2174年頃。世界はヴァイク派による文化に彩られていた。No Sex,Only Drugな彼らはヴァーチャルな創造物を最高とし、「センソー映画」と呼ばれる五感すべてを刺激する映画を作ることにすべてが捧げられていた。一方でリー派と呼ばれるリアルズム主義者は酒とSexを取り返すため水面下で工作を始めたのだった。麻薬に溺れ、エロ文学に逃避し、服はみなほとんど全裸であるにもかかわらず、Sexはおろかチューもダメ、手すら握れないヴァイク文学派の面々が最高におかしいです。

「わたくし、ヴァイク派文学をやりたいと思うのですが、どうしたらいいのですか?」
「まずスカートを腰までに短くして、そんなブラウスは脱いじまう。乳房に敵当(ママ)な塗料をぬって、麻薬の注射を常用するんだ!」

ミニスカートを超えたワカメスカートに透明の下着で挑発しながらも、結局は麻薬で気持ちよくなることに価値を見いだしているところが、まだ麻薬の知識が浸透していない1950年代の小説であることを感じさせます。今だったら麻薬もSexもいっしょに楽しんでしまうでしょう。ラストも人民の力強さと為政者の個人としての弱さを浮き彫りにするところまで展開していて、物語のフラグ化を避けながらもメリハリがきちんとしているところが素晴らしい。

古さを感じるといえば、初版は1959年(本国の出版は1956年)ですから訳の古さもありますが、それも楽しみの範囲。ヴァイク派のヴァイクとは「vice」から、リーは「realsim」の「リー」でしょう。他にもジャック・ウォマックばりの造語が多用される世界をこの文章で読むのは正月のようなゆったりした時間だからこそ楽しめるのかもしれません。

とはいえ、作者が未来を描くために使ったガジェットのおもしろさには注目すべきで、ヴァーチャルであることを第一とするヴァイク派の創作物というのは、今でいうと映画はもちろんゲームの進歩と人々がそれに熱中する様にも通じるものがある。また、ドラッグによって低級な肉体の喜びを超克しようとする様は、そのすぐ後にやってくるヒッピーの文化を予見していたとも言えるでしょう。ちなみにケルアックの『路上』は1957年で、本書よりも刊行時期は遅かったのが興味深い。本書が本名のエヴァン・ハンター、または有名なエド・マクベインの名前を使って書かれていたならば、もっと影響力を持ち世評が高くなったのではないかと想像することは後世のセンチメンタリズムかもしれません。いずれにしても、訳し直すなりして再刊する価値のある隠れた名作と言えるでしょう。

★★★★☆

2007年01月07日

8人の女たち

8人の女たち デラックス版
ジェネオン エンタテインメント (2003/07/21)
売り上げランキング: 5393

クリスマスイブの夜、大学に通っている長女が帰ってきた。家は夫妻をはじめとして、祖母、妹、居候の叔母、家政婦たちなど女ばかり。そこで夫が殺害される。雪で閉ざされた屋敷で女性による犯人探しが始まる。

と、ミステリ仕立てで始まる物語ですが、途中すっとんきょうなミュージカルが入るなど、ミステリ的な整合性を求める向きには顔をしかめられそうです。むしろ、それぞれのステロな役割をあてがわれた女性たちのふるまいを見るべき映画。一見清純な女性がいかに変わるかも見所。

その変化は演技を通しても伝わってきますが、それ以上に雄弁なのがディオールの型から作られた衣装。メイド服はいかにも正統に頭のレースまできちんと着けられていますが、それがはだけた時には旧来の慣習までも打ち破る勢いがあり、衣装が変わることによって気分まで変わる女性の本性をしっかりとらえていると言えるでしょう。オードリー的なカラフルさの長女などDVDの付録には衣装へのこだわりが語られており、こちらもおもしろかった。

女性の美しさとこわさの両方を体験できるので、女性からは共感を、男性からは複雑なもやもや感を引き出し、性別で評価が分かれそうです。しかし男性女性かかわらず見ておくべき映画です。ありがちな人物像も8人で比較するとちがった観点が引き出されたりする、そして女性同士はあながち仲良くないことが分かったような気がします。

松本啓『18世紀イギリス文学漫歩』(日本図書刊行会)

18世紀イギリス文学漫歩
松本 啓
日本図書刊行会
売り上げランキング: 977690

次回読書会のため図書館で借りるも、スウィフトの生涯ならびにイギリスの時代背景の歴史的な事項のみで、読解としては大きく踏み出すものではなかった。

うーん、他の図書館に回らねばならんか……。

新藤兼人『弔辞』(岩波新書)

弔辞
弔辞
posted with amazlet on 07.01.07
新藤 兼人
岩波書店
売り上げランキング: 481602

『老人読書日記』を読んでから新藤兼人の文章が気になっている。文字を読んでいても常に映像が浮かんできて、単に分かりやすいだけではない、映像の力づくを感じさせる文章なのです。この本は各界の著名人にあてた追悼のエッセイで、中には実際に著者自身が弔辞を書いたものもありますが、回想であり人物を亡くした悲しみの文章で構成されています。

とりあげられた人は次の通り。
・自分で選んで歩き出した道ですもの:杉村春子
・勝新ひとり旅:勝新太郎
・あるシナリオライターの生涯:田村孟
・松本清張は何を書いたか:松本清張
・太陽に向かって昇った:岡本太郎
・汚い絵:甲斐庄楠音
・マルクスボーイ歴史家の生と死:絲屋寿雄
・恥ずかしながら生きながらえて:横井庄一

日本文化に疎いわたしはどの方の生涯を読んでも初めて知ることばかり。単に事典のような外側から見たイメージだけで語られないことが何よりもすばらしい。宴会で酔っぱらって絡んだ田村孟や勝新太郎の名監督ぶりなどは新聞や雑誌から作られただけのイメージにはない。才能や努力がきちんとあることを認めさせる文章なのです。取り上げられた人たちの隣にいながら、その人たちを俯瞰する視点も持ち合わせており、何よりも人への尊敬が前提にあります。

