« 2006年05月 | メイン | 2006年07月 »

2006年06月 アーカイブ

2006年06月03日

カズオ・イシグロ『わたしを離さないで』(早川書房)

わたしを離さないで
わたしを離さないで
posted with amazlet on 06.10.11
カズオ イシグロ
早川書房

ここ100年の100冊に選ばれるなどとにかく前評判の高い一冊。次回読書部の課題図書として、2回くらいは読もうと思っての1回目。カズオ・イシグロって生まれは日本人だし「English is a mystical place」なんて言ってるから、「Lost in translation」英国版くらいに甘く見積もっていた。英国でとまどう日本人の視点を元にした、そこはかとなくリアルな小説みたいなもんか。そして今、己の甘い読みを深く反省している。

この本について語る言葉がまだ明確化していない。全体から受ける印象は穏やかな諦観。定められた運命に翻弄される人々。読者のわたしにとってはどこか風変わりなのだけど、一人称の語り手にとっては常識の世界。二つの視点から眺めることになる一つの世界には静かな穏やかさと、子犬がかけまわるような無邪気さ、そして明言されていないとても醜悪なものがある。

読んでいるとき脳裏には『アルジャーノン』がつきまとっていたけれど、Guardianでは比較としてマイケル・マーシャル・スミス『スペアーズ』があげられていたように、この本ならではの個性よりも、人間を使った実験についてのやや残酷さを含んだ過去の物語を思い出させるようです。これも物語の構成上語られない背後の世界を想像させるように書かれているので、そこに読者にとって近い物語がするりとおさまるようにできている。

読了後もずっと気になっているのが、「Never let me go」というタイトルは誰から誰への呼びかけなのだろうか。トミーからキャスへ? キャスから提供者の誰かへ? はたまた提供を受ける誰かの叫び? 「離さないで」とは言うけれども、この小説で生に執着する人物はいない。みな理由があって人生を閉じ、それを運命として受け入れているように見える。だとしたら残っている人物による「Never leave me alone」でないのはなぜか? そのへんは読書部で聞いてみたいと思います。

というわけで、第14回読書会カズオ・イシグロ『わたしを離さないで』は7/1(土)に開催です。詳しくはmixiで。

2006年06月10日

カズオ・イシグロ『日の名残り』(中公文庫)

日の名残り
日の名残り
posted with amazlet on 06.10.11
カズオ イシグロ Kazuo Ishiguro 土屋 政雄
早川書房
売り上げランキング: 16,598

執事バカ一代記。恋も金にも目はくれぬ、あたしゃ主人の犬ざんす。自分の趣味とはちょっと離れた本だけれども、次回読書会の参考に読むには大変おもしろかった。

まず、語り口。一人称で(ボルヘス並みの)記憶を持った執事が、自分が仕えた主人とその当時の慌ただしさ、そして女中頭ミス・ケントンとの愛憎を回想する形式は、ほぼ『わたしを離さないで』に通じている。主観だからこそとらえきれない、それでも「あのときってもしかしてこうだったかも」という別のルートもぼんやり見える文章は、もうカズオ・イシグロの専売特許かもしれません。「志村、フラグ、フラグ!」とつっこみたくなるところを、執事のやんわりとした回想でやんわりとふさがれてしまうあたりはぼんやり突っ込みとして、若さと勢いでつっこむだけの芸人さんは見習うように。これが初老ならではのボケ・一人ツッコミですよ。

ミス・ケントンのツンデレぶりもなかなかのもの。メイドでツンデレというクラシックなスタイルを貫き通した彼女のソウル、しかと受け止めたっ。特にそれまでろくにとらなかった休みをとっているところを、執事で主人公のミスター・スティーヴンスに意見されたと思うあたりは胸キュン度高いです。

