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2006年07月 アーカイブ

2006年07月01日

J・P・マンシェット『危険なささやき』(ハヤカワ・ミステリ文庫)

危険なささやき
危険なささやき
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J.P.マンシェット 藤田 宜永
早川書房

身近にマンシェット愛好家(TOPページはEUCでblogはShift-JISなのはMac泣かせであることよ)がいるので買っておいた一冊。古本放出で軒並みなくなった隣の部屋になぜかぽつりと残っており、暑くてむしむししているので考えなくて良さそうな本を読もうという意図で手に取る。

表紙誰だよ、と野暮なつっこみを入れつつ予想していた通りにさくさく読み進める。私立探偵タルポンが事件の依頼を受けると知人の警部から「金だけもらってほっておけ」とアドバイスが。別のちっぽけな横領事件と平行しておっかけてると依頼人がショッキングなことになり、普段は悪ぶってるタルポンもあっちこっちで悪人たちに探りを入れてはさらにおおごとに巻き込まれていく、実に安心できるつくりの親切ノワール。

ノワールの一番の楽しみは、なんといってもへらず口のおもしろさにありと信じているわたしにとっては、事件の詳細とか細やかな人間模様は二の次で苦笑してしまう名言を探してしまう。さすがにへらず口テキサスチャンプのランズデールにはかなわないけれど、マンシェットもなかなかのもの。なんだかんだで敵をまいたりやっつけたりするたびに相手の拳銃を奪ってきたタルポンは、最後の敵に見つかって頭に拳銃をつきつけられてしまう。

「あんたの拳銃、おれにくれないかな」とおれは続けた。「最近、日に二、三挺ずつ拾って歩いてるんだ。銃砲店でも開こうと思ってね。(P.204)

ちょっとかっこいい。生きるか死ぬかの瀬戸際になかなかこの台詞は言えませんよ。

こういう言い方でこんなことを言われると、やはりびっくりしてしまう。食べかけのヨーグルトが突然、はやくお仕舞いにして、苦しくて仕方ないんだ、と叫ぶのを聞いて驚くのと同じような感じだ(P.204)

おもしろい。この余裕だかロハスだか分からない発想の転換がじんわり染みて、「いきがっちゃって、もう」と主人公に共感しちゃうのです。仲間がウイスキー飲んでるときでもコーヒーを選んだり、仲間が将棋をしている間に一仕事しちゃったり、有能かもしれないけど端にいると迷惑、だからこそかっこいいタルポンちゃん。なんとなくおなかがタルポンなイメージですが、物語自体はソリッドでなかなかのおすすめです。1981年にアラン・ドロン主演兼監督で映画化もされているようですね。たぶんふつーにカーチェイスがあってふつーにボスと戦うような映像でしょうから見ません。

2006年07月02日

ジョルジュ・サンド 『愛の妖精』(岩波文庫)

愛の妖精
愛の妖精
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ジョルジュ サンド 宮崎 嶺雄 George Sand
岩波書店
売り上げランキング: 44,028

某nmnmさんから突きつけられた課題図書。表紙には扇情的な女性のイラスト。なまめかしいタイトルは、『愛の妖精』。

『愛の養成』だったらナベジュン的に愛をはぐくむのだな、と分かる。いけすに泳ぐ大量の愛にえさを放つような第一次産業ぽさが残るが、愛を育てる真摯さには変わらないだろう。類似語に「愛工場」があります。なぜかカブをひっこぬいて投げつけたり、する。

『愛の要請』だともうちょっと軍事系の香りが漂う。
「ランドリー軍がきたぞ〜」
ガラッ
「徴発だ。全員持ち合わせているだけの愛を出せ。これはランドリー国王による愛の要請であるっ。」
こうなったらもうありったけの愛を出すしかない。村によっては愛が足りないとかで看板娘が連れて行かれちゃったりする。これを略奪愛という。

