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2006年11月 アーカイブ

2006年11月01日

バス男

バス男
バス男
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20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン (2006/08/18)

もし自分にコンプレックスがあったり、何かうまくいかないことがあったり、彼氏や彼女や旦那や奥さんとけんかしちゃったときは、迷わずこれを見るべし。なんてったって、税抜きなら1000円以下! 人たるもの迷わず買うべし。

舞台はおそらくアメリカ中部あたり。まるでだめ夫(ナポレオン・ダイナマイト(本名))がいろいろしでかしているうちにメキシコ人の転校生と仲良くなり、なぜかそいつが生徒会に立候補したのでその応援をする。

ナポレオン・ダイナマイト。名前からしてネタ臭がただよいます。ライオンとタイガーのあいのこ「ライガー」を描いたり、自転車でずっこけたり、バスからものを投げたりする、とにかくダメな子。彼が暮らすアメリカの田舎は車がないと生活できず、免許がない人はバスや自転車で移動しなければならない。そういう環境は自分の実家と共通するので、ちょっとしんみりしちゃいました。あんまり裕福な家はなく、地場産業だけで細々と暮らす地域というのはNYやLAのような派手な物語は生まれないかもれない。でも、その分、わたしを含め田舎で育った人ほど共感できるのだと思います。

ナポレオンのお兄ちゃんは30過ぎて引きこもり。毎日のチャットで遠く離れた女子とトークするだけの毎日。たまに色気を出して護身術教室に通ったりするも無惨な結果に。そこに学生時代フットボールをやっていた体育会系マッチョ叔父さんがやってきて営業の仕事をさせる。ボウルを売ったり、メイクデカパイハーブを売りつけたり、いんちきくさい仕事です。このお兄ちゃんもよかった。額が広くて神経質そうなのにぼんやりしているところは、自分で鏡を見ているようでしたよ。

劇中で、シンディ・ローパーやジャミロクワイがかかるところが、実にダサい。21世紀の高校生ってもうちょっと新しい音楽聞いてるんじゃないの? だが、それがいい。特にわたしのような80'sポップに思い入れがあると、ふとしたはずみで「Time after time」がかかるだけで特別な時間になってしまう。iTunesに入っていても全く聞きませんが、偶然耳にすると「何かこれからキラキラしたことが起きるぞ」という期待感が育まれる。ダサいことこそすばらしいというDasaconイズムを思い出しました。

ふざけたタイトルとしまりのないジャケット、あまりにも安すぎる値段からは全編ぐだぐだの映画に思えますが、90分という短めの時間できちんと終わらせ、全編ダサさで押し切ったスタイルはなかなか新しいしおもしろい。必見でございます。

2006年11月04日

赤と黒の芸術 楽茶碗

三井記念美術館で開催されている「赤と黒の芸術 楽茶碗」に行ってきました。東京駅から歩いたのですが、意外に距離があって、ついつい途中のバー「Celts」に寄り道、KIRINのペールエールをいただいてしまいました。ちょっと軽めだけど昼下がりにいただくにはさっぱりして良い気分転換になりました。大きめのスクリーンに映画がかかっているし、音楽は80'sポップスでなかなかのなごみ空間。

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実際の会場は日本橋三越の隣にある三井本館ビル7F。日本橋の街は普段着から着物を着ているような女性や、歩きながらでは呼吸が苦しいのかでっぷりと道の端に座って「ねぎはあるの? 鴨ねぎにするんだからねぎがいるでしょ」と携帯電話で話す男性などがそこここに見られ、銀座よりも年齢層が高くて興味深いです。西川の布団屋さんがあれほど繁盛するのは土地柄なのかもしれません。三越などはすでに日本橋の象徴とすらいえるたたずまいで、道の対角線から眺めると丸みを帯びた入り口側の角が芸術品のようです。百貨店の品格を改めて感じました。