カズオ・イシグロの「言わずに世界の背景を読者に知らしめる」というスタイルは、「言わなくても通じる」と思っている日本人的な感性に近いような気がする。わたしの中の西洋人のイメージは「アイラブユー」「ジュテーム」「パルケエスパーニャ」と常に愛をささやき他人と密接なコミュニケーションをとっている。だけど、彼の世界ではみな接触が表面的で、結局のところ他人は分からないという諦観に結びつくような流れを感じるのです、まだ2冊しか読んでないけど。「言わずに通じる」「他人とは最終的に分かり合えない」という相反するようで強く他人を求める気持ちと甘えの同居した人々の動きは、端から見ているとなんとも歯がゆいものです。もっとがつがついこうぜ。ミスター・スティーヴンスは今の日本だったら非モテに分類されちゃいそうだから、もっと他人を興味を持つべきですよ、と自戒を込めて。

誰も知らない

誰も知らない
誰も知らない
posted with amazlet on 06.10.11
バンダイビジュアル (2005/03/11)
売り上げランキング: 5,674

最近の邦画にはとんとうといのだけど、海外で賞を取ったりして評判になったのは知っている一作。これを無条件にほめるにはあまりにもずっしりとのしかかられて、「おもしろい」という評価は簡単にはできない。すごく興味深く、忘れられない作品なのはまちがいないんだけど。

あらすじは長男と母の母子家庭と思われる二人が引っ越すところから始まり、荷物のスーツケースなどにはほかの兄弟3人が隠れている。その後も二人だけの母子家庭を装いつつ、5人での生活が始まるが、やがて母親は外の男と遊ぶのが楽しくなったりして家庭を顧みなくなり、ついには帰ってこなくなってしまう。

イアン・マキューアンの『セメント・ガーデン』も同じように親を失った兄弟たちが好き勝手に生きていく話だけど、あちらはけっこう残虐なシーンもあったりして肉食動物なアンファン・テリブル。日本の作品は農耕民族の血が出ているのか、兄弟は植物を地道に育てたりする。やりたい放題というシーンはあまりなく、淡々と日々をこなしていく姿がいちいち思い出される。金を借りに行って雨に降られるところ、バケツで水を汲む姿、一家そろって布団を並べて寝るところ。それらの生活ぶりは長男が発する台詞にすっとつながっていく。「いっしょに暮らせなくなるから」。

終盤、子供たちの顔つきが変わっていくシーンは、彼らの心の移り変わりが表情にくっきり現れてぐっときます。そして羽田。わたしが自転車で羽田に行き、職務質問受けて45分も拘束されたときは、あっという間に警官が現れて派出所に連れて行かれたので、実際にはあんなスーツケース押して歩いていたらばっちり見つかっちゃうよな、と心とここでつぶやきました。でも、上を向いて飛行機の腹を眺めていると、異星の動物園にまぎれこんだらこんなにでっかい鳥が飛んでいるかもしれない、と思うほどに不思議でうるさくて妙に集中しちゃうところは映画を見ていてとても共感できました。

子供嫌いを自他ともに認める(最近は年のせいか弱まってきましたが)わたしでも全編息をこらして見てしまう。映画というよりもこの異常事態を覗いているような感覚もあり、一方では大人になった今でも映画の中の子供たちのように常に不安を抱えながらもその日その日を暮らしていかなければならない共感も覚えました。誰彼かまわずすすめられる映画じゃないけど、映画を見て内省できる人にはおすすめ。

2006年06月11日

花とアリス

花とアリス 特別版
花とアリス 特別版
posted with amazlet on 06.10.11
アミューズソフトエンタテインメント (2004/10/08)
売り上げランキング: 4,818

岩井俊二監督作品は、「スワロウテイル」はおもしろかったけど、「四月物語」は恥ずかしくて見ていられなかった。ほんわかした日常は文章やまんがで読む分には全くおもしろくこちらまでほんわかしてくるのだけど、いざ映像で見せられると恥ずかしくなってしまうのは、単にわたしが自意識過剰で客観性を保てなくなるためだと思う。ほんわか空間はかなり主観の作り込みが必要ですから。