だが、『愛の妖精』と言われたら、つかもうとしてもつかみきれない好きな人、といういかにもありきたりなところに落ち着いてしまう。もう「愛の妖精」という言葉はそれくらいありきたりな言葉だ。辞書のエロワードだけでハァハァできるのは学生まで、みたいなことが大きな文学の歴史でも起こっている感じ。

中身のほうは、メガネをかけた冴えない女の子が外すと美人になるドリーム+タッチ、タッチ、ここにタッチ。達也と和也の立場が逆ですが、ほんとにタッチしちゃうところが見どころです。BGMはサイモンとガーファンクルでライラライにおねがいします。

2006年07月08日

第14回読書部カズオ・イシグロ『わたしを離さないで』

わたしを離さないで
わたしを離さないで
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カズオ イシグロ
早川書房

読書部のページはこちら。参加者はほとんどのみなさんがmixi内で感想を書いてらっしゃるようです。

まずは前哨戦として全員の感想を聞く時間。
・原文ではdonorだが、それを日本語として通用している「ドナー」ではなく、「提供者」と訳していること→日本語の「ドナー」が持つ具体性より漠然とした印象。名訳。
・他の作品から受けるイメージとはやや異なるが、最後がおとなしくてやや拍子抜け
・『日の名残り』と同じ語りの構造
・登場人物に迷いがない、心が動かないために先を読む楽しみが少ない
・非現実的な設定で全体像がつかめない
・1/5くらいから急におもしろくなった
・「生まれついての諦めぶり」へのいらだち
・誰に向かって語っているのか?
・SFとしては全然目新しいところがない
・だがうまい
・クローンという設定にしては自然な人物像
・何が起こっているか分からないというのはアニメや映画では無理で、小説でしかできない内容
T・H・クックに近いところがある
・抑制の利いた文章
・これだけ世界を作り込んでいるのに、書かれていることはガキの三角関係
・実はカズオ・イシグロの本は全て「提供者」ものの歴史であり、『日の名残り』の後にパラレルワールドとして『わたしを離さないで』が来る
・過去の美しさと残酷さが対比された美しい構成
・提供者を育てる保護官の視点で読んだ
・藤子・F・不二雄「ミノタウロスの皿」
・登場人物がロボットか宇宙人でもおかしくない
・実はキャシー・Hは他にキャシー・A、キャシー・B…と続く、かも
・登場人物のあきらめぶりは生来の能力がカットされた結果
・解釈の余地がたっぷり残されて読者ごとにちがった感想を持つことができる

という意見があがりました。19人もいると感想だけで1時間かかることが分かったのは運営側の発見です。やっぱりこれくらいの人数が限界です。

その後のフリーディスカッションは通常の読書会よりも活発に意見が交わされたのは、個人の読み方によって意見が分かれやすい内容ということもあり、参加者がSF方面だけに偏らずミステリや翻訳小説をほとんど読まない方までいて、意見もある方向に流れすぎなかったと思います。

とはいえ、SFの方からは上でもあげているように、「カズオ・イシグロ ヘールシャムサーガ」という画期的な意見が出されたりもしました。書記のわたし自身は『日の名残り』と本作しか読んでいないので、はたしてカズオ・イシグロの残りの3作がどのようにヘールシャムサーガにかかわるかはよく分かっていないのですが、興味がある人は他の作品にも同じようにクローンが出てくる、という視点で読んでみてはどうでしょうか。

主人公たちがクローンで感情的にはなるものの、大きなところで反抗しないのは生得的にしろ後天的な教育によるものにしろ、「去勢されている」ゆえの行動という読み方がありました。一人称なので明確な理由は書かれていませんが、森を病的に怖がることなどに理由があるかもしれません。また、トミーが幼い頃に癇癪持ちなのも、去勢が徹底されていない状況にあるため、という意見がありました。