この本の最大のみどころは、最後の横井庄一さんの半生を著者がシナリオ化し、それが全編掲載されているところ。バラエティ番組などでおもしろおかしく取り上げられたりしたけれども、横井さんが28年もの間ジャングルで孤独と恐怖に打ち克って生き延びた精神力、ゲテモノを食べて生き延びる生命力、満月で時間を正確に量り食べてはいけないものを見分ける知識に感嘆するしかありません。一方で、捕縛されてアメリカ軍に連行されて日本に帰るまではリアル浦島太郎の弱さをさらけだし翻弄され続けます。そんな中、病室のかたわらで熱狂し続ける人々を冷静に見据えながら、横井さんを優しく見守るグアム観光局次長の妻ヒサエの献身ぶりに泣きます。

   老兵は、ベッドにぐったりとなっている。
   ヒサエは、その傍らに立って、しずかに老兵をみる。
   老兵は、不安な眼でみる。
   ヒサエは、黙ってみている。
   老兵の眼から、不思議なことにしだいにゆっくりと、警戒の色が消える。
ヒサエ「ヨコイさん、ながい間、たいへんでしたね」
   老兵は、眼をしばたいたようである。
ヒサエ「あなたに、食べていただこうと思って、日本のお雑煮をつくってきたんですよ」
   ヒサエは、魔法瓶から、お椀に雑煮をつぐ。
   老兵は、ベッドに起きて、ヒサエの手許をみている。

みながみな、横井さんを見たとたんに大声をかける中、静かな病室の空間で向き合う二人のファースト・コンタクトに泣いた。距離感の中にあふれる優しさ、横井さんを「老兵」と指す誇り、警戒を解いた老兵は顔ではなく手許を見る。顔を見て相手の考えを推し量る必要がないと判断し、ただ日本の雑煮を待ちわびる懐かしさだけがある。久しぶりにシナリオを読んだけれども、無駄なことは書かず、ただ映像を作るための指示がこれほどに文章として洗練されたものとはじめて気づきました。大推薦の一冊。

★★★★★

2007年01月08日

バタイユ『マダム・エドワルダ/目玉の話』(光文社古典新訳文庫)

マダム・エドワルダ/目玉の話
バタイユ 中条 省平
光文社
売り上げランキング: 36535

通らずに年を重ねてきたけれど、気になるジャンルというのは誰にでもあると思うのだけど、わたしにとってフランス文学というのはその最たるもので、高校時代に『赤と黒』、大学時代に『シュルリアリスム宣言』、カミュ『異邦人』を読んだきりぱったりと途絶えてしまっている。その3冊と書誌などからのイメージでは「エロ、自由への希求、哲学」の3点がセットになっているように思うが、なんとなくフランスというカテゴリができずらい。これは各人がおのおののエロ、自由、哲学を求めているせいなのかしら。

「マダム・エドワルダ」では不安に襲われた青年が娼婦館でマダム・エドワルダと知り合い、快楽に溺れる。マダム・エドワルダの独り舞台でよがったりなぐったり行きずりの運転手とことに及んだりする。ひとしきりの狂宴が終わると、語り手は興味をなくし無意味であることに不安を抱き、

私自身とこの何百万人もの人間、私たちの目覚めに意味があるのか? 隠された意味が? むろん隠された意味だ! しかし、なにごとにも意味がないというのなら、私がすることはむだだ。ごまかしごまかし後退するほかない。あきらめて無意味に身を売るほかない。私にとって、それは希望の名残ではなく、私を責め殺す死刑執行人なのだ。

いわゆる「生きる意味はあるのか?」という問いであり、それは単に脳内でもてあそぶものではなく、体感を通して生きる意味を実感している状態の永続を求めるものとしているようです。職業の成功や縁側でひなたぼっこする幸福ではなく、もっと純然たる「至高感」だけに限りすべての不安から解放された状況の永続こそが生きる意味であるという、かなりハードコアな思想に見受けられます。

一方「目玉の話」は暗黒青春小説として思春期に読んでおくべき傑作です。これぞフランス映画という無意味でありながら象徴的なシーンが心を打ちますが、それは彼らの変態行為で彩られた中のシーツの白(おもらしの染み付)、ピンクの肉から除く青い眼という嫌悪感と美しさを同時にもっています。ルイス・ブニュエルとの関係も知りたいところ。ともかく官能。電車で読んでいる自分もそれなりに変態かもしれないと、帰ってきて読了したときに気づきましたが、抑圧を解き放ち官能へ素直に身を任せることこそが「至高感」への第一歩と思い精進することにします。

★★★☆

チェスター・ハイムズ『イマベルへの愛』(ハヤカワ・ポケミス)

イマベルへの愛
イマベルへの愛
posted with amazlet on 07.01.08
チェスター・ハイムズ 尾坂 力
早川書房
売り上げランキング: 512048

今年はバカミス開眼、ということで副題「墓堀りジョーンズと棺桶エド・シリーズ」というホラーと見紛いそうなこの一冊。作者のチェスター・ハイムズはきくところによるとアメリカではぱっとせず、フランスに行って花開いたとか。

ジャクソンという霊柩車運転手はイマベルにぞっこんだったが、つまらない欲をかいたせいで会社の金を横領してしまう。取り返そうとするがむしろある金をギャンブルで失う始末。最後に頼ったのは双子の兄にして修道女(!)のゴールディのところだった。

とにかくゴールディがおいしいところを全部かっさらっていく。意味不明な聖書の文句を引用して相手を煙に巻きながら必要な情報を引き出していく手腕は、まだ人種差別が色濃く残る1950年代NYのハーレムで際立つ。中学時代に読んだ落合"ノビー"信彦曰く、ハーレムでは貧困がすさまじく、犬はもとより猫まで食べなければいけないほどで、当然観光客が足を踏み入れるような場所ではなかったらしい。本書でも差別を受けている黒人たちの白人への敵意や、雑踏の汚らしさが目立ち、アジアの屋台街のような活気はまったくうかがえない。人権やマナーなんてまったくゼロ。刑事ですら女子供を容赦なく全力でひっぱたき、必要とあれば法に触れることも平気でする。かといって、訳者解説によると昨今のHip Hopに見られるBボーイみたいに汚い言葉を連発するわけではないらしいというのもおもしろい。

