« 2006年11月 | メイン | 2007年01月 »

2006年12月 アーカイブ

2006年12月02日

サラ・ウォーターズ『半身』(創元推理文庫)

半身
半身
posted with amazlet on 06.12.02
サラ ウォーターズ Sarah Waters 中村 有希
東京創元社
売り上げランキング: 176246

ミステリは犯人探しが中心に据えられてしまうと、「別に人一人死んだくらいでがたがた言うな」という人でなしなので、あまり犯人が誰であるか気に留める気持ちがなくなり、がんばって読み終えてもあまりよい感想を抱かないことがほとんどです。また、探偵側の正義ぶりが順当なものか、酌量の余地はないのか、ということに目が向いてしまうのもいけません。こんなことでは警察官はもとより、今後はじまる陪審員制度に呼ばれた日にはたいへんに非倫理的な判断を下してしまうような気がします。

さて、本作は裕福な家の老嬢(とはいってもまだ29歳)マーガレットが福祉事業の一環で女囚刑務所に慰問に行き、そこで霊媒師の娘シライナに出会って影響されていく物語です。これをお互いの日記形式、しかも逮捕されている霊媒師の娘は事件のきっかけとなる過程を日記で綴っているところがおもしろい。この手の手記ものにありがちな異常なほどの記憶力が発揮されて、エンターテインメントあふれる日記になっているのはご愛嬌。徐々にマーガレットがシライナの霊媒の力と人なりにのめりこんでいくところが見所。最後の見事な展開にはすがすがしく堪能いたしました。

霊媒という21世紀に生きるわたしたちにはあからさまに嘘であり詐欺の手段である職業が、いかに真実味に迫ってくるか。「いやー、それは別の人がやってるよね」ということも、信じてしまった人による日記という形を通すと「あれ、ほんとに霊の力なのかな?」と疑心暗鬼に陥ったりする。オレオレ詐欺なんて、と手際をおろそかにする人ほど、いざとなったときにだまされてしまったりする感覚に近いかもしれません。

年末の忙しさが一息ついたあたりで読むと、ロンドンの寒さが身にしみたりしてより実感がこもるかもしれません。大掃除をさぼっておくと女囚刑務所のきたならしさまで体験できて、よりリアルに。

2006年12月17日

杉浦日向子『江戸へようこそ』(ちくま文庫)

江戸へようこそ
江戸へようこそ
posted with amazlet on 06.12.17
杉浦 日向子
筑摩書房
売り上げランキング: 191706

歴史の勉強だけでは味わえない江戸への興味をかきたてる一冊。歴史で習った江戸は町人文化が花開き、平安時代以降できわめて珍しく平和が長続きした時代でもあります。そこで生まれた文化は浮世絵や劇などが有名だが、それらの中心になったのが粋という発想。冒頭で著者のこころがまえが「歴史好き」と「時代劇好き」でもないことが説明されている。「歴史好き」はまじめに過去の表層的な出来事を知ることに興味を持っている層、「時代劇好き」は文字通りチャンバラ活劇に興奮する層。そのどちらでもないことについて、

これらの閉じられた「世界」の中の、完成された「様式」についての興味は、私にはありません。そういった意味で私は「時代もの好き」とは言えません。「時代もの」に陶酔できない私が江戸のことを語るのですから、「時代もの」としては変な本になりそうです。

と、これまでに作られた固定的なイメージにはない江戸を模索します。浅草や上野の情緒だけが江戸ではない、懐古趣味でもない、わたしたちと同じように生きている人が知恵と生命力をふりしぼって江戸のあちこちに生きていた。「吉原」という言葉から簡単に売春宿がイメージされてしまう発想の貧困さを排除しようとしている。遊廓とは単に性行為を金で買う場所ではなく、男と女のかけひきを楽しむ場所として対話が前提となり細かいしきたりがたくさんあった。基本的な遊廓の遊び方から、遊女の格、手練手管の数々で遊女が客の男を叱りつけたりするような場所だという。今の世ならSMクラブのようにすぐ身体的な方向に行くところを、言葉で遊ぶことによりイメージをふくらませて客を飽きさせないようにしていたのですな。