読者はキャスの視点を通してしか作品世界を見ることができません。「信頼できない語り手」による一人称については、
-実は他の生徒たちが図工などを作り、トミーが入院しても魚の絵を描いていたように、キャスにとっての展示館を目指す作品だったのかもしれない
-ルースに対する悪意がそこはかとなく顔を出しており、読者はキャスの純愛として読む

ここで初めての試みとして、読書会の中でアンケートをとりました。「あらかじめSF要素があると知って読んだ」「SFぽさについては知らずに読んだ」人を比較したところ13:6という数字で、SFマガジンなどでの評で読んだSFの人たちは読み始めてすぐにどういう展開か見抜いていたようす。こういうアンケートは問題を単純化してしまうかもしれないけど、話題の提供としては議論の中に緩さを提供するという意味で有益だと思いました。

もう一つアンケートとして、キャスが2週間ほど待ってからルースにもの申す場面があります(P.74の販売台帳の話だっけ?)が、自分がキャスと同じ年頃(12〜14歳)で同じように一つのことを考え続けて時間をおいてから意見するようなことがあったか?というものでした。その頃の子供ならもっと直情的に自分の言いたいことをその場で言ってしまうのではないか、という疑問が発端です。結果は、待つ人6:待たない人13で男女比もほぼ同じ。

読書会で最も参加者に影響を与えたのは「イギリスは階層社会なので、執筆背景にも表れている」のではないか、という意見でした。『日の名残り』の執事と主人、イギリス人の主人とアメリカ人の主人という対比もあります。この作品ではヘールシャムをはじめとしたクローンたちが提供者と介護人の両方を担当するが、クローンでない人間がそれらを担当している描写や気配はありません。同じ階層同士で固まる傾向が見られるため、クローン以外の人間については保護官とポシブルくらいしか描写がなく、また、保護官たちがヘールシャムを作り結果的には頓挫してしまったことも、階層のちがいを明確にしたいという社会の意向がぼんやりと浮かび上がっている、と話が展開しました。

今回は2次会、3次会でも話題が続いていたそうで(わたしはいつものように泥酔しており、トロール船の話くらいしか覚えておりませぬ……)、参加者の方には満足していただけたと思います。『百年の孤独』のように無敵の名作を選ぶよりも、新しくてちょっと隙のある本の方が語り合うには向いているかもしれない、と一週間後に考えたりしています。ともあれ、参加者のみなさまおつかれさまでした。

2006年07月12日

ハリー・G・フランクファート 『ウンコな議論』(筑摩書房)

山形浩生訳とあまりの薄さで図書館で手に取る。半分は訳者解説で長いけれども、本文と同等に読む価値ありです。

実際は何も実のあることを言ってない議論・意見のことを「ウンコな議論」と称し、確かにくだらないものだけれど、時としてそれが緩衝材にもなりうる、ということ。そういうものをうまく使えるのが大人だそうで、こいずみじゅんいちろうさんや米国の国務長官さんなどがこの手の物言いのプロフェッショナルだそうです。こういう話法をうまく使えるとえらくなれるらしいので、大人の階段をがんばってのぼろうと思いました。

こういう話法をスポーツ選手でよく使っていたのがマイケル・ジョーダンさんで、あまりのスーパープレイにあまりのそつのなさがなんともイヤミだったことを思い出しました。イチローさんも以前はあきらかにジョーダンのスマートさを受け継いだ発言が目立ったのですが、最近は審判に抗議したり、インタビューではっちゃけたことも言うようになって、そういうのが大人の楽しさだよな。

このあたりの議論の進め方、クレバーな立ち回りについてはヨーロッパのサッカー選手も見習うべきだと思う。特にイギリスに帰れなくなっちゃったC・ロナウドさんは必読です。