事件が解決することの爽快感よりも、黒人社会の弱肉強食ぶりがなんとも痛ましい。仲間同士をかばうこともあるけれども、おおむね暴力と詐欺でなりたっている。そうしないと生きていけない社会のディストピアぶりにややしんなりしてしまいました。また、小説としてはいまひとつなものの展開が巧みなのは評価できます。しかしそれによって副題になっている墓堀りジョーンズと棺桶エドがさっぱり生きてこないのは、シリーズ1作目として仕方ないのかもしれません。

★★★

Kensington Expert Mouse 7

IMG_5526.jpg

Kensingtonのマウスをお年玉代わりに買ってしまいました。ポイントつけて1万円ちょっと。

今まではMicrosoftのトラックボールを使っていたのですが、世間で言われている通りボールのすべりが悪くなってきたことに加えて、クリックの反応が悪くなり、頻繁にシングルクリックをダブルクリックと判断してしまうことが増えたため、メールが消えてしまうおそれがあったので買い替えに踏み切りました。色は店頭に白しかなかったのですが、Macbookと同じ色なのでちょうどよかった。ただでさえ購入まで30分くらい迷ったのに、下手に黒やピンクがあったら気になって更に時間がかかったかもしれません。

使う場所ではパームレストを置く場所がないのですが、それほど疲れることはありません。しかし、従来は親指でボール操作していたものが人差し指と中指になったので、まだ若干の違和感が残ります。同様にクリックは親指で左下ボタンですが、右クリックは右上のボタンを使っているあたりも前の癖が抜けていないようです。デフォルトは左下と右下しか反応しないので、ドライバのインストールが必要ですが、添付のCD-ROMはIntelに未対応の模様。素直にメーカーのダウンロードサイトから英語版の3.0をインストールするが吉です。

ボタンの感触はかなり「カツッ」とクリックした感触が強く感じられます。また、ボタンが大きいこともあり若干固めの印象。こんなにボタンは大きい必要がないので、その分ボールを大きくして欲しかったかも。

ボールの周囲にはスクロールリングがついており、ウィンドウのスクロールを左周りと右回りで上下に操作できます。これはかなり便利。スクロールというとマウスのボタンの間についているように、上下そのままのスクロールが直感的でスムーズですが、中心にボールを据えた場合はリングの形状にするしかないでしょう。最初は左右どちらで上下に動くのか戸惑うこともありましたが、1日かからずにすっかり慣れました。

トラックボールはマウスのように動かすスペースも不要で、つかんで動かす必要がないため余計な握力がかからないので肩凝りの予防にもなります。だのになぜこれほどまでトラックボールユーザーが少ないのか、まったくの謎。あるある大事典のような番組で「新発見、肩凝りはトラックボールで解決!」なんて特集を組めば売れるかもしれません。

2007年01月14日

セバスチャン・ジャプリゾ『新車の中の女』(創元推理文庫)

新車の中の女
新車の中の女
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セバスチアン・ジャプリゾ 望月 芳郎
東京創元社
売り上げランキング: 314498

去年読んだけれども何も書いていなかったので、メモ程度に。

・ひでえw
・「それはない」の連続。登場人物にとっても、読者にとっても。
・追いつめられていく部分のきちがいぶりだけがリアル。
・小説はここまでひどいことができるからやめられない。
・万人が読んでぎゃふんと言えばいいと思います。

2007年01月15日

ザシダワ/色波(ソーポー)『風馬(ルンタ)の耀き』(JICC出版局)

風馬(ルンタ)の耀き―新しいチベット文学
ザシダワ 色波 牧田 英二
JICC出版局
売り上げランキング: 878782

チベットの文学と聞いただけでロマンチックだ。高い峰々に点々と暮らし、中国からの迫害を受けながら独自の文学を築いてきたのだろうかと思うと胸が高鳴る。虐げられた人々の小説は意外にも主観に堕さず、現実と幻想の狭間をかいくぐりながら荒れた大地を歩み続ける。本書はザシダワ(7編)と色波(ソーポー)(4編)二人の短編集で、あとがきによるとどちらもラテンアメリカ文学、それもボルヘスの影響を受けているという。ラテンアメリカはスペイン人によって原住民たちは一度自分たちの歴史を消去されて、西洋文明による新しい歴史を築くことになった。チベットも中国からの迫害で、同じように新しい歴史を作る羽目になっている。あとがきによると1959年のザシダワが生まれた年から始まった文革とその後の共産党政権による改革で、仏教寺院は2700→8、僧侶は114000人→800人にまで減少したといいます。現在ではチベットは自治区という扱いになってしまい、なんとGoogleマップでは表示されていないのです。中国によるチベットへの政策の是非についてはここではおきますが、深い歴史を持った文化が失われつつある状況であることにはまちがいがないようです。

本書の作者ザシダワも多くのチベット人同様にチベット語の読み書きができないようです。使っている言語は中国語だそうで、チベット内部でも「チベット語を使っていない文学をチベット文学とは認めん」などと頑迷な意見もあるようですが、これほどの傑作をチベット語が読める人だけに限定するのはもったいない。中国人を含めより多くの読者に読んでもらいたいというよりも、読まなければいけない切迫感と諦観、チベットの荒涼とした自然を描いた名作ぞろいの短編集です。