初めての日本橋にいろいろ感慨を覚えながらいざ三井本館へ。大きく改装されて中には千疋屋などレストランやショップが入っていますが、会場の三井記念美術館は窓枠や内装は木造で入ったとたんに歴史の暖かみを感じられます。美術館は白壁で寒い感じの建物が多いですが、やはり木の建造物というのは本能で安心感がわき起こるものだと新しい発見です。

まずは長次郎という楽茶碗の伝統を作り上げた初代の作品が一つずつケースに入って並びます。「無一物」「一文字」のように切れ味鋭そうな名前があると思えば、「ムキ栗」「つつみ柿」「まきわら」のようなかわいらしいものまで名前がついているのが楽しい。とにかく視覚的な柔らかさ。焼かれる前の土の柔らかさや釉のとろとろした感触が印象に残ります。視覚よりも触覚が刺激され、西洋の絵画や工芸品の展覧会では感じられないものでおもしろい。

その後は二代常慶から十五代吉左衛門までの名品が並びます。徐々に技巧が見えてきて模様が入ったり釉をかけないところを残して富士山の形を作ったり。また、初代ではメシ茶碗のように底が狭いものが多いのですが、代を経るごとに中が広がっていき、このあたりは茶に使われることを意識した改良と勝手に解釈しました。平茶碗なんて水盆みたいで今のお茶のたてかたではこぼれてしまいそう。昭和に入ると球に近い形を切り取って茶碗にしたような形が目立ちます。特におもしろかったのが1960年代に製作されたという「綵衣」で、釉が直線的に分かれており、黄緑色の部分がとってもアバンギャルド。

絵画は普通に立てば視界に全てが収まりますが、茶碗というのは背が低いため、普通に立って上から眺めるだけではダメだと早いうちに気づいたのは今回の収穫でした。茶碗の台の部分や横から見た茶碗の表情は膝をかがめないと見えてきません。鑑賞している人たちは年配の女性が多く、わたしより10〜20cm下から見ていることを考えると会場としてはちょうどいい高さの配置なのだと思いますが、成人男性にはやはり低い。しかし、高い視点もいいところはあります。茶碗の中は背の低い人だと底の方は見られないのです。

あとは昨今ユニバーサルデザインなどともてはやされている持つためのくぼみなんてすでに実現されていましたよ。茶碗を両手で持ったときに、薬指と小指は底を支えますが、中指・人差し指、そして手前に親指の三本がかかるためのささやかなくぼみがぼんやりと感じられる茶碗が多かったです。また、下の方に釉がかかっておらず土肌が露出しているのも、滑り止めの役割がありそうです。人間が発明した便利なことは実は半分くらい忘れられていて、今は再び発明し直していることがあるのかもしれないと考えると、功利主義者の人に叱られてしまうでしょうか。

2006年11月05日

S・ラウス/J・ラウス編『レオナルド・ダ・ヴィンチの空想厨房』(東京書籍)

レオナルド・ダ・ヴィンチの空想厨房
S. ラウス J. ラウス 佐竹 淳
東京図書

料理をしていると、発想の貧困なわたしでさえ、「これとこれを混ぜたらどんな味がするだろう?」という疑問にかられて実行に移してしまうことがある。その最たるものがインドカレー。たまねぎを炒めてトマトと水を投入したら、そこからはアドリブの世界。どんなスパイスを入れてもいいわけで、凝りに凝ってたくさんのスパイスでカオス状態を作り上げるもよし、最小限のスパイス(ターメリック、コリアンダー、塩、チリは欠かせないだろう)に抑えるもよし。そう見ると本当にジャズの世界に似ていて、ビッグバンドで大きな音と調和を楽しむのと、3ピースバンドの一体感を楽しむ、それぞれの方向性に似ているかもしれない。

アドリブといえば元祖天才アドリブ師と言えるであろう、レオナルド・ダ・ヴィンチ。昨今は『ダ・ヴィンチ・コード』で一躍話題になりましたが、肝心のダ・ヴィンチ自身についてはいろんな発明をしたことくらいしか知りませんでした。そんな彼が若かりし頃は厨房に入って料理にまつわる発明をし、実際に料理も作っていたという業績をたどるのが本書。