冒頭、男の子を追いかける花とアリスのシーンで、さびれた住宅地がホームから見えるのだが、あの舞台は水戸線にちがいない。あのしょぼい線路橋とか、電車の車体色はとても見覚えがあるよ。無人駅で乗降客が少ないところをねらってデートに使っていたというのは内緒ね。 ちなみに「花とアリス」のロケ地特集」というページがあり、レストランのシーンで背景に古本屋が映って「おっ、ここ行こう」なんて思ってしまったことも内緒にしてください。もう古本は買わないってば。

主人公格の鈴木杏がびっくりするほど不細工で、もしわたしが事務所の人間なら怒って抗議に行くほどの映りだった。バレエシーンも足あがってないし、全体に嘘で固めたテンプルみたいで、それはそれで若さの発露なんだけど、やっぱり自分のために大きな嘘をつく人って好きになれない。もっと寛容さを身につけたいです。

おいしいところどりの蒼井優は天然美人を素で演じてる。きちんとバレエの動きとツラで、岩井さんはこの人を撮りたいんだろうなと思いましたよこのロリコンめ。 最後のバレエシーンはわたしに踊りのセンスがないこともあり、それほど感動はできませんでした。逆に鈴木杏の方にそういうシーンがないので岩井監督の女の趣味が見えるようです。

先輩キャラはなんともぼんくらで、大学入ったらモテない成分を増幅しそうで今から心配です。あんなカワイ子ちゃんに囲まれた経験値を生かしていただきたい。

青春カムバックアゲインな人とか、「恋とはどんなものかしら」といってるおぼこさんは見ておくとよいでしょう、って最初は考えていた。でも、よく考えたら甘酸っぱさから遠くなってしまった人ほど、この映画でフレッシュネスを取り戻すという手もありです。ただ、わたしは苦手。このフレッシュネスがまぶしい歳になってしまいました。

2006年06月17日

サルマン・ラシュディ『真夜中の子供たち』(早川書房)

真夜中の子供たち〈上〉
寺門 泰彦 サルマン・ラシュディ Salman Rushdie
早川書房
真夜中の子供たち〈下〉
寺門 泰彦 サルマン・ラシュディ Salman Rushdie
早川書房

まず言っておきたいのはこの本を絶版にしている早川書房は頭を丸めて反省し、すぐに再刊すべきであるということ。これは『夜のみだらな鳥』を同様にしている集英社も同罪です。反省文も提出するように、いいね。

ある程度ネタばれ覚悟であらすじを説明しちゃうと、インドがイギリスから独立した日の夜に生まれた子供たちのことを「真夜中の子供たち」と主人公が呼んでいる。彼らはなんでか分からないけど超能力者として生まれ、深夜0時に近い時間に生まれた者ほど強い力を持っているわけ。そのへんの審査体系についてはインドの神様に聞いてくれ。

で、主人公にして語り手は0時ちょうどに生まれた一人ですごい能力を持っているが、鼻デカでぐず。もう一人同じ0時に生まれたシヴァと超能力戦争を繰り広げる。シヴァのキャラがかっこよくて、貧民街から殺人首四の字固めでなりあがり、軍隊を指揮するまでになる。しかもなんでも破壊する超能力付き。首四の字固めって首の周りに足を巻きつけて昔のプロレスではよく使われていたけど、21世紀にはあんまり使われないよね。こんなダサい技でも極めればインドで軍隊を率いたりできるようになるところが、人間の大いなる可能性を感じさせてくれます。きっとマットに寝転がる普通のかけ方じゃなくて、トップロープからの飛びつき首四の字なんだと思う。ヘッドシザースぽい。