「コンチョルのあばた男ソナムリンチェン」に復讐するために町まで乗り込んできた青年が最後には同じあだなの男を殺してしまう表題作「風馬の耀き」では、一対一での復讐や、チベットにはあり得ない酒場の風景を幻視するなど、ボルヘスとの共通点が多く見られます。チベットにはひとつもないネオンサインの文字を明確に記憶し、裁判ではそれがきっかけで有罪となるシーンは、二つの現実の支配から抜けきれない男の悲しさがあり、ボルヘス「円鐶の廃墟」コルタサル「すべての火は火」にも通じる迷路の構造があります。それでいてなぜか世紀末覇者的に笑い去るキャラクターもいて、小説内の謎はまったく解決されません。このあたりが不安定でありながら確固とした世界観をもつ小説好きにはたまりません。

「世紀の招き」では友人の結婚式に出席するはずがなぜかウラシマ効果にまきこまれて老人になってしまい、結婚を挙げるはずの友人は逮捕されて投獄されようやく村に戻ってくるシーンで二人が再会するという話。政治的な視点から読むと、共産党に逮捕されなかったら平和に結婚して幸せに暮らしたはずの村人たちに襲った理不尽な弾圧を避難しているようにも読めますが、ここはウラシマ効果が小説の中で自然に発生するシュールさと友人の変化に素直に驚くべき。

一方の色波も同じチベットの作家ですが、こちらはボルヘスというよりもブルトンの『溶ける魚』クラスのシュールリアリズムで、ザシダワは物語として歩んでいくのに対して、色波は迷路の中でぐるぐると堂々巡りを続けているような感覚です。もしかすると『ガリヴァー旅行記』のようにチベット人にしか分からない現地のネタが盛り込まれているのかもしれませんが、そこまで読解するのは難しい。

ザシダワは『チベットの女』という映画の原作も手がけているようで、日本でもDVD化されているようです。これほどの幻想性と荒々しさを冷静な視点で描ける「チベットのボルヘス」をこのまま埋もれさせてしまうには惜しい。ぜひ他の作品の邦訳化を望むものです(短編は本書の訳者牧田英二さんが雑誌などに訳しているようです)。

チベットの女
チベットの女
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コロムビアミュージックエンタテインメント (2003/07/23)
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2007年01月21日

第17回読書会『ガリヴァー旅行記』レポ

ガリヴァー旅行記
ガリヴァー旅行記
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スウィフト Jonathan Swift 平井 正穂
岩波書店
売り上げランキング: 51260

第17回の読書会は計11名の方に参加していただき、無事に終了しました。年末に急遽課題図書を変更したにも関わらず、これほどの方に参加していただけるとは幸いです。また、それと共に、
・課題図書は長くても上下巻程度。3巻以上は壁が高すぎる。
という目安も見つかりました。当初は大西巨人『神聖喜劇』が課題図書になっていましたが、やはり5巻という長さは冬の雪山のように高くそびえて越えるのは難しかった。傑作のほまれは高くいつかは読むべき本だと思うのですが、現時点での読書部でそれだけの本を扱うことができるかという分量への課題が生まれたと思います。

さて、課題図書の『ガリヴァー旅行記』は1700年代にイギリスに生まれ後にはアイルランドの神父になるスウィフトによる当時の諷刺をモチーフにした作品で、多くの人は幼少時に小人の国ではりつけになるシーンは読むなり情報として知っているようではありました。しかし、本作は1編と2編は小人の国、巨人の国と対比させてありますが、3編の数学と音楽の国ラピュタ、4編の馬ユートピアなどはSF的であり哲学的な要素をふんだんに含み、表層的なファンタジーの世界から大きくはばたいています。しかしそれはイギリス固有のブラックユーモアも含み、「ギャグがきつい」という意見もみられました。下ねたはふんだんに使われ(特に2編の巨人の国)、赤ん坊を殺したりさえするのです。ちなみに子供用の本ではたいてい小人の国と巨人の国だけで終わっているのがほとんどだそうで、本書の神髄である3、4章もしっかり教えるべきだと思います。

最初は1編、2編が対比されて書かれているので、その両方について語ることになりました。脚注を見れば分かるように、諷刺が具体的すぎて21世紀の未来人としてはついていけません。そして書かれていることがたいてい元ネタとして以降の小説やまんが、映画などに使われているので新鮮味がないとも。そして、イギリス的な暗さと観察眼のはしりでもありそうです。

途中で本書に掲載されている地図の話題になりました。日本の場所がおかしいとか、日本海が「Sea of Corea」(!)になっているとか、アメリカにくっついた巨人の国の小ささなど。小人の国も巨人の国も、現実の世界から突然縮尺が変わってしまうのでそこだけ『逆転世界』のような別解釈が必要のようです。また、スウィフトはニュートンを毛嫌いし、引力を真理とは考えずに当時の流行と把握していたようなので、それゆえに物理法則を無視した描写が登場しているのかもしれません。また、トマス・モア『ユートピア』にも大きな影響と対抗心を持っていたそうで、4章の現実に戻ってユートピアを夢みるラストなどに影響が見られるとか。

2章と3章の作風のちがいは書かれた時代によるものだそうで、3章のアホ発明大会は参加者におおむね好評だったようです。ドラえもん「あんきパン」や宮崎アニメ「天空の城ラピュタ」の元ネタなどが満載でした(ラピュタの方は空飛ぶ城の1点だけで、ガリヴァーのラピュータにはあの美しさは皆無ですが)。4章では知能のある馬の国で自己啓発を受け、現実のイギリスに帰ってきても馬丁に混じってひひひん語り合う展開ですが、ここにガリヴァー×馬丁を見抜いた方がいて、さすが腐女子脳と感嘆の声が上がりました。

スウィフトの時代には当然なのかもしれませんが、全般にスウィフトの自己中心的で独善的な思想によって語られています。また、小人の国から持ち帰った小さい羊で大もうけなどの伏線を全く生かしていないのも、小説の作法がまだできあがっていない時代性という話があり、荒削りながらも発想のおもしろさを楽しむ小説だったように思います。もちろん、当時のイングランドについての諷刺をきちんと調べていった場合は相応の発見があるのでしょうが、読書部は英文学学科ではないので、興味がある人は各自文献にあたっていただくということで。

今年も無事に始まった読書部、次回の開催は3/10(土)を予定しております。課題図書はまたも古典的な名作カフカ『審判』(白水社Uブックス)となりました。個人的にはこれまで2回挫折しているので、3度目の正直として張り切って参加したいと思います。

凛『もしもキミが。』(ゴマブックス)

もしもキミが。
もしもキミが。
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ゴマブックス
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書店をぼんやり歩いていたら本書がベストセラーランキング1位になっていたので、どれほどのものか立ち読んでみた。その間、5分。

ネタバレあります!