2006年07月13日

リベリオン

リベリオン -反逆者-
リベリオン -反逆者-
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アミューズソフトエンタテインメント (2003/10/24)
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SFの本は読んでも、映像にはあまり興味がありません。SFといっても自分から読むのは1960年代以降のいわゆるニューウェーブと言われる分野が中心なので、スターウォーズに代表されるようなビームがびゅんびゅん出て、敵をばったばったなぎはらうような映像には野蛮なものばかり感じて積極的に見ようと思わなかった。その意識が変わったのは、やはり世界は楽しんだもの勝ち、おもしろいものはたくさんあった方がいいし、つまらないと思うものも体験しなければつまらないと言えないという覚悟のようなものが出てきたせいだろう。つまらないものもなるべく楽しみ、その中でも二度と見たくないと思うものは存外多くないものだ。

この映画はいわゆるガン=カタ、拳銃を使ったアクションが売りらしい。序盤は感情を排除した世界観の説明をいやらしくなく生活の中にまぎらせて解説し、中盤からばんばん撃つアクションシーンが増えて、飽きないつくりになっている。ま、感情を排した世界というには結婚制度なんかも残っていて、どこまできれいに処理されているかは見る側のつっこみ度合いに委ねられるところも多い。

印象に残ったのはふとした拍子にガラス窓のフィルタが外れて、光り輝く世界が映し出される場面。娑婆に出るってのはこういう光、色を感じることかもしれません。わんこもよかった、いい鳴きしてた。

全般にアクションシーンはプロレス(四天王の頃の全日)を見る時のように、どれだけおもしろい技を出してくれるかの一点にしぼって見ているので、あまり物語自体の起伏や意外性に目新しいところはありません。

主人公が無感情のところから始まるので、この手の映画にありそうなべたべたの恋愛を絡ませた安っぽいSFという恐れていた先入観が外れたために点数が高いのかも。難しいことを考えたくはないけれど、能天気な映画では損した気分になる、そんな複雑なよくばりさんにおすすめです。

2006年07月16日

JOE「and then ……」

And Then...
And Then...
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Joe
Zomba (2003/12/16)
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JOEはすました顔してエロい。そのエロさも単にいやらしいわけじゃなくて、スマートに導いてゆっくりと盛り上げていくグルーヴィーなエロさ。こういうタイプは年上からはかわいがられて、年下からはかっこよさでモテる。

このアルバムでは前作「better days」よりもエキゾチックな雰囲気が出ている。女性ボーカルがアクセント的に使われて、全体としてもベースとドラムが後ろを固めてJOEのボーカルでメロディを作り出している。エフェクトのかかったコーラスがふわふわっと重なって高みに到達する曲調はわたしの単純な好みもあるけれど、おおげさなキーボードをぺらぺらと重ねて安直にゴージャスさを出そうとするアディ○○スみたいな環境音楽一歩手前に爪のあかを煎じて飲んでいただきたい。やっぱり声の重なりってきれいだし、人を動かす力があるのですわ。

R.Kellyと組んだ3.More and moreではベードラが心臓の音のように鼓動を刻み、切なくもエロ。歌詞は「ベッドから床へ、床からキッチンへ、まっすぐリビングへ、きみのことをクレイジーにするぜ もっともっと」とエロまっしぐら。

シングル2.and then…も女性ボーカルの吐息が残り、ぐぐっと押し上げるような曲。バックに女性の笑い声やグラスと氷が触れる音がして、具体的なシチュエーションが見えるようです。「それから…?」と女性が聞き、JOEが「僕の全部をあげるよ」「きみの瞳に釘付けさ」「秘密をすべて打ち明けるよ」とくどいていく。将棋でいったら三手詰め、もうすぐですよ。

スムースさとエロさを兼ね備えて、それでいてキャッチーなメロディ。はじめは前の「better days」に比べるとちょっと地味な印象があったものの、聴き続けていくとどんどん深みにはまってしまいます。大人のエロでも言ってることは意外にシンプル、これがモテるこつなのかもしれません。