ほかにも浮世絵を江戸のテレビと見立てたり、戯作という風刺文学の基本にしてその随を味わったりできて、学校の教科書にはないライブ感とイメージを転がす楽しさがあります。それは江戸を味わうことがイメージをふくらませることにかかっており、半端な興味(それこそ「歴史好き」「時代劇好き」のような固定観念に寄りかかった興味のありよう)では楽しみきれない奥深さがあるようです。SFなら数学の知識なしにイーガンを読んでもおもしろいけれども、その歴史があればもっと世界を手にしたような喜びがあるような感じでしょうか。国文学なんて全然興味のなかった学生時代のわたしに手渡したい一冊でした。

2006年12月27日

ジャンニ・ロダーリ『猫とともに去りぬ』(光文社古典新訳文庫)

猫とともに去りぬ
猫とともに去りぬ
posted with amazlet on 06.12.27
ロダーリ 関口 英子
光文社
売り上げランキング: 45726

近所の図書館がシステム入れ替えなどでしばらく休館しており、わたしとしても散歩の口実が一つ減って大変難儀いたしました。図書館や古本屋というのは散歩の際にチェックポイントとなり、そこから更に先に進むか戻るかの再判断するための場所でもあるのです。短編集も1つのエピソードごとにここで本を置くかそれとも次も読んでしまうかを気にすることが多く、その結果読み進まずに投げ出した本も数知れず。一方でチェックポイントを気にしない本というのもあって、どんどん先が読みたくなるいい本というのがそれにあたり、この本もその中の一つ。

作者のロダーニは猫大好きで、さらにそのお父様にしては雨の日に子猫をかばったゆえに肺炎でなくなるというエピソードの持ち主(あとがきによる)。表題作はふつりと家を出た人がいつの間にか猫たんまりの公園で猫化してしまうというもの。小説にも猫大好き感があふれています。

絵本や児童文学でたまに出会ってびっくりするような思いつきのコミカルさ、ナンセンスが特徴。さすらいのピアニストはピアノと共に旅に出てどういうわけだかピアノも馬に乗っていたり、魚を釣るおまじないを成就するために時間を遡って改名したり、日本製のバイクと結婚したりしようとする。後半の「カルちゃん、カルロ〜」や「ピサの斜塔〜」になると素朴なSFテイストが入ってきます。カルヴィーノにも似た軽妙さがあり、オペラの国イタリアのほがらかな特徴と言ってしまっていいのかもしれません。

ところで今年新しく刊行されている光文社古典新訳文庫という企画については、正直なところ懐疑的な目で見ていました。本書はともかく、『リア王』やツルゲーネフ(この文庫ではトゥルゲーネフ)『初恋』などは従来たくさん訳されてきているので、新訳の必要性が実感できません。しかし、新訳という形で新刊が出ることは多くの読者にとって手に取る動機となりうることが最近ぼんやりと分かってきました。数多くの本が出版されてはいますが、一部の大書店を除くと手に取る機会があるのはほんの一握りで、まちまちと並べられている「その他の本」に入るまでの「新刊時間」というのは、食べ物に例えると旬の時期と考えればなるほどと納得できます。冬にもトマトは売っていますが、旬は夏であるように、本も出たそのときに読むのが最適なのかもしれません。

最後に一つだけ気になったのが、著者名表記で、本書の場合は「ロダーリ」となっています。これは日本でいったら「夏目」「芥川」で終わりなわけで、会話で略されるならともかく、書名の表記としては大変に違和感を覚えるものでした。

2006年12月31日

寝ずの番

寝ずの番
寝ずの番
posted with amazlet on 06.12.31
ポニーキャニオン (2006/10/18)
売り上げランキング: 11173

「寝ずの番」とは通夜の晩に遺体の側で寝ないでいることで、この映画は落語家の師匠(津川雅彦)が亡くなった通夜の晩に弟子たちが寝ずの番をしながら師匠の思い出を語る映画です。

とはいえ、見た後は空に向かって力一杯「あほー」と叫びたくなるような大人のしょうもないエロ願望を描ききっており、苦笑と失笑をしっかり狙った映画でした。そしてその試みはしっかり成功しており、大人のあほかくあるべしという手本のような物語を描き出しています。エロな行為そのものから離れた妄想を明るく描いています。

あえて難癖をつけるならば、師匠の死だけにネタをつぎ込んだ方がより師匠の破天荒ぶりが際立つように思えます。複数の人に焦点を当てたことでそこがちょっとぼけてしまい、もったいない。

それと、堺正明はどこに出てきても堺正明すぎて、ドラマでは却って浮くキャラクターですね。昔の映画やドラマではそんなことなかったと思うのですが、いつの間にか本人のキャラクターを消せない人になっていますね。髪型を変える程度で普段の堺正明像から抜け出せそうに思えるのですが。