話もさることながら物語の構成、語り口がとてもおもしろい。まず祖父の話から始まるのね。えっ、一人称なのになんでじいさんのことそんなによく知ってるの? 見てきたように祖父語り。そこにちょいちょいと主人公の主観が入り、びしびしと主人公の傍にいるパドマという女性の突っ込みも紛れ込んできて、最初は何が起こっているのかよく分からない。おまけに語りそのものが時間順ではなかったりする。その後は当然父について語り、主人公本人の語りはようやく上巻が終わる頃になって始まるんである。遅いよ。

語り口の構成として、

回想:祖父の話
主観:主人公の主観
現実:パドマのつっこみ

序盤はこれらが同時展開されているのです。ここまですごくないけど、カズオ・イシグロ『日の名残り』も同じような構成で、

回想:若かりし頃の執事が活躍する
主観:年老いた執事の回想に「執事の理想」がまぎれこむ?
現実:車で旅をしながら田舎の人々に出会う

となっている。二人とも共にイギリス以外の場所で生まれ、一人称による語り口によって主観の入り交じった回想を小説として仕立て上げているところがおもしろい。

7/11は『悪魔の詩』翻訳者が殺される時効の日らしいので、追悼の意も込めて近いうちに読んでみたいですね。

2006年06月18日

町田康『猫にかまけて』(講談社)

猫にかまけて
猫にかまけて
posted with amazlet on 06.10.11
町田 康
講談社
売り上げランキング: 4,937

わたしが猫が死ぬ話や映画は駄作だっと言い切る理由は、あんなふわふわでほよほよで体重なんて人間の1/10しかないような生き物が人間の1/4くらいの寿命であっさりぽっくり(またはぜぇはぁ苦しみながら)死んでしまうのは当然のことであり、そんなことぁ言われなくたって分かってるつもりだった。そういうルポはもういいよ、自分の時まで出会いたくない。

でもいざそうやって猫が死ぬことを頭から追い払って生きていても、ふと死んでしまった時にどうしたらいいのか自分で判断できるだろうか。どのくらいやばくなったら病院に連れて行けばいいのか、死んでしまった時には社会的に、感情的にどう猫の死と向き合えばいいのか。人間の子供でもそうだろうけど明確な基準はない。しかも相手は猫、言語体系が自分とは異なる相手だ。「病院連れてけ」なんていうわけないんだから、やはりそこには覚悟と観察がいる。

この本での町田康のあわてぶりといったら、猫がわるくなっても病院に連れて行かずになんだかよく分からないオゾンだのイオンだのを与えていて、猫は霞を食って生きているわけではありませんよとぴしり、たしなめたくなるような勢いなのです。

教訓:死にかけたら病院に行け

ただ、この猫かわいがりぶりは読む人すべてに笑いと涙を誘うだろう。それは「ポチたま」のナレーション、編集された感動物語とはちがって、「このあけらんそうがっ」などといきがりパンクで刹那的なイメージの著者が猫を前にするとでれでれべたべたになってしまうギャップにあるのかもしれない。猫を擬人化することは端から見ていると痛々しいこともあるけれど、このギャップとそれを客観視できる視点は希有のものだと思う。パンク嫌いなんで認めたくないんだけど、おもしろいです。猫好き、猫がいたらなでるくらいには好き程度の人なら絶対笑って泣くはず。

2006年06月22日

鬼が来た!

鬼が来た!
鬼が来た!
posted with amazlet on 06.10.11
ジェネオン エンタテインメント (2002/11/22)
売り上げランキング: 7,208

カテゴリは「日本映画」ですが、確か日中合作のはずです。

中国のひっそりした村に日本兵と通訳が麻袋に入れられて放り込まれる。放り込んだ人物の正体は分からない。日本兵を殺したら村ごと殺されるかもしれないし、解放したら放り込んだ何者かに復讐されるかもしれない。仕方なしに倉庫に放り込んで面倒をみることになる。