なんといってもカエルを水の入った樽から取り除く装置が秀逸。カエルが樽に入らなくなるまでハンマーで頭を叩く装置なのです。そこまでしなくても。イラストを見ると、ハンマーといっても打つ面にはカエルを叩く程度の面積しかない。これをきっちり当てるには捕まえたカエルをしっかり固定する必要がありそうで、そんなことするなら人力でやった方が早そうなものです。効率性よりも発明の面白さ、優雅さが優先されるところが時代のおおらかさを感じさせます。

もちろん、まだトマトもジャガイモも入っていない頃のヨーロッパ料理ですから、ハーブに頼った料理の数々はそれほどおいしくなさそうですし、中には明らかに食べられないレベルの料理も多数。しかしそれもダ・ヴィンチの発想の賜物として紹介されています。天才が食事にかかわずらうさまというのは、「寝食を忘れて打ち込む」という言葉がある通りちょっと違和感もありますが、人の根幹を養うものでありますから、そこをないがしろにしなかったダ・ヴィンチの先見にただ感心すべきなのでしょう。

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2006年11月06日

金井美恵子『遊興一匹 迷い猫あずかってます』(新潮社)

本書にはバブル間近の銀座で猫を目撃したことが書かれていた。日比谷シャンテの近くでビールを飲んでいると、ぬくぬくとひなたぼっこをしていたという。銀ブラなんて言葉があるように、銀座と猫というのは案外相性の良いものなのかもしれない。どっちもほのぼのとしてるけど、獲物(人はバーゲン、猫はメシ)を見つけると急に殺気立つところとして、銀座は日常であり戦の場にもなりうる共通性がある。

わたしも先日銀座で某メシを食べていると、ガラス張りの外にある公園からのそのそとパトカー模様の大柄な猫が登場し、まるで自分の舞台であるかのように毛繕いをはじめたのでした。銀座のレストランが多いところで暮らしている猫というのは、かなり良いものを食べているのではないか。♂♀は分からなかったけど、6kgくらいはあるかな。野良でその体格になるにはやはりフレンチの残飯をあさっているのでしょう。うちの猫なんて毎日ドライフード1種類で、飽き足りないときは外でイモリやら蛾なんかを取ってくるくらいだし、わたしだってフレンチなんてそうそう食べてない。いいなあ。

猫と暮らすことを客観的に見ようとすればするほど、猫への愛情があふれてとまらなくなる良いエッセイです。序盤は分析的に進んでも、終わりには猫へのたっぷり愛情で〆られるのが猫好きならでは。うちの猫はメスですが、オスといっしょに暮らすことはスプレーや縄張り争いなど、外部との摩擦が起こることを改めて知り勉強になりました。

2006年11月11日

テネシー・ウィリアムズ『ガラスの動物園』(新潮文庫)

ガラスの動物園
ガラスの動物園
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テネシー ウィリアムズ 小田島 雄志
新潮社
売り上げランキング: 101961

元演劇部のくせに戯曲が苦手で、これが演出家にあこがれてもなれなかった理由なのだが、脚本から絵を描く訓練ができていないのだ。そこまで徹底して読み込む必要はないのだけれど、書かれていることが要求することは全部満たしたいくせに、面倒になってやめてしまう中途半端な完全主義者(矛盾)にとっては、これだけ薄い戯曲でもなかなかの難敵です。

本書の名前を初めて耳にしたのは毎度のごとく橋本治『青春つーのはなに?』(名著!)でありまして、「男の子はシリトー『長距離走者の孤独』を、女の子は『ガラスの動物園』を読むべし」と書かれており、高校生のわたしは早速『長距離走者の孤独』を読んで、「マラソンて大変だなー」とアホの子らしい感想を抱いたものでした。でも、そのときに『ガラスの動物園』は読まなかった。本を探索する能力が貧しかったせいもあるけれど、本当の理由は「女の子じゃないから別にいいや」という無関心だったと思う。それから十数年たって読むことになったわけです。はたして「女の子必読の書」とはどのようなものなのか。

