内田 義彦
岩波書店
売り上げランキング: 62,104
社会科学を学ぶ際に読書会を開催するにあたって、気をつけることをやさしく説明してくれる。
たとえば、積極的に発言が行われる読書会に参加した後での印象として、
一人で印象深く読んできたこと、心に感じたままを率直に発言したことが受けとめられ深められる形で議論が進まずに、それていく。何か奇妙なずれを感じさせられることが多いんです。(P.5)
ここはもう、そのまま今の読書部にも通用する指摘です。あくまで立ち位置は自分が読んだ本と自分の感想なのに、活発な会話が交わされていくうちに、自分がおもしろいと感じたところが取り上げられず、本の内容から外れていってしまう。さいわいにして、読書部ではそれほど逸脱したことはないと思いますが、常に参加者がみな自分の思ったことを口にできる場を提供したいと思いをあらたにさせられました。
また、感想文については実に刺激的なまとめをされています。「みだりに感想文を書くな」と提言したうえで、
感想を狙いに本を読んじゃいけない。感想は読んだ後から——結果として——出てくるもので、それを待たなければならない。さいしょから感想を、それも「まとめやすい形での」感想を求めて、いわば「掬い読み」をするかたちで本に接するから、せっかくの古典を読んでも、そのもっともいいところ、古典の古典たるゆえんが存するところを取り逃がしてしまう。(P.54)
これは実に耳が痛い。もちろん感想文を書くことが読書において最優先されるわけではありませんが、わたしにとっての読書は読んでそれを解釈し、さらに何かしらの形で出力するところまでを範囲としています。最近は確かにその「解釈」の部分を早急に判断するのはいけないと思っていて、第一段階の感想文から少しずつ変えて、たいていは読了3日後くらいにアップしています。ただ、感想を言葉として出力できない場合に無理をしない、という心がけは大切だと改めて認識しました。もっと自分の言葉として責任の持てる文章に整えること、言葉を探すことを怠けてはいけないのですね、内田先生。
さて、読者として受け取ったものの解釈はいかになされるべきか。単に自分の基準だけで読み解くのももちろん一つの形ですが、内田先生は次のようにおっしゃっています。
作者が作品とは別個に、自作について表明した「作者の意図」を安易に、頭で理解してしまって、その、頭で理解した作者の意図なるものを作品の外から持ち込んで、その眼で作品に接することになりやすい。すると、肝心の作品の字句一つ一つに対する取りくみが上すべりになる。(P.81)
この部分で述べられている「作者」は「批評家」「他者」などと置き換えられるかもしれません。つまり、他の人の解釈を読んだり聞いたりすることがかえって自分の解釈に影響し、場合によっては自分なりの解釈を阻害することがあるということですね。だからこそ、読書部にはしっかりとした自分の読みを立てて参加する必要があると感じました(他の人に強制はしませんが)。
一方で後半の「創造現場の社会科学」では自分が解釈するための概念装置を確立させるために必要なことが語られるのですが、正直この年になるとそのへんは固定化してきて、またある程度は固定化されるべきだと思います。もちろん、新しい概念を受け入れるための余地は常にあけておかなければいけませんが、それと自分の軸となる思想を両立させることについては、この文章から読み取ることができませんでした。
それにしても読書会について推奨し、しっかりとその心構えを説く本は日本ではそうそう見ることがありませんが、この本は良い入門であり常に心にとめておくべきことを記しています。読書会に参加される方はもちろん、単なる読書でも自分の軸を定めてそれぞれの本をないがしろにせずに読むことの大切さを感じました。社会科学、経済史に興味のない人にもおすすめです。