幼なじみの女子がふとした拍子でHIVに感染していることが発覚。そのうちなぜか腫瘍が全身に回ってしまい悲しみの別れを経験する。

以上。リアリズム的批判はナンセンスである。

昔から難病による恋人同士の別離は題材にされているわけですが、こういう安っぽい話に終始するのであれば、なぜ過去の名作をリサイクルできないのか、ということがわたしにとっての問題です。白血病や結核で亡くなる話はいくらでもあるだろう。結核がHIVに変わればいいいのか、という時点で本作は止まっています。だからHIVにまつわる複雑さはまったく描写されない。

もう一つ、シェイクスピアの悲劇など古い文学では難病による恋人の別離を題材にしたものはないようです。病気が悲劇の題材として成立したのは結構最近のことのようです。それはいつごろなのか? 文学者自身が夭折したというのは太宰、梶井基次郎、中島敦のようにぱぱっと思いつきます。しかし内容自体で病気による夭折を扱っているのはいつごろからなのか、Google先生に相談してもいまいち要領を得た答えは返ってきませんでした。

まったく自分にとって不要な書物と考えていても、読んでしまうと意外に新しい疑問/発見があったりするものです。また、読んだからにはそれをトリガーとして思考を展開させるべきです。先入観でくだらないと判断してしまうのはよくありません。きちんと読んだうえで批判すべきでしょう。

くだらなかった! 読む価値なし!

夏目漱石『草枕』(新潮文庫)

草枕
草枕
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夏目 漱石
新潮社
売り上げランキング: 86994
山路を登りながら、こう考えた。
智に働けば角がたつ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。

この名文で始まる夏目漱石39歳、明治39年に発表された本書は、意外にも小説らしくない小説でした。あらすじといえば、一人の絵描きが微妙な田舎の人間関係にまじわりそうで心からの邂逅があるわけでもない、ちぎれ雲が風に流されるのをぼんやり眺めるような話。

冒頭に引用した文句はあまりにも有名ですが、それ以外にも漢語がたくさん使われているため、漢字を見た時の意味の解凍がどっと押し寄せて、ぼんやりとした田舎の風景が漢字による絵巻物のように見えてきます。

踏むは地と思えばこそ、裂けはせぬかとの気遣も起る。戴くは天と知る故に、稲妻の米噛に震う怖も出来る。人と争わねば一分が立たぬと浮世が催促するから、火宅の苦は免かれぬ。東西のある乾坤に住んで、利害の綱を渡らねばならぬ身には、事実の恋は讎である。目に見る富は土である。

海は足の下に光る。遮ぎる雲の一片さえ持たぬ春の日影は、普ねく水の上を照らして、何時の間にかほとばりは波の底まで浸み渡ったと思わるる程暖かに見える。色は一刷毛の紺青を平らに流したる所々に、しろかねの細鱗を畳んで濃やかに動いている。春の日は限り無き天が下を照らして、天が下は限りなき水をたたえたる間には、白き帆が小指の爪程に見えるのみである。然もその帆は全く動かない。住昔入貢(そのかみにゅうこう)の高麗船が遠くから渡ってくるときには、あんなに見えたであろう。その外は大千世界を極めて、照らす日の世、照らさるる海の世のみである。

何坪何合のうちで自由をほしいままにしたものが、この鉄柵外にも自由をほしいままにしたくなるのは自然の勢である。憐れむべき文明の国民は日夜にこの鉄柵に噛み付いて咆哮している。文明は個人に自由を与えて虎の如く猛からしめたる後、これを檻穽の内に投げ込んで、天下の平和を維持しつつある。この平和は真の平和ではない。動物園の虎が見物人を睨めて、寝転んでいると同様な平和である。

どちらもぱらりとめくったページで漢語の多いところを抜き出したものですが、明確な意味は分からなくとも、漢字が持つ意味と文章のリズムによって人物の考えや風景の明媚なことが、文字でも絵でも伝わってくる。途中途中にミステリアスな美女や、喰えぬ狸のような住職との対話はあるものの、全体に田舎にさすらう絵描きのうつろう姿と思想が流れていきます。従って形として小説としての始まりと終わりはありますが、全体にどこから読んでも、どこで読み終えても良いように書かれており、作中でも読了することは意味がないと断じています。それは次の対話でも堂々と宣言しています。

「全くです。画工だから、小説なんか初から仕舞まで読む必要はないんです。けれども、どこを読んでも面白いのです。あなたと話をするのも面白い。ここへ逗留しているうちは毎日話をしたい位です。何ならあなたに惚れ込んでもいい。そうなると猶面白い。然しいくら惚れてもあなたと夫婦になる必要はないんです。惚れて夫婦になる必要があるうちは、小説を初から仕舞まで読む必要があるんです」
「すると不人情な惚れ方をするのが画工なんですね」
「不人情じゃありません。非人情な惚れ方をするんです。小説も非人情で読むから、筋なんかどうでもいいんです。こうして、御籤を引くように、ぱっと開けて、開いた所を、漫然と読んでるのが面白いんです」

実作2作目にしてすでに小説の筋を否定してしまう漱石に驚いた。イギリス留学でオスカー・ワイルドやピアズリー、ラファエル前派の文化に触れてそれらの自然主義を否定したと江藤淳のあとがきにありますが、その実、ただあることの美しさを再発見するという点ではラファエル前派の活動とも共通するところがあります。たぶん漱石は、その技術さえあれば本作を映画未満、環境映像以上の形に仕立てたのではないでしょうか。