父親不在で母、姉、弟で暮らす一家。母はおばさん、姉はひきこもり、弟は反抗期。姉の大切にしていたガラスの動物はユニコーンだった。

おばさんはいわばじゃんけんの「グー」です。かたくなに自分の主張を曲げず、他人の意見や立場を鑑みない。

ひきこもりの姉は、自分を切り裂く「チョキ」。内向的で自信をもてない彼女はあらゆる希望を実現する前に切り刻んでしまう。

反抗期の弟は名実ともに「パー」。しがない工場で働きながらも都会に出て一旗上げる夢を持ち続けるも、現在の自分を認めたくないあまりあれこれ八つ当たりする。

女の子としては当然姉の立場にある程度の思い入れを抱いて読むのかもしれませんが、この年になると母の立場だって実はそう遠くない。それでもフィクションという性格上、母は「障害」であり「なれのはて」として描かれているものを素直に読み取ってしまう。なるほど、ガラスの動物園にひきこもっている姉も、近い将来「グー」になってしまう恐ろしさ、また今いる動物園がこわれやすいものということを意識しておくことは確かに大切なのかも。

この本でもっともおそろしいのは、3人のそれぞれが他人の言うことを聞こうとせず、自分の主張だけを通していること。おばさんもひきこもりも反抗期も、みなそれぞれ自分のやりたいことだけを主張し、それがほかの家族に受け入れられないを嘆き、怒ります。ディスコミュニケーションの極みここにあり。

ま、そんなこんなもみんな金がないのが悪いんや、と。

2006年11月14日

Banrock Station Cabernet/Merlot

名前:Banrock Station Cabernet/Merlot
値段:約1200円
評価:★

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本格的にワインを呑みはじめたのはちょうど2年前。ビールのように身体が冷えず、日本酒や焼酎のように悪酔いしない、わたしにとってそんな理想のお酒は赤ワインでした。しかし、ワインでも酔いが普段より早く回るものがある。それは単にアルコール度数の問題ではなく、添加物の問題だったりするらしい。呑んでいる最中にはそんなことには気がつかず、料理といっしょに呑み喰いしているとたいていなんでもおいしいものです。それに酔っぱらったことで妙に気心が知れたりするし、酒席の場はけっして味だけですばらしさが決まるものではありません。

だがしかし。そうはいっても限度がある。外で呑むと3倍になるというシャアのような赤さを誇るワインは、たいてい家で呑むのが経済的。だから安くておいしいワインを求めるわけです。このBanrock Stationはオーストラリア産で、やまやにて購入。このワインの他とはちがうところは紙の箱に入っているところ。学生の頃のD&Dで飲料水を確保するために革袋に入った赤ワインを銀貨1枚で買い求めたものですが、21世紀を舞台にしたRPGでは紙パックに入ったワインが出てくることになりました。もっとも直に紙と接しているわけではありません。注ぎ口のついた銀のパックに入っており、紙から注ぎ口を出して使うのです。

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この赤いボタンを押すと牛の乳しぼりのようにシュバーっとワインが出てきます。

はてさて、お味の方はと申しますと、一言で言えば人工的な味。同じやまやのCarmenという銘柄の安いものなどと同じで、人の手がかかったというよりは、何か薬品が入っていると思わせる刺激を舌と喉に感じます。これがSO2なのでしょうか。

2リットルで1200円程度と破格の値段ですが、その理由は味にあり。大量生産できるにはそれなりの理由がついてまわるのです。まずいわけではないのですが、すごく不自然なものを口にしている感じがぬぐえません。これでシラーなんて入った日には一発で悪酔いしそう。

2006年11月19日

いとうせいこう/奥泉光/渡部直巳『文芸漫談 笑うブンガク入門』

文芸漫談―笑うブンガク入門
いとう せいこう 渡部 直己 奥泉 光
集英社
売り上げランキング: 144022

なんだよもう。こんないい話してたのかちきしょー。これはねー、文学っていうより、小説をどう読むか、どう書くかというスタイルの話なわけで、万人が自らに問いなおすべき問題ですよ。それをこんなぴーひゃらしたフルートで解決するなんて、やるなあ。