★★★★

ガルシア=マルケス『コレラ時代の愛』(新潮社)

コレラの時代の愛
コレラの時代の愛
posted with amazlet on 06.12.31
ガブリエル・ガルシア=マルケス 木村 榮一
新潮社
売り上げランキング: 4006

岩波書店から出ている『物語の作り方―ガルシア=マルケスのシナリオ教室』では、ガルシア=マルケスの発言にマジック・リアリズムという言葉はなかったように思う。マジック・リアリズムは元来ドイツの美術に対してつけられた総称を、アレッホ・カルペンティエールがラテンアメリカで生まれた現実と幻想の垣根を取り払ったようなラテンアメリカの小説につけたことが由来とされている。よって、ガルシア=マルケス自身からマジック・リアリズムという言葉が聞かれないのは決して不自然なことではないのだが、『シナリオ教室』ではテレビドラマのシナリオ教室ということで、いかに視聴者をひきつける脚本を書くか、ということにこだわり、小説的な仕掛けは不要と言い切っていたのが印象に残っている。ガルシア=マルケスが1960〜70年代に作り上げた小説の技巧をきれいにそぎ落として、一読して伝わる物語の重要性を解いており、その根源はルポルタージュらしい小説として社会的現象にまでなった『予告された殺人の記録』、そして髄まで恋愛小説でなりたっている本作を書いたところから導かれた言葉のような気がする。

本作『コレラ時代の愛』の構成はきわめてシンプル。美人で気の強い女性フェルミーナ・ダーサは、熱烈な手紙を出してきたが痩せて年寄りじみたフロレンティーノ・アリーサを選ばずに、性格外見社会的地位の3つを兼ね備えた医者フベナル・ウルビーノ博士を選んだ。しかし、ストーカー気質のあるフロレンティーノ・アリーサは帯にもあるように51年9ヵ月4日もの間待ち続けて再び告白する。

『百年の孤独』では登場する人物すべてに愚直なまでにスポットが当てられて生活感まるだしだったが、等しくスポットが当たったために一人一人の人生は駆け足で過ぎていった。逆に『族長の秋』では独裁者だけにスポットが当てられて他の人物は書き割りに過ぎなかったため、独裁者のやることなすこと(それがまたどれもひどい)を濃密に描き出した。本作ではスポットは上記3人のみに当てられ、結婚生活という集団生活と心の動きの両方ともにくっきり描かれて、それまでのガルシア=マルケスの小説よりバランスがとれていると言えそう。

従来とのちがいはマジック・リアリズム要素をすっぱり削ぎ落とされていることにも見える。最後に手品めいた大量のヒヨコが出てくるシーンがちらっとあるが、それくらい。しかし、語られる時間は恋に落ちた者の不安定さを象徴するかのように、過去に未来にスイングし続ける。それが安定するのは51年9ヵ月と4日たってからのこと。ここを時間の起点としているけれども、それぞれのエピソードがあたかも今起こっているように語られるために読者としては現実の時間がゆらいでいるように思われます。また、それぞれの時間を引き継ぐときのうまさは達人の技。なめらかな時間の流れこそが本作いちばんの見せ場と言えるでしょう。最後に出てくる船の旅のように、『コレラ時代の愛』という時間の波に揺れる船に乗り込み年末のひとときを過ごせたことは大変にしあわせでした。

★★★★☆

グラマー・エンジェル危機一髪

グラマー・エンジェル危機一髪
ワーナー・ホーム・ビデオ (2006/12/08)
売り上げランキング: 3490

viploader376846.jpg

史上最強のアホ映画が地上波、しかも午後9時から放送だなんて。実況スレにかぶりつきながら、笑いが止まらない。

最初っからボインなおねえちゃんたちが全開で、途中仲間がつかまったりしますが、困ったときにはロケットランチャー。ボスから空気嫁まですべてを吹き飛ばすロケットランチャーで万事解決。

とにかくこれを見ないことには2007年はやってきません! 1000円なのでamazonでぜひ。あらゆる悩みが解消することまちがいありません。また、決して一人で見ないこと。年末には間に合わないけど、年始のお客様をこのDVDでお迎えなんてしゃれこんではいかがでしょうか。

★★★★★

About 2006年12月

2006年12月にブログ「うぽれけにっき」に投稿されたすべてのエントリーです。過去のものから新しいものへ順番に並んでいます。

前のアーカイブは2006年11月です。

次のアーカイブは2007年01月です。