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2006年02月 アーカイブ

2006年02月04日

アレクサンダー・ガブリリュク ピアノ・リサイタル

オペラシティでのコンサートにお誘いいただいた。感謝感謝。

グレイの髪で憂いのある顔、力強さばかりを押し出さないが若さにあふれ輝いている。とポスターを見た第一印象そのままの演奏だったけれども、自分の想像よりもずっとあらゆるレベルにおいて質が高かった。

まずはブラームス「3つの間奏曲」「2つの狂詩曲」。実はピアノを実際にライブで聴くのは学校以来で、ブラームスのピアノもはじめて。ブラームスのメロディって最近のロックにも通じるところがあると勝手に思いこんでいるのだけど、この曲でもそれは感じた。だけど、いかんせん地味。つかみから間奏曲ってどうなの? とクラシックに疎いわたしは疑問だった。

でもってやっぱりピアノの音はライブだと全然ちがうね。前にチャイコフスキー「悲愴」を聴いたときには正直CDでもそれほど変わらないと不遜なことを思ったものですが、ピアノはちがう。消音ペダルを踏むまでの漂う響きは、素晴らしい会場と演奏者と楽器がそろわないと体験できないものですね。

次のショパンでは同行の某さん曰く「弾き慣れている」のが分かる軽やかさと鮮やかさ。練習曲10-8できらめくドリーミーな音色かと思うと、10-6では寒い曇天のような落ち着き、10-12では超盛り上がって途中だというのに拍手がおきていましたよ。25-7、25-5もとにかく鮮やかでキレがあるキリン一番搾りという印象。

メインは展覧会の絵。展覧会の絵っていったらELPなわたしだけど、ピアノ版も気に入りました。直前にフリッツ・ライナー指揮のオーケストラ版で予習していたけれど、オーケストラだと赤い絨毯に総出でお出迎えなゴージャス感があって今ひとつ好きになれなかったのだ。ピアノのシンプルな音が一人で夜の展覧会を巡るような特別な空間に感じられた。あと、ガヴリリュクは比較的早く弾いていたんじゃないかな、それでメインテーマがおおげさじゃなくシンプルに感じられたのかもしれない。

アンコールは長いよ、というのを聞いていたのでメインが終わってもどっしり落ち着いて。
モシュコフスキーという柔らかそうな人の「スパークル」はまさにスパーク! ラフマニノフのプレリュードとヴォカリーズも地元の強みを生かして余裕の演奏。でもってラストはメンデルスゾーン作曲/ホロヴィッツ編曲の「結婚行進曲」! なんでもホロヴィッツが認めた人でなければ演奏できず楽譜も入手できないんだとか。4回目の結婚おめでとうと顔が引きつるような脂ぽい曲だけど、あっさりさっぱり華麗にさばいていくガヴリリュクさんでありました。

アンコール途中で席を立つ人がいたのだけど、別に会場を出るわけでもなく扉近くに立っている。どうやら演奏後のサイン会が目当てらしいのだけど、なら一番後ろに行けよ。演奏者が出入りする扉が閉まるまでは席に座っていてほしいなあ。

ピアノを静謐な空間で集中して聴くのは確かに特別なことで、普段使わない脳を使ってる実感があったな。キーワードは「コンクール受賞からしばらくたってあまり騒がれていない」「若い男子のパワー」「お値段安め、技巧高め」「夏じゃなくて冬」だな。

2006年02月10日

志村志保子『女の子の食卓 1』(りぼんマスコットコミックス)

女の子の食卓 1 (1)
女の子の食卓 1 (1)
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志村 志保子
集英社

『ミシンとナイフ』や『ブザーシグナルゴーホーム』に比べると短い話のオムニバス。「運動会の五目いなり」や「えっちゃんのママのバジリコ・スパ」が好きというといい人ぽいが、もちろん「お土産のディジョン・マスタード」がこの巻の白眉というのが本心。

相変わらず表情のない表情というか、人間よりも人形の表情に近い絵が印象的。食べ物という生々しいものと無表情な少女たちが対比になっていておもしろい。正面を見据える扉絵からも感じることだけど、今回は少女のおままごとという雰囲気をわざと出しているのかもしれない。おままごとは、食べ物を摂取する必要のない人形がものを食べ生活を営むので、実際の人間ではない距離感を感じて遊びになるんだと思う。それは『女の子の食卓』にも当てはまり、普通の漫画よりもその距離感がある。

この人の絵ほど、汗とか顔色が変わったりとか似合わないのはそうそうない。また、鼻をとがった線じゃなくて、二つの穴として描くのも少女漫画としては珍しいんじゃないかな。パーツはリアルなのに、表情が乏しいから人形ぽく見えるのかもしれない。そして、今回のオムニバスは食べ物を囲む人々のにぎやかさがメインなので、これまでの作品に流れていた夜のひっそりとした空気みたいなところから遠い。そのよしあしはともかく、志村志保子は変わったという読後感でありました。

2006年02月11日

梨木香歩『沼地のある森を抜けて』(新潮社)

沼地のある森を抜けて
梨木 香歩
新潮社
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この作品はNHK-FMのラジオドラマ「フリオのために」がきっかけですぐに読もうという気になった。なんせぬか床から卵が産まれて、そこから人が出てくるのだという。ラジオでは冒頭の1章だけしか放送していなかったが、本ではそこからさらに9章も続いている。そして冒頭のぬか床ファンタジーなんてなまっちろい印象は読み進めるに従ってずっしり水分を含み、SFなところも出てくる壮大な話になってしまう。この手際、異世界で変な生物に出会いボスキャラを倒してエンディングなんて単調な物語をファンタジーとは決定的にちがうのだ。

物語は先祖代々受け継がれるぬか床を、叔母がなくなったあと「私」が引き受けるところから始まる。幼少の頃に同級生だった情けないフリオがぬか床から産まれた少年が、やはり幼い頃の友人だった光彦だと分かり、なんでか「私」の家に転がり込むところから始まる。その後はダメ男にふりまわされる「私」が、やがてぬか床の謎を解き明かす方向へ展開する。

3章と6章は「かつて風に靡く白銀の草原があったシマの話」というSFパート。現実からかけ離れていて、ジーン・ウルフ「新しい太陽の書」にちょっと近い雰囲気。ここはぬか床がつなぐ別の世界として読んだけれども、細胞の寓意ともとれるし、いろんな解釈を許す描写になっている。はっきりと位置づけることができなくて、ちょっととまどった。

ラストは壮大なんだけど、こういう壮大なものに直面すると思わず笑ってしまう。自分の理解の範疇を超えてありえなさが前提となってしまうことが理由だとすれば、それはわたしの人生経験値が足りないせいかもしれない。ただ、それだけ重み、迫力があるわけで、正対して自分の中にとどめるに値する力だ。

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2006年02月12日

アゴタ・クリストフ『ふたりの証拠』(ハヤカワepi文庫)

ふたりの証拠
ふたりの証拠
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アゴタ クリストフ Agota Kristof 堀 茂樹
早川書房
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まだ学生で小説のおもしろさが分かっていなかった頃に、『悪童日記』を読んでイギリスあたりのおっさんが書いたのかと思っていたものです。当時のまったく小説から遠ざかっていて文章が読めない、深く読みとることができなかった頃ですら、『悪童日記』は読みやすくおもしろかったという記憶が残っています。それはあとがきで引用されている「少年の裸体に似て無駄のない簡潔さ」という評のとおり。もしかすると、ハンガリーの共産主義を経験した作者は、人生は政府という偶然に支配されるただの駒でしかないという思想が背景にあるのかもしれない。それゆえに個人に特徴などは不要であり、人々が翻弄されている情景を諦観の境地で眺め、水墨画のようなシンプルな筆致で書けるのでしょうか。

さて、『ふたりの証拠』は結論からいうと、ディストピアものやロシアSFに反応する人は必読。また、フォントが大きくて文章自体は短いので大変読みやすいので、いろんな人に勧めやすい。だてに日本でブームがあったわけではありませんね。

物語の背景自体が不条理なんで、カフカに近いと言ってもあまり意味ないかな。国もとなりですし。ハンガリーについてはwikipediaのハンガリーハンガリー動乱を読むと勉強になります。関係ないけど、共産主義を背景とした残雪とかロシアSFを読むとき、なんとなく空が曇っているような印象があります。「グッバイ、レーニン!」は無機質なビルの谷間からはきれいな青空が見えたし、共産主義の国がいつもいつも曇天なわけはないんですが。曇天の空に圧迫されている人々を比喩的に見てしまっているのかもしれません。

この小説ではハンガリーが舞台とは明記されていませんが、舞台はある戦争後に革命軍に支配されています。焚書などの思想統制があって、反革命的なふるまいは厳罰に処されるような緊迫感のある土地。そこに住むリュカという少年とその周囲の人々との物語。リュカは政府の命令で捨てられそうになっている本を読もうとしついでに司書さんと仲良くなったり、無理心中しようとする親子を助けて子供だけを自分のものにしたりする、明確な悪意はないけどしたたかで利己的な人物。だが、最後まで彼の目的や自分のノートにつづった内容は分からずに謎めいたままです。

リュカの行動が中心になるけれども、周囲の人々はいかにも凡庸。小ずるく立ち回る公務員、書けない小説家兼書店員、政府に殺された夫が忘れられない司書、不眠症の隣人。リュカは少年の頃は誰からも好かれて万能だが、マティアスを自分の子としてからはまるで才能を吸い取られていくかのように、普通の大人になっていく。一方でマティアスは明晰さを手に入れても、むしろそれゆえに奇形である自分だけを愛してくれる人を探してしまう。

この中で特に「書くこと」がクローズアップされている。主人公のリュカは自分のノートを持ち、自己検閲しながら生き別れの兄弟クラウスのために何かを書き残している。司書クララからは、すでに書かれているけれども政府の命令で処分されそうになっている本を読ませてもらう。また、リュカが買うこととなる書店のヴィクトールは自分の小説を書こうとしており、リュカの息子となるマティアスも書き、それを焼く。おそらく著者自身がハンガリーで経験した「書くこと」の不自由さ、書けたとしても読めない、発表できないことの苦痛が背景にあるのではないでしょうか。

ところで、「何も書かなければ、人は無為に生きたことになる。地上を通りすぎただけで痕跡を残さずに終わるのだから。」(P.166)ってどこかで聞いたことある言い回しなんだけど思い出せない。誰でも言いそうなことなんだけど、この文章をそのまま見た覚えがあるのです。国書の『世界 ×現在×文学 作家ファイル』で引用されていたんだっけ?

2006年02月15日

フィリップ・K・ディック『マイノリティ・リポート ディック作品集』(ハヤカワ文庫SF)

マイノリティ・リポート―ディック作品集
フィリップ・K. ディック Philip K. Dick 浅倉 久志
早川書房
売り上げランキング: 152,033

ディックは長編もいいけど短編もね、と言ったのはu-kiさんだったか。前に読んだ短編集(どれだか忘れたけど、たぶん『ゴールテン・マン』)は今ひとつキレがなくて退屈だった印象。しかしこれは映画を見た直後に100円で拾えたので、映画の印象を保ったまま読んでみることにしました。

●「マイノリティ・リポート」

トム・クルーズははげてないよ! 映画ではあまり大きな役割をはたしてなかったマイノリティ・リポートが、短編では物語の鍵になっていて、タイトルにようやく得心する。映画版は確かにおもしろかったけど、物語の解決が潔癖すぎて「こんなのディックじゃないやい」とテレビの前でわめいて猫に白い目(瞬膜)で見られました(寝てた)。小説版はある取引によって解決に導かれるわけだが、倫理的には今のアメリカで人を殺すよりもずっと抵抗感のある時代という設定なので、その決意の重みがずっしり伝わる佳作。

●「ジェイムズ・P・クロウ」

ロボットが支配する世界というディストピアもので、人間は召使いや芸人として暮らしている。物語には強く描かれてはいないけれど、「ロボットが芸術や笑いを解するか」というところはすっ飛ばしているのでやや不満が残る。

●「世界をわが手に」

シムアースってこわいね、なメタ小説。地球外に知性体は存在せず、ゆえに人々はシムアースコンテストに夢中になっていた。そこに絶望視されていた地球外知性体の情報が入り、人々は歓喜する。いつでもずぶりと突き刺さるオチをもってくるディックの短編の中でも、これはかなり素敵。

ゲームならなんだってそうなんだけど、ゲーム内の事象しか目に入らなくなるときってあるよね。これを読んで、学生時代の一時期はまっていたダビスタを思い出した。いろんな馬を交配させて強い馬を作って、後輩の人たちと競い合うのだけど、単に強い馬の子だから強いってわけじゃなくて、長距離に強かったり練習次第だったり調子の浮き沈みがあったりで、なかなか思うように強い馬を作れなかった。こういう非現実なことばかりだけで生きていけるようになると、真の平和が訪れるのかもしれないと思うこともある。

●「水蜘蛛計画」

SF大会でポール・アンダーソン未来人に誘拐されるの巻。ポール・アンダーソンの作品は好きだけど、国内外問わずに作者自身にはそれほど興味はないのであまりおもしろみはなかった。ディックがこういうコミカルなものを書くという意外性が一番の収穫か。

●「安定社会」

タイトル通り安定した社会で、「意外性」なんてありえないはずだが、主人公はふと別の世界に入り込みこぶし大のガラス玉を拾ってしまう。
新しさはないけれども、最初の派手な見せ方からラストのオチへ構成がまとまっているという印象。こういうの読むと短編うまいな、って思う。

●「火星潜入」

ミステリ仕立て。火星のとある都市をテロリストに破壊されて、犯人がいるとおぼしき地球への船を創作するが嘘発見器にかけても見つからない。実は犯人はその中にいたのだ。しかしなぜ見つからなかったのか……。
相変わらずうまい。ラストの引きもみごと。実はSFの映像はあまり好きこのんで見ないのだけど、21世紀の今だからこそこういう連続ドラマがあってもいいかもと思うくらいに映像的。

●「追憶売ります」

名作というと文章が重厚だったりするものだけど、これだけ読みやすくアピールする物語はそうそう産まれないんじゃないか。火星にどうしても行きたい男が、「火星に行った記憶」を買いに行く話。ありがちと笑わば笑え。ヴィトンの限定品を持ってようが、運転手付きのロールスロイスに乗ってようが、物語を楽しんだひとときにくらべれば物の数ではない、のだけどその二つを満たしつつこの小説を楽しめればそれ以上の至福はないであろう。おいしいワインを除いては。

読みどき云々はあまり好きではないけれど、ディックの短編集に限っては若いうちに読むべき。アルジャーノンやブラッドベリなんかもそうだけど、若いときの人生経験値が足りないときに脳みそをひっくり返されるような読書の経験があるというのは大きな幸せだと思う。エキセントリックはスタンダードあってこそなのだ。

2006年02月26日

イスマイル・カダレ『夢宮殿』(東京創元社)

夢宮殿
夢宮殿
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イスマイル カダレ Isma¨il Kadar´e 村上 光彦
東京創元社
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イスマイル・カダレは1936年アルバニア生まれ。アルバニアは海を挟んでイタリアの東側、ギリシアの北西に位置しています。また、社会主義国家だったことや20世紀末のネズミ講などもあって、経済的にはそれほど裕福でもないもよう。アルバニアってアルメニアぽいし、リトアニアやラトビアとでバルト3国と言われているところだと思っていたのに、こんな南にあるなんてがっかりだ(言いがかり)。この作家を知ったのも『世界 ×現在×文学 作家ファイル』。トルコの支配が長かったらしいので、ラシュディのようなイスラム圏のマジック・リアリズムを期待していざいざ。

一人のぼんやりした成年マルク=アレムが「夢宮殿」の職員になる。「夢宮殿」では人々の夢を集めてよりわけ、国の役に立つ予知夢を探し出している。<選別>課、<解釈>課などの部署に分かれて膨大な人々が夢に取り組んでいるのだ。マルク=アレムは新人としては珍しく<受理>課に配属された。それは彼の一族が関係しており、やがて彼の加入が「夢宮殿」はもとより政治にも大きく関わることになる。

わたしは他の国の文学にはそこでしか生まれ得ない独特なものを期待している。莫言は中国生まれのマジック・リアリズムとしてグログロのゴテゴテだし、コルタサルはアルゼンチン生まれでフランスに住みジャズ大好きですごく粋な感じ。世界のあらゆる場所に住む作家が持つそれぞれの個性と環境との組み合わせから生まれる非現実感が読みたいのだ。そういう意味ではアルバニアを一応は舞台にしている『夢宮殿』からアルバニアらしさというのは感じられなかった。「夢を集める」というテーマが最後には主人公と彼の一族に災いと出世をもたらすのだけれども、アルバニアがほんとに夢集めてるわけじゃないだろうし、アルバニアらしさというのが伝わってこない。社会主義国だけどやっぱり裏ではコネが出世にはものを言うのだな、くらいか。何よりもわたし自身にアルバニアの知識がないことが問題。ボルヘス読む前からアルゼンチンはタンゴの国のような、国に対する漠然としたイメージすらアルバニアにはないので、とっかかりがない。だが、自分で「アルバニアらしさ」とは何か、まったく思いつかないので、現地の人やある程度アルバニアの知識がある人ならばリアリズム、風刺の感覚がつかめるのかもしれません。

とはいえ、物語自体は夢を集める国の機関が首長であるところのスルタンに重要な夢を提出し、それを国政に反映させるという1点だけでも十分ディストピアなファンタジーとして読めるわけですが、そこからもう一歩進んだおもしろさ、悲しさ、シュールさみたいなものが欲しかった。主人公はおどおどしてるうちに一族の謎に巻き込まれていつの間にか出世しちゃって、読み終えても感動レベルには至りませんでした。

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