酔っぱらって読んだせいで、やや必要以上に天啓を受けた印象もありますが、それでも(失礼ながら冴えない)表紙から受ける「なんだかいろいろ大丈夫?」と心配しそうな微妙な雰囲気からはまったくかけ離れた叡智がみなぎる一冊です。

特に5章「涙の共同体」ではとおりいっぺんのドラマに涙する奥泉さんの話から、でもただ涙するなんてのは記号を叩き込めば実は誰にでもできることであり、そこから笑いを導くくらいになって初めて名作となると言います。その例として島尾敏雄『死の棘』で叫ぶ男に向かって子供が呼びかけるシーンを拾います。戦争のようにどう転がっても泣くしかないような場面でも笑いや別の感情が入る隙間がある。

この本で改めて確信したのは、書いている表層から引き起こされるおもしろさというのはちょっとかけ離れているくらいの方がいい、ということ。先日の読書会のお題になった『石の葬式』とその元ネタと言っても差し支えない『百年の孤独』などでは貧しい村で起こるドタバタを描いて、本人としては貧しかったり人生がうまくいかなくていらついたりするところを、読者としては笑えたりあまりに意外な行動に展開されたりして驚くところが名作たる理由となっています。Aという事象にたいていつきまとう感情A'を描くことが普通の小説としたら、AとはまったくちがうBの小説で引き起こされる感情B'がAに付随しちゃうことが名作の条件になるかもしれません。

まだ年に数回開催されているらしいので、機会さえあればぜひLiveに立ち会いたいものです。

福田和也『悪の読書術』(講談社新書)

悪の読書術
悪の読書術
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福田 和也
講談社
売り上げランキング: 44350

この本のさかしげなふるまいにうんざりしていたところ、プロレスのようなものだと耳にし心の活火山がようやく矛を収めた。文壇とか「きょーよー」としての読書が必要な人の参考書であり、本が読みたい人ならば歩いてぶつかったものを手に取るべきで、「何を読んだら利口に見えるか」なんてことを気にするのは愚の骨頂。「あらすじで分かる文学」みたいな本を読んだ方が早い。

『亡命ロシア料理』精読1

亡命ロシア料理
亡命ロシア料理
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P・ワイリ A・ゲニス 沼野 充義
未知谷
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P・ワイリ/A・ゲニスの二人はロシアに生まれるも、訳者にも分からない理由で亡命することとなり、本書をニューヨークに移住してから執筆しました。この二人のプロフィールについてはともかく、本書がいかにすばらしいか、これから不定期ながら回を重ねることによって、ロシア料理の深淵をのぞきこみ、ともに味わおうというこころみです。

本書のすばらしさはどれほど執筆しようとも、「一読に如かず」の一言で解決されてしまいます。しかし、未知谷という比較的メジャーではない出版社から出ており、出版からかなり時間がたっているために一般の書店では取り寄せになってしまうことでしょう。それでもこの本は来るべき冬に向けて、まちがいなく手に取るべき一冊であります。ロシアという広大でヨーロッパとアジアを含む雄大な土地に根付いた料理について、箴言と皮肉をスパイスに海を渡った二人が故郷への愛憎を含ませて描く料理の数々。ウォッカを呑めずキャビアなど片手の指より少ない経験しかないわたしでも、この本を読むだけで冬が越せるのではないかと文章から暖かみが感じられる稀代の名著であります。マッチ売りの少女も本書さえあればマッチをすらずとも湯気を立てるボルシチや芯から暖まるウォッカを夢に見ることができたのではないでしょうか。飲酒制限はともかく。

できることなら本書のすべてを書き写したい。しかしそういうわけにもいきません。そのためできる限り本書の料理を再現し、本書のすばらしさを訴えていきたい。なんといってもこの本にはロシアの魂があるのですから。