2006年07月23日

ハウルの動く城

ハウルの動く城
ハウルの動く城
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ブエナ・ビスタ・ホーム・エンターテイメント (2005/11/16)
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先々週に本作を借りて3日後くらいに「『ハウルの動く城』テレビ初登場」の文字を読んだ時は、髪の毛を洗った後に顔を洗おうとしてなぜかまたシャンプーを手に取ってしまったときに覚える感情と同じでした。値段はちがうけど。どちらにしろ、ぼこぼこどかどか動く城のようなものが見られただけで満足です。あれは確かに大きな劇場ででっかい音で見たほうが楽しいだろうな。

ちょっとイケメンとデートしただけで嫉妬にあってしまうソフィーは三輪お局様から新参者にありがちな報いを受けるわけですが、そこからの行動力は生き生きしていて、現実にはありえない丈夫さなどはアニメならでは。原作読んでないんでいろんな背景が分からないままでしたが、苦労した人が報われる話はたいてい感動するものです。逆に物語内のつじつまを合わせたいなら原作を読むべきなのでしょう、この物語にそこまでの愛を持っていないのでわたしは読みませんが。そして読んでみたらなぜだか怒りをかきたてるような結果になっても、それはそれで楽しんだもの勝ちです。

ハウルに学ぶモテの極意、それは過去と現在と未来の全部をあげてしまうくらいの度量の大きさと、困ったときには転がり込める家の広さであります。東京で買ったら1枚1000円くらいしそうなベーコンがうまそう。料理スキルも大事みたいですね。

そこここで言われていた通り、倍賞千恵子さんは実におばあさんらしい声だったので、できれば娘パートは別の人に担当していただきたかった。声の波長が似ていることで有名な一青窈さんが娘パート、平井堅さんがおばあさんをやったら声のトーンがあって違和感がなかったと思います。平井さんのパートでは性転換しちゃってもいいかもしれません。ハウルのお師匠さんに気に入られちゃったりして、娘の部分ではハウルに恋し、爺パートでは師匠に恋する奇妙な三角関係。そうするとハウルががんばる理由がだいぶ変わってきそうです。

また、美輪様が案外でずっぱりだったのも意外性があって、階段をのぼって汗だくだくになるシーンでは疲れぶりがリアルすぎたので、スタジオジブリは美輪様を本気で走らせたのではないかとさえ思うほどです。声、ほとんど出てなかった。「ふぃー、はひー」。

ラストの疾走感はMetallicaの「Battery」みたいに突っ走って、ばてりー、ばって、りー、でした。おもしろかったです。テレビ放送は悔しいので見ていません。ちぇ。

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2006年07月26日

エドマンド・ホワイト『螺旋』(早川書房)

螺旋
螺旋
posted with amazlet on 06.10.07
エドマンド ホワイト Edmand White 浅羽 莢子
早川書房
売り上げランキング: 1,111,400

本作は1995年頃に早川書房からシリーズ化された「夢の文学館」シリーズの第2巻目にあたります。このシリーズはアンジェラ・カーター『ワイズ・チルドレン』、ジェフ・ライマン『夢の終わりに…』(刊行予定時は『ウォズ』)、コニー・ウィリス『ドゥームスデイ・ブック』、クリストファー・プリースト『魔法』までが刊行されましたが、最後にして最高に期待されたジョン・クロウリー『エヂプト』は2006年現在も未刊です。うずうず。

エドマンド・ホワイトはゲイ作家ということも知らずに初めて読んだのですが、ナボコフにも比較されるという文体の優美さは日本語訳でも充分に伝わってきます。18世紀フランスのポルノ小説をモチーフにしたというこの小説は、登場人物がロンドのように組んで踊り、時が来たら別れてまた別の人と踊る様に、出会って仲睦まじくなり、また離れて別の人との異なる愛情を繰り広げる絵巻物のような小説でした。そして表紙のタンポポのような赤い花は5つ咲いています。ガブリエル、アンジェリカ、"おっさん"マテオ、女優マティルダ、"エステで完璧"エドウィージュたちが繰り広げる恋愛模様は近親相姦、ロリコン、SMとなんでもありです。

