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2006年03月 アーカイブ

2006年03月04日

町田康『浄土』(講談社)

浄土
浄土
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町田 康
講談社
売り上げランキング: 4,868

パンクとは相性が悪い。様式美を重んじる時代のメタルはパンクの破天荒さを鼻で笑っていたし、さらに様式美と難しいこと考えたがりのプログレがパンクと合うはずがない。プログレにはまってた頃、なぜか吉本ばななにもはまっていて、そのつながりで町田町蔵の、たしか『どてらい男又ら』を持ってた。しかしそれまで聴いてきた音楽と比べて「これはいったいなんだろう」と3回聞いても楽しくもなく心地よくもないために売った。で、そのときあまりにも分からなったことがずっと印象に残っていて、『くっすん大黒』も読んでみたけどやっぱりさっぱり分からなかった。

20過ぎてもばりばり肩に力が入っていてさーわるものみなじゃっじゃーきずつけたーなわたしには、このへらへらぶりが理解したくないものだったのかもしれません。「ま、いいやん?」というてきとーさ、関東からほとんど出たことのない人間にはひっかかりのある関西弁のリズム、ぼーっとしてるかと思うと突然殴りかかってくる凶暴さ、そういうのがすべて理解しがたかった。

さて現在に戻ってこの『浄土』。次の読書会『告白』前に短編集で肩慣らしの意味合いで読んでみた。最初はやっぱり言葉のリズムがきもちよくなくてページが進まなかったが、徐々におもしろくなってきた。やっぱりまんがの『ピンポン』と同じで違和感のある表現方法は、触れずに毛嫌いするんではなくある程度慣れの期間が必要なんだな。

特によかったのは「一言主の神」。国文出ながら古代はさっぱりなわたしだけど、昔の天皇周辺をこの口調で描くのが新鮮。もちろん橋本治の桃尻語訳もあるけど、それより古い時代をぼんやり野蛮な関西弁で描くというのがすごくいい。話のめちゃくちゃさも含めて超おすすめ。京都弁と大阪弁のちがいも分からないわたしよりも、関西在住経験のある人だといっそういいかも。

特撮好きな人はその前のギャオスが中野でモデルになる話がおすすめかもしれません。

でも正直現代を舞台にしたそれ以外の話はせせこましくてどーでもいーや。ちなみに『告白』はかなり読みやすく、史実に比較的忠実なのでおもしろい(読み終わった)。町田康は歴史ものを書くと無頼な感じがリアルで文体に合ってるように思えます。あ、そうすると勧められたパンク侍もOKってことか。うーん。

2006年03月05日

FM「APHRODISIAC」

Aphrodisiac
Aphrodisiac
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FM
Mfn (1992/10/01)
売り上げランキング: 196,216
あまりにも精神的に落ち込んでいるので、単調作業で手を動かして調子を取り戻そうと思って、いらない本やCDを地道にamazon出品中。しかしたいていは仕入れ値と同じかそれ以下の値段しかなく、元を取れるだけでもいいかとぼんやりしていたら、突然このCDのすごい高値を見つけて驚く。販売価格より高いですよ。そんなすごいかなー、と半信半疑でプレイヤーへ。

いやはや、あまりに理想的なハードロックで驚く。黒い背景に、破れた穴から警帽をかぶったサイが葉巻をくわえてこちらを挑発するというダサいとしか言いようのないジャケットは疲れた笑いが出てくるばかり。デスメタルではよく悪趣味を強調するジャケットがありますが、正統派な音でふらりと趣味が悪いとかえってつらい。ちなみにAPHRODISIACとは媚薬の意味だそうです。

IMG_4431.jpg

これがサイのマークのジャケット。ダサい。

IMG_4430.jpg

こっちはインナーのメンバーイラスト。これはひどい。

しかし、適度に力の抜けて伸びやかな声のヴォーカル、若干エコーかかりすぎで弾きまくりのギターで、まだPanteraとDream Theaterに支配されていない音(90年代はこの2つのバンドの亜流ばっかりでハードロックがつまらなくなったという思いこみがあります)にちょっと感動。Bad Companyあたりのブルージーさに通じるものがあるけど、むしろ哀愁のあるロマンチックなところやクリアなトーンが印象に残ります。何よりリフのわかりやすさがすてき。伊藤政則さんの解説ではThunderあたりとも比較されていますね。10年くらい前に買ったときは良さがいまいち分からなかったんだけど、今聴き直したらおもしろくなるのかも。

それにしても、ハードロックはいい曲でも聴き疲れしちゃうのは、こちらのこらえ性のなさが原因か。

絲山秋子『イッツ・オンリー・トーク』(文藝春秋)

イッツ・オンリー・トーク
絲山 秋子
文藝春秋

なんとなく最近の日本の作家も読まなきゃ、という変な切迫感から借りてきた1冊。そんなに時間はかからないだろうという予想通り、1時間で読み終えて今年一番早く読了した本で賞を進呈したい。

それ以外に何か残ったか? 「イッツ・オンリー・トーク」は出てくる人たちが無関心そうな顔をしてる割には欲深だなあということ。不思議な人間関係が主眼だと思うけれども、そこから新しくわき起こってくるおもしろさを感じられなかった。舞台設定だけで終了されちゃった感じ。キング・クリムゾンがかかったり舞台が近所なくらいではほめる気にもけなす気にもなれない。普段読まない傾向の本はつかみどころがないものです。

「第七障害」は主人公の女性が馬術障害でかわいがっていた馬を死なせてしまうのだけど、とにかくその思い出話がうっとうしくて「何もこんな直接的にだらだら話さなくても」という日本人的婉曲な方向に流れないことが重苦しくてイヤになった。別れ話で延々自分のダメなところを責められているような感じで、解決へ向けた意思が見られない。

日本のブンガクはよく分からない。毒にも薬にもならないというか、さっぱり驚きがなく淡々と日常を描くことがブンガクなのでしょうか。別に教訓とか本気さとかいらないから、読んでわくわくするもの、おもしろい物語を求める人にとってブンガクって不要なのかしら。

2006年03月12日

町田康『告白』(中央公論新社)

告白
告白
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町田 康
中央公論新社
売り上げランキング: 1,481

「河内十人斬り」という河内音頭を下敷きに、考えばかりが先行してしまい結果ふらふらと遊び歩く熊太郎を主観的に描いた町田康の話題作。本屋大賞のshort listにもなっているそうで、これほど一般的に評価されている本が読書会の題材になったのは初めてかもしれません。

読書会であがった話題(でわたしが覚えていること)といえば
・熊太郎と熊次郎という似た名前でありながら、対照的な性格になっている
・ようじょこのシーンは熊太郎の生活力のなさを象徴している
・ミステリやSF系の作品とちがって、伏線に見えそうなところは別に回収されない
・いやいやながら盆踊りでも気が付くとノリノリな自分を見いだすあたりは、著者投影ぽい
あたりでしょうか。他の参加者のレポートのがずっとずっと参考になりますので、アップされるのを待ちましょう。

普段とちがって、今回は熊太郎と自分と重ねあわせて読んでしまったというのは、かなり共通部分があるせいだ。子供のころに末は博士か大臣かなんておだてられた人ほど大成しないなんてあたりはいかにも。勝てない博打と分かっていてもやめられずにいる熊太郎と勝つために博打を打っていたわたし。熊太郎はすごいよな、博打が勝てないシステムだと分かっていても、根拠がないのに勝てると思いこんでいる自分自身を分かっていてもひたすらうち続けるのだから。いい年になっても手に職もなくぶらぶらしていたり、美人の妻をめとってもほったらかしにしといたりと、どこをとってもおおたです。本当にありがとうございました。

結局、この物語の中で熊太郎は実質成長しないと言ってもいい。読書会では大阪なり東京なりに出て周囲の環境を変え、他により優れた人、熊太郎の思弁を外部から影響して言語化してくれるような人に出会えれば悲劇にはつながらないんじゃないか、という話があった。自省すると子供の頃より成長していないと思うのは誰にでも経験のあることと思うけれども、それでいてそれなりには成長しているものだ。考えすぎること、思弁的であることによって、社会の中で役割を背負わず、精神的に子供のままで育ってしまった熊太郎は、わたしはもちろん、今の世の中で決して珍しい存在ではない。熊太郎の主観というフィルタがかかっていて、町田康らしい当時ではありえない言葉遣いで緩和されているけれども、なかなかどうして読む人にとってはヘヴィな話のような気がします。

2006年03月14日

恩田陸『小説以外』(新潮社)

小説以外
小説以外
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恩田 陸
新潮社
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この本に限らず、本を好きな人が本について「ひっそり」語る本が好きだ。「ひっそり」というのは語弊があるかもしれないけれど、しょひょーしょひょーした固い書き方(もちろんそれはそれでとても参考になるけれども)よりも、個人的な嗜好をやんわり交えて、世間では評価されてはいないかもしれないけれど、自分はこの本が好きなんですっ、という気持ちが出ている文章が好き。たどったらおそらく「タクティクス/RPGマガジン」の書評や『摩由璃の本棚』がルーツになるんだろう。

恩田陸の小説以外の文章にはこれで初めて触れたわけだけど、思ったより固い文章で驚いた。わたしは小説を書こうと思ったことがほとんどないけれども、恩田陸にとっては逆で、小説以外の文章を書くことや自分を出すことにやや抵抗があるようす。それでもつづられる文章から小説(やビール)を愛する姿勢が見えて、こちらも「もっと楽しくがんばって本読もう」って気持ちになる。

一気にがーっと読み切るんじゃなくて、なんとなく小説読む気にならないな、って時に手に取りたい本。特に今回の収穫はミステリの教養をつけようって気になったこと。他人の死なんてどうでもいーよなんて無頼派ぶってたけど、自分のテーマの一つ「楽しめることは多い方が楽しい」に矛盾するではないかって気づかされた。スタージョンでもミステリぽいと言われる作品も好きだし、エルモア・レナードのドライな感じが好きなんだから、普通のミステリも多少の慣れで好きになれるかもしれない。というわけで今は『黒後家蜘蛛の会』を読んでるけど……、やっぱりアシモフは小説以外の愚痴が楽しいやね。

2006年03月21日

ブレッド・ミラノ『ビニール・ジャンキーズ』(河出書房新社)

ビニール・ジャンキーズ
ブレッド・ミラノ 菅野 彰子
河出書房新社
売り上げランキング: 74,866

わたしの知人には「古本者」と呼ばれる人たちがいる。その人々は「古本組」として時に徒党を組み、古本市を荒らすとのことで出入り禁止になった古書店も少なくない。基本戦術は一人がスクリーナーとなり、その間に棚からめぼしいものを抜き取るとか、人と棚の間にうまくペネトレイト、持ってる本でもだぶって買うことによって他の人の買い物をブロックしたりと、NBA選手並なのだ。

※ただいまの表現には誇張がありましたことをお詫びします。

『ビニール・ジャンキーズ』に出てくる人たちもそう変わらない。いや、むしろもっとすごい。ここではとにかくありとあらゆる手段を用いて自分のほしいレコードをかき集める。中古レコード店のないところにはハネムーンですら立ち寄らず、ついにはブルーズのレコードを求めて南部の黒人の家を一軒ずつ回るくらい。

まずは1章。筆者と仲間のビニール・ジャンキーズがすごい装置でビートルズのモノラル(市販されているのは左右に強制的に分けられたステレオ)、初回プレスの「サージェント・ペパーズ」、サッチモなどを経て、最後にかかる曲は「スキタイ人は恐ろしい異教徒だぞ!」という言葉と共にプロコフィエフ「スキタイ人組曲」が大音量でかかる。「これだ! これこそヘヴィメタルだ!」とトリップし、「スキタイ人はいい、何回聞いてもまた聞きたい」という名言で、ビニール・ジャンキーズのカーテンが開く。

他にも「レコードでいっぱいの部屋の真下で寝てるから、みんなに、夜中に天井が陥没したら下敷きになるぞと言われてる。それで思ったんだ。たしかにそうだけど、それこそいい死に方じゃないかって」とか、「すくなくともレコード・コレクターは、スター・トレック・マニアよりはましだ」なんて名言がごろごろしているし、音楽の情報としても(マニアックすぎて実際には役に立たないこともあるが)かなりトリビアルで読む価値あり。

そんな中でも白眉は「9章 珍品レコードのコレクター」。いきなりうさぎがシングル両面でずっと悲鳴をあげつづけるレコードをご紹介。「もしかしたらヨーコ・オノの音楽活動はこれに影響を受けたのかもしれない」にはじまり、リステリンについて熱く歌い上げるレコード、腹話術師がヘリウム声で聖書を歌い上げたりするヘンテコなレコードばかりの収集家がいるんだそうな。あまりにもばかばかしいから、誰かが集めないとただのゴミになってしまうことが集める動機なんだそうだ。

ここを読んでわたしははっとした。誤解を招くおそれがある言い方だけど、SFもラノベ(=ラテンアメリカ文学)もわたしはばかばかしいと思わないが、おそらく集めてる人は日本でもそれほどいないだろう。そしてそれらには価値があるとわたしは信じている。わたしの場合はコレクターというよりも変なものが好きなだけだろうけど、ヒットチャートの上位や何万部の売り上げに達しないものでもいいものは必ずあり、そういうものは誰かが応援しないとやがては永久に失われてしまう。だけど、多くの人にとってそれはうさぎの声だけのレコードとは言わないまでも、シリコンの長所について6分間歌い上げるレコードと大差ないのかもしれない。

この本はワインバーグ『コンサルタントの秘密』レベルに訳が硬く、ところどころ誤訳すらあるらしいのだけど、硬い訳ゆえに笑えるところも多々ある。レコードと恋愛の両立や、かのビートルズマニアの集うコンベンションで主人公たちがはからずもクイズに優勝して「おれはビートルズオタクじゃない!」と叫ぶなど、何かを集めている人ならぐさりとつきささる現実と、自分より変な人はこの世にたくさんいるという安堵感を同時に与えてくれる大変よい本です。

2006年03月26日

ジーン・ウルフ『デス博士の島その他の物語』(国書刊行会)

デス博士の島その他の物語
ジーン ウルフ Gene Wolfe 浅倉 久志 柳下 毅一郎 伊藤 典夫 伊藤 典夫 柳下 毅一郎
国書刊行会

ジーン・ウルフは難しい、そう思っていた時期がわたしにもありました。単語や文章の中に組み込まれた象徴性、一読しただけでは明らかにならない全貌、信用ならない語り手への警戒。でもね、かいま見るインタビューや前書きなどからは、ウルフはそんな難しくしようとして書いているわけじゃないと思う。syzygy noteでは柳下・山形対談の模様がレポートされていて、ウルフがかなり献身的なカソリックだと知って、ウルフの小説は読者を煙に巻くことが目的ではないってことがわたしの中では確信に変わった。確かに全貌を読み解くことは難しいかもしれない。でもまじめに読んだ読者にはしあわせが広がるつくりになっている。世界と自分が同一になるような、ささやかな欲が立ち入る余地のない、澄んだ幸福感で満ち足りることができる。だから、この本を読むときに必要なのは、余計な猜疑心を取り払って、自分と本と1対1で真摯に対峙すること。通勤途中の電車などではおすすめしない。前に立っている人やこれからやってくる義務感で、読後にあふれる光が届かないかもしれないから。本来読書ってのはそうあるべきだろうけど、なかなか難しい。それでも『デス博士の島その他の物語』にはそれだけの時間を割く価値がある。

まえがき

前書きにはデス博士一連のアナグラムの序章となる「島の博士の死」がおさめられている。「島々」に関する博士の授業を履修したのはたった2人。講義の一環として、ある島に不可思議なことを探しに行くよう言われるが結局島では何も見つからない、というもの。
これだけ短いにも関わらず早くもわたしは物語に隠された要素を探そうととらわれてしまう。単に老教授が2人の生徒に最後の課題を出しただけなのか? アーサー王にまつわる島の知識がラストにどうつながっているのか? それらの謎を抱きながらも老教授の最期にしんみりし、2人の生徒を祝福したい素直な気持ちがあふれてくる。ミステリ的に謎を追究する読み方もあるのだろうけど、それよりも小説は世界をすべて描き出すことはできないというジーン・ウルフの姿勢に素直に従うべきだと思う。所詮主観でしか人は生きられないのだから。

デス博士の島その他の物語

内容は少年が買ってもらった本の登場人物が物語の現実にも登場してくるというもの。河出の『20世紀SF』で一度読んだけれども、そのときはさっぱり理解できなかった。現実に物語が混じり込んでいるというのは分かるのだけど、それが生み出す少年の孤独や少年がデス博士に共感する気持ちがくみとれなかったのだ。「おもちゃのチャチャチャ」のように軽快だけど、暗く根ざした少年の心も描き出す傑作。
読後には若島先生のノートもぜひ。

アイランド博士の死

「アイランド博士」という精神治療惑星に送られた少年ニコラスが、暴力的な男イグナシオとカタトニアの女性ダイアンに出会う。惑星と言うよりもアイランド博士の島と言うべき舞台は、猿や木々、森羅万象がアイランド博士であり、ニコラスにそこここでアドバイスを与える。こういう島、わたしはすごく憧れる。もしかしたらこの舞台を孤独で過酷な環境(食事などは自分で野生の生物を得なければならない)ととらえるかもしれないけど、社会的な義務が少ないことが何よりも魅力。

ニコラスがアイランド博士として話しかけてくる猿を殺し、アイランド博士の仕組みを教わるシーンがある。アイランド博士は森羅万象を通して話しかけるのではなく、患者(ニコラス)の考えていることを読みとって最も良いアドバイスをするし、記憶からシーンを再現して患者に追体験させることもできる。こんなことができるようになったら、なんだかもう人が生きている意味なんてないような気がしちゃうな。パソコンで言ったら業務用のキーボードとディスプレイだけあって、サーバのアプリケーションを共用するような、記憶装置を使わない人間になりそうだ。物事から受ける印象は人によってさまざまだけど、アイランド博士によって受容するときの個別な感性のちがいがなくなって画一化されてしまうかもしれない。

さて、上とは関係ないけれど、この短編集では驚くほどセックスが描かれない。一番自然に近いこの「アイランド博士の死」でも、もっとも金を持っていて社会的に自由な「アメリカの七夜」ですら、そういう雰囲気になることはあっても実際の行為を描写することはない。単純に考えるならカソリックとしてのウルフの傾向なのかもしれないが、具体的な描写はないとはいえ「拷問者」シリーズではホモセクシャルもあるし、故意に描かないという傾向はなかったように思う(未確認)。この短編集は本を、物語への愛がテーマになっているような気がするので、つまりこれは、本を読みながらセックスはできないということか。

死の島の博士

裏『夏への扉』。人類史上最高の発明をしたアラン・アルヴァードは、殺人事件で逮捕されガンの治療のために冷凍睡眠処置された。病院で目覚めた彼が過ごした時間は40年。目覚めた彼は自分の発明がすっかり世界になじんでいるのを知る。やがて彼の犯した殺人の真相が語られることになる。

これは群を抜いて物語の展開が分からなかった。病院で働いている人々は名前はちがってもどこか同じ人物のような気がするし、ラストでは「構えているのはカメラだ。拳銃ではない」という不吉な感じを残す。アルヴァードの殺人は銃を使っていないのになぜここで銃が出てくるのか。謎ばかりが残ったけど、それでも物語の鍵となっているらしいディケンズを読んでみたくなったのがせめてもの収穫か。もちろん物語自体はおもしろいんだけど、腑に落ちない度ではこれが最高。

アメリカの七夜

SFマガジンで既読。裕福なイスラム人が核関係で荒廃したアメリカに来る、というところが読者の価値観をいきなり揺るがしてくれる。今ならアルカイダの事件でイメージできないわけでもないけれど、書かれた1970年代にはファンタジーにしたくともありえない世界観だったのでは。

解説にも書かれていますが、日記の形態をとりながら「ドラッグの入った卵菓子のロシアンルーレット」によって記述のどこかは信用できないことになる。真実を探るよりもまずそういう手法で書くことができるウルフの手腕に脱帽。解説にはおおよそどこで卵菓子を食べたか書かれていますが、読書会などではそれぞれの日に卵菓子を食べたとしたら、という前提では話し合ってもおもしろそうですね。

眼閃の奇蹟

これはすごい傑作ですよ。この驚きは18年前に『アルジャーノンに花束を』を読んだときレベル。よく、小説を書くきっかけで「自分でもこんな話が書きたい」「自分がこの物語を書いていたら」という言葉がありますが、まさにそれ。

小説自体はロードムービー風。盲目の少年リトル・ティブが"教育長"と召使いのニッティに出会う。リトル・ティブはネバーランドならぬシュガーランドを目指し、教育長とニッティはマーティンズバーグへ向かうので同行することに。貨物列車にただ乗りし、ヒッチハイクでプリティヴィー(地天)博士のバスを拾う。途中、リトル・ティブは笛の音に合わせて踊り出し、踊りながら断崖の上に出てしまうが落ちない。このあたりでリトル・ティブがただものではないことがおぼろげに見えてくるのだけど、ちょうど「デス博士の島その他の物語」のように現実とリトル・ティブの空想が混じった描写が続いて、わたしはどこからが物語の中の現実なのか把握できないところもあった。

ウルフの真骨頂「書いてないところにも事実があり、それが後半に絡んでくる」がふんだんに楽しめる。福男ならぬ服男が出てくるあたりから、「あれ、もしかして」と徐々に物語の新しい一面が見えてきて、ラストには光り輝くシュガーランドへの道が現れるところでは泣く。それはかなり宗教的な悦びかもしれない。単に盲目の少年が光を取り戻した、とかいう次元じゃない。どこかでは「損のない読書」なんて特集があってそのせせこましさにげんなりしたものですが、これはまことの傑作であり損得の勘定では計れない小説を読むことの豊かさが満ちあふれています。ハレルヤ!

2006年03月27日

シオドア・スタージョン『輝く断片』(河出書房新社)

輝く断片
輝く断片
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シオドア・スタージョン 大森 望
河出書房新社
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某Hさんからのいただきもの。感謝。

『人間以上』がとにかく苦手で、矢野徹訳のはじけた感じに冗長な印象だったので、しばらくスタージョンからは遠ざかっていた。でも、短編はおもしろい。冗長どころかむしろ書いてないところが多すぎて、それがかえって想像力をかきたてているように思う。晶文社ミステリ(R.I.P.)から出た『海を失った男』がとにかく傑作だった。河出から出た2つめの短編集となる本作も前半と後半のバランスがずれてるけど、傑作揃いという感想は変わらない。

この短編集、前半3作は小手調べ。本腰は「君微笑めば」から入ってくる。タイトルはシナトラなどの名唱などで有名な「When You're Smiling 」からとられているんだと思う。おそらく普通はミステリの視点から読まれるのだと思うけれど、サイコな登場人物の切実さが印象深い。

その切実さが狂気に結実し、また正気に戻ってくる(?)「ニュースの時間です」。ラストでは「いかなる人の死もわれを傷つける。われもまた人類の一員なれば」の引用で本当に狂っているのは誰かを問いかける。スタージョンの短編で特に共感できるのは、孤独を守りたい気持ちと孤独ではいられない人生の苦痛の天秤が動くさまを描くところ。偏執的にニュースを求める男が突き詰めすぎて変態する場面の悲痛さがたまらない。危険なチャーリー ・ゴードンって感じ。

「マエストロを殺せ」って1949年の作品だから、まだマイルス・デイビスがひよっこの頃。ビッグバンドからモダンジャズへの転換期に書かれたというところが興味深い。クラリネットがメインというとベニー・グッドマンしか思いつかないけど、クールな物腰でたぐいまれなスウィングを生み出す才能はモデルとしてあながちまちがってないんじゃないか。うちのベニー・グッドマン「ライブ・アット・カーネギーホール」はレコードなので聴き直せないけど、これから読む人はBGMに用意しておくといいかも。物語自体もなまなかではなくて、バンドならではの一体感がどこからやってくるのかが大きなテーマとなり、それゆえに殺人が起こる。クラシックの用語「マエストロ」を敢えてジャズで使うのは、もちろん単に名演奏家を指して言うのもあるだろうけど、ちょっと気取った言い方のような気がする。日本語でも「のたまう」という言葉で尊敬していない相手の言葉を揶揄するような。それが「Die, Maestro Die!」なわけで、タイトルからも必死さを感じる名作。

次の「ルウェリンの犯罪」は短編集のマイベスト。ややおつむは足りないが勤勉なルウェリンは常識的なアイヴィと同棲しているが、ある1枚の紙をルウェリンが見つけることでそれまでの平凡だけど幸せな生活が破綻する。自分の思いこみと異なる事実を知ったときのルウェリンの苦しみが痛々しいが、献身的なアイヴィにも泣ける。そして衝撃のラスト。悪い人は誰もいないはずなのに、こんなに悲しい結末を迎えるのはいたたまれなく、それでいて小説としては最高だ。

「輝く断片」もまた愚鈍だが善意から生きている男が死にかけた女を拾う。男は不器用ながらも女の面倒をみ、やがて回復してくる。はじめて自分の善意が感謝されたというのが最大のポイント。「スタージョンの意地悪」と小説の技巧的な面から判断してしまうには、あまりにも純粋な愛情のあり方に泣く。あふれる愛は時に人を溺れさせてしまうのかもしれません。

2006年03月31日

金井美恵子『タマや』(講談社)

タマや
タマや
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金井 美恵子
河出書房新社
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昭和61〜2年に群像で連載された短編を集めた本で、「タマや」「賜物」「アマンダ・アンダーソンの写真」「漂白の魂」「たまゆら」「薬玉」とそれぞれのタイトルに「たま」がついている(除「アマンダ・アンダーソンの写真」)。この本を読んだのはひとえに表紙。もちろん金井美恵子に興味があったのだが、この表紙の美女は誰なのよと。タイトルにアマンダ・アンダーソンとあるけれども、あとがきによるとゴダールの諸作品に出ているアンナ・カリーナだそうで、ろうそくの灯りで一心に何かを読み解こうとするような横顔で、同じ絵がモノクロの色調を変えて9枚並んでいる。表紙と同じ写真はwebsiteにはないけれども、とにかくこの触れれば切れそうな美女にイチコロでした。文庫版は猫の絵で、それはそれで小説に即しているけれど、たぶんありきたりな印象で読まなかったろうな。

小説に入ると羊頭狗肉とは言わないが、えらくテンションがちがっていて、うだつの上がらないカメラマンである主人公の家に、アレクサンドルという風来坊がタマという猫を預けに来たところから始まるのんびりした日常が描かれる。兄弟かもしれない冬彦さん(某ドラマ同様頼りないキャラクターだ)とか、ファム・ファタルなお母さんが出てきて、タマが子猫を生んだりとかでもやっぱり避妊手術したりとかな、ダメ男三人の日常。

文章は会話の鍵括弧もなく一人称でさらさらとだらだらの合間を行くような流れ方をしている。改行もかなり少ないが、一人称できちんとぐうたらな空間を描写して映像的でありながらも、決して説明口調には流れない。言葉と映像がきれいに結びついた文章だなあと感心。

どうも今読んでいるガルシア=マルケス『物語の作り方』をはじめ、ラノベ=ラテンアメリカ文学やSFにすっかりかぶれてしまったせいで、物語が進んでいかない非エンターテインメントな小説はつかみどころがないように感じてしまう。ラノベ=ラテンアメリカ文学は物語にいろんなフックを仕込んでごりごりと突き進む。人間関係を描き出すところに重きが置かれる日本の小説は、同じ小説であっても脳の中でしまう棚がちがうというか、楽しむスイッチを切り替えて読まねばならぬな、と思う。おおざっぱに分類してしまうと、ラノベやマジック・リアリズムでは物語の推進があってそこに登場人物の関連性が副次的なものとして関わってくるのだけど、日本の小説は一つの場を元にしてぐるぐると円を描きながら物語が進んでいく感じ。移動手段でいったら車と徒歩くらいちがうという感触。

決してつまらないわけじゃなくて、徒歩だと目的としていた地点までたどりつかないこともあるけど、ま、散歩程度のものだから目的地なんてどうでもいいではありませんか、とのんびりした気持ちになった1冊でありました。それにしてもアンナ・カリーナは美人だ。映画を見たときはこんな衝撃を受けなかったのになあ。

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