食卓の用意のできたテーブルをじっと見つめれば、すぐにわかるはず。そこにあるのは、ロシアの食べ物だけではない。そこに見つかるのは、ロシアの魂なのだから。

2006年11月23日

ジム・ダッジ『ゴーストと旅すれば』(福武書店)

ゴーストと旅すれば
ゴーストと旅すれば
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ジム ダッジ 日暮 雅通
福武書店
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「ロードノベル」ともいうべき、トラック(レッカー車乗りでほとんどキャデラックを乗り回していますが)野郎の一代妄想記。ケルアック『路上』ライクにどちらかというと西海岸を中心に暴走します。

うまいなと思ったのが、物語の導入部で、事故った主人公のところに頼んでもいないレッカー車がやってきて、そのレッカー車を運転している「ゴースト」がこれまでの人生を語るという二重の物語性を持っているところ。しかし、このおかげでラストは微妙に構成がゆるくなってしまい、尻すぼみ感は否めません。

ボルヘスも真っ青な記憶力を誇るゴーストの語りは、自虐的でありながらドラッグでハイになった楽観も持ち合わせている。麻雀漬けだった西原理恵子がレッカー車乗りだったらこんな感じかもしれません。ゴーストはとある阿呆な目的のためにキャデラックを乗り回しているのですが、DV被害者の母親、マッドフィロソファー、黒人牧師などをヒッチハイクする。旅は道連れ世は情。一人でラリりながらかっとばしていても物語にはならないが、ドラッグの副産物のように見えるユニークな同乗者の数々はページをめくる手を止めません。特に黒人牧師のダブルゴーン・ジョンソンはスパイク・リーの映画で叫んでいそうな逸材。彼のナイス説教をちょっと引用します。

すると、突然そこへ―—ドーン!――神の大声が嵐とともにやってきて、神自身が姿を現した。神がヨブとそのダチたちに向かって言ったのは、こんなことだ。
『おれが神だ!(略)』

『路上』の自棄は脱出しようがない現実との鬩ぎあいに終始しますが、本書はもっと現実とタフに向かい合い、人の対話を通して変化していくところに魅力がある。それは作中のBGMもそうで、街でくすぶっている頃に聴いたジャズのスポンテニアスさから、路上に出てロックのコマーシャリズムにゴーストの趣味が変わっていくところにも出ています。音だけではなく、言葉を歌い上げるロックを轟音でかけながらキャデラックを飛ばしていく。その先にあるくだらなくもロマンチックな目標目指して。

走り続けることの虚無感と高揚感をドラッグと共にかけぬけますが、『裸のランチ』をはじめとした読者置いてきぼりのシュールレアリズムに堕することなく、ロマンを抱えたままで現実のおかしな、だけども愛すべき点を描き出す希有な名作。かなり笑えます。

2006年11月24日

ウィリアム・バロウズ『内なるネコ』(河出書房新社)

内なるネコ
内なるネコ
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ウィリアム バロウズ William Burroughs 山形 浩生
河出書房新社
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ネコ大好きなバロウズ爺ちゃんの屈折自伝らしいですが、わたしには猫大好き爺ちゃんの猫大好き日記にしか読めませんでしたネコ大好き。

ネコ嫌いは、醜く、愚かで粗野な偏屈な精神のあらわれだ。そんな醜い霊とは妥協することはない。

そうだそうだ、もっと言ってやれよ爺ちゃん。

ネコとはわたしにとって、滅びゆく種への最後の生きた結びつきなのだ。

大島先生も猫は進化の成れの果てとも、猫はあいさつに便利とも言っておりました。

うなる風と雪。老人が、自分の家の残骸でつくった即席の掘っ立て小屋で、破れた羽根ぶとん、穴だらけの毛布、汚れた絨毯の中でうずくまる。ネコたちといっしょに。

ここにわたしの未来がある。決していいものじゃないけれど、猫だけは裏切らないし、裏切ってはいけない。人間社会にいまいちなじめないわたしの最後の砦は、実はバロウズと共有しているのかもしれないと思うとちょっといい気分になります。