ところで柄谷行人によるもう一つのあとがきには、漱石の豊富な語彙力について触れられています。本書も地の平易な文章、漢語の多用、そして英語まで使われ、それらすべてに共通するリズムのなめらかさがあり、それらは豊富な言葉が支えているものに感じます。本書が書かれてから100年たった現在、わたしはどれほど漱石に立ち向かうほどの言葉を持っているのかを考えると、人と鼠の脳みそのちがいくらいに遠く隔たってしょんぼりしてしまいます。今すぐ漢字の書き取り100ページに取りかかります。

2007年01月26日

SIDEWAYS

サイドウェイ 特別編
サイドウェイ 特別編
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20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン (2005/07/07)
売り上げランキング: 21810

ワインブームにあてられてワイン関連の映画が出来ているようです。「モンドヴィーノ」というドキュメンタリーもありますが、これはワインを人間関係の中心に据えて、恋愛のきっかけになる甘酸っぱい話。とはいっても、年齢はみんな40代前後ですが、年は関係なく甘酸っぱさは大事だってことです。だってゴールデングローブ賞の作品賞と脚本賞を受賞したらしいですよ。……よっぽど他にいい作品がなかったんですね……。

結婚前の2流俳優がワインおたくのバツイチと二人でワイン旅行。しかし俳優としては婚前にヤりまくる予定だった。ワインおたくのつてでワインに造形の深い女性二人と知り合ってカリフォルニアのワイン三昧、ラブ三昧が一週間限定で始まる。

ワイン好きとしては「メルローなんて呑めるかあjえfうjいこ」と発狂するワインおたくや、「61年、最高じゃない」と発情するバツイチソムリエ女子に共感するのでしょうが、本当に受け入れられたところは40前後になっても男女関係は甘酸っぱく、「好き」の一言が言い出せない照れくささを抱えたまま大きくなっちゃった、そういう人たちばかりなのだと思います。

カリフォルニアは気候も土壌もワイン育成に最適なのですが、ワインを作り始めたのは1960年代になってからで、特に1980年代にブラインドテストをしてアメリカワインとフランスワインの対決でアメリカが勝ったり、Opus Oneという最高級のワインが出たりとアメリカの近代的なワイン作りが評価されてきた歴史があります。最近でもフランスのワイン消費量は落ち込んでいるけれども、イギリスとアメリカのワイン消費量はどんどん上がっていて、特にシャンパンはフランスシャンパーニュ地方でしか作れない(他でも同じ作り方はできますが、シャンパーニュと名乗っていいのはシャンパーニュ地方で作られた発砲ワインだけなのです)こともあり、ドンペリことドン・ペリニョンを初めとしたシャンパンはここ数年で大変高騰してしまいました。そのくらい世間的にはワインのブームが来ておるのです。

主人公のワインおたくはメルロー嫌いでピノ(ピノ・ノワールというブルゴーニュ地方の代表的なワインで味は繊細、香りは獣)、シラー(作りやすいために安く売られていますが、グラマラスさでは他の品種を圧倒)しか呑まないと豪語する英語教師。小説を売り込むも、妙にポストモダンちっくで分かりやすくないところは、高価なワインが作ってすぐには「開いていない」ためにいごいごして渋酸っぱいと敬遠されるかのようです。でも、頑固でシャイなワインおたくは決して嫌われているわけではなく、友人知人にはその子供っぽさが愛らしさとして受け入れられており、他人を思いやりながらも自分のこだわりが出てしまう姿は見ている方も応援してしまいます。

とはいえ、ワインに興味がない人に見せられるほどしまりのある出来とも思えず、微妙なところでした。

2007年01月27日

古川日出男『アビシニアン』(幻冬社)

アビシニアン
アビシニアン
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古川 日出男
幻冬舎
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沈黙/アビシニアン
沈黙/アビシニアン
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古川 日出男
角川書店
売り上げランキング: 153263


現在は文庫で「沈黙」とセットになっているらしいのですが、わたしが読んだのはねこ面表紙の素敵なハードカバー版。ねこだったのでまっしぐらに読みましたが、常に『アラビアの夜の種族』を読んだときにも感じた言葉選びの違和感がつきまとう。芯となる物語はきちっとあるのだろうけど、それを説明する言葉に勢いがありすぎて物語の枠に正確にはまっていない。絵柄も形も似ているパズルのピースがしっくりかみ合っていない違和感に近い。ぶっきLibrary...さんを読んで自分と近い感触を得てらっしゃるのかも、と思いました。著者はおそらく、とても言葉があふれ出す著者なのだと思う。物語の奔流をくだるために言葉をどんどん繰り出して足場を作るのだけど、あまりにも流れが激しくて足場が崩れてしまっている。そういうときは編集者がたずなをとって言葉の水門を閉じたり開けたりすべきなのですが、うまくいっていない。特に1章の東急線から乗り換えて中野に着き、猫と共に野宿するところは、猫と共に暮らす者としてはあまりにも嘘っぽくて萎えてしまった。人間がついていけるほど猫の通り道は甘くない。そういうディティールの甘さにわたしは寛容ではないのだ(猫については特に)。

最後まで隠れ家的理想のレストランで身内だけのユートピアが語られる。しらけた遺産相続の挿話が入ったり落ちてる財布を拾ったりと人物を甘やかしすぎです。なんというか「3億円あったら何しようか」と考える白昼夢のレベルで、好意的な読者ならその空想に入り込んで役になりきることができるのかもしれません。

全体に小劇場演劇のような「宣言」的な語りが多いのだけど、言葉がとても棒立ちになっていて、結局のところ本人の身体の外に出て行かないだけなのではないか、相手に届ける言葉になりきっていないように見える。そもそも、言葉を失ったにも関わらず、「滅える(きえる)」「捕捉(キャッチ)する」「感情(おもい)」と言葉に頼る表現が随所に見られるのはいかがなものか。

全体に中途半端なリアルさを取り入れてしまい、小説未満、妄想以上という印象。噂では文庫版でかなり書き直されているという話です。

グレッグ・イーガン『ひとりっ子』(ハヤカワ文庫SF)

ひとりっ子
ひとりっ子
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グレッグ イーガン Greg Egan 山岸 真
早川書房
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水……、水を……。数学砂漠で干涸びてしまった脳みそに水をやらねば……。

ぼくたちはいま、ふたつの両立しない、つまりどちらもそれぞれの版図において物理的に真であるような数学の系の、境界線の一部分をつきとめた。演繹の過程が<不備>のどちらか一方の側にのみふみとどまるかぎり——従来の数論が適用される”此方側(ニアサイド)”でも、オルタナティヴ推論が支配する”彼方側(ファーサイド)”でも——矛盾は生じない。だが、演繹が過程のどこかで境界を超えたなら、不合理を引きおこし……Sから非Sが生じる。

ハードSFと呼ばれるものを読むたびにぐったりしてしまうのは、たとえばピタゴラ装置を作るために下っ端の学生さんたちがそれぞれのギミックをミリ単位で計算して試行錯誤するさまを見ているようなもので、ピタゴラ装置の意外な動き「だけ」を期待していると退屈に映るようなものでしょうか。それよりもなによりも、わたしに数学の素養がなく、「言説S」などと書かれているだけで、「Sって何?」と頭を抱えて、以降の話が理解不能に陥ってしまうことが最大の理由でしょう。こういう本こそ読書会ならぬ解説会を開いていただき、「大人になっちまった小学生にも分かる『ひとりっ子』」という企画を行っていただきたい。あ、もしかしてもうSFファン交流会でやっちゃったのかな? 

もちろん数学の脳みそをあまり使わずに楽しめる話もあります。「真心」「ひとりっ子」のように技術の革新によって従来の問題を解決する一方で、人間に残った倫理的な面の解消・新しい技術を精神的に受け入れることが題材になっているものは、考えさせられるところが多い。「ふたりの距離」の精神同一化が受け入れられない理由には大笑いしました。愛が深まるに連れ、いっしょになりたいと望む二人が脳までいっしょにしたら、というアイディアはSFだからなせる業。イーガンだからこそドライで、正しく、笑える。

それにしても、今まではイーガンを読んだら数学の知識はともかく、そのアイディアに感嘆することが多かったのですが、今回はそれがかなり薄かった。鼻からドラッグを打ち込んで脳みそのありようを変えてしまったり、平行世界の存在をあるとして日々の選択を行うようなことは、物語の基礎としてはありだが、いかにしてそのガジェットが成り立つかという方に物語が進んでいるために驚きが少ない。山岸さんは「SFを読み慣れてないと面食らう部分があるかもしれない」とおっしゃっていますが、それでも多少は数学の知識(記号が出てきても驚かないレベル)が求められると思います。

2007年01月28日

漆芸界の巨匠 人間国宝 松田権六の世界

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東京国立近代美術館工芸館で漆芸界の巨匠 人間国宝 松田権六の世界を見てきました。昨年末にNHKの新日曜美術館(ひどいページだ……)で放送された特集を見て、蒔絵の奥深さに感嘆したもので、これはぜひ本物を見ねばと。番組では戦前に古い技術の復興を果たし、脂の乗った時期に戦争を体験しながらも贅沢な材料を使わずに最高傑作「蓬萊之棚」(鶴がひょろひょろ集まった棚)をものし、戦後は後世の育成とともに常に新しい素材を求め、「一日一図案」を実践して亡くなるまで研究を怠らなかった松田権六の生涯を分かりやすく魅力的に取り上げていました。

番組では可能な限り実物に寄って細かい所まで映し出していましたが、実際に見に行くとどうしてもケースの限界があり、目の悪いわたしなどは本当に細かいところまで観察できないところもありました。しかし、それでも精緻な技巧と良質な漆(通常は漆職人に任せるところも自分で漆選びから携わったそうです)、多様な素材によって作られたまさに漆「芸」は見所たっぷりです。ぽってりした黒い棗に金色の鷺がひらりと舞い、くわくわと棚に集う鶴、ひょうひょうと飛ぶ赤とんぼ、漆が乾くまでにささっと描かれた野花。どれも蒔絵はここまでできるのかと驚くしかない名品ばかりです。

器だとどうしても人間以外の火の都合、偶然性によるところが大きいですが、漆は人の手によってほとんどが左右できるため、意外性によるおもしろさよりも、人智の工夫が如実に反映されます。であるからこそ、毎日図案を生み出し、作品の向上を常に勘案するというのは容易ではない。若い頃から天才でありながら、当たり前の努力を続けたからこそ偉大な作品の数々が生み出されたのだと思います。あまり大きく宣伝されてはいませんが、世界的な傑作の数々を作り出した松田権六の集大成は、今何よりも見ておくべき展覧会です。

BARに灯ともる頃

BARに灯ともる頃
BARに灯ともる頃
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キングレコード (1999/09/22)
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有能な弁護士である父親が兵役に就いて将来も定かでない息子の非番に会いにいく。息子が幼い頃からどことなく気の合わない二人が、一日を共に過ごす。

父親役のマストロヤンニが見せる無邪気な親バカぶり、言うなりにならない息子へのいらだち、息子の世界に触れたときの寂しさ、どれをとってもいい表情です。単にハンサムなだけではない、青空をあおいだときのような歓喜の表情、喜びと寂しさのないまぜになった表情、どのカットも額縁に入れて飾りたいくらい。日本だとこれほど無邪気で奔放ながらも祭りの後の寂しさを出せるのは勝新太郎でしょうか。人生を楽しむことが基調になっているからこそ出せる寂しさというのがあります。

特にラストのBarに灯がともったとき、決して高級ではない階層の人々が昼間の憂さを晴らし互いを思いやるぬくもりを感じられるBarは実に魅力的で、ここでコーヒーを飲みたくならないはずがない。狭いカウンターとテーブルでカードに興じる人々、一台だけあるビリヤード台で子供っぽい遊びに真剣になる大人たち。この連帯感を見るだけでもこの映画を見る価値があります。ぜひともこんなBarを作りたいと、30を越えたというのにまた一つなりたい職業が増えてしまいました。

2007年01月29日

池波正太郎『剣客商売 辻斬り』(新潮文庫)

辻斬り
辻斬り
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池波 正太郎
新潮社
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雨が降る直前などにはカフカのような不条理ながらも理屈っぽい話を読んでいても楽しくないので、からりと気分を変えるために池波正太郎のような爽快で明快なものを読む。『鬼平犯科帳』シリーズは学生時代に全部読んだが、全部読んだという以上のものでもなく、落研での知識に多少役立った程度の感想しかなかった。

改めて池波正太郎を読んでみると新しい発見がある。特に江戸の食文化。蛤や浅利は東京湾で取れるもので、鴨などもよく食べられていたようだ。主人公の若い嫁が鴨飯を作っていて、ぜひとも自分でも作り食べたくなってくる(脂身と醤油を使うのでややしつこそうだが)。また、文章の組み立てはすごくうまい。

(もしや……?)
と浅茅ヶ原の方へまわってみると、
(いた!!)
のである。

期待と発見を4行にまとめ、読者と主人公の位置を合わせる。本当は、作中で発見した小兵衛はエクスクラメーションマーク二つも驚いたりはしなかったろう。しかし、そこは作者がわたしたちに合わせてエクスクラメーションマークを二つ置いたのである。強調のうまさは時代劇ならではだと感心した。

さて、話の中身だが、60歳の引退した剣の達人秋山小兵衛が息子や間者の弥七を手下に使い、公にはならない事件を解決する。一見、人情味あふれる采配が魅力だが、その実60にもなって20前後の村娘から言い寄られ、さらに20歳になったばかりの女性剣士にまで惚れられる、あまつさえ誰もかなわないほどの剣の使い手とくる。初老の全能妄想爆発どかーん。時代劇なのだから主人公は万能であるのは当然という考え方もあろうが、『三国志』『水滸伝』などでは武力は武人、知力は軍師が担当して、覇権を得た曹操さえもすぐに命を終えてしまうように、それぞれの長所と弱点があり、人であるにもかかわらず全知全能の神がまぎれていたりはしない。

しかるに見よ! 『デルフィニア戦記』王女様やら本作の秋山小兵衛などのスター食いすぎて無敵が解けなくなった主人公たちを。スーパーマリオで最初から最後まで全部無敵で左から右へスクロールさせるだけがおもしろいか? ファミコンウォーズで歩兵が戦艦沈ませて楽しいか? キャラクターには特徴があり、それを生かした物語こそが名作となる。決して本作がつまらないわけではない、しかしそれは秋山小兵衛が無敵であり完璧な包囲網を持っていることを知らない間だけだ。その後はひたすら無敵になったキャラクターでゲームを支配する強さ故の虚無を味わうことになる。従って、本シリーズは忘れた頃に1冊だけ読み、爽快感だけ味わったらしばらく遠ざけておくのが正しい。これに浸るのは一種の麻薬であり退廃だ。

2007年01月30日

モンドヴィーノ

モンドヴィーノ
モンドヴィーノ
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東北新社 (2006/04/21)
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先日見た「SIDEWAY」はワインをテーマにした大人の恋愛だが、本作はワインのドキュメンタリーで、アメリカの資本家、フランスの田舎の頑固な親父、ブランドメーカーによる買占め、ロバート・パーカーJr.による点数制の弊害など、現状のワイン産業の陰日向についてかなり深く突っ込んでいる。また、カメラがかなりぶれるので乗り物酔いしやすい人はご用心。

安いワインも2年呑めば分かってくることもある。安いワインはその 日のうちに呑まないと、次の日はたいていまずい。作中で、「昔ながらのワインがなくなった」と嘆く頑固親父と対比して、「酸素を入れるんだ」とゲラゲラ笑いながら携帯電話であちこちに指示しているコンサルタントが映される。酸素を入れる(マイクロオキシゲンって言ってたそうな)と最初だけはうまいけれども長持ちしないワインになるんだそうな。なるほどー、酸素かー。酸素で活性化させて新樽で強烈に木の香りをつける。酸素といえばベッカムや野球選手の酸素療法。酸化させることで一時的に回復力をあげられるのかもしれない。だが、スポーツ選手のような体力のないワインは、それで回復するのは一瞬だけで、たいてい数時間もたたずに凹んでしまうのかもしれない。

正確に統計を見たわけではないけれど、シャンパンに限らずワインの値段は21世紀に入ってどんどん上がっている。1000円以下でそれなりにおいしいワインを求めるのは難しくなった。シャンパンを3000円以下で見つけるのは不可能に等しい。消費する立場として評論家やらコンサルタントが値段を吊り上げてるからなんだな、というのが実感できる。とはいえ、田舎の頑固親父が作るワインがうまいかどうかは別の話だし、日本に輸入するにはそれなりにお金の力が必要なわけで、あちらを立てればこちらが立たないという閉塞感を味わった。 資本主義って苦しいものだね。

本編は「ワイン業界って金が絡んで無粋よね」で終わるが、特典映像では監督が日本ではあまり注目されていないドイツワインについて語っており、普通12%はある白ワインが7.5%でしかもうまい、と力説していた。うまいもの食べて、酔っ払いながら「うまいんだよー飲めよー」と叫んでいるのがおいしいもの好きとしては正しい姿勢なんだと思いました。編集技術も結論を急ぎすぎず、考えさせられる作りになっていました。ワイン呑む人なら絶対見なきゃだめだ。

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