サミュエル・R. ディレイニー 若島 正 Samuel R. Delany
国書刊行会
あー、SFキライじゃなくてよかった。特にNW(ニューウェイブ)-SFはわけわかんないからキライなんて毛嫌いしなくてよかった。これもみんな学生時代にがんばって読んだブルトン『シュルレアリズム宣言』(特に「溶ける魚」の詩的な無意味さ)のおかげだな、ブルトン先生ありがとう。あの本からわたしは「よくわかんないものを楽しむ」姿勢を学んだと思う。実は自分の理解できないものに喜びを感じることは訓練が必要だ。未知への不安について「わかんねえんだよ、このやろう」と怒り出す人もいるかもしれない。わたしだって時々そういうことはあるけれども、分からないことを分からないままに受け入れる心構えはしてきたつもり。未知は不安と共に新しい世界の始まりであることも忘れてはいけないと思う。
もっとも不評のベイリー「四色問題」。セックスを暗示したへんてこな物語と、四色問題を解こうとあがく老人と少年、数学的な説明が入り乱れ、「この小説が何を言いたいか」ということは全く理解できなかった。だが、この四色問題、性的な関心から何か連想することはないだろうか。日本人なら誰しも一度は耳にした血液型占いである(海外では星座占いがメジャーです)。合コンなんかで四色問題をさかしげに持ち出して、「人間もね、四色より少ない色で分けることはできないわけよ。君、何型?」と居酒屋トークの皮切りとなり、数時間後にはロケットでマグマへ突入するのであります。でも、いつまでも四色問題をひっぱっていると、非モテとなり少年を連れていつまでも解決できない四色問題をぐずぐず考え続けることになるという、分かりにくい教訓として読みました。また、佐藤哲也ぽく
つぎの瞬間、地球のマントルが流れ込み、会議室もその中身も高密度の熱い岩石の堅固な連続体へと融合していった。
と繰り返されてそれまでの話ががっしゃーんと卓袱台返しされるのも小気味よい。
もちろん、ディレイニ(あえてサンリオ表記)もいい。最初は読者がまごつくように背景の説明を極力抑えて、主人公と共に徐々に世界が明らかになっていく手法は、SFの常套手段でありSFだからこそできる技法です。その明らかになる瞬間は脳内で何かが発火したような名状しがたい喜びがありますね。この作品も、よく分からない歌を学校の先生に叱られていやいや解読していくだけなのですが、ラストはエンターテイナーの手法を見せずに魂だけで持っていくディレイニならではの盛り上がり。すばらしい。
キース・ロバーツ「降誕祭前夜」は原題がドイツ語なのがポイント。ドイツ語の理由は読んですぐに分かるようになっていて、『パヴァーヌ』を読んでいるので納得の構成。日本でやるとどうしても戦闘シーンばかりがクローズアップされてしまうけど、本作は「その後」が舞台となっています。日本だとどうしても嘘ぽくなるのに、ヨーロッパが舞台だとファンタジーでもなく、SFの一つとして「ありえる」物語として読めるのは、単に距離の問題なのか、はたまた文化そのものに由来するのか。民族が多いがゆえに異なる歴史を選択した可能性がより身近に感じられるのかもしれません。キース・ロバーツらしい性格悪いセンチメンタルさが存分に発揮されていて、一気に読んでしまいました。喪失感を書かせたらSF界ナンバーワンかもしれません。
ちょっとネタばれ。
部屋に置かれた禁書を読むまでは、同伴の女性がダイアンであることは地の文では明かされていません。マナリングの会話でダイアンと知れるだけです。つまり、この時点で女性はいるけれども読者はダイアンであると信じ込まされている、ともとれるようになっています。ここはうまい。また、禁書を読んでから現れる女性はダイアンと自ら名乗っている。ここからは主人公マナリングの幻想とも解釈できます。そのあたりの虚実の分かれ目をたゆたうのもこの小説の楽しみ方。
ハーラン・エリスン「プリティ・マギー・マネーアイズ」は再読。だが、改めてかっこよさを感じる。すかんぴんのところから、謎の力を借りて陳腐な成功をおさめるが、それには裏があったという話。このどうしようもなく陳腐で、それでも生命力にあふれた気合いがエリスンの魅力であり、短編集を通すと冗長に感じられてしまうところ。
あとの2つは無難なSF。あまりNWぽさは感じませんでした。でも、この短編集は入門編としても、NWというすでに古ぼけてしまった前衛の勢いを感じる意味でもいいセレクションだと思います。