バロウズの書物を読み解こうとするならすばらしい解説書がたくさん出ていますが、バロウズのようなカットアップや詩のような文章は、正しい読解を目指すよりも、自分にとってどうその文章が作用するのかを突き詰めた方が有益に感じます。正しさなんて学問の徒にまかせるべきで、多くの読書愛好家はすべからくおのれの未知なる道を進むべし。誤読など気にせずに猫大好きと叫びたい一冊でした。

2006年11月26日

第16回読書会パノス・カルネジス『石の葬式』

石の葬式
石の葬式
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パノス カルネジス Panos Karnezis 岩本 正恵
白水社
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前回開催の9月から比べるとめっきり冷え込んだ都内某所にて「ギリシアのマジック・リアリズム」とうたわれた本書の読書会を開催しました(帯とはちがって「マジック・リアリズムではない」という意見が多かったですが)。参加人数は久しぶりに10人を下回りましたが、それでも会話は盛り上がりました。読書会に人数の多寡はあまり関係ないようです。

短編集ではありますが、作品によって他の短編と登場人物が同じものもあり、異なるものもあるということで、連作短編集とも言い切れないが全体として似通ったトーンがあるという指摘がありました。また、登場人物をメモしながら読むと、短編の時系列的な流れなどが見えるのではないかという意見もありましたが、村の戸数と人口の関係などから考えると数値などの正確さに作者はあまり気を使っていないようです。また、ギリシアの内戦も少なからず作品に影響があるだろうとも。

投票所の結果どおり、会場でも表題作が一番人気。双子というモチーフがアゴタ・クリストフ『悪童日記』にもあるように、特有の神秘さを生んでいるという印象がありました。

個別の短篇についてはいろいろありましたが、全体を通して「あったことを書かない」テクニックによって陰惨さが緩和され、幻想的な面が強調されるようです(「サーカスの呼びもの」でのケンタウロス、「冬の猟師」)。また、「冬の猟師」や「永遠の生命」は神父たちが出てくる話とは時代性が異なることから、村の過去の話なり連作短篇とは異なる位置づけという見解になりました。

また、男色の話がかなり隠されているところも読書会で共有された大きなポイントでした。場所は忘れてしまったので各自アンテナをはりめぐらせて読みあかしてみてください。

次回はちょっと保留として、その次3月10日のお題は『巨匠とマルガリータ』。集英社版でもなく、今一番入手しやすい群像社版でもなく、新たに郁朋社から発売される完訳版でご参加ください。悪漢と密偵さんによると、12月上旬発売予定だそうです。

2006年11月27日

藤沢周平『用心棒日月抄』(新潮文庫)

用心棒日月抄
用心棒日月抄
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藤沢 周平
新潮社
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高校の頃には吉川英治にはまって、『三国志(今でも大好き!)』『水滸伝(吉川バージョンは作者が亡くなったため未完)』、『宮本武蔵』の基本をおさえていたし、大学時代には『鬼平犯科帳』全巻読破も達成したりして歴史小説はかなり好きな部類。でもSFや変な海外文学ばかり読んでいると歴史小説はかなり遠いものに感じてしまう。勧善懲悪の予定調和が前提にあるから、どうしても先が読めて鼻白んでしまうのでした。

ところが、本書は事情によって本国を追われ、江戸で浪人の身となり仕事を斡旋してもらうことになる武士が主人公。さながら派遣社員に登録しながら食い扶持を探す現代の若者(わたしを含む)のようではありませんか。また、中世ヨーロッパの傭兵ギルドを舞台にしたTRPGのような単純さと腕っ節のロマンがあります。さらに地元に事情ある許嫁を残しているところも遠距離恋愛マニアにはたまりません。いちいち健康的な屈折があって読んでいて飽きない。続きもあるそうだけど、それだったらもっと江戸の鬱屈した日々を続ければよかったのに、と思いつつ、絶対読みたくなる物語とキャラクターの勢いがあります。小難しい文学やら哲学に疲れたときの清涼剤にどうぞ。

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