冒頭はもてない男の典型のようなガブリエルが、低い身分のアンジェリカと恋に落ちる場面から始まります。高い身分でありながら不細工をコンプレックスにしているガブリエルは、自由奔放なアンジェリカに誘われてSEXの喜びを知ります。不細工というコンプレックスを抱えつつも、人から愛されることでほのかな自信を得るあたりは、最近だと『電車男』(わたしが読んだのはWEB版です)でデートを重ねて自信をつけていくところのように、もてないコンプレックスを抱える人とそれを克服した人すべてに共感されるテーマでしょう。二人が「痺れ」を感じるシーンでは「痺れ」としか表現しようのない粗野さと、そこに込められる感情の大きさ、初々しさがはじけるようです。

やがて二人は道を分ち、コンプレックスをマジック・リアリズム的に解決したガブリエルは叔父マテオに伴われて都会に出てきます。着飾った人々、化粧以上に上塗りされた人々、それでいて皆目的は単純なことしか抱えていません。田舎から都会に出てくる描写の落差こそがこの小説最高のみどころです。むしろ田舎の粗野だからこそ美しい場面を思い起こさせるために、都会の退屈で平凡ながら平凡でないふりをする人々を延々書き続けているのかもしれません。しかしそこはナボコフの再来とまで言われたホワイトの文章、ごくごく狭い舞台をいっぱいにつかってメインとなる5人を、時には激しく時には穏やかに動かし、ロンドで相手が交換するときのように優美ななめらかさでそれぞれを描き出します。おわりなく続くかのように見えた舞踏も、やがて終わる時が来る。そのシーンのドラマチックさは自分がありえなかった歴史の目撃者になったかのようで、「そのとき歴史が動いた」と身体で感じられる小説です。

でも、あとがきを先に読んで、柿沼瑛子さんの「マジック・リアリズム」という言葉がなかったら手に取ることもありませんでしたが、同時にこれほどしみったれた「マジック・リアリズム」も珍しい。歴史的な背景を持ってはいませんが、むしろ正統派の文学として評されるべき一冊だと思います。作者にはゲイ文学というレッテルが貼られているようですが、そのような前評判をふりはらって一人でも多くの人にフィクションが抱えることのできる空間の広さ、表層的な人間関係の下にはらむかけひきを感じてほしいと思います。

2006年07月30日

山村修『<狐>が選んだ入門書』(ちくま新書)

“狐”が選んだ入門書
山村 修
筑摩書房

6336と人より2年多く学んだわたしにとって、最後の6年は教養と縁のない生活を送り、ありていに言えば勉強せずに麻雀ばかりうっていたわけで、教養の下地みたいなものがまったくなく、「ああ、わたしは愚かだなあ、経済って食えるの?」と詠嘆する毎日であります。この本は、わたしのように学問へのスタンスがさっぱり分からない人はもちろんのこと、特に何のために勉強するのか分からない学生さんには自分の立ち位置を固めるためにも役立つのではないでしょうか。初めて山形浩生氏のページにたどりついたときにも似た、叡智の一端に触れたような入り口ですが、狐だけに鳥居をくぐれない人もいるかもしれませんな。

とりあげられているテーマは、「言葉」「文学」「歴史」「思想史」「美術」と、どれも「入門書」も教科書的な決まり文句だけではなく、その分野でものを考えるために必要な力、運動の前のストレッチのように脳みそをしなやかに伸ばしてくれそうな本ばかりで、掲載されている本を全部読破することが「自分宿題」の一つになりました。

長年の書評、図書館司書を経た著者の選書眼が如実に伝わるのはあとがき。WEBで検索すると積んだままになっている人が多いようなので、すぐにあとがきだけ目を通してくださいませ。すぐにこの本を読まずにはいられなくなりますので。論より証拠、「狐の書評」への案内では狐さんの書評が読めます。→現在はリンク先が消失しているようです。

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