2000年公開の映画なのに、第二次大戦の映画で全編白黒で始まったので、予期せぬ暴力シーンがあったらイヤだなあと思っていたら、いきなり鉄砲をつきつけられるシーンがあり、見ているほうが「乱暴しないで」となよなよした気持ちになってしまいました。R15ぽい映画だったらやだなあとあえて画面には集中せず、書類を書きながらちらちら見始めたのです。しかしそれは杞憂でありました。

村の長老を中心に日本兵の簡易お裁きのシーンが何度かあるのですが、被告人がちみっとした椅子に腰掛けているのがなんともみじめな感じです。日本人はお白州に出るとむしろの上で正座するわけですが、あれは悪いことをした、しないと主張する意思が姿勢から感じられます。しかし、ちみっとした椅子に腰掛けて背中を丸めて上から見下ろされる姿は、「立場ねーっす」という卑屈さにあふれて、いかにもせこい悪事をはたらきそう。

つかまってる日本兵と世話する夫婦が中心だけど、それぞれの村人や日本軍の上官殿たちの個性が際立っています。全体としても村人のこそこそした卑小さ、日本軍の荒々しさ、そんな対立がラスト間近の宴会で一つになる。酒ってすばらしい。全編を通して意外な展開が続き皮肉を含んだ笑いを誘います。まるで恐ろしい鬼もどこか悲しげな感じを持っているとでも言うかのようです。

2006年06月24日

G.ガルシア=マルケス『幸福な無名時代』(ちくま文庫)

幸福な無名時代
幸福な無名時代
posted with amazlet on 06.10.11
G. ガルシア=マルケス Gabriel Garc´ia M´arquez 旦 敬介
筑摩書房
売り上げランキング: 66,784

ガルシア=マルケスは1950年代のほとんどをジャーナリストとして過ごし、パリに特派員として渡った後、本国の新聞社が政府から圧力を受けたせいで出張費が止まり、そのために小説を書き始めたといわれている。これはまだジャーナリストとして、『百年の孤独』を執筆する前の作品、というかルポ集。

ルポ集といっても「見てきたかのように嘘を言い」と言い切ってしまえるほどに物語的な視点や会話文取り入れて、舞台となったベネズエラ(ガルシア=マルケスの生まれはコロンビアだが当時はベネズエラで新聞記者をしていた)をガルシア=マルケスのフィルタを通して読むことで、南米の熱くわくわくした感じや熱さとリズムが感じられます。

狂犬病や旱魃、そしてお得意の独裁者ものなど、それぞれはどれもそれなりに聞いたことがあり珍しい話題ではありません。しかし、ガルシア=マルケスのマクロとミクロを兼ね備えた視点から切り取られたカットが、真実を旨とするルポルタージュのおもしろダイジェスト版になっています。日本の新聞などでは許されないかもしれませんが、しかし、そこには政治的な歪みはない。著者の筆はあくまで現実のおもしろさを増幅する装置に徹しています。

マジック・リアリズムの代名詞としてのファンタジックな事象については、本作ではさほど強調されていません。むしろ物語り方のお手本、現実を虚構へすり替えるテクニック集として読むことをお勧めします。これは、別に文筆活動で生活する人でなくても、現実をちがったフィルターでとらえることにより見えてくるものがあるというサンプルとして、生活のアイデア集のように読むことができるのです。本書は廉価で入手しやすいし、『百年の孤独』のような異質な空間が舞台ではなく現実のベネズエラという土地を想像するためのスーパージャンプ台としておすすめです。中でも「戦う聖職者」「潜伏からの帰還」は楽しい。前者はRPGのクレリックを彷彿させて機転のおもしろさが光り、後者は伊坂幸太郎『陽気なギャングが世界をまわす』あたりが好きな人にも安心しておすすめできます。

About 2006年06月

2006年06月にブログ「うぽれけにっき」に投稿されたすべてのエントリーです。過去のものから新しいものへ順番に並んでいます。

前のアーカイブは2006年05月です。

次のアーカイブは2